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争乱の葦原島(後編)

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争乱の葦原島(後編)
争乱の葦原島(後編) 争乱の葦原島(後編)

リアクション

   九

 ミシャグジ事件の後は、あちこちに救護所や食事を提供する場が設けられた。しかし今回は、米を提供する商人たちも暴動に加わっていること、明倫館の蔵を開けるとそこに暴徒が雪崩れ込む可能性があることから、現在、救護所のみが開設されている。
 新風 燕馬(にいかぜ・えんま)は、ここで負傷者の治療に当たっていた。
 とはいえ、未だフィンブルヴェトの影響で明倫館と契約者に不信の目を向けている者が多く、救護所には人が集まるまいということで、時見 のるん(ときみ・のるん)は、ほーすけと名付けた賢狼と共に怪我人を探すことにした。
 しかしその前に、豆腐屋へ行き、油揚げを買うことにした。――これは店が閉まっていたので、こっそり礼儀正しく不法侵入し、代金を置いて出て来た。幸い、痛んではいないようだ。
 六匹いる稲荷様の使者に油揚げをお供えし、のるんはお願いした。
「怪我した人がいたら、救護所に連れて行ってね」
 稲荷様の使者は油揚げを咥え、するりと姿を消した。
「じゃ、ほーすけ、行こっか」
 賢狼は、のるんを守るよう彼女から離れずに歩いた。時折、鼻をクンクンと鳴らし、周囲に目を配る様は、のるんの保護者のようであった。
 しばらくして、のるんは壊れた家の中で膝を抱える男の子を見つけた。のるんと然程、身長は変わらない。男の子はのるんの姿を見るや立ち上がり、罵った。
「契約者の馬鹿!」
「どうしてそんなに怒ってるの?」
「お前らが町を目茶目茶にした!」
「してないよ? これは、町のみんながやったんだよ?」
 一部は契約者の手によるが、多くは住人と役人の衝突による打ち壊しだ。
「でも、みんなそう言ってる!!」
「何でだろう?」
 のるんは首を傾げた。彼女には本当に、なぜ町民が怒っているか分からなかった。男の子はしどろもどろになった。
「契約者が来なければ……町は平和だったって……葦原島も……」
 言いながら、しかし、契約者がいなければこの島がこれほど発展しなかったことも、男の子は気づいていた。グー、と彼の腹が鳴った。
「お腹空いてるの? これ、あげるっ」
 のるんはエリュシオンの茶菓子を鞄から取り出し、男の子に差し出した。最初は顔を背けたその子も、もう一度腹が鳴ったので、おずおずと手を伸ばし、それを掴んだ。最初は臭いを嗅ぎ、次いで一口齧った。
「!?」
 そして二口、三口でぺろりと平らげてしまった。
「美味しかった?」
「……もっとないのか?」
「のるんちゃんは持ってないけど、救護所に行けばあるかも」
「……じゃ、行ってやる」
「うんっ」
 男の子は口をへの字にして、のるんの後をついていった。しかし、憎んでいる契約者についていくのを躊躇ってか、次第に足が遅くなる。のるんは立ち止まり、寸の間考えると後返って、その子の手を取った。
「え? お、おいっ!」
「行こっ」
 のるんはにっこり笑った。男の子の顔も、ほんの一瞬緩み、しかしこんなことではいかんと、彼は頭をぶんぶん振ってしかめっ面を作った。
 救護所に集まった人々は、多くが町民だった。――ここに侍が混ざると、またぞろ喧嘩になるため、役人は奉行所を指定されていた。
 燕馬は、「ヒミツの補正下着」「フェイクバスト」、それに「天使の白衣」を身に着け、(一見)完璧な看護婦として駆け回っていた。
 実を言えば「契約者なんかの世話になれるかっ」と暴れる者もいたのだが、そういう輩は【子守歌】で強制的に眠らせた。傷つけるわけでなく、ただ眠らせただけなので、周りの人々も燕馬が何かしたとは思わなかったようだ。いい大人が子守歌で寝ちまうなんて、と笑い出し、一気に場が和んだ。
 燕馬の見事なプロポーション(注:フェイク)と緑の黒髪、それに眠そうなおっとりとした顔立ちも役立った。
 気が付けば、
「おーい、姉ちゃん」
「はいはーい」
と、ウェイトレスのように、燕馬は、「閻魔印のファーストエイドキット」を手にあちらこちらに向かうことになっていた。
 のるんに連れてこられた男の子は、それを見て呆然とした。契約者やハイナに怒りを爆発させていた大人たちが談笑しているのだ。いつの間にか酒や食べ物も集まっていた。
「やあ、時見。お稲荷様が連れてきた怪我人で、てんてこ舞いだよ」
 燕馬はのるんに笑いかけ、すぐに横の男の子と膝の傷に気が付いた。
「ちょっと待ってて」
 燕馬はペットボトルの水を膝にかけ、泥を洗い流した。それから「閻魔印のファーストエイドキット」から絆創膏を取り出し、ぺったりと貼りつけた。
「これでいい」
 燕馬がにっこり笑うと、男の子はぱちくりと両目を瞬かせた。はにかんだように頬がほんのり赤くなり、ぱっと目を伏せた。
「こっちに食べ物あるよっ」
 のるんがおにぎりを持って、男の子を呼んだ。男の子は、燕馬にぺこりと頭を下げると、そそくさとのるんの方へ駆けて行った。
「姉ちゃん、罪なことすんなあ」
 男が燕馬の脇を肘で突いた。
「でっけえ胸見て、あいつあんたに惚れちまったんじゃねえか、きっと」
 その肘が次第に上へとずれていき、燕馬の胸に達した。
 むに。
 瞬間、燕馬の手刀が男の首筋に入った。男の意識はあっという間に飛び、燕馬に寄りかかるようにして倒れた。
「あんた!!」
 女の悲鳴がした。セツだった。
「あ、大丈夫ですか? 飲み過ぎるからですよ〜」
 燕馬は慌てることなく、大工の脇に手を入れると体を支え、
「ちょっと飲み過ぎみたいなんで、あっちで休ませてあげてくださいね。おかみさんが看病すればすーぐ良くなりますよ」
「あんた! ああもう、情けないったら!」
 セツはぶつぶつ言いながらも、嬉しそうな顔で亭主を抱え、寝台のある天幕へ連れて行った。
「新風燕馬殿ですか?」
「そうだけど?」
 話しかけてきたのは役人だった。二人は町人たちに気付かれないよう、離れた場所へ行った。
「町奉行所の者です。今回の暴動の主犯と思える者たちについて、証言をお願いいたします」
 いきなり何のこっちゃと、燕馬は両目をぱちくりさせた。