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煌めきの災禍(前編)

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煌めきの災禍(前編)

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【2章】侵入を阻むもの


「皆、行っちゃったわね」
 リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)はぽっかりと口を開けた洞窟の先を見つめていた。外からの光で手前に安置されている祠の形は分かるが、それより先にはただ真っ黒な暗闇が広がっているばかりだ。
 ハーヴィはそのすぐ傍で、琥珀のペンダントを握りしめたまま祠に祈りを捧げている。彼女がそれを続けながら何を思っているのか、リリアには分からなかった。それでもハーヴィの結界はきちんと機能しているらしく、森は平穏そのものといった感じで周囲を包んでいる。
「気分は悪くない?」
 祈祷の邪魔をしないように注意を払いながら、それでもあまりに神妙なハーヴィの表情を心配してリリアは尋ねた。
「ああ、思ったより楽じゃな。あの兄ちゃんのお札が利いてるのかも知れん」
 ハーヴィは貴仁が洞窟の入口に張り付けていった『浄化の札』に目をやってそう言うと、リリアの方を振り向いてにこっと笑う。
「ありがとう。少し昔のことを思い出しておっただけじゃ。心配はいらんよ」
 微笑むハーヴィを見て、リリアは少し複雑な顔をした。幼く見えるこの精霊は、友人を失くしてから既に数え切れないほどの年月を生きて来たという。もしもその永い時間のせいで希望を持ち続けることに疲れてしまっていたとしたら、こんなに悲しいことはない。
「昔のこと?」
「そう、遠い昔のことじゃよ。我らがまだ、三人で暮らしておった頃のことじゃ」
 ハーヴィは懐かしそうに目を細めた。
「我はあの頃からどんくさくてのう……いつも二人の後を付いて周っている状態じゃった。一番要領の悪かった我が集落の長をしているなんて知ったら、あの二人は腰を抜かすじゃろうなぁ」
「ハーヴィちゃんは大好きだったのね、その二人が」
 リリアの言葉に「もちろん」と答えて、ハーヴィは続ける。
「じゃから、あの子らが遠方の研究施設から帰って来た時は本当に嬉しかった。でも……だからこそ変わり果てた姿を見た時は、本当に悲しかった」
 沈痛な表情を浮かべるハーヴィにこれ以上のことを聞くのは酷だろうか。リリアは少し考えたが、思いきって尋ねてみる。
「その『研究』について、ちょっと聞いてみてもいい……?」
「構わんが、我にもよく分からないんじゃよ。ただ研究者たちの目的は″永遠の生命“を得ることじゃったと、あの子――『煌めきの災禍』は言っていたな。その過程で色々と、酷いことをされた者もおるらしい」
 先刻、森を抜けて洞窟に向かう道中、リリアはソーンにも同様の質問をしていた。「精霊がかつてどんな実験に使われて、どういう目にあって現在どうなっているのか、あなたはどう考えているの?」と問うリリアに対し、あの銀髪の青年はやはり永遠の生命という言葉を持ち出して来たのだった。
 曰く、命が刈り取られる瞬間は、何も寿命による自然死だけではない。あらゆる疾病や怪我、不慮の事故にも耐え得る強靭な肉体と精神を持った生命体を創りだすこと。その目的は機晶精霊である『煌めきの災禍』の誕生によって半ば達成されたようなものだったが、その後『災禍』が行方をくらましたことによって技術自体が失われてしまった――というようなことを、ソーンはやけに饒舌に語っていた。
「技術が失われたっていうのは、本当なの?」
「まあそうじゃろうな。何しろ、何千年も前の話じゃし……研究所自体、『災禍』がこの森へ逃げ戻って来た時には既に機能しなくなっていたはずじゃからの」
「それなら何故、ソーンはやけに詳しくその話を知っていたのかしら」
 いぶかしむリリアに、ハーヴィは首を振って分からない、と言った。
「分からんが、我はあの男を信じたいのう。無論、ソーンだけではないぞ。協力してくれておる皆が全員、無事に帰って来てくれると良いんじゃが……」
 ハーヴィは心配するような視線を傍らの機晶兵に向ける。それはこの子に言えば通信で私に通じるからと、ルカルカが洞窟の入口に残していったものであった。


 地中に含まれる水分が所々岩肌から染み出しているせいもあるのだろう。暗い洞窟の内部は、やけに冷える。
 一行の先頭を行くのは少々露出度の高い美女二人組、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)。一行の護衛役を買って出た二人は、油断なく辺りを警戒しながら前に進んでいく。
 そして殿を務めるのは、漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を身に纏った中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)と、魔王 ベリアル(まおう・べりある)だった。ベリアルは大好物のプリンを携えたまま前に行ったり後ろに行ったり、ピクニック気分で探索に参加している。曰く、「洞窟探索って言っても、簡単に言えば奥に眠ってるお宝……今回はお姫様になるのか? を見つけて保護すれば良いんだろ? 簡単じゃないか」とのことである。
 リリアのパートナーでもあるエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は今、岩肌の苔に話を聞こうと試みている最中だった。スキル【人の心、草の心】は彼の得意とするところであったが、それでも『煌めきの災禍』の干渉を受けているのか普通の植物と比べて意思の疎通が図りづらい。通信状態の悪いラジオ音声を聞いている感じとでも表現すべきだろうか。エースがいくら問いかけても、苔からは情報として意味を成さない音素の波が、途切れ途切れに不快なノイズの混じった声として伝わって来るばかりだ。辛うじて感じ取れるのは他者を寄せ付けない「拒絶」の心。憎悪や侮蔑といった忌まわしい心象も伝わってくるが、感情の主がそれを自己に向けて抱いたのか、それとも他者に対して感じたものなのかまではよく分からない。
 しかし貴仁が一定間隔をおいて岩壁に張り付けているお札の近くでは、その浄化作用の為かノイズが幾分マシになって、エースに別のイメージが伝わって来る。――それは「森を守りたい」という願い。誰にも荒らされず、永久に平和な森であって欲しいという想いだった。
 元より移動不可能な植物からはこれ以上の情報を得ることは出来ないだろう。エースは苔との会話を打ち切ると、前を行く白衣姿のソーンに近づいてある質問を投げかけた。
「ところで、どうやって『煌めきの災禍』を治すつもりなんだい?」
 研究内容と推測については聞いたが、治療方法について説明された覚えはない。治療に携わる者なら通常は治療方法とその術式、それにメリットとデメリットの両方を示してから、周囲の意見を仰ぐはず。にも関わらずソーンが語ったのは利点のみで、おまけに推測の根源部分を明かそうとはしてしない。端的にいえば非常に胡散臭いとエースは思っていた。
「そう言えばまだお話していませんでしたね。治療の際はこれを使うんですよ」
 ソーンは職員室から持参してきた鍵付きの箱を開けると、中からゴーグル状の物体を取り出して見せた。
「これは一種の制御装置のようなものでしてね。機晶生命体の『脳』とでも言いましょうか、思考を司っている中枢部にアクセスすることで、一時的に活動を停止させることが出来るんですよ。その間に損傷の程度を調べて修理を施す……まあ、あえて人体になぞらえて言うとすれば、手術中の麻酔的な役割を果たすわけです」
 その制御装置は、いわゆるヘッドマウントディスプレイのような見た目であった。後頭部にまたがる硬質のヘッドバンドには、操作用のボタンに加えてささやかな液晶が付いている。側面に開いた平たい穴は、その小ささから言ってマイクロSD大の何かを入れる差し込み口と思われた。
「へぇ、用意周到だな。どこでそれを?」
 近くで話を聞いていたダリルが問う。彼のパートナー・ルカルカも、そうとは悟られないように用心深くソーンの挙動を観察していた。何故なら彼女の勘が、『煌めきの災禍』を助ける事で動物とは別の危険が訪れると警鐘を鳴らしていたからだ。
「先人の遺産とでも言いましょうか……。研究で訪れた場所にたまたまあったのを、貰って来たんですよ」
 訪れた場所とは? と尋ねられて、ソーンは仕方なさそうに肩をすくめる。
「皆さんに嘘は通用しないでしょうから、本当のことを言いますよ。例の『煌めきの災禍』が実験体にされていたらしい研究施設です。これが驚くべきことに、僕の故郷からそう遠くない場所でしてね――まあもっとも、今は研究施設というよりただの廃墟……地下遺跡と化していますが」
 初めて聞くその事実に、カイですら目を丸くしてソーンを見つめている。しかしソーンは周囲の視線を特に気にすることもなく、極めて落ち着いた様子であった。
「現場に行ったことがあると……? ならば、貴方は初めから『煌めきの災禍』――彼女を目的として集落に近づいたということか?」
「ええ、正直に言うとそうです。軽蔑されるかも知れませんが、研究対象があるからこそ、学者として僕はここにやって来た。隠していたことは謝りますが、フィールドワークも兼ねていたのでね。そう易々と話すわけにもいかなかったのですよ」
 いぶかしむダリルに対して、ソーンは淡々とそう答えた。
 その時、一行の先頭を歩いていたセレンが声を上げる。警戒を促す彼女の声とほぼ同時に、無数の羽音が迫って来た。
「お喋りは後にした方が良さそうだぞ」
 先程まで黙ってソーンの話を聞いていた十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)も、神狩りの剣を抜いて戦闘態勢に入る。何かを企んでいるようなソーンの言動は気になるが、今はそれよりも目先の安全確保が重要だ。
 暗視状態の目には、迫りくる洞窟コウモリの群れが映っている。宵一はスキル【プロボーグ】を発動しながら、前衛に躍り出て挑発行為を行った。するとコウモリの群れは大きな羽音を立てながら、彼の読み通り一団となって攻撃の矛先を宵一に向ける。
 前後左右あらゆる方向から襲いかかって来るのが厄介だが、一流のバウンティハンターを目指す彼にとってコウモリごときは恐るるに足る敵ではなかった。
 自分に突っ込んでくる黒々とした群れ目がけて、宵一は【ソードプレイ】を叩きこむ。
 それも相手の命を奪わないよう細心の注意を払いながらだ。
 刹那、打ち落されたコウモリがばさばさと音を立てて、一斉に地面の上に伸びた。
 あぶれたほんの数匹が、後列に居た綾瀬に最期の体当たりをかまそうとする。しかし彼女の滑らかなドレスは【常闇の帳】を発動し、的確にその攻撃を吸収した。おかげで綾瀬の身体には傷一つつかなかったが、コウモリは力尽きてそのままぐったりと動かなくなった。
「まだよ。まだ来る……!」
 モンスターの待ち伏せを事前に察知していたセレンは、スキルで自らのスピードを高めつつ身構える。
 ――グァアオオオ……!
 この先は通さない、と言わんばかりに飛びかかって来たのは、かなり体躯の良い二頭の狼であった。
「洞窟にモンスター……まったく、ベタなRPGもいいところだけど、こっちの方が危険なのよね!」
 言いながら、セレンは狼の鋭い牙による攻撃をかわし、相手を自分の都合がいい場所へと誘い込む。彼女の背中では愛するパートナーが守りを固め、もう一頭の狼と対峙している。
「洞窟が崩壊するような真似だけはしないでよね」
「うっ。分かってるわよ! セレアナこそ気をつけてよね!」
 狼が次の攻撃に移る隙を突いて、二人はほぼ同時に動いた。
 セレンの呼び出した炎の精霊が、狼の白っぽい毛を焦がす。
 セレアナの銃から放たれた弾丸は、その獣の足を打ち抜いて動きを封じた。
 ここが散り際と悟ったのだろうか。二頭の狼は狂ったように猛り、口から泡を飛ばしている。それに対してセレンは容赦なくとどめを刺そうとしたが、いつの間にやら前列にいたベリアルが【魔王の目】で睨みつけると、狼たちは畏怖の感情にさらされて大人しくなった。
 すかさず他の仲間が【ヒプノシス】をかけて二頭を眠らせると、ようやく洞窟内に静寂が戻って来る。
「うーん……この道、合ってるんでふけど、違うみたいでふ」
 沈黙の中で、ふと宵一のパートナーであるもふもふ妖精リイム・クローバー(りいむ・くろーばー)が呟いた。
「どういう意味だ? というか、ここまでほぼ一本道で他に道は無かったぞ」
「そうなんでふけど、何かどんどん目的地から遠ざかっているような気がしまふ」
 リイムはスキルによって優れた方向感覚を身に着けていたが、どういうわけか進んでいる方向に自信が持てずにいる。というよりは、何かが違うという気がする。
「この道、大きく蛇行して無駄に歩き回らせてる感じでふ。それにたぶん、このまま進んで行っても何もないと思いまふ」
「そうか。敵が出て来たから、てっきり本丸が近いのかと思ったが」
 宵一がリイムの言葉にそう答えると、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)のパートナー・御神楽 舞花(みかぐら・まいか)がじっと道の先を見つめて言った。
「それはたぶん、こういうことだと思います」
 舞花は足元に落ちていた石を拾い上げると、勢いよく前方に向かって投げつける。
 ひゅっ、と風を切った石が暗闇に消えた瞬間、物凄い音を立てて目の前の岩盤が崩落した。驚きのあまり誰もがなす術もなく立ち尽くしていると、さらに奥へと続いていたはずの道はぐちゃぐちゃになった岩と土砂によって完全に封鎖されてしまった。
「恐らく動きを感知して作動する類の罠が仕掛けられていたのだと思います。このまま進んでいたら、運良く生き埋めにならなかったとしても、帰り道を失っていたかも知れませんね」
 事実、舞花にはそんな未来もおぼろげながら見えていた。今回は上手く回避できて非常に幸運だったと言わざるを得ない。
 六熾翼で飛び回るリイムの先導に従って、一行は少し来た道を戻ることにした。リイムの飛行速度に合わせるように、装備したLEDランタンの灯りがゆらゆらと揺れている。
「この辺りが一番それっぽい気がするんでふが……やっぱり他には道、ないでふね……」
 左右の岩壁を注意深く観察している一行の中で、湯浅 忍(ゆあさ・しのぶ)はふと片隅に小さなコインが落ちているのを見つけた。それがお金に目がない性格のせいなのか、はたまた彼の持つトレジャーセンスによるものであるのかは、誰にも分からない。
「待って下さい」
 そっとコインを拾い上げようとした忍に対し、声を掛けたのは舞花であった。
「よく見て下さい。それ、罠です」
「え……」
 舞花のヘルメットに付いた灯りに照らされて、コインはきらりと煌めいた。しかしよく見るとそれは地面に半分ほど埋まっていて、取り上げることが出来なくなっている。どうやら触れることで作動する、何らかのスイッチになっているらしい。
「なるほど。今度は落とし穴ってわけでふね。ダメ押しで天井も落ちる仕掛けみたいでふが」
「解除してみましょう。これだけ罠があるということは、核心に近いと言うことかも知れません」
 リイムと舞花が協力して、周囲に張り巡らされた罠を解除していく。幸いにも魔法によるものではなかったようで、少し時間はかかったものの何とか作業を終えることが出来た。
 全ての罠が解かれた後でコインに触れると、目の前の岩壁が音を立てて開く。
 その先には緩やかな下り坂が伸び、一行を暗闇の向こうへと誘っていた。