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第一章:働く男
 ここはエリュシオン領キマクとシャンバラ国境地帯。
 夜明け前の薄暗い大地にポツンと一件、灯りをともした店、日本のコンビニチェーン『クランマートシャンバラ国境店』がある。シャンバラに暮らす者にはごく普通に見慣れた店構えであるが、ここにはある種の違和感が同居している。
 理由は明白。店の周囲には配送トラックやイコンを駐車出来る広々とした駐車場と警備員達の控え室たるプレハブ小屋があるのみで、残りは全て荒野。その一言で片付けられる風景が広がっていたからである。
 店の中から高い鼻をフンと鳴らしてその光景を一瞥したのは、セルシウスである。
 短い金髪と深い彫りの顔つきから歳はおおよそ二十歳後半といったところと推測される。
「(シャンバラの蛮族どもめ、こんな荒野に24時間営業の商店など……賊に襲撃してくれと言っているようなものではないか……いや、ひょっとしたら我がエリュシオン帝国への侵略の布石? まさかな!)」
 そうセルシウスが思うのは、先刻までただの客だった彼が宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)にコンビニの説明と出資のお誘いをされたのも影響していた。

―――その一時間程前。

「こんにちわ、貴方ひょっとしてエリュシオンの人?」
 祥子の言葉に漫画を立ち読みしていたセルシウスがハッと振り向く。
「(バレた!?)」
 素早く周囲を緊張した面持ちで警戒するセルシウスに祥子が優しく突っ込む。
「……いや、そんな驚かないでよ。トーガ着ている人なんてエリュシオンくらいでしか見たことないからよ」
「コホン……私はセルシウス。君は?」
「宇都宮祥子、空京大学の史学科の学生よ。現在はパラミタ史学修のため明倫館に留学中だけどね」
「史学科……成程、私の正体を見破ったのはそれでか」
「ねぇ、コンビニに興味あるの?」
「コンビニ?」
「こういうお店の事よ」
「(成程、こういう商売の形態をコンビニと言うのか……)無論、興味はある」
 黒のロングウェーブの髪を揺らした祥子がフフフと笑い、セルシウスに見えない角度で小さく握りこぶしを作る。
 エリュシオンには未だコンビニが無いという事を聞いていた彼女は、エリュシオンにコンビニを作ってみたい! ていうか目指せオーナー? な野望を抱いていた。
 そもそもコンビニの事業形態としては一店を拡大させるより、新規出店を繰り返して行った方が利益率が高い。ましてや、現在のシャンバラにおいては既に頭打ちになりつつあるコンビニである。この辺りを【博識】と【判官の心得】でフランチャイズ関連の知識や契約関連の法律について補強していた祥子は流石といったところであろうか。
「いいわ。コンビニっていうのは、ただ1つの店舗に商品を集め販売するだけの存在じゃないの。生産・物流・販売の三位一体の経済活動に加え、治安・契約(信用)の社会的背景により成立するシンプルかつ高度な存在! 必要に応じて商品を発注し生産し配送し販売する事は、一定の消費と治安と法の支配による契約の遵守により成立するものなのよ」
 祥子の説明を聞いたセルシウスの頭上に雷が落ちる。
「(な……なんたる効率的な考えか!!)」
「そして行き渡る食料は民を飢えから救い、書物は知識と文化を普及させる国家をより強固にして行くわ! コンビニとはただの商店に非ず! 国が更なる飛躍を果たすための起爆剤なのよ!」
 再び、セルシウスの頭上に先ほどより大きな雷が落ちる。
「……て、聞いてる?」
 頭を掻く祥子の前には頭を抱えた大の大人の男が目一杯落ち込んでいる。その様子に、買い物中の客達が立ち止まりジロジロとこちらを眺める。
「ちょっ、恥ずかしいから立ちなさいよ!」
 慌てて祥子が、今やロダンの考える人の如く固まったセルシウスの腕を掴んで立ち上がらせる。
 彼のショックは祥子が事前に考えていた予想を超えていたのだ。
「(こう言えばプライドの高いエリュシオン人なら我が国で出来ないはずがない!って奮起するわよね……て思ってたけど、これは……)あ、あのさ。もしよかったら私の土地を貸すから、お店出してみない? もしくは私自身が出資してもいいわよ?」
と、【エリュシオンの土地利書】を提示して煽ってみる祥子。
「(国家……こんな客の女までもがそこまで考えているのか。このままではエリュシオンは蛮族の属国にされてしまう)
 セルシウスは祥子の肩をガシリと掴み、まるでオペラの主演の様な真面目な顔で、
「貴公、私と共に我が国へ来ないか?」
「……へ?」


 コンビニを知らないのは、実は客やセルシウスだけではなかった。
「あの〜、こんびにって何ですか?」
 店内の掃除をしていたリオン・ヴォルカン(りおん・う゛ぉるかん)の問いに、棚に商品を並べたり、読んだ雑誌を元の位置に戻したり、更にはコンビニの利用方法を知らない人に買い物の仕方などを教えていた店員の清泉 北都(いずみ・ほくと)が思わず転びそうになる。
「リオン……」
 北都が振り向くと、リオンはやって来たお客に笑顔で「いらっしゃいませ」と言った後、「はい?」と笑う。
「(大まかに説明したつもりなんだけど、大まかすぎたのかもねぇ……)」
 早起きは得意だから、と朝の店員としてバイトする事になった北都。
 これも執事の修行と、笑顔で対応する北都は、なるべく事を荒立てず、スルーすべきところはして極力騒ぎが起きないようにするという方針で接客していた。無論、心無い客に攻撃されそうになったら、合気道の要領で相手の力の方向を変えることで避けるという作戦も頭の片隅には置いていたが、今のところそれが発揮された場面はなかった。
 だが、『散らかさない、勝手に封を切らない、暴れない』という点からお客へ懇切丁寧に指導する大忙しの北都の誤算。それがリオンであった。
 元来、パートナーの世間知らずぶりは重々理解していた北都であったので、レジの打ち方など販売には詳しくないリオンに、基本的にはお掃除をしているよう、頼んでいたのである。
 それでも、パートナーにはどこに何が置いてあるのか覚えて、お客様に尋ねられたら答えられる様にしておいたはずであった。
北都は「(もう少し詳しく説明をしなければならない)」と思いつつ、リオンの元へ踵を返す。
「北都? すいません、このお客様が探している商品が見当たらないのですが……」
 再び聞こえたリオンの困った声に、北都が溜息をつき、
「はい、なんでしょうか?」
「金だ。金をよこせ」
「……」
「すみません。このお客様はお金が欲しいのだそうです」
 北都の前には、リオンを盾にした覆面姿の男がいる。手にはキラリと光る刃物。
「リオン……その人はお客様ではありません……」
「えぇっ!?」
 やや間の抜けた声を出すリオン。
 コホンと咳払いを一つした北都は、やはり笑顔で男に話しかける。
「あの、お客様? 他のお客様の迷惑になりますので……」
「いいから、金だ! こいつがどうなってもいいのか?」
 覆面の男を一瞥した北都がサッと片手を上げる。
「面倒事は嫌いなんだけどねぇ」
 北都の青い瞳が強く覆面の男を捉え、
「イテッ!?」
 北都のサイコキネシスが男の手首を捻り、包丁をその手から叩き落とすと、男の隙に駆け寄った北都が合気道仕込みの体術を用い、あっという間に男を床にねじ伏せてしまう。
「欲しい物は奪う、それがこの地のことわりかもしれないけど。ここではお客様としてのマナーを守って貰わないと商売成り立たないからねぇ」
「ぐ……離せッ!!」
「離してもいいけど、もうこういう事したら駄目ですよ? 今度は見逃さないからね?」
「な、何を……」
 やや怒った顔つきの北都が、男の腕をグッと絞り上げる。
「イタタタタッ。わかった! わかったから!!」
 男の言葉に北都が頷き、男から手を離す。
「ち、紛争さえなきゃ、俺だってこんな事したくねぇよ!」
 男はそう捨て台詞を吐き、店から走って立ち去っていく。
 包丁をヒョイと拾いあげた北都がポツンと呟く。
「エリュシオンや鏖殺寺院などの敗残兵が盗賊に落ちぶれている、という噂は聞いた事があるけど……世知辛い世の中だねぇ」
「あのー、北都?」
「ああ、リオン。無事かい?」
 リオンは店の外へと去っていく男を見つめながら、
「こんびにの店員のお仕事って大変なんですね」
と、呟くのであった。
 その様子をセルシウスは、何故か顔を真っ赤にして立ち去った祥子が残していった契約書の紙を読みながら、じっと見ていた。
「(ふむ……店員にも戦闘訓練を積ませているとはな。ここの店は一見普通だが、エリートが集められた旗艦店なのか?)」
と、想像を膨らませていた。