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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 19

「いい? じゃあ最初からやってみるよ。長いもの皮をむいて、酢水につけるの。3cmくらいの長さに切るのよ」
「長いもの皮むきはスプーンを使うと楽なのよね。手がかゆくなっても酢水につければ問題なし」
 エミサ・シールエル(えみさ・しーるえる)リィネ・マレジ(りぃね・まれじ)が作っているのは長芋料理、この屋台で出しているものだ。手際よく皮をむき、白い中身を露出させている。現在は、興味を持ったらしく近づいて来たクランジΦ(ファイ)たち一行に、作り方を特別披露しているところなのだ。
「で、これをポリ袋に入れて麺棒でたたくの。長芋って柔らかいから簡単につぶせるんだよ。でも力仕事だから、ここで男手の登場」
「おいおい、本当にオレは長芋を叩くだけの役目かぁ?」
 きりりとした美丈夫にして本日の店主、エレム・ロンジェット(えれむ・ろんじぇっと)が麺棒を手にしてやってきた。
「ふぅ……簡単な料理だからオレでも作れそうなんだがなぁ……エミサ、皮むきとか盛りつけもやらせてくれよ」
「なに言ってるの。エレムだからこそ頼めるんだから。ほら、綺麗どころもたくさん見てるでしょ、いいとこ見せて!」
 確かにエミサの言う通りだ。ファイのみならず、そのファイの手を握っているスカサハ・オイフェウスや、同行のルカルカ・ルー、ソニア・アディールなどなど、一行の女性陣は実際、綺麗どころばかり選りすぐったような顔ぶれなのである。
「ま、まあ力仕事だし仕方ないかぁ」
 注目を浴びているのに気づき、やや緊張気味にエレムは、麺棒で丁寧に芋をつぶしてペースト状にした。最後にリィネが聴衆に説明する。
「器に長いもを盛り、もみのりをたっぷりのせるんです。ぽんずをかけてできあがり」
「で、売り口上はこんな感じ」
 コホン、と空咳してエミサが声を上げた。
「そこのおにぃさぁん、山芋のいそべあえいかがですかぁ? 滋養強壮にいいですよぉ。今夜のためにもいかがぁ? はい、リィネも続けて」
「いいけど、エミサぁ。どういう意味なのぉ? 『滋養強壮に抜群の山芋料理、よるのお供に』って?」
 と言いつつもリィネは微妙に頬を染めているのだ、薄々意味は勘づいているらしい。
「……よるのお供? 滋養強壮?」
 ファイは首をかしげてメシエ・ヒューヴェリアルに問いかけるような視線を向けた。
(「なぜ私にそのような質問を……」)
 と内心少々焦るメシエだが、そんな感情はおくびにも出さずに、
「エース、回答は任せたよ」
 さらりとエース・ラグランツに話を振るのだった。
「ふふ、それはね。可愛いお嬢さん……」
 口を開いたエースに、
「控えめに頼むよ。控えめに」
 そっとメシエは釘を刺しておく。
「えっ……と」
 どこまで説明すると『控えめ』でなくなるのだろう? エースは少々、困った。

 この日火村 加夜(ひむら・かや)は、山葉 涼司(やまは・りょうじ)と一緒である。
 ずっと彼と一緒――デートの誘いを彼が受けてくれたこと、それが何より嬉しい。
「夏祭りももう、これで最後って思うと寂しくなります」
「まー最後って言っても今年の話さ。明日は明日の風が吹く、来年は来年の夏が来る……ってやつだぜ。来年はもう少し、暑くないと助かるんだがなぁ」
 せっかくのお祭なので、以前告白したことはさておき、二人で楽しく会場を回る。
(「涼司くん、私の相手をずっとしてもらってるけど……嫌じゃないかな……? 迷惑だったらどうしよう……楽しくなかったらどうしよう……」)
 加夜は涼司のことが好きだ。胸が張り裂けるほど想っている。先日、思いあまって加夜は、彼にその気持ちを伝えてしまった。まだ回答は保留、したがって今夜も、友達以上恋人未満の二人のままである。
 ぎくしゃくした夜になるかもと危ぶんだが、気さくな涼司にその心配は無用だった。普段と変わらず接してくれている。涼司は友人が多い。店に立ち寄る都度、誰かから声をかけられているが、それに気さくにこたえる彼は、加夜と歩いていることを隠そうともしないのだった。
「あの……涼司くん、絵を描いてくれる屋台があると聞いたんだけど、行ってみていいでしょうか。二人で一緒に……今夜の思い出を絵に残してもらおうと思うんですが」
「ああ、構わないぜ」
「本当に?」
「もちろん。男前に描いてくれるといいんだが」
「大丈夫です。涼司くんなら、元から……元から……」
 照れてしまってその先が言えない加夜なのだった。
 二人は背を並べ、師王アスカの『絵描き雲』へと歩みを進める。
 触れあいそうになる手と手、加夜と涼司の指と指……けれど寸前ですれ違う。
 あと少しでは、あるのだが。

 姉川 舞香(あねがわ・まいか)にとって、今日の祭は特別な夜となりそうだ。見るものすべてが珍しく、食べるものすべてが美味なのだ。
「女の身で歩む縁日というのは、何もかも新鮮ですなあ」
 舞香は目を輝かせながらルメンザ・パークレス(るめんざ・ぱーくれす)に語り、その腕を取ってどんどん歩む。
「狭い道は通りにくいし、呼び込みの誘い方も違う。おまけにナンパもされたりする……。男だった頃とは、感じ方がまるで違う」
「そういうもんかのう? まぁ、自分は物心ついてこのかたずっと『女』待遇だったけぇ、そこのところの違いがようわからんよ」
 男として死し、女として蘇生した舞香と、男にもかかわらず『男の娘』として生きるルメンザ、二人の感覚が一致しないのは当然であった。だがそのギャップを互いに楽しんでもいた。
「懐かしい。思えば組に入って二年目の夏、的屋の手伝いをやったものです。当時まだ二一歳でしたな」
 ふと、何か思い出したのか舞香が語った。
「そのとき、明らかにこちらに非がないことに難癖つける客が現れましてね……今で言う『クレーマー』ですか。私は頭にきてそいつに反発したもんです。ところが逆に私は、同じく的屋の兄貴分に殴られました。それどころか兄貴分はひたすらクレーマーに謝って許しを請うたのです」
 ルメンザは黙ってうなずき、先を促した。
「クレーマーが大いばりで立ち去ってから、私は兄貴分に問いただしましたよ。なぜ、あそこまで卑屈に……、ってね。そのとき兄貴分は何て言ったと思います?」
「うーん……わからんのう。どう言われたんじゃ」
「兄貴分は言いました。堅気の人たちが俺たちの商売道具を買ってくれているからこそ、俺たちに金が入って、飯が食える。言い換えれば、堅気の人達に食わせて貰ってんだ、ってね。……俺たちヤクザ者はその見返りに、暴力っていう『力』で堅気や弱い者を守ってナンボの存在なんだ、とも教えられました。あの言葉は、今でも忘れられませんよ」
「……」
「ただ、時代は変わりました。あの頃は、やくざ者(もん)にも堅気にも、何て言うか、確固とした矜持がありましたな。この不景気な世の中では、もうそのままの意味では通用せん言葉かもしれません。どう捉えるかは、あんた次第ですな」
「……少なくとも、覚えとかにゃいけん、そう思ったぞ」
「それならそれで、良いでしょうな。急いで結論を出すものでもありません」
 難しい話だ、とルメンザは思った。忘れることはないだろう。
(「だけどとりあず『今』は、『金』の事に集中しておこう……」
 歩いていてルメンザは、ふと秋の風を感じた。まだ暑いにもかかわらず、さりげなく秋は忍び込んできている。