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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4

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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4
ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4 ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4

リアクション


■オープニング

「ようこそ! リンド・ユング・フートへ!」

 集団無意識世界の図書館リンド・ユング・フートの筆頭司書、スウィップ スウェップ(すうぃっぷ・すうぇっぷ)は意識世界から召喚されて下りてくるみんなをにこにこ笑顔で出迎えた。

「よお、スウィップ」
 ざんっ! と音をたてて一番に草原へ着地した松原 タケシ(まつばら・たけし)が元気よく走り寄る。
「タケシくん、無事だったんだね!」
「佑一から聞いたよ。なんか、この前おまえの世話になったんだって?」
 と、肩越しに後ろを指差す。その先には、ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)が下りてくるのを待っている矢野 佑一(やの・ゆういち)の姿があった。
「ここ来ても、やっぱ思い出せないけど」
「それはしかたないよ。落ちてきた人の意識は、どうしても流れるのは避けられないんだから…」

「スウィップさん」

 いつになく沈んだ声と表情でいるスウィップに、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)が声をかけた。
「陽太くん。なに?」
「あの…。実は、前回のリストラでのことなんですが…」
 詰まったのどから押し出すような、言いづらそうな渋面で話しだす。

 前回リストラした童話『マッチ売りの少女』でのリストレーションの最中、青い人影のようなものを見たと彼女に知らせたのは陽太だった。それを聞いた直後、スウィップはみるみるうちに青ざめていき、挙動もあきらかにおかしくなって、深刻な表情であたふたと走り去ってしまった。
 ここは無意識世界。長居できる身ではなかったのでとどまることもできず、スウィップともう一度会うこともかなわないまま意識世界へ帰還した彼だったが、こうして再びここを訪れてそのことを思い出してしまった今、どうにもあのときのことが気になって仕方なかった。
 意識世界と無意識世界で時間の流れがどうなっているか分からない。
 あの青い人影が何だったのか、分かったんだろうか? そして解決した?

「あ、あれね…」
 チラ、と陽太の背後をうかがった。
 リストレイターたちはもう大分集まってきている。長々と話し込んでいる時間はないと、手早くスウィップは事のあらましを説明した。
「なるほど」
 思っていた以上の深刻な内容に陽太の眉が寄る。

 自分が死ぬことを知ってパニックを起こしている女性ジーナと彼女に巻き込まれている司書リヴィンドル・レヴィンドル。それが『知識を食い荒らすもの』の正体だった。
 そんな化け物じみた名称にして事実を隠したのはスウィップを危険から遠ざける館長や検閲官たちの配慮で、彼女がリストレイターたちと本をリストレーションしている裏では彼らが事の対応にあたっていたのだった。

 だが青い人影という司書の姿を知ったことによって、スウィップは真実を知った。
 検閲官やほかの司書たちはリヴィンドルだけを救うつもりだ。
 なぜならジーナの死は確定だから。彼女は虚無の深淵をくぐらなければならない。そのとき彼女がどんな心理状態であろうが関係ない、という理屈だ。
 ジーナは恐怖に囚われたまま、悲鳴をあげながら深淵に飲まれるだろう。

「そんなことってない」

 スウィップは彼女も救いたいと思った。そのことには陽太も賛成だったが、言葉で言うほど簡単とも思えなかった。
 『死』を受け入れる――言葉にするのは簡単だ。たった7文字の言葉。しかしそれは本人にしても、周囲の者にしても、非常に難しいことだと彼は身を持って知っている。
 観念的、哲学的、宗教的に、それを定義し、なぐさめ、心を落ち着かせる言葉は数多く存在する。しかしそれらをもってしても、全員が納得するかといえばそうでもない。
 死の恐怖。
 すべてが終わりという恐怖。
 それにおびえ、理性のたがをはずす人はいくらもいる。

「ジーナさんの命はどうしても助けられないんですか?」
 陽太からの質問に、スウィップは硬い表情のままうなずいた。
「そうですか…。
 でもきっと、こんなにもたくさんの人たちが自分のために動いてくれていることを知ることができれば、必ず彼女の心は救われるでしょう」
「うん。あたしもそう思う」
 スウィップは少し張りの戻った声で希望を口にした。
 今、彼女の前にはたくさんのリストレイターたちが続々と集まってきている。
 彼女の助けを望む召喚に応えてくれた大勢の人たち。
 本人たちは気付いていないかもしれないが、スウィップの目にはとても力強い光を発している姿で映っている。
「絶対そうなる」
 確信を持って見上げてくるスウィップに、陽太も同意するようにほほ笑んでうなずいた。




「みんな、久しぶりだねっ。元気してた?」
 花々が声をそろえて歌う草原を駆け上がり、集結した全員1人ひとりを見渡して言う。
 そしておもむろに、手にしていた本の表紙が全員に見えるように掲げた。
「今回リストラしてもらう本はこれだよ!」

 いかにも古風な厚い革表紙の大型本。そこには細い金線で『青い鳥』というタイトル文字が書かれている。
「今回も童話か」
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)のつぶやきにうなずく。
「うん。だけど今回は、ちょっと違うんだ」
 そしてスウィップは意識世界で死にかけているジーナとその死の落下に巻き込まれてしまった司書のことを話した。

「あたしたちにジーナは救えない。彼女は自分の運命の理(ことわり)に従って、その生を終えるの。
 だけど、だからってあたしたちに何もできないわけじゃない。恐怖に囚われた彼女が自分を取り戻して、きちんと死と向かい合ってもらえるようにしたいんだ」

「本のリストラでそれができるのか?」
「うん! ここは想いが力になる世界だから! リストレーションって、すごい力なんだよ? だれにでもできる事じゃないの。だからこうしてみんなを呼んでるんだもん。
 みんなのパワーでジーナを揺さぶるの! ショック療法だよ! そしてリストレーションに込められたみんなの想いをジーナに届けよう! みんなでジーナの心を救ってあげて!」

 スウィップのタクトが力強く宙をたたく。
 ポーーーンと空間が震える音がして、例のごとく本につながるドアが出現した。



「スウィップちゃん」
 ドアをくぐっていくみんなを見送るスウィップの背中に、ためらいがちに秋月 葵(あきづき・あおい)が声をかけた。
「んっ?」
 にぱっと笑顔で元気よく振り返る。
「あれ? 葵ちゃんは行かないの?」
 弾んだ声にも、見上げてくるキラキラしたスミレ色の瞳にも、何の影もない。
 いつもどおりのスウィップ。
 だけど葵は先の折り、下で陽太と話し込んでいるスウィップにそれが見えた気がしてならなかった。
 そして多分、それは見間違いじゃない。
 でもきっと、真面目にそれと指摘したって、意地っ張りなスウィップは認めたりしないだろうから。

「スーウィップっ」
 ほっぺたをぷにっと両側へ引っ張る。
「あ、あああ葵ちゃんっ!?」
 なにごと? と目を瞠るスウィップに、葵はスウィップに負けない笑顔で返す。

「なーんかさっきから笑顔が固いなあと思って。
 ジーナさんやリヴィンドルさんのほかにも、何かあったでしょ?」

「……えっ?」
 きょとんとなったスウィップに、ウィンクを飛ばした。
「こう見えても私、魔法少女なんだから。何でもおみとーしなの!
 ほらほら。話してみて。よかったら相談にのるよ?」
「で、でも…」
「大丈夫! 信じて。絶対悪いようにしないから」
「信じてないわけじゃないよ!」
 あわててスウィップは手と首を振って見せた。
「ただ……あたしも、まだよく考えてないから」
「何を?」
「あのね」

「え!? スウィップちゃんが意識体!?」

「し、しーーーっ」
「あ、ごめん」
 葵は自分の口を手で押さえる。スウィップは周囲をうかがった。何人かに聞こえてしまったようで、立ち止まって振り返り、こちらを見ている。
「まずかった?」
「ううん、そんなことないけど…。よく分かんなくて…」

「何が? 意識体だってこと? 驚いたけど……でもそれって、私たちと一緒ってことだよね」
 もともと葵はスウィップを「自分たちと違う人」と意識して接したことはなかった。
 スウィップは友達。
 たしかに無意識世界の住人だからここでしか会えないけど、でも友達であることに変わりない。

「一緒?」
「うん。スウィップちゃんが意識世界の住人でも無意識世界の住人でも、友達なのに変わりないから特になんとも思わないけど。でも、一緒って思うとなんだかうれしいかな」
 へへっと笑う。
「そう?」
 スウィップは少し懐疑的だ。葵はちょっと首を傾げた。
「スウィップちゃんは私と一緒だといやなの?」
「……いやっていうか…」
 全く覇気のない声でのろのろと答えていると。

「ま、いきなり「おまえはここの人間じゃない」なんて言われたら、だれだって悩むわな」

 サッパリした声で、そんな言葉が飛んできた。
 声のした方を向くと燃えるような炎色の髪を高く結い上げた妖艶な美女が腰に手をあてて立っている。スウィップが自分に注目したのを見て、シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)は颯爽とした足取りで距離を詰めた。
「ようスウィップ。オレのこと覚えてるか?」
「うんっ。話したことなかったけど、最初のときからあたしの召喚に応えてくれてる人だよね!」
「ああ。シリウスだ。よろしくな」
 シリウスはスウィップより30センチ以上高い。身をかがめて差し出された手をスウィップも握った。
「よろしくね!」

「それで? おまえがオレたちと同じ意識体だというほかに、何か聞けたのか?」
「……5000年前にここへ下りてきたってだけ」
 シリウスのうながしにスウィップはどう答えるか迷うようにためらいの間を開けたあと、言葉少なに答える。
「なんだ? それだけ? 少ないな」
 シリウスはちょっと面食らったようだった。
「自分が何者なのか知りたくないのか?」
「だって…」

 自分が何者か? なんて、考えたこともなかった。リンド・ユング・フートの筆頭司書、パラミタで生きる人々の無意識にある知識を整理整頓するために存在していると思って、それを疑ったことなんか1度もなかった。
 そのためにここで誕生し、これからもずっとそうだと思っていたのに、そうじゃない、なんて。

 ぎゅっと目をつぶったスウィップの帽子を、ぽんぽんとシリウスがたたいた。
「そうか。おまえ、まだいっぱいいっぱいなんだな。
 まあそうなってもしかたないよな、こんなに小さいんだし」
 これにはムッときて、強く見返しながら食ってかかる。

「小さくない! あなたよりずーーーっと長く生きてる魔女なんだから!」
「ははっ。その意気その意気」
 息を吹き返したように元気を取り戻したスウィップに、シリウスは笑って後ろを指差した。
 そこには、少し離れた場所からシリウスたちの様子をうかがうような視線を向けているサビク・オルタナティヴ(さびく・おるたなてぃぶ)の姿がある。

「5000年前って言ったよな。それって上の世界だと古王国末期だろ。ちょうどうちにも同じぐらい長生きのやつがいるんだ。同じくらいといったっておまえと知り合いの可能性は限りなく低いと思うけどな、まあ同時代を生きたよしみで、よかったらあいつと話してみないか?」
「サビク?」

 5000年前の人間というので、スウィップも少し興味が出たらしい。シリウスを避けてサビクを見ようと首を伸ばす。
 サビクの方もまた、スウィップを見つめていた。
 ふうと息を吐き、スウィップへと歩み寄る。

「やあスウィップ。久しぶり」
「こんにちは」
 サビクはシリウスよりさらに高い。自分を見るために首を伸びきらせているスウィップに、サビクはその場へ片ひざをついた。
「あなた、5000年前の人?」
「ああ。シリウスが言っていたとおり、ボクも5000年前の人間。シャンバラ古王国の生き残りだ」
「…………」

 シャンバラ古王国と聞いても、スウィップはぴんとこなかった。それが何か、知識としてはある。しかし実感としては何もない。
 本当に自分はそこの人間なのだろうか? どうも違う気がする…。
 スウィップがそう感じているのを承知の上で、サビクは続けた。

「キミはまだ自覚はないかもしれないけど……意識世界の記憶が戻れば、おそらくつらいことになると思う。向こうに戻ったとしても見知った景色、人……全てが亡びた世界をキミは見ることになる」
「そんなことないよ。全部流れちゃってるから」
 と答えようとして、やめた。
 そうかもしれない。記憶は何も意識にのみ宿るものではないからだ。体が覚えている記憶というものもある。自分では何も覚えていないつもりでも、本当は違うかもしれない。魂に魂と魄があるように。

 無言のスウィップのためらいを見抜いて、サビクはタクトを握る小さな手に手を重ねる。
「同じ時代を生きた数少ない同胞として助言しよう。
 全て忘れて新しい人生をここで歩むなら、その方が幸せかもしれない。けれど、それでももし戻ってくるのなら……そのときは同じ時代の友人として、キミのことを全力で支えよう」

「あなたは、あたしが戻った方がいいと思ってるんだね」
 くるっとシリウスの方を振り返る。
「あなたも?」
「ん? ああ…」
 どう言ったものか。少し悩んだものの、もともとそう悩みに頭を使う方でもないし、言葉の使い方が巧な方でもない。
 シリウスは真正直に告げた。
「オレは、おまえは意識世界に戻るべきだと考えてる。
 おまえがオレたちの世界の住人である以上、こっちにとどまり続ければ今回のようなつらさは何度も味わうことになる。それに耐える自信はあるか? 今こんなに動揺しているのに。
 もっときついことを言うなら……自分が意識世界の住人と知ったうえで無意識世界にとどまるっていうのは、あのジーナって子と同じじゃないのか?」
「同じ?」
「そうだ。勝手な意見だが……これまではともかく、真実を知った以上はそれと向き合う必要がある。オレはそう思うぜ」

 自分は真実と向き合っていないのだろうか?
 でもこの場合の真実って何? あたしは何から目をそらしてるの?

「ま、これがオレの意見。考えてくれるのはいいけど、あんま考えすぎんな。最後はおまえが決断すべきことだとは思ってるから」
「……うん。考えてみる」
「そうか。なら、オレはそのうえで出したおまえの結論を尊重する」

「私も!」
 と、それまで聞きに徹していた葵が声を上げた。
「言ったよね、私たち友達だって。場所がどこだって同じ。ここでも、あっちでも。友達なのは変わらないから! 好きな方を選んでいいんだよ!」
 葵を見、サビクに視線を戻すと、サビクも同意するようにうなずいていた。

「ありがとう、3人とも。あたし、ちゃんと考えるね」
 だがそう言うスウィップの表情から、陰は完全に消えてはいなかった。