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【DarkAge】エデンの贄

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【DarkAge】エデンの贄
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●虜囚たち

「今日も時間通りか」
 あんたらもよく飽きないな、といつのもように毒づいてから朝霧 垂(あさぎり・しづり)は石壁に戻った。
「所長の命令よ。それがなきゃ、今すぐにでも腸(はらわた)を引きずり出してそれを首に巻いてやる」
 クランジπ(パイ)は殺意の宿った目を垂に向けながら、鎖の錠前を手で確かめている。
「できるか、そんなことが?」
「できる」
 一瞬も躊躇せずにパイは答えた。
 ――こりゃあ、マジかもな。
 垂はそのまま黙って目を閉じた。
 パイが頷くと、クランジρ(ロー)はうなずいてそばの鎖を引っ張った。金属同士がキリキリと擦れあう音をたて、鎖に固定された垂の体が壁沿いに吊り上げられていく。
 垂はエデンの住人、石牢内の囚人である。それも、一日中壁際に磔にされた囚人である。両腕、胴、両足を頑丈な鎖に繋がれ、首にも能力制御プレートをつけられている。一日四度、それも短時間だけ、食事などのために拘束が解かれるがそれ以外はすべて壁に拘束される日々だった。
 この拷問の考案者は、所長のクランジζ(ゼータ)であるという。一日中吊して飢えさせるのではない。食事も必要最低限は与え、念入りに健康状態までチェックする。殺すことが目的ではないのだ。ただ無為に吊しつづけることによって垂の精神を弱らせようとするものだった。
 否応なしにただ吊されるだけ……と聞くと楽に思うかもしれないがそれは逆だ。一日中まったく何もできない状態を毎日毎日、永遠に強いられるのである。その無意味さに人間の精神は耐えられない。
 しかし、常人ならあっという間に参るであろうこの仕打ちを垂は何ヶ月もしのいだ。その上、こうやってパイをからかう余裕すらあった。すでに衣服はボロボロで、四肢も衰えて久しいが、それでも彼女には鉄の精神があった。
 垂がエデンの囚人となったのには理由がある。逮捕されたのではなかった。それまでの彼女はずっと、レジスタンスの一員としてクランジに抵抗してきた。もしレジスタンスの数が片手の指で数えられるほどにまで減少しても、垂ならばきっとそのメンバーに残ったはずだ。
 だが垂のパートナーが捕まった。これは垂にとっての泣き所だった。パートナー……夜霧朔の命と引き替えに、垂はみずからエデンの囚人となったのである。しかもその朔は機晶姫として、クランジの人間狩り部隊に参加させられているという。囚われて以来、垂が朔に会ったことはないが、朔の『戦果』だけはパイの口から伝えられている。いずれも聞きたくない内容だった。
「嬉しい? あんたのあの子はこれまで数多くの人間を処刑した実績が評価されて、今じゃオミクロンの本隊とは別の一部隊を指揮できるほどの立場になっているわ」
 言いながらパイは垂に憎しみの視線を向けている。まるで、その視力だけで相手を鈍い殺せるとでもいうかのように。
 一方でローはパイのそばを離れず低く唸っている。ローはひどい猫背で、伸び放題の髪もあって猛獣そのものといった様子だ。その目の色はパイと同様、敵意を隠そうとすらしない。
 酷い朔の現状に、垂は耳を塞ぎたい気分に駆られた。けれど得意げに話すパイは気分が良さそうだ。だから朔のことは一時頭から外して……少なくとも、元気ではあることに喜ぶことにして……垂はパイに話しかけた。
「なぁ、パイ。クランジ同士じゃ気にもならないかもしれないけどさ、お前の相棒、ワイルドって言うかあまりりにも身なりを気にしなさすぎなんじゃないか?」
 パイの顔が変化した。ローのことを言われたからだろうか、刹那ではあるが傷ついたような表情となったが、みるみる怒りに染まる。
「もし良かったら、俺にローの整髪をさせてくれないか? もちろん、プレートはこのままでだ。 なにか怪しいことをしそうになったら……」
「汚らしい人間をローに触れさせられるかッ!」
 垂も気圧されるほどのパイの怒声だった。同時に放たれたソニックスクリームが、垂の体を岩場に叩きつける。
「……俺は単純に、お前たちみたいに元々が綺麗な奴らが……」
「黙れ! 今度同じことを口にしたら殺す! ゼータの命令があろうが絶対に殺す!」
 このときローが見せた反応はパイとは対称的だった。彼女はその大きな体を精一杯ちいさく屈めて、パイの背に隠れるような動きをしたのだ。ローの目には恐怖があった。
「お前たち二人の……憎しみ…………それほどまでに人間を憎む理由は……なん……なんだ?」
「まだ言うか!」
 ソニックスクリームがもう一度垂を襲った。垂の後頭部は岩にぶつかって割れ、赤い血がしたたり落ちた。
 ぐらぐらする垂の視界に、パイの背中から腕を回して彼女を止めようとするローの姿が映った。ローは何か訴えようとしているが話すことができない。ただ片腕でパイを抱き、もう一方の腕で出口を指した。行こう、と言っているのだろう。
「…………」
 クランジπはもう一度だけ憎悪の一瞥を垂に向けると、ポケットからビーフジャーキーを取り出して口に入れ、ローとともに立ち去った。

 パイは靴音高く、苛立たしげに通路を歩いた。そのすぐ後をぴったりとローが続く。
 朝霧垂への拷問は禁じられている。怪我をさせたことも所長のゼータに咎められるかもしれない――そのことがパイの怒りを加速させていた。
 垂への拷問が禁じられているということはつまり、『禁じられていない』囚人もいるということだ。
 パイが向かったのはその部屋だった。
「起きろ!」
 パイは椅子の脚を蹴り飛ばし、そこに座っていたクローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)を床に倒した。
 クローラの肌は青白く、目の下には隈があり、顔は赤黒いアザだらけだ。
「う……」
 パイは彼の髪をつかんで顔を自分に向けさせ、頬を強く何度も張った。
「起きろ、取り調べの時間だ」
「さっき……」
「取り調べしたばかりだろ、って? お生憎様。アタシには、やりたいときにアンタを尋問する権利があるんだ!」
 それにしても、悲惨すぎるほどに悲惨な状態のクローラだった。
 着古した教導団の制服はすでにぼろ布でしかなく、体中が傷と内出血だらけ、焼きゴテでも押し当てられたか、はだけた胸には黒い火傷までできている。腫れた目には生気がなかった。
 そんなクローラを眺めてなにかしら溜飲が下がったのか、パイは薄笑みを浮かべて言った。
「で、ちょっとはしゃべる気になったかしら?」
「……俺たちは一介の兵士で……上のことは知りません……」
「ふざけるな!」
 パイが顎をしゃくると、ローがのそりとクローラに近づき、彼の鳩尾に拳を叩き込んだ。
 めりっ、と音が聞こえた。
 くの字になりのたうちまわるクローラは、「許して、許して」と悲鳴を上げた。ボロボロと涙を流してもいる。口からは血と吐瀉物がこぼれていた
「情けない男……ゴミね」
「はい……はい……機晶姫の方が人間より優れています。優れた者が劣った者を駆逐して支配するのは当然です……」
 こんな言葉を聞いてはパイも苦笑するほかない。
「ちょっと? アンタ、クローラって言ったっけ? 人間としてのプライドはないわけ?」
「……人間は浅ましい存在です」
「さっきの囚人はもっとマシだったわよ。じゃあ、アンタのパートナーのほうを尋問しようかしら」
「はい……お願いします……」
 こらえきれなくなったか、パイはアハハハと笑い出した。
「レジスタンスが聞いて呆れるわ。パートナーを売ろうっての!」
「おっしゃる通り……です……」
「ほら」
 と言ってパイは、自分の右足をクローラの前に突き出した。
「アンタの血で汚れちゃった。舐めてきれいにしてくれる? せめてそれくらいは役に立ってよね」
 クローラは、ひからびかけた舌でそれに応じた。
「道具として使って下さい、その上で不良品なら廃棄してください……」
 パイは恍惚とした表情になっていた。ローはグルルと唸ったが、それはパイの機嫌が直ったので喜んでいるようでもあった。
「こいつ、マジ最低ね! パートナーのセリオスってのに同情するかも。……ま、ちょっとはストレス解消になったわ」
 言い捨てて、哄笑とともにパイは部屋を出た。
「掃除しといて! あと、こいつを死なない程度に止血して餌でも上げなさいな!」
 その声を受け、二人と入れ替わるように入ってきた少女があった。
 菫色をした髪はまっすぐなストレートで、肩の下あたりまで伸ばされている。目はシャープな一重瞼で、長い睫毛とあいまって神秘的な印象を与えた。瞳孔の奥、針のように細いラインがあるのは、まぎれもないクランジの特徴だ。
 彼女こそ、クランジυ(ユプシロン)であった。