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残暑の日の悪夢

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残暑の日の悪夢
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 同じ頃の、地下二階。
 肥満と言う強敵を前にした二人にも、決着の時が訪れようとしていた。

「く……いつまで足掻くつもり……?」
 ニキータ(太)が、荒い息をつきながら滝のように流れる汗を拭った。舌戦の方は兎も角、過去と現在のニキータの物理を伴う戦いは、圧倒的に現在のニキータの方が上である。体格を考えれば、当然ではあるが。
「無駄よ……あたしを、ふぅ……倒したところで、一つの心の緩みは、あなたとあたしを、もう一度一つにするわ……」
 はぁはぁと息を切らしながら、それでもなお口元に嘲笑を浮かべる自分の姿に、ニキータは見たくない、という気持ちと戦いながら拳を叩き込み続けた。そのたびに当たる肉の感触であったり、汗の感触であったり、何より自分の無様な顔が心を苛むが、そんなニキータを支えていたのは、今の体型を取り戻すための、辛く厳しい日々だった。あの辛さを思えば、たかが過去の幻影などなにするものか。
「あたしは、あの頃には戻らないって決めたのよ!」
 言葉と同じだけの重さの拳が、「かつての自分」を打ちのめしていく。一撃、二撃、重たい音が響き、そして。
「滅びなさいーーっ!」
 渾身の一撃が叩き込まれ、ニキータ(太)の巨体が地面に沈んだ。その醜く哀れなかつての姿から、目を背けるのではなく踵を返すと、ニキータは目を伏せた。

「さようなら、過去のあたし……もう二度と会う事もないでしょう」



 同時刻、同じく地下二階。
 過去に決別したニキータとは真逆に、レイリアは過去の悪夢の中、ではなく、自らの肉の中に埋もれようとしていた。
「うぅ……い、やぁ……」
 あれからもずっと膨らみ続けている肉は、ついにチャイナドレスの殆どを裂いて襤褸雑巾状態までに陥らせ、元のウエストは見る影もなく、豊かな胸は爆乳を通り越して肉布団のようになって、まるまるとした腹肉の上にぬぼおっと覆い被さっている有様だ。髪だけは元の美しさを保っているが、その上、肉が膨らみすぎて首は埋まり、目も開けられなくなった姿は、スライムが無理矢理人型を徒労としているかのように無惨である。
「う、ぷ……苦し……駄目……もう、立ってられな……」
 何しろ、膨らんだのは肉だけで、筋肉や骨はそのままだ。質量を増すその重みに、耐えられるはずがない。ふらふらと揺れてた巨体が、ついにドズンっと鈍い地響きを上げて、地面へと突っ伏した。
「…ぅぁ……重、ぃ……だ、誰か、助け……こん、な、嫌ぁ……」
 呻く声も、首が埋まってしまっているせいで、男の声かと言うほど野太い。思わず涙が出たが、それも頬肉のせいで耳あたりを流れていく。
(は、はやく……なんとか、しない……と……んんっ…!)
 焦りばかりが強くなるが、焦れば焦るほど肉が膨らんで行き、ついには足が地面につかないほどになっていた。もはや人間と呼ぶのも難しいほどの肉の塊が、それでもまだ拡大を続けていく。
(う、くぅ……! はぁっ…はぁ…だ、駄目、動け、な……太るの、止まらないぃ……!)
 レイリアの声にならない叫びも空しく、窒息しようかと言うほどに膨れ続けた肉は、やがて部屋全体まで埋め尽くしたのだった……。





「……嫌あ、こんな、こんな死に方……いや、あ……あら?」

 じたばたと暴れていたレイリアは、ふとその体の感覚が変わったのに気がついて、はたと動くのを止めて自身の手を見やった。補足すらっとした指先から、手首も締まって細く延びた二の腕。仰向け状態では、自分の胸が邪魔で足下までは確認できなかったが、少なくとも先程までの見にくい肉の固まりではなくなったようだ。
 しかも見渡せば、周りの景色も全く違う。重厚な絨毯が敷かれ、調度品も豪華な、宮殿の一室とも見まがいそうな一室。ダンジョンの最下部に位置する、本来の地下牢という名前を全く裏切る、華やかなサロンが広がっていた。
「あ、あら……ここは」
 状況が飲み込めず、レイリアが目をぱちぱちしていると、そのサロンで真っ先にくつろいでいた天音が「お疲れさま」とにっこり微笑んだ。
「これって、クリアしたってことなのかしら?」
 レイリアより一歩早くサロンに到着していたニキータの言葉に、君はそうかもね、と天音は笑う。
「悪夢に飲まれるにしろ、抵抗するにしろ、自動的にここがゴールになるみたいだね」
 そう言って視線を向けた先では、扉の中での出来事がよほど堪えたのか、数人が部屋の隅で縮こまってしまっている。特に酷かったのはセレンフィリティで、クッションをぎゅうっと握りしめて顔を埋めたまま、動こうともしない。
 そんな彼らより一足先に抜け出していたからか、一応は立ち直った様子のツライッツにご苦労様、と肩を叩いた天音は、入り口でとても楽しそうな様子だったアルファーナの笑みを思い出して「アルファーナさんて、良い趣味してるよね」と苦笑した。
それを耳にして、新しいカップの準備をしていたベイナスが
「彼女の性格は、ダンジョンの性質として設定されたものですから。悪意が強く表に出ることがあります」
「悪意、ねえ」
 そんなレベルではないような気がするが、と天音は呟いたが、それにはベイナスはちょっと苦笑した。
「アルファーナは特に――兄に対しては、その面が強く出る傾向がございますので」
 その言葉に、ふうん、と視線を逸らそうとするツライッツを眺めながら呟いた天音は、この遺跡に入った時からちらちらと横切る少女――今は、女性と呼べるほど成長したその影がその後ろを横切ったのを見送った。
 サロンに降りてきて直ぐ、少女に名乗って見せたのだが、少女の方は笑うばかりで応えず、どうやら姿が見えていないらしいブルーズの不安を煽るばかりに終わったが、この変化はちょっと、放っておけない。そう思いながら、天音はあえて別のことを口にした。
「……ところで、その悪意、っていうのは例えば悪夢を見せたり……なんて事が出来るのかな」
 その問いには、ベイナスは首を傾げた。
「悪夢的な難易度の設定については、可能ではありますが……もう一度入り直していただく必要がございますね」
 そのベイナスの反応に、おや、と引っかかるように天音は眉を寄せた。ブルーズも、そんな天音の反応に何か察するところがあったらしい。
(どうやら、からくりはわかってきた……かな?)
 嫌な予感を顔に浮かべるブルーズに、天音はこくんと頷いて見せた。