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 一章 樹海の罠

「……目的を確認しておきます」
 ウィル・クリストファー(うぃる・くりすとふぁー)ファラ・リベルタス(ふぁら・りべるたす)ルナ・リベルタス(るな・りべるたす)に向かって言う。三人はゆっくりと進む調査班の少し先を行きながら周辺を警戒していた。情報拠点としての意味合いも持ち合わせている調査班が直接戦闘に巻き込まれることは避けなければならないが、襲撃された際に対応できなければ意味がない。
「調査班を危険から守り、瘴気の発生源まで調査しに行き、何らかの成果を持ち帰るのが今回の目的。なので好戦的な行動は避けるべきでしょう。襲ってくる相手は撃退しなければなりませんが……」
 そのためにウィルは有効視界ぎりぎりの範囲で索敵を続けていた。調査班は今土壌と樹木のサンプルを取っている。ルナが頷いてから前方に視線を戻した。
「調査班を危険から守り、襲撃者を撃退ね。分かったわ」
 印を結びながら魔術的な警戒を行っていたファラが集中を解き、ルナ達に顔を向けた。
「襲撃者のみ倒す。まあそれが一番じゃな。戦わずに済めば、それにこしたことはない。毒や瘴気のことは心配せんでも良いぞ。私が対処するからのう」
 ウィルが頷く。とはいえ、調査班の進みは遅い。元々長丁場の予定だったために、警戒待機が続く。
「それにしても、静かね」
 ルナが呟く。樹海は不気味なほどに静まり返っていた。空気は停滞し、鳥や虫の声もない。わずかなささめきが調査班の方向から聞こえるばかりで、樹海は死んだように眠っていた。
「そうじゃな。命の気配が全くない」
「……隠されている可能性もあります。注意しましょう」
 と、ウィルがファラにそう応じた時、前方で手を振る人影が見えた。ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)だった。
「あれは、ソーマさん?」
「何事かあったようじゃな。向かうか? ここ近辺に悪意の気配はない」
「行きましょう。北都さんとソーマさんで対処できない事態なら、放置できません」
 頷いて駈け出すウィルにファラが続く。ルナは最後に振り返って調査班に合図を送ってから続いた。
 ソーマの立っている所まで歩を進めたところで、まずファラが異変に気付いた。
「……なんじゃ、この音は」
「まあ、気付くよな。北都が警戒してくれてる。慎重についてきてくれ」
 ソーマがそういって、姿勢を低くしながら低木をすり抜けていく。ファラ達が続くと、ほどなくして清泉 北都(いずみ・ほくと)の姿が見えてきた。
「良かった。間に合ったね」
 北都がほっと息を吐く。そしてすぐに視線を上に向けた。
「なんて大きさ……!」
 もう通常の感覚の持ち主にさえその異常な音は聞こえていた。ずくん、ずくんと木の上で鈍い鼓動を繰り返すそれは、薄く紫に発光する、巨大な虫こぶだった。樹皮がまだらに透け、まるで肉を持つ生き物のように躍動するそれから、ファラは言いようもない気持ちの悪さを受け取っていた。
「悪意とは少し形が違うが、明らかに歓迎できる類のものではないのう」
「そう思ったから呼んでもらったのさ。どうする? 調査班に報告は入れてあるけれど」
 北都の言にウィルが少し悩み、首を振った。
「刺激は避けましょう。警戒しながら後退して……」
 ずくん、と一際大きく虫こぶが躍動する。誰もがそれに気を取られる一瞬、背後からやってきたそれに対応できたのは北都とルナだけだった。
「汝、遍く全ての源にして、原初の光!」
 ソーマを庇うように飛び出した北都が光精の指輪を発動させる。だが、それは怯むことなく直進し、二人をまとめて薙ぎ払う寸前にルナの拳によって逸らされた。
「ふっ!」
 叩き伏せたそれは蔦だった。うねうねと蟲のように蠢くそれは、樹木が変異した姿。虫こぶへ注意が集まった隙を突いて、それは別の木々から伸びていた。
「罠……!」
「食虫植物の常套手段ってことか!」
 ざわり、と静寂に包まれていた樹海が目を覚ます。周囲の樹木が一斉に蠢き始め、ぼこぼこと地面を盛り上げる。それは、虫こぶから放射状に伸び、周囲の樹木につながっていた。
「ここ一帯、すべて奴の体じゃぞ!」
「光術の類も効いていない……!」
 巨大な樹木がそのまま虫こぶの手足となって蠢く。地面を吹き飛ばして現れたそれを五人は散って避ける。迫ってくる巨大な根に対し、ウィルが大きく振りかぶって剣を叩き付けた。
「ぜぁっ!」
 半ばほどまで断ち切られたそれからどろりと濁った体液が漏れる。それを見てソーマが杖を構えてファラへ叫んだ。
「合わせろ!」
「承知!」
 ファラが応じると二人は即座に詠唱に入る。動きを止めた二人を狙って再び根や蔦が群がってくる。だが、それより先に北都の詠唱が完成した。
「汝、光にして刃、わが敵に死をもたらす、凍れる吐息!」
 冷気が吹き荒れ、蔦や根の動きが鈍る。その瞬間を逃さず、ウィルとルナの剣が残らずそれらを断ち切った。傷口が見る間に凍り、末端が死んでゆく。ずくん、とさらに大きく虫こぶが躍動し、また別の根が飛び出そうとしたとき、ソーマとファラの呪文が完成した。
「其は天の槍、其は神々の怒り、魔を払う、破軍の一撃!」
 閃光と共に二人の放った雷撃が動きを止めた根の傷口へ炸裂する。それはぶすぶすと根だけでなく、周囲の蔦までも焦げ付かせるほどの威力だった。びくん、と虫こぶの鼓動が不規則になる。同時に蔦の活動が大きく鈍った。
「ウィル!」
 蟲こぶを守ろうと緩慢な動きをする蔦や根を打ち払いながら、ルナが叫ぶ。ルナのこじ開けた道にウィルが滑り込み、虫こぶへ肉薄した。
「せやぁっ!」
 ざん、と鼓動する虫こぶに一撃が叩き込まれる。ばっと破裂するように濁った体液が吹き出し、蔦や根がびくびくと震え、力を失ってくたりと垂れた。淡く紫に発光する体液がウィルに直撃し、苦しげに呻きながら後退し、膝をついた。
「っ……今、治療を!」
 ファラが駆け寄り、掌に輝きを集める。淡く発光するそれが少しずつ、まだらに発光していた体液から輝きを奪っていく。ソーマが汚れることを厭わずにウィルに手を当て、鼓動を同調させて失われようとしていた生命力を活性化させた。済まなさそうにウィルがソーマを見る。
「すみ、ません。油断しました」
「黙ってな。まだそれに命を吸われてる」
 ソーマがぴしゃりと言って治療に集中した。北都はその間に倒した樹の化物を検分していた。水分を多く含むこの種は、どうやら直接焼かない限りはそれほど燃えることはないようだった。
「近づいてきた獲物を誘い出した上、止めを刺すと毒をまき散らす大型植物だったんだね。小さな生き物は皆こういうのにやられたのかも」
 北都が分析する間にゆっくりとウィルの顔色が元へ戻っていく。安堵するルナとファラの隣で、ソーマが頷きながら手を放した。
「触れている時間が短くて助かったようなもんだ。同じ奴が出てきたら倒し方を考えないと、だな」
「ありがとうございます」
「いいさ。ウィルが居なかったら俺か北都がやられていた。助かったぜ」
「二人だけだったらこの大きさには対応できなかったね。危なかった……佐野さんに報告しないと。これをまともに相手にしていたら、体がいくつあってももたないよ」
 ウィルが頷く。北都がHCを操作して報告を終えると、一度拠点に帰還して治療を受けるため、ウィル達は一度引き返した。ファラに肩を貸されながら戻ってゆくウィルと、それを守るように歩くルナを見送ってから、ソーマは北都に向き直った。
「偶然だと思うか」
「……小さな生き物が全くいない。それなのにこんな大型種が生き続けていられるのはおかしいよ。まず間違いなく、これは最近になって生まれたはず」
「だろうな。今までの連中と違って光に大きく耐性があるようだし、水気が異常に多い。どういうことだ?」
「この辺りは低地になっているし、多分水源があるんだと思う。そこから吸うか、或いは、何かに無理矢理分け与えられてこうなったんじゃないかな」
「誰、だと思う?」
「わからない。だけど、どうも今までと違う敵がいる気がする」
 ソーマが北都の言葉に頷く。先に行く道を戻った三人とは道を違え、二人はさらに調査班が進むと思われる方向へ進んだ。



「ジャングルでは一瞬の気の緩みが命取りになるであります!!」
 葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)はふーッ、ふーッと荒い息をつきながら周辺警戒を続けていた。ぬかるみがちな足場をゆっくりと踏みしめながら偽装を施した戦闘服で行軍を続ける。視線は一定させずに常に動くものを探し、射線が通っている位置を何度も確認する。
「いや、相手は軍隊じゃないわけだから、そこまで……」
「シャラーップ!! 何処にベ〇コンのアンブッシュやトラップが有るか解らないであります!! 警戒を厳とするであります!!」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が若干気圧されながら具申すると、即座に否定が入る。その大声の方が余程見つかる……と言いたそうな顔をしたがエースはすんでのところでそれを飲み込んだ。敵を探す吹雪の目の血走りようは、そんな安直なツッコミでは逆効果にしかならないことを、言葉よりも饒舌に語っていた。
「すいません、色々心の傷が多いんですあれは」
「何があったんですか……」
 コルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)がその後に続きながらエースに頭を下げる。その間にも吹雪は前進しつつ「この地形なら泥にだって隠れられるのでありますいやそもそも樹上の方が遮蔽は」とぶつぶつ呟いている。
「密林で遭遇戦とかとか? 何処から弾が飛んできているか分からないのに味方がバタバタ倒れるとか、落とし穴にはまった味方が毒で足をやられて翌日動かなくなってるとか、物資が足りない中行軍を続けて休もうと思った岩陰で敵兵にばったり……」
「だいたいわかりました。それは確かに、こうもなります」
「いやぁ、理解があって有難いやら申し訳ないやら」
 そうコルセアが言いかけた瞬間、突然慎重だった吹雪の足取りが素早くなり、手にした山刀で木陰の茂みを薙ぎ払った。低木を引き裂き、ずかっ、と重い音を立てて樹に山刀が食い込む。
「またですか?」
「今度は何が!」
「ふふふ見つけたのであります隠れていないで出てくるのでありますそれとも茂みごとずたずたにされるでありますか」
 ぎらり、と山刀を構えてもう一歩進み、刃が届く範囲の茂みを刻んでいく。そこへコルセアが近づいて肩に手を置く。
「ベ〇コンはいないし、7.62弾も5.56弾も飛んできません。OK?」
「しかし、現に茂みが動いたのであります! これは間違いなくアンブッシュなのであります! 今敵兵は奇襲のイニシアチブを失って」
「味方と言うこともあるかもしれませんし……」
 コルセアとエースのフォローが飛んでくる。しかし、吹雪は止まらない。
「シャラーップ!! 北北西方面に展開しているのは我々だけと佐野の通信で明らかになっているであります!! 小動物の気配も皆無! すなわちここで我々以外に動くものは敵! 茂みが動いたらそれは間違いなくアンブッシュなのであります!」
「撓んだ草が戻ったり、風が吹いても敵ですか?」
「アンブッシュの可能性が消えない限り茂みは薙ぎ払うものであります! 中身がいる可能性がある限り切り払うのであります!」
「報告には攻撃に反応して毒を撒くトラップがあると」
 エースのトラップ、という言葉で吹雪がぴたりと止まる。すすす、と山刀が構えの位置に戻り、吹雪の足取りが慎重さを取り戻す。コルセアがほっと息をつき、エースに目線で感謝の意を示した。エースが頷く。
「ここを精査するであります」
「はいはい」
 吹雪が周辺を調べ始める。その時、少し離れた樹上にて、息を殺している影が一つあった。吹雪達から死角になるよう、太い木の幹に隠れるようにしているそれは、髪の長い女だった。手にした、髪と同じ菫色に光る大鎌の刃をそっと幹に当てながらそっと息を潜め続けていた。
「い、今のを『見る』のね……危なかった。準備を終える前に見つかったら囲んで叩かれるだけだもの。……ぶつける? いや、下手を打てばここで戦闘になるわね……三人、やれないわけじゃないけど、増援が間に合えば最悪、何もできない……やめておきましょ。彼女たちを始末するのが、私の役目じゃないものね」
 吹雪たちが少しずつ離れていく。鎌の刃で少し傷ついた樹の幹に、そっと手を当てる。すると、小さく脈打つこぶが生まれた。それはゆっくりゆっくりと大きさを増していく。それを確認すると、女は死角を移動しながら吹雪の警戒圏を抜けて行った。
「樹上に敵が! 歩兵隊の支援を要請するであります! ゲリラであります! 奇襲であります!」
「はいはい。報告は頻繁に、ですねー」
「しかし、ここの植物は……もう、死んでいるのか?」
 吹雪たちの声が依然として響く。彼女たちが実際に設置されたトラップを発見したのは、この直ぐ後だった。