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リアクション
記憶と感情と疑念の中に
確かに見知っている人たちも来ているようだな、とグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)はちょっと、店内の様子を見回した。
だが、すぐに注意は、テーブルの上に引き戻された。
同じテーブルを囲むエルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)、ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)、ウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)もまた、そのテーブルの上に現れた皿に瞬時釘付けになった。
「これは……」
その言葉は誰の口から出たものだったのか。
――実はそれぞれの口から別々のタイミングで、少しずつ違う色合いを持つ思いと共にこぼれたものだったが、皆、自分の中の軽い驚きに打たれていたためかそれに気付かなかった。
皿の上には――奇妙な、焼かれた小麦粉の白い生地のかたまり。
強いて言うなら、大きく膨らんだナンのように見える。
だがその中には包みこむように、何種類ものドライフルーツが詰まっている。
「ケーキ」
グラキエスの口からぽつりと、その言葉が出た。
一般的に“ケーキ”と呼ばれるものとは程遠いものだが、何故かごく自然に、頭の中からその単語が出てきたのだった。
「エンド、」
ロアが何か言いかけたのとほぼ同時に、エルデネストが、
「切り分けましょうか、グラキエス様」
と訊いてきた。
ケーキの皿の横には取り分け用のナイフと銘々の皿が置かれてある。確かに、一人が全部を抱えて食べるにはやや大きなサイズだ。
「そうだな、頼むよ」
グラキエスの言葉に、エルデネストは、かしこまりました、と応えて、すぐに速やかに給仕をこなした。
「……何となく知っている。これは……」
エルデネストの無駄のない手さばきで取り分け皿に乗せられる、ドライフルーツを巻き込んだ『ケーキ』を見つめながらグラキエスは呟いた。
「何となく……懐かしい感じがする。
俺は、これを知っている」
具体的な記憶は、なかなか出てこない。
ただ、懐かしいという感情が先に静かに湧き上がってきた。
これまでに二度の記憶喪失を体験している現在のグラキエスには、これほどまでに深く懐かしいと思う感情は稀有なものかもしれなかった。
「……これが分かりますか、エンド」
ケーキから目を離さないグラキエスに、ロアが静かな声音でそっと語りかけた。
「君が記憶を無くす前にも食べた事があるんですよ」
ロアのケーキに向ける視線も、どこか懐古的で柔和なものを含んでいるようだった。
「……そうだ、これは。俺が初めて食べたケーキだ」
グラキエスが呟いた。呟きながら、その言葉が示す事実に自分で驚いていた。
その過去を認識できた自分に驚いたのだった。
「これは、君のためのバースデイケーキでした。
私の製作者が作ったんですよ」
切り分けた一つが皿に載って、エルデネストの手によってグラキエスの前に置かれるのを見ながら、ロアが言った。
「俺の……? バースデイケーキ?」
「えぇ。
とは言え、彼もケーキなんてよく知らずに作ったから、この有様でしたが」
――ロアの中にも、その記憶があった。
本体であるメモリーカードから、「製作者」が残したグラキエスの、そして彼に対する「製作者」の愛情を記録したデータは、多くが破損して失われている。ロア自身、詳細を思い出せないという記憶は多かった。それでも、何故かこのケーキのことは思い出せた。
ケーキなんてよく知らなかった「製作者」。クリームや生のフルーツに飾られた瑞々しさや華やかさも、バターと卵で膨らませたコクのある味わい深いスポンジも、このケーキにはない。それでもグラキエスを喜ばせ、その誕生を祝福したい一心で、ドライフルーツを蜂蜜で甘く煮て――甘味は子供を喜ばせるだろうと考えたからか――作った菓子だった。
彼がグラキエスを、息子のように愛していた、その証のようなケーキ。
破損した過去の情報の多いロアだったが、このケーキの情報は多少なりとも覚えていた。
製作者同様、魔道書LCもMCを息子のように愛しているためかもしれない――
どういうことであれ、それを覚えていられたことをロアは嬉しく思った。
「私もこれを作った事があります」
急に、エルデネストが切り出してきた。
「グラキエス様が食べたいと仰ったので。
何故かはお聞きした事がありませんでしたが……成程、そういう事でしたか」
やや早口で、聞いてそれと簡単に感じられないほど微かにではあるが、不服そうな響きが声にあった。
彼がグラキエスの求めに応じてこの奇妙なケーキを作っていたのは、グラキエスが二度目の記憶喪失になる前のことだ。
どんな高級料理でも要求されれば作る腕を持っているエルデネストには、こんな、何だかよく分からないが出来損ない臭の漂うけったいなシロモノを作らされることは本意ではなかった。甘味が欲しいのだったらもっと洗練された味わいの何か見目もよいものだって、作ることができるのに。
それでもグラキエスがそれがいいと言うのだから、それを作るより他になかった。
そのグラキエスの、奇妙なケーキに対する形の見えない執着の源には、一度目の記憶喪失を経てもなお心の奥に残った思い出があり……その思い出には、彼に愛情を注いだ過去の人間の想いが投影されている。
それが内心面白くなかった。
グラキエス自身が自覚していなかったほどの奥底で密かに大切にされていたものなのだと考えると、尚更。
エルデネスト自身は自覚していないが――普通に真っ直ぐに純粋に「嫉妬」である。
差し出されたケーキをフォークで切り、口に運ぶ。
噛むと、ドライフルーツが吸収した蜜の水気と甘味が再び染み出して、フルーツの微かな酸味とともに溢れだす。その鄙びた甘味、それを包みこんだ小麦の生地のほんのりした甘さと弾力が口の中に広がると、舌の奥でそれは何か、えも言われぬ不思議な感覚となって、胸の奥に沁み込んでいくような気がした。
「味覚」が、体に吸収される過程でのどこかで、「感情」へと昇華しているようだった。
「この味は懐かしくて、嬉しい味だ」
その感覚を伝えようと、飾りのない率直な言葉でグラキエスは言った。
「懐かしい理由はキースが教えてくれた。
嬉しい味はあなたが作ってくれたからだな」
そう言ってグラキエスはエルデネストを見た。
ロアの言う「製作者」は、グラキエスにとっては「親」と言える科学者のことで――だが二度の記憶喪失で、その人物に関する具体的な記憶も失われ、もはや感覚的な何かを“感じる”程度にしか残っていない。
それでもこのケーキのことは覚えていたのだ。
そしてエルデネストに頼んで、食べたいという気持ちが起こるとたびたびこれを作ってもらっていた。
エルデネストの料理の腕は分かっていたから、それでもこんな(彼からすれば幼稚なものであろう)菓子を自分に作ってくれることが嬉しかった。
――その頃から徐々に彼との間に、契約以上の信頼、親愛とでもいうべきものが築かれていったのを、無意識に感じていた。
『嬉しい味』が意味するのは、つまりそういう感情の発露だということだ。
それでも、その彼への執着がいつしか契約の関係という言葉で説明できる範疇を越えて(いる上にいつ頃からか妙に人間臭くなった結果、はっきりと嫉妬して)しまっているエルデネストは、彼からの感謝や信頼だけでは物足りなくなっている。
今度からは、作ってくれと言われたら見返りを今までよりしっかり要求し、これを思い出す度自分の顔が浮かぶようにしてやろうか。
そんな不埒な事を考えて、グラキエスに微笑み返している。
そんな3人の思惑をよそに、切り分けられたケーキの一片を口に運ぶウルディカの顔には、驚愕の表情が広がっていた。
(これは……!
間違いない、博士の”ケーキ”だ。
俺が生れて初めて食べた”ケーキ”もこれだった)
その驚愕を言葉にはせず、ウルディカは、己の過去に――この場にいる他の者にとっては未来の出来事に、思いを馳せた。
(博士――)
その顔は思い出せない。覚えていない。
軍の施設で生まれ、世界を蝕む「災厄」に抵抗力のある兵士として作られ、育てられた。
その彼を作り、また未来を変えるため過去に送り出す改造を施した人物が「博士」。
顔も覚えていないが、時折作る妙な“ケーキ”、そしてその味は覚えていた。
それをまさか、やって来た過去のこの世界で味わうことになるとは。
(どういうことなんだ)
そしてこのケーキは、グラキエスの過去の記憶に纏わるものだった――
(まさか……)
そっと顔を上げ、ウルディカは、同席の3人を見渡した。
グラキエスが自分のいた未来に実際存在しているのは分かっている。
魔道書に悪魔――彼らは長い時を生きられる。
(まさか、博士はこの中の……誰かなのか?)
ケーキの皿を前に、それぞれの思いを胸に言葉を交わす3人。
(……)
結局ウルディカは、自分の発見も疑念も、口にすることはなかった。
黙ってただ、懐かしい味を味わった。
遥か未来の昔に味わった、思い出の味を。
一つの菓子の、一つの味が様々な思いを巻き起こしていた。
ただ一つの味が。
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