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第三章:皆、もうちょっとこれまでの自分を信じると良い。今まで経験してきた事は決して無くならない。

 同時刻。草原のような風景の広がる場所。
「ふむ、私が差し出したのは『勇気』……つまり決断力というわけですか。なるほど、あらゆる行動を決めかねてしまうだけでなく、体も言うことをききにくい様子」
 エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)は自分に向かってくる獅子を見ながらそう呟いた。彼に今まさに襲いかかっている獅子はそれなりに長身であるエッツェルよりも大きく、その体躯はもはや彼の倍近いとすら言える。
 その巨体が大振りな前足を振るい、まるで刃物のような爪を振るう。しかし、エッツェルは避けることはせず、だからといって防御することもなく、ただ平然と突っ立っていた。
 案の定、次の瞬間には獅子による強力な前足の一撃がエッツェルの身体を引き裂き、それだけに留まらず、遥か後方まで吹っ飛ばす。
 だが、草原へと強かに身体を打ちつけたエッツェルは、深い傷からおびただしい血液が流れ出すのも構わずに立ち上がると、前足の一撃をくらった時と同じように平然と呟いた。
「痛みも無ければ急所も無い――そう簡単には死なない身体だと誰よりも自分が分かっている筈なのに、それでもなお、爪で引き裂かれる瞬間には恐怖を感じますね。なるほど、これが『勇気』を差し出した影響ですか」
 そんなエッツェルに獅子が追撃をかける。再び、鋭い爪に引き裂かれるエッツェル。だが、今回は攻撃を終えた獅子に異変が生じていた。俊敏だった獅子の動きが、心なしか緩慢になりつつあるのだ。
 その異変の原因こそ、エッツェルの身体から溢れる瘴気。周囲に漂いながら、動くモノを絡めとっていき、
対象となった者は、少しづつ自分の体が重くなっていく感覚に悩まされ、動きが鈍くなっていく。
まるで蜘蛛の巣に捉えられた獲物のように、動けば動くほど絡みつき、もがけばもがくほど自由を奪われていくのだ。攻撃される瞬間、エッツェルはその瘴気を獅子につけたのだった。
「指示を頼む、和輝。信頼しているぞ」
 獅子がエッツェルの瘴気を受けたのを見て取った禁書『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)は契約相手である佐野 和輝(さの・かずき)へと声をかける。
「見た所、今は好機だ。ならば、行動プランCを実行しよう。アニスとリオンはまず氷の塊を作ってくれ。その後、アニスは俺と精神感応で連絡を取りつつ、氷の塊をサイコキネシスで浮かべて足場を作成。リオンは引き続き、氷塊の作成だ」
自分や周囲の状況になどに点数をつけて、頭の中でレーダー表を作成。特定の形になった場合に、どう行動するか事前に決めておいて行動する――『勇気』を差し出した和輝が、その状態でも指揮を執れるようにと、予め用意していた作戦だ。
禁書『ダンタリオンの書』は呪文により魔力を高め、その上で氷の魔法を発動する。それに続くようにして、アニス・パラス(あにす・ぱらす)も氷の魔法を発動し、二人で氷の塊を量産しにかかる。
「決断力がなくなる? アニス、和輝の言うとおりに動くだけだから関係ないよ?」
 安心した表情でアニスはサイコキネシスを使い、氷の塊を空中に浮かせていく。和輝へと告げるその声は、彼への全幅の信頼に満ちていた。
 精神感応能力により和輝と連絡を取り、指定の場所に氷の塊を設置し終えるアニス。そして、和輝が動く時が来たのだ。
 他生物に寄生し、寄生した部位の筋力を強化するユニークな虫を脚に宿す彼は、その性質を用いて脚部の筋力を増強し、作ってもらった足場の数々を蹴って移動することで立体的に動き敵を翻弄する。
 翻弄された獅子は標的を紫月 唯斗(しづき・ゆいと)に変更して襲い掛かるが、唯斗は身体に染み付いた経験でそれに応戦する。前足の一撃を本能的な反応で避け、噛みつきを無意識の動作で回避する。
「友を助けるのに理由なんていらないさ。ただ、友だから。それで充分過ぎる」
 彼は自らを鼓舞するように決意を改めて口にすると、獅子と相対する。
「俺から持って行くのは『勇気』か。まぁ良い。何を持って行かれようと大して差は無い」
 獅子の攻撃を身体に染みついた経験で避けながら彼は静かに呟くと、眼前の獅子を、そしてその向こうに待つであろう魔法使いに向けて、静かなる怒りを込めた声で言い放つ。
「そんな事よりも、だ。俺の仲間に手を出して無事でいられると思うなよ?」
 彼の怒りを表すかのように力の込もった蹴りが、彼に噛みつこうと飛びかかった獅子へとカウンター気味に炸裂した。勢い良く吹っ飛んだ相手をしっかりと見据えながら、彼は自分に言い聞かせるように言う。
「さて、俺の相手は獅子か。ふむ、確かに少しばかり速いな。だが、問題無い。皆、もうちょっとこれまでの自分を信じると良い。今まで経験してきた事は決して無くならない。この身体に全て刻み込まれているだろう」
 そう言い終え、精神を統一した彼は、態勢を立て直して再び飛びかかってくる獅子と相対する。至近距離まで一気に接近され、繰り出された前足の一撃。それを半歩身を引いて紙一重でかわし、彼は呟く。
「自分で判断する事が出来なくても、身体が勝手に動いてくれる」
 決して逃すまいと、更に追撃をかける獅子。もう一度繰り出される前足の一撃を本能的な反応によるサイドステップで回避しながら、彼は更に呟いた。
「今まで繰り返してきた鍛錬」
 なおも襲いかかる前足の一撃を、纏った鎧の手甲で受け流しながら、彼は自分に言い聞かせていく。
「今まで戦ってきた経験」
 獅子は力任せに手甲へと体重をかけてくるのに、同じく力押しで拮抗すると見せかけ、途中であえて力を抜き、前のめりに力を込めていた獅子の体勢を崩しながら、彼は更に自分へと言い聞かせる。
「今まで感じてきた勘」
 今までの戦いを通して得てきた経験を本能的に総動員し、もはや無意識のうちに最適な戦術を導き出した彼はそれに従って自分の身体が動くのを感じながら、確信に満ちた声で呟いた。
「それはもう自動的な物だからな」
 翻弄されていることを感じ取ったのか、怒りに満ちた唸り声を上げつつ、獅子は正面から彼に飛びかかる。その動きに、彼の身体は自動的に反応し、手甲を纏った拳による正拳突きを繰り出す。
「だからどれだけ速く動く相手でも、こちらの判断が遅くなっても、身体の感じるままに、動かしてみれば良いのさ」
 凄まじい速度で飛びかかってきた獅子に、絶妙のタイミングで正拳突きが炸裂し、彼の手に自分の拳が獅子へとめり込んでいく感触が伝わる。その感触を感じながら、彼は更にもう一方の手でも拳を繰り出し、二発目の正拳突きを獅子へと叩き込む。
「それに向こうだって攻撃する時はこっちに寄って来るんだ。だったらそこを殴り返してやれば良いだけ
ほら、簡単だろ?」
 今までの獰猛さが嘘のように、情けない鳴き声を出して怯む獅子を見ながら、彼は静かに呟いた。
「んじゃ、そういう事で。悪霊退散だ」
そして、彼は魔鎧形態の相棒――プラチナム・アイゼンシルト(ぷらちなむ・あいぜんしると)を纏った腕を、体勢を立て直して噛み付いてくる獅子の口に突き出し、わざと噛ませることで獅子の動きを封じる。
「なんか『本』の中に入ったら、決断力が鈍って、どんな行動しようかぐだぐだ悩むようになっちまったんだよなぁ」
 唯斗と獅子が戦っているのをつぶさに観察しながら、木本 和輝(きもと・ともき)は静かに呟いた。
「たぶん、獅子狙いの他の人もいるから、他の人が頑張ってる間にじっくり考えて、それから行動しようかね」
 やがて、行動の指針が心の中で決まったのか、彼の表情から迷いが消える。
一方、唯斗が手甲を纏った腕を噛ませることで、獅子の動きを封じたその隙を逃さず、水引 立夏(みずひき・りっか)は自らの能力で獅子の魔法に対する抵抗力を下げる。
そして、十分に時間が稼がれたことで決断が済んだ和輝が『土遁の術』を発動した。突如として隆起した草原の大地がまるで、植物のツタのようにうねり、獅子の足を固定する。
この好機を逃すまいと、更に騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が獅子に恐怖の幻影を見せ、隙を作り出す。獅子に幻影を見せながら彼女は仲間たちを勇気づけるべく、明るい声で応援の言葉を唇に上らせる。
「大丈夫、あなたたちは『力』も『知恵』も失ってはいないんだから♪ みんなで一緒に協力すれば獅子をも倒せるはずよ☆」
 恐怖の幻影に鳴き声をあげ、獅子が平静を失っていくのを感じながら、彼女は更に恐怖の幻影を見せていく。そして、共に戦っている仲間たちに向けて、更なる勇気を与えようと、必死に言葉を紡ぐ。
「みんなで協力すれば倒せるはずだから、この悪夢の物語を終わらせましょう。例え『知恵』、『力』、『勇気』を差し出しても、仲間と一緒に生み出す力までは奪えやしないんです!」
 獅子を相手に彼女が作り出した隙。その隙を決して無駄にはしまいと、草薙 武尊(くさなぎ・たける)が動く。
「詩穂殿、その気骨、感服致した。そして、その思い……確かに受け取った――!」
 武尊は『知恵』を差し出した分、いつもよりゆっくりと時間をかけて、冷静に熟考する。
「我が差し出したのは『知恵』であるか。ならば、己が本領たる先制攻撃、超加速そして死角からの強烈な一撃を駆使した高速戦闘にて獅子と対決するとしよう」
 しっかりと、ほころびなく考えを纏めると、彼は草原を蹴った。凄まじい足捌きで瞬く間にトップスピードまで加速すると、恐怖の幻影に惑わされ、すっかり動きを止めた獅子へとほぼ一瞬で肉迫する。
「一手、お相手仕る!」 
一気に獅子の至近距離まで飛び込んだ彼は武器を構えると、渾身の力で攻撃を獅子へと叩き込んだ。その攻撃が決め手となったのか獅子は倒れ、倒れた獅子の身体は霧のようになると、文字通りあとかたもなく霧散して消えていく。
 消えていく獅子を見ながら、武尊はふと呟いた。
「しかし、原本は『知恵のない案山子』『ココロのないブリキの木こり』『臆病なライオン』であろう? それが反転してるという事態なのかの? 実に興味深い。それにしても、それならばアゾート・ワルプルギス嬢は『ドロシー』か……些かトウのたった『ドロシー』であるな。……は! イカンイカン、我は今『知恵』が無い故、うっかり口に出してしまうやもしれん。もし本人に聞かれでもしたら……」
もしもの時の光景が不意に頭をよぎり、武尊はガクガクブルブルと身震いする。こうして獅子との戦いも学生たちの勝利に終わったのだった。