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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 3

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■5−3

 足を肩幅に開き、両手は腰にあて。

「フハハハハハッ!!」

 ドクター・ハデス(どくたー・はです)は高笑った。

 聴衆はだれもいない。
 声を聞いて何人か振り返る者はいたが、肩をすくめるだけで足を止めようとはしない。
 ハデスもまた、彼らは眼中になかったからおあいこか。

「ハーーッハッハッハッハ!!」

「……兄さん、どうしてそんなに笑ってるんですか」
 後ろから高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)が呼びかけた。その声は寒さからか、弱々しく震えている。
 それもそのはず、彼女は今、とんでもない格好をさせられて――んだか、してんだか――いたのだ。
 赤いラインの入った黒いビニール製ビキニアーマーに乗馬用ムチ、ピンヒールのロングブーツ。きわめつけは目を覆う翼の形の仮面だ。

  ――女王サマ!! 女王サマとお書きしてもよろしいでしょーか!?


 ある種の人にとってはご褒美同然、垂涎の姿だが、冬の雪降る路上では見る者に寒イボしか立たせないのが難点か。

「いつまでもこんな所にいないで、早く屋根のある場所へ行きましょうよう〜」
 当然咲耶も寒い。
 少しでも温まろうと両腕をこすったり、その場で足踏みをしたりしている彼女を肩越しにかえりみて、ハデスはずれた眼鏡を押し上げた。

「計画変更だ。もうあの家には行かない」

「って、まさかのリストラ放棄ですかっ!? 私、セラちゃんをムチで打ったりヒールで踏みつけたりしなくていいんですね!? よかったぁ〜〜〜」
 『マッチ売りの少女』リストラのため、心を鬼にして継母に徹してセラをいじめ抜くと誓ったものの、それって児童虐待じゃないかと内心ビクビクしていた咲耶はほっと胸をなで下ろす。


 大体、検閲に引っかかるシーンなんて入れたら本末転倒、スウィップ大泣きだろうし。


「あ、じゃあ私、もうこの姿してなくていいんですね?」
 いそいそと着替えようとした咲耶にハデスがストップをかける。

「いいや、おまえのその姿は間違っていない」
「えっ?」
「おまえの記憶も完全に正解ではなかったものの、あながちではなかったということだ。
 俺は今こそすべてを思い出した! あの小娘……ひと目見たときからそうではないかと思っていたが、やはりただ者ではなかったのだ。街角でマッチを売る、あのビンボったらしい姿は仮のもの、しかしてその実態は、われら世界征服をたくらむ悪の秘密結社オリュンポスの怪人の1人だったのだ!! そしておまえがしなければならないのは、そんなセラをいつもいじめる意地悪な女幹部!!」

「ええっ!?」

  ――なんですとーーーー!?


 パートナーで、妹でもある咲耶すら目を瞠って驚く、驚愕の設定!
 ほかのリストレイターたちが聞いたら「ナイナイナイ」と手を顔の前で振りそうに思われたのだがしかし!

「ふ……やはりそうだったのか」

  ――賛同者が現れたーーーっ!?


「むっ? おまえだれだ!?」
 突然背後から聞こえてきた声に身構えるハデス。
 そこでひじをとり、ほおづえをついていたのは吉崎 樹(よしざき・いつき)だった。

「俺の名などどうでもいい。しいて言うとすれば、ただの旅人Aだ」
「そして私は旅人B」
 背後に控えていた月影 晃(つきかげ・ひかる)がクールに答える。

「なるほど、旅人AとBだな! 俺は悪の天才科学者ドクター・ハデス! 何を隠そう、世界征服をたくらむ秘密結社オリュンポスの幹部だ!」
 控えろ旅人ども! ふははははははっ!!

「あの少女に対しては、俺もうすうすそうではないかと思っていたんだ」
 己を指差してのドクター・ハデスの口上を、樹は完全にスルーした。
「なにしろ、不自然すぎるからな」

 しかしスルーされてもハデスはいささかも動じない。
「おまえもか」

「ああ。しかし、まさかここにいたるまでだれも気付かないとは。そちらの方が驚きだった。……まぁ、属性を考えればあり得ないことではないが」

「うむ」

「……あのー。兄さんたち、全然話が見えないんですけどー」
 後ろでラジオ体操して体を温めながら、咲耶が質問をぶつけた。
 しかしハデスは答えない。「それっくらい自分で悟れ」という冷たい視線でチラ見して、樹との話に戻っていく。

 答えてくれたのは晃だった。

「咲耶殿、よく見てください、主人公だというのにあの存在感のなさを。あれだけの人が前を通り過ぎていながら、だれも見向きもしないではありませんか。こんな夜更けに、あんな小さな子がたった1人で街路に立っているというのに」

「なるほど…!」

  ――え? 納得するんですか? 女王サマ。


「あれこそ悪の組織の一員である確たる証拠、だれにでも持ち得るものではない、生まれながらの才能。ああして存在感を空気にして標的に忍び寄る。……ううむ、あの若さで、さすがですな」
 まるでそのシーンを見てきたかのように語り、含み笑う晃。

「つまり、彼女は――」
 咲耶はごくりと息を呑む。

「さよう。爆弾魔(ボマー)なのです」

  ――って、着地点そこかよ!!




 なんとはなし、打ち上げ花火を見上げながら、少女はぽつんと立っていた。
 マッチも毛布も完売したし、銅貨はポケットが重くぶら下がるくらい手に入った。これなら十分、家に帰ってもぶたれることはない。家に帰ってもいいのだと思っても、足が動かなかった。
 売れる前は、あんなに帰りたかったのに…。
「……だって、これ持って帰ったら、またお父さん、お酒飲んじゃう…」
 優しい父に戻ってほしかった。
 母が生きているときは、ああじゃなかった。貧しいのは変わらないけど、父は働いていたし、家には笑い声が響いていた。
 でも母が死んでから、父は変わった。仕事をクビになり、いつも酒を飲むようになった。家はもっと貧しくなり、隙間風が吹き込んでも修理もできない。響くのは怒鳴り声ばかりだ。

「おかーさん……私、どうしたらいいのかなぁ?」

 夜空に向かって語りかける少女の前に、そのとき、マッチ箱が差し出された。
「……あ。す、すみません、お客さん。あの、返品でしょうか?」
 あわてて目をこすって涙を飛ばす。

 マッチ箱を受け取った少女に向かい、ハデスは告げた。
「まったくおろかなことだな、マッチ売り怪人セラよ! せっかくの仕事道具をすべて手放してしまうとは。道具もなしに、肝心のとき、どう対処するつもりだったんだ?」
「かいじん…?」
「忘れたか、おまえに与えられた任務を! おまえはだれにもあやしまれることなくマッチ売りをしつつこの街の有力者どもの屋敷をすべて突き止め、今夜それらをすべて吹き飛ばし、この街の権力構造を一夜で作り替えることではないか! その上で、この街はわれらオリュンポスが征服する!」
「けん……せーふく…?」
 少女は首をひねる。
 単語が難しすぎて、全然意味が分かっていないという顔だ。
 しかし興奮したハデスの言葉は止まらない。
「そうだ! いいか、セラよ! 見事この任務を達成するまでは、秘密結社に戻ってくることはできぬと思え!」

「ほら、これを使え」
 樹がそっと爆弾を手渡す。
「?」
 手渡されるまま受け取ったが、もちろん少女はそれが何か分かっていない。手のひらサイズの黒くて丸い玉というだけだ。あと、見た目よりずっと重くて固いこと。

 すすっと脇から晃が、同じ物が詰まった箱を押し出した。

「稀代の爆弾魔たるあなたに使ってもらえば、この爆弾たちも本望でございましょう。なに、ご安心なされ。たとえ失敗しようとも、全責任はこの吉崎さまが負ってくださいますからな」

「え? ちょっと待って。初めて聞いたぞ? そんなこと」
 これにはさすがに樹もあわてる。
 その言葉にかぶさって、ハデスが含み笑った。
「ククク……そうはいかん。失敗者には死あるのみ!!
 セラよ、もしもそのマッチと爆弾すべてを使っても任務が達成できない場合には、おまえの生命維持システムが停止して、凍死するように改造しておいた!」

  ――な、ナンダッテーッ!?


「な、なんて非情な掟なんだ…」
 ずがーーーん、とショックを受けているのは、やはり樹と晃だけだった。
 少女は言っている意味が理解できず、ぽかんとしているだけだ。
 その両肩を、がっしとハデスが掴んだ。

「いいか? 必ずや任務を果たし、この街を火の海に変え――」


「無垢な少女に何を吹き込んでいますかーーッ!!」


「ぐぼおっ!?」
 突如割り入ってきたザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)のこぶしを腹に受けて、ハデスは吹っ飛んだ。
 ごろんごろん転がった先で、どうにか身を起こす。
 今のザカコは全身これ、怒りの塊だ。彼の足下で威嚇のように、じゃりりと小石のこすれる音がした。

「自らの手を汚すならまだしも、こんな年端もいかないいたいけな少女を道具として使い、罪をかぶせようなどと……あなた、人としてどこまで腐ってるんですか…」

「ま、待て、早まるな! これはリストレーションだ! 俺がやったら物語の修復にならないだろうっっ」
 完全に常軌を逸したザカコの殺意に押されながらも、ハデスは必死に反ばくを試みる。
「問答無用です!!」
 再び攻撃を受けるハデス。
 助けを求めてザカコの背後の樹と晃にちらちら目を向けたが、そこではザカコとともに駆けつけた警官の赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)クコ・赤嶺(くこ・あかみね)によって、2人とも制裁を受けている真っ最中だった。

「うわああああっ!!」
 霜月のサイドワインダーに撃ち抜かれ、吹っ飛ぶ樹。

「――はあっ!」
「ぬおおおおっ!!」
 クコの鋭い爪が晃を引き裂く。

 咲耶はびびって樹木の後ろに隠れちゃってるし。どう見ても助けは見込めそうにない。
 ハデスはあきらめ、がっくり頭を落とした。



「駆けつけるのが遅くなってすみません」
 ザカコは少女の前に膝をつき、下から覗き込むようにして少女を見上げた。

 寒い路上ではだしでマッチを売り歩いている少女の姿を見て、ザカコは少女の家へ向かっていたのだ。
 栄養失調でガリガリに痩せた、あんな小さな子どもを寒空の下で働かせ、自分は家にいるなどと、一体どんな親なのか。少々痛めつけた上で説教をし――それでも改心しないようならその身を蝕む妄執でもぶつけて、さらに説教をしてやろうと。

 しかし残念ながら彼は一歩遅かった。
 彼が少女の家に着いたとき、すでに父親はローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)たちによって連れ去られてしまっていた。

 それでも結果を見届けるため、ザカコは裁判所へ向かい、ローザマリア扮する児童虐待専門弁護士デニース・クレインとその助手上杉 菊(うえすぎ・きく)扮する助手が集めた証拠書類から彼の悪行を訴えるのを傍聴席で聞いていた。

「子どもは親に無制限の従属を強いられているだけでなく、日々虐げられております。この子どもに手を差し伸べずして、何の為の司法でしょうや?」

 すっかり血の気を失った青白い顔でうなだれたまま、ローザマリアたちの言葉を聞いていただけだった父親が、最後には養育権放棄の書類にサインするのを見て、彼は席を立って戻ってきたのだった。


「大丈夫ですか? どこかけがはありませんか?」
 ザカコからの問いかけに、少女は首を振る。
「そうですか。
 あの者たちが言ったことを、真に受けてはいけませんよ? あなたは普通の少女です。決して悪の組織の怪人でも、改造を受けているわけでもありません」
 やっぱりその言葉の意味は分からなかったが、とにかく少女はうなずいた。
「よかった」
 ザカコはぽんぽんと頭を軽く頭をたたき、少女の元から離れてハデスや樹たちの方へ向かった。

 今度は説教だ。
 父親にしそこなった分も含めて、ザカコはとことん説教しつくす決意だった。



「向こうはあれでいいかしらね」
 4人を正座させたその前で説教を始めたザカコを見て、クコは肩をすくめた。
 ひと目につかない路地で爆弾の処理を終えた霜月が戻ってくるのを待ち、少女の元へ行く。

 これから、父親が彼女の養育権を放棄したことを告げるという、気の重い仕事が彼らには待っていた。
 少女に説明をし、孤児院へ連れて行かなければならない。
 そこで少女は暖かい部屋と、ベッドと、食事を手に入れるだろう。だが父親が娘を見捨てたのだという事実は変わらない。それを告げるということは、小さな娘を持つ親である2人には、ずっしりと重い鉛で胸をふさがれたような思いのする行為だった。

「セラ、あのね…」
 石段に座らせ、霜月がやさしい言葉で説明をする間、クコはそっととなりで少女の手と肩を包み込んでいた。

 説明の間中、少女はひと言も言葉をはさまなかった。終えても、何も口にしない。やはり難しくて意味が理解しきれなかったかと一瞬考えたりもしたが、少女はちゃんと理解しているようだった。
 その証拠に、スカートのすそを強く握り締めている。握り締めすぎて、指が真っ白になるくらい。


「……おうちに、帰る」


 やがて少女はぽつりと言った。
「おうち、帰らないと……お父さん、待ってる、から…」
「セラ、きみは――」
「しっ」
 クコが口元に指を立て、霜月の言葉を止めた。

「おと……お父さんに、会いたい…。きっと、泣いてる…」
 だが今泣いているのは少女の方だった。
 こぼすまいとまばたきしないようにしているが、あふれ出る涙はぽつっと少女のこぶしを濡らす。

「霜月、書類を渡して」
 クコは孤児院に提出する書類一式の入った封筒を受け取り、それをビリビリに引き裂いた。
「クコ!?」
「私も、この子を返したくない。私たちの子にして、深優と一緒に育ててあげたい。
 でもね、子どもに生まれてくる親を選ぶ権利がないのと同じくらい、やっぱり、子どもには一緒に暮らしたい人を選ぶ権利って、あると思うの」
 たとえそれがどんな親でも。少女が一緒にいたいと思う限り、引き離す権利は部外者である自分たちにはない。自分たちにできるのは、それが悲劇につながらないようにと祈ることだけ…。

 少女はぴょんっと石段から飛び降りて、振り返ることなく家路を走る。

 2人は、それを追おうとはしなかった…。