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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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第2章 始まりへの前奏曲 1

 砂漠の上空を飛行するのは、獰猛な肉食獣の顔つきで警戒の顔を怠らぬ竜であった。
 レッサーワイバーン――誇り高き竜の一族の一匹にして、騎士の竜として訓練されることも少なくない生物だ。それを駆るのはもちろん、龍騎士の装備を身に付けた者であった。
 ただし……それが本物の龍騎士かどうかは定かでない。
「風が……ありますね」
 龍騎士は呟いた。
「はわ……砂が舞ってる、の」
 それに答えたのは、龍騎士の荘厳な雰囲気とは真逆の可愛らしい娘であった。ツインテールのいかにも子どもらしい顔に無邪気さが醸し出される。目を引くのは身体に似合わず豊満な胸だろうか。いずれにしても、こんな場所にいるのはいささか不釣り合いに思えた。
 アリスういんぐで飛んでいた彼女は、疲れてきたのかぱたっとレッサーワイバーンの後ろ――龍騎士の背後に座った。
「はわ……疲れた、の」
「エリー、敵から目立たぬようにしておいてください」
 エリシュカ・ルツィア・ニーナ・ハシェコヴァ(えりしゅかるつぃあ・にーなはしぇこう゛ぁ)はこくりと頷いた。と、そのときである。眠気眼になっていた彼女の目が何かに気づいたようにぱちりと開いた。
「うゅ……エシク、敵が来た、の。警戒して、なの」
 そう言うと、エリーは再びアリスういんぐを広げてその場から飛び立った。二人で一緒にいた場合、もしものときに困ると判断したのだろう。そう考えると、少なからず彼女がこの場にいる理由も分かる気がした。
 エシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)の目が前方を見据えた。
 エリーの言う通り、敵兵が何やらこちらに向かってきている。彼らはエシクに近づいて来ると、レッサーワイバーンの下から降りてくるように命じていた。ここで従わなければ、怪しまれる。エシクは素直にワイバーンごと砂地に降り立った。
 敵兵は槍を手にし、腰に短剣を挿していた。甲冑姿は砂漠で動きづらそうにも見えるが、意外にも軽い素材なのか、身軽な動きで敵兵はエシクを囲んだ。
「怪しい奴……貴様、何者だ」
 一人の兵士が問い詰めるように聞いてきた。
 焦ってはならない。エシクは自分に言い聞かせた。彼女はいま、龍騎士である。それを忘れてはならなかった。
「私は第七龍騎士団の者だ。後退中のマ・メール・ロア・セットの護衛として戦闘哨戒を行っている」
 第七龍騎士団。
 その名を聞いて、一部の兵士がどよめきの声をあげた。このまま、こちらの名前に退いてくれれば幸いだが……そうはいかないらしい。
「なるほど、第七龍騎士団の者か……。仮にそうであれば我々としては通行を許可して差し上げるのが上からの命令であるが――」
 ビュっと風を切って、敵兵の槍がエシクの首元を捉えた。
「――残念ながら、龍騎士団はこちらを通らぬ。詰めが甘かったな」
「…………」
 全くだ。
 エシクは自分の調査の甘さを悔いた。いささか焦りすぎたようだ。そして、敵兵のこともまた甘く見過ぎていたらしい。龍騎士の装いであれば何とかなると思ったが、敵もなかなかどうして、馬鹿ばかりではない。
 さすがに首に刃物を突きつけられてまで抵抗はできなかった。静かに手を下ろし、他の敵兵たちからも四方より槍を突きつけられた。
 万事休すか。そう思われたそのとき――小石がものすごいスピードで砂漠の風を割った。
「がぁっ……!?」
 小石は弾丸の如く、敵兵の鎧の隙間にぶち当たった。兜と鎧との間……首を衝撃が走り、敵兵はつんのめって崩れ落ちそうになる。
 いまだ……! その隙をエシクは逃がさなかった。即座に下ろした手は龍骨の剣を引きぬいていた。槍を構えていた敵兵たちがそれに気づいて動き始めるが、すでに遅かった。剣線が宙に描かれた。刃先がまずは槍を斬りおとし、続いて振り返りざまの回し蹴りが囲んでいた敵兵たちを蹴り飛ばす。襲いかかってくる残りの兵には、神のいかずちが降り注いだ。
「な、なんだこいつ……強い!?」
「洒落だけで龍騎士を名乗っていたわけでは……ありません!」
 最後――小石の衝撃でつんのめっていた兵士は神のいかづちの前に地に伏した。
 ようやく事が終わったとき、エリーの声が聞こえてくる。
「エシク!」
「エリー……あなたのおかげですか」
「ううん……エリー違う、の。小石は……この人」
 そこで、ようやくエシクはエリーの隣にいる小柄な影に気がついた。砂漠の砂から身を守るようにローブをまとったその影を見て、エシクの目は見開いた。
「あなたは……」



 砂丘の影に隠れて、黒騎士は息を潜めていた。
 いや、黒騎士だけではない。幾人かのフードをまとった影は、黒騎士同様に砂丘に隠れて何かを待つ。
 馬の音だった。蹄が砂地を叩き、勢いよく駆けてくる。馬を乗りこなす敵兵は、やがて黒騎士たちのひそむ砂丘の近くまで来ると、手綱を引っ張った。甲高い鳴き声とともに、パラミタホースが立ち止まる。
「ふむ……何か見えたような気がしたんだがな」
「気のせいじゃないのか? こう風もあったんじゃ、視界も悪い」
 どうやら、敵兵は一人ではないようだった。通りで、蹄の音が重なって聞こえたはずだ。
 二人の兵士は馬から降りると、更に目を凝らして辺りを捜索し始めた。す……と、背中を見せる敵兵たち。
「いまだ……!」
 シャムスはささやくような声で仲間にだけ聞こえるように言った。
 瞬間。
「うんだぎゃ〜!」
「な、なんだ!?」
 敵兵の背後から、独特の口調で叫ぶ少年が襲いかかった。
 親不孝通 夜鷹(おやふこうどおり・よたか)。空京の親不孝通の地祇たる少年は、野性児のごとき身の軽さで敵の脳天を殴りつけた。その瞬間――ともに飛び出したヴェルディー作曲 レクイエム(う゛ぇるでぃさっきょく・れくいえむ)がパワーブレスの力を夜鷹に注ぎ込んでいる。
「貴様、どこか……」
 気絶させられた仲間に気づいたもう一人の兵が振り返って槍を構えるが……すでに遅く。いつの間にか彼の背後に回っていた六連 すばる(むづら・すばる)のヒプノシスが敵兵の意識を眠らせていた。
「マスター、もう大丈夫です」
「ありがとうございます、スバル。ご苦労さまでした」
 すばるの声を受けて、シャムスたちはようやく砂丘から姿を現した。すばるに微笑みかけてねぎらいの声をかけたのは、彼女や夜鷹たちの契約者であるアルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)だった。人当たりの良い優しげな頬笑みを浮かべる彼の姿は、教員に就いているということを納得させるに十分なものだ。
「夜鷹、まだ敵がいるかもしれません。警戒をお願いしますね」
「んだぎゃ〜、まかせとくぎゃ〜!」
 警戒のために夜鷹が集団から少し離れたのを確認して、シャムスは倒れた兵士を確かめるべくしゃがみ込んだ。
「見たところ、階級的にそう位の高い兵ではないな。ただの見張り……心配は無用か」
「ですかね。念のため、夜鷹にもっと離れた場所まで見てきてもらいましょうか?」
「いや……その必要はない。オレたちの役目は偵察の仲間が帰ってくるのを待つことだ。予定以外の動きは予想外の出来事を起こすこともある。いまは我慢して待とう」
 アルテッツァの提案にそう返すと、シャムスは再び砂丘へと戻った。帰り際に、一緒に連れだっていた二人の部下に敵兵を縛ることを命令して。そんなシャムスの背中を見送るアルテッツァに、ヴェルディーの声がかかった。
「ねぇ、ゾディ」
「なんですか、ヴェル?」
 見た目は端正な美青年でありながらも、ねっとりとしたオカマ口調で話すヴェルディーは、どこか含みのある顔でシャムスの方を見やった。
「あの黒騎士ちゃん、声色がなんだか変じゃぁない?」
「声色?」
「そっ。どこか女性的っていうの? 声帯が高い気がするのよねぇ」
 いちいち大げさな仕草で唇に指先を置いて、ヴェルディーが語る。アルテッツァは怪訝そうな顔で彼の言葉を疑った。
「そんなの、わかるんですか?」
「……スコア(楽譜)の魔道書を馬鹿にすんじゃないわよ。音域がテノールというよりかはアルトだもの。そのぐらいは、判別できるつもりよ?」
「ヴェル……それはもしや、黒騎士殿は『女性』ということなんでしょうか?」
「さぁね、どうかしら? 少なくとも、あたしはそうじゃないかって睨んでるんだけど……アルトな男もいないってわけじゃないしねぇ」
 どうやら、ヴェルディー自身も確証があるわけではないらしく、何ともいえないような表情だった。しかし……仮に女性だとするならば。あれほど男性的な女性はいるだろうか?
 アルテッツァの前で、風に打ちつけられてわずかによろめいた黒騎士にスバルが手を差し伸べていた。
「大丈夫ですか……?」
「ふん……当たり前だ。オレの心配をする前に、自分の心配をしておけ」
 そう言い放つと、シャムスはスバルに吹き付けてきた風をさえぎるよう足を動かした。
 なにより――彼自身が自分を男であると皆に教えており、南カナンの領主は男によってのみ受け継がれているという歴史が、まぎれもない男であることを物語っている。
「ま、しょせん勘みたいなもんよ、勘」
 そう……勘。
 ヴェルディーはひらひらと手を振ってその話題を終わらせ、アルテッツァは心の奥底にそれをしまいこんでおくことにした。