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壊獣へ至る系譜:その先を夢見る者 前編

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壊獣へ至る系譜:その先を夢見る者 前編
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■ 別棟【3】 ■



「非戦闘員なのに果敢というか、無謀というか」
 らしいといえばらしいのだが、崩落の危険がある場所なんだから慎重に行こうぜとシェリーを眺め紫月 唯斗(しづき・ゆいと)は思う。
「大丈夫か?」
 舞花とジブリールの間で、ようやく慣れてきたのか最初よりも落ち着いているシェリーに、疲れてないかと唯斗は声をかけた。
「ええ、大丈夫、平気よ。唯斗も来てくれてありがとう」
 学校見学の時にちらりとお世話になった人がこうやって来てくれたことが驚きで、シェリーはそれだけで嬉しい。
「気持ちはわかるけど、人を探すのは得意だからさ、任せておけよ」
「そんな事言われると甘えたくなってしまうわ」
 シェリー自身何度も助けられていて、契約者がとても頼もしい人達であることを少女はよく知っている。
「なんだ、甘えちゃ駄目な理由でもあるのか?」
 それは、単純な会話の流れだ。聞く唯斗に、シェリーは少しだけ困った顔をした。
「理由がとかじゃなくて、その、お返しするものがあんまりないから……ね?」
 気後れしてしまう。破名が近年まで外部との接触を避けていたせいもあるが、孤児院という狭いコミュニティで生活していたシェリーは、院外の人間に助けを求めたり、助けられたりすることに慣れていないのだ。
「なんだそんなことか。気にするな。シェリーに手伝って欲しい時はそう言うからさ」
「そう?」
 助けられているばかりじゃないからな、と唯斗はせっついて、顔を上げる。同時に背を正した。
「それにしてもさっきから声が聞こえるんだよな」
「声? そういえば、ジブリールも舞花も似たような事を言っていたわね」
 シェリーに聞かれ、二人が頷く。
「お前には聞こえないのか?」
「ええ。なにも」
 きょとんとした顔で返されて唯斗は思わず顎をさすった。


――『あなた』に問いましょう。
「おう」

――『あなた』は『だれ』ですか?
「俺は俺、紫月唯斗だ
 俺がそう思ってりゃそれで良い」

――『あなた』は『幸せ』でしょうか?
「ああ、幸せさ」

――それは『あなた』が『望んでいる幸せ』でしょうか?
「ちと違うが満足はしてるぜ」

――あなたは、しあわせになりたいですか?
「ああ、なりたいな
 俺も、俺の周りの皆も、俺の白に知らない誰かも
 誰しもが幸せになれれば最高だと思う」


「だから、それが俺のなりたい幸せなんだろうよ」

「唯斗?」
 首を傾げたシェリーに唯斗はただ軽く笑った。



…※…※…※…




「しかし、研究所というわりに、扉をあけるのが「ただいま」とは、アットホームな呪文だな」
 ノーン・ノート(のーん・のーと)の呟きに、「先生?」とノーンを抱えている千返 ナオ(ちがえ・なお)は首を傾げた。
 ノーンはちょっとだけ身を乗り出す。
「「ただいま」といえば「おかえり」だろう?
 この″呼びかけの声″といい、ここには帰りを待つ誰かがいるのか?」
 シェリエが言うにはかれこれ五千年も昔に人が去った建物だ。誰が誰を待つというのだろう。
 ノーンの言葉に、千返 かつみ(ちがえ・かつみ)エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)やナオの顔を見て、どうにもそれが自分だけに起こっている現象ではないことに気づいた。
 あなたはだれかと問う声。
 しあわせでありたいかと問う声。
 何か変な声が聞こえるなと気づいてから、知らず知らずの内に自問していた。
 『あなた』は『だれ』か。
(みんなと出会うまでは、名前なんて記号みたいなもので「俺」を呼んでくれた人はいなかった)
 問われて改めて考えてみれば、不思議な話で。
(エドゥ達に名前をよばれて、やっと俺が「千返かつみ」になれた気がする)
 『望んでいる幸せ』かと問われれば、かつみは否定に首を横に振るだろう。
 それが、望んでいる以上の幸せであると、心の奥底でぼんやりとだが、気づいているからだ。
「不思議な問いかけだよね」
 エドゥアルトが軽く握った拳を口元に置いて、考える素振りを見せる。赤い瞳にやさしい色を宿し、やんわりと細め、
「幸せになりたいかと言われれば、もちろん、「はい」だ」
 はっきりと断言した。
「100年近く生きてきたけど、ちゃんと「生きてる」って実感できたのは、みんなと出会ってからの1年だ。
 これからもみんなで幸せになりたいし、その努力も怠りたくない」
 そんなエドゥアルトに刺激されたのか、ぎゅっと抱きしめられてノーンがナオを見上げた。ノーンの身動(みじろ)ぎにナオは慌てて腕の力を緩める。そして、かつみやエドゥアルトの顔をまっすぐに見た。
「その、俺は、なりたいっていうより、みんながいてくれて、今とっても幸せなんです。
 それがずーっと続くといいなって思ってます」
 ナオの素直な声音が、スッと胸に届いて、かつみもエドゥアルトも擽ったさを覚えた。
 照れるほどでもないが、エドゥもナオも今が幸せだと言ってもらえたことが、かつみにはとても嬉しかった。
 頬が緩む気持ちに浸るかつみを見るノーンは、にやにやが止まらない。
「エドゥもナオも幸せみたいだが、……さて、あと一人はどうかのう?」
「え、俺?」
 狙いすましたかのように話題を振られ、かつみは慌てた。
「いや、その……なんでみんなしてニヤニヤしてるんだよ!」
「ちゃんと言ってもらわないと分かんないしー」
「そんなもん言わなくても分かってるだろ!」
 照れと八つ当たりでかつみはノーンの額部分を拳でぐりぐりと抉った。
 その、じゃれつくような加減のある行為。
 ただただ微笑ましくある光景。
 ノーンにとっての幸せとは、何か。
(うん。やっぱりこうやって、かつみをからかうのが私のしあわせ……)
「って、なんで私だけぐりぐりするんだ! パートナー虐待だぞーッ!」
 そして、皆で笑い合う。
 たったそれだけで、心が満たされる。
「ああ、そうだ。破名を探そう」
 目的を忘れてはいけないと、遠くのほうでシェリー達の声が聞こえてかつみは皆を促す。
 声というか言葉に気を取られ失念するところだった。
 まさかこんな所で皆の本音が聞けるとも思っていなかったのも多分にある。
「しっかし、破名ってなんとなく倒れたり捕まったり多いよなぁ……シェリーも心配するよな」
「そうだね。私はちょっと質問の主が気になるけど、彼女の為にも先に見つけてあげないとね」
 またどこかで倒れているのかもしれないし、いつまでも心配させるわけにはいかないから。と、エドゥアルトは神の目の呪文を手繰(たぐ)り光を呼び寄せる。刹那、燦然とした光に室内が明るく照らされた。隠れている者や隠された何かが無いかと暴き立てようとする光は特に何かの変化も見せずそのまま潰えた。
「次に行こう」
 エドゥアルトの肩をかつみが叩く。
「あ、待ってください、読みます!」
 歩き出そうとした二人の前にナオが出た。
 足取りを追う為に行うサイコメトリ。
 あの瓶詰めの恋人を胸に抱く魔女の姿が映像として見えて、驚くナオは聞こえてくる音声が全く違う事に気づいた。


『荒れてるな』
「……居たんですか」
『俺がいつもこの別棟に居るのは知っているだろ』
「そうではなくて、 ……すみません。八つ当たりですね」
『世界の安寧?』
「いえ、″手段″です」
『曖昧だな』
「曖昧だからこそですよ。いえ、あなたとこんな話をしても意味が……」
『なぁ、それが成功したらお前は″幸せ″になれるのか?』
「今はそんな話はしたくないです」
『例の機晶姫には″楔″は定着したんだろ? 成功じゃないのか?』
「完全なる失敗ですよ。″系図″同様定着したと見せかけて端から剥がれてしまいます。あれでは暴走でもしない限り半年も保たない」
『半端だな』
「人が作るプログラムでは限界があるんです。人間を一段上の存在として再構築するんですよ? それだけの処理をさせるには″曖昧さ″を許容できるくらいの柔軟さが必要です。
 残念ながら機晶姫にそれを与えるだけのスタッフがこの研究所には居ません」
『で、お前はその可能性を生き物に託していると?』
「……そんなところです。成功する兆しは一向にありませんけどね」


 会話が完全に聞こえなくなってからナオは顔を上げ、
「かつみさん」
パートナーの名前を掠れた声で呼んだ。



…※…※…※…




「不安かい?」
 聞かれてシェリーは立ち止まった。
 顔を向けると黒崎 天音(くろさき・あまね)と目が合う。
 それ、と視線だけ向けられて、シェリーはまた右手のシルバーリングを弄っている自分に気づいた。
「いやだわ、わかってたのに……」
 力なく笑うシェリーに天音は話題を振った。
「それは君の?」
 覚悟していたのに落ち着けない自分を恥じてブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)に「内緒よ、内緒」と必死になっていたシェリーは聞かれて、天音に向かって、んー、と声を漏らす。
「私のだし、皆のよ」
「うん?」
「院の子供達は皆つけてるの」
「へぇ? 皆も同じ右手?」
「ええ。クロフォードがお守りだって言って渡してくれたの。でもおかしいのよ、一回つけたら取れないし、成長してるのに全然きつくならないの」
 小さい頃に貰ったし、邪魔にならないので特に気にしなかったことだが、街に出かけて世間を知る度にシルバーリングがただのアクセサリーではないことにシェリーは気づいていた。
「でも物心ついた頃からずっとあるし、触ってると何か安心するのよ。内緒ね!」
 わかったと天音はシェリーに返し、一度区切りに息を吐くと暗い通路の向こうに目を向ける。
「癇癪持ちの神様が世界を壊しても、世界の裏側でひとりぼっちの獣が泣いていても……か」
「《ひとりぼっちの獣?》」
 天音の呟きを反復したシェリーの古代語に反応し別棟内部が明るく輝いた。
「シェリー!」
 全員の注目を浴びて、シェリーは真っ赤になる。
「あ、違うの! 違うの! 天音が子守唄を知ってたみたいだから、私つい口ずさんじゃって……電気、ついちゃった?」
 いきなり視界が明るくなって目が眩む中、やっちゃったーと情けない声をしたシェリーに何人かが脱力した。何かが点灯したというより、周りが良く見えるようになったという方が正しいが、今はそれは瑣末な事で、特にそれ以上の変化が無いとわかると契約者達はそれぞれの作業に戻る。
「あ、天音はこの歌知ってたのね」
 天音は、うん、と返す。
「ねぇ、シェリー、今どの部分を言ったの?」
 メモを取り出して広げ天音は少女を呼んだ。
 少女は何行か並んだ中から現代語訳されている「ひとりぼっちの獣」の一文を指さした。
「この文章で電気が付くのかな? 全く関連性がないんだけど」
「あ、えっと、なんだっけ。子守唄の事聞いたことあるのよね。なんだったかしら……えと、ああ、歌の歌詞に意味は無いって言ってたかしら?」
「意味は無い?」
「アナグラムの類じゃないのかね?」
 メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)が会話に参加し、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)がそう言えばと思い出す。
「いつだったか破名の命令解除の時、キリハに語訳してもらったけど、組み上がった文字は一度バラバラになってから並び直ったんだ」
 どうやらからくりがあるらしい。しかも結果がわからないので不用意には試せない。明かりがつくなんて可愛いものだ。
「ああ、なるほど。それにしてもシェリーは古代語を少し話せるって言ってたけど、皆そうなの?」
「違うわ。盗み聞きしてたの。皆が知ってるのはそうね、子守唄とか教えてもらった歌くらいよ」
 口伝は口伝だが、歌だった。
 それはきっと一番初めの子供だったからかもとシェリーは付け加え、続ける。
「昔はね、クロフォードは今使っている言葉は苦手みたいで、私が起きている間はそんな事なかったけど、私が寝てたり気が緩んじゃう時かな、ポロって出てね。小さい時はなんだろうくらいだったけど、歌をいくつか教えてもらった今なら少しだけ、ああ、あの時はこう言ってたんだなって」
 教えられたことを踏まえ他の言葉も予測する。他の子より事情が明るのはそのせいだ。
「そうなんだ。僕はてっきりシェリーを特別にしていたものとばかり思っていたよ」
「特別にされてるわ。私だけじゃない。クロフォードにとって院の全員が特別なの。内緒ね?」
 言って、シェリエに呼ばれたシェリーはそちらに走って行く。
「天音」
「連絡は入った?」
 並行で対処が必要と判断し、大荒野とヒラニプラどちらも連絡が行き来できるように取り計らっていたブルーズは天音の声に首を左右に振った。経過はどちらも変わりないそうだ。
 わかったと頷いた天音は、スッと目を細め僅かに視線を上げた。
「満ち足りる……という事は『探究の終わり』を意味する事になるのかな。
 僕にとってそれは、より『死』に近い事かも知れない」
 自分の中のとても貪欲な部分に耳を澄まし、結論としては、幸福になるのはまだ遠慮しておく。と。
「天音」
 無視していたのに今更答えるのかと慌てるブルーズに、天音は、くすっと笑う。
「さしあたり『声』の意味と正体を知る事が、今、この時の僕を最も高揚させてくれるだろうね」
 あっさりと、そんな事を言う。掴み所無い笑みを浮かべる天音に、ブルーズは相変わらず変態だなと、微かに生まれた頭痛に溜息を吐いた。