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【特別シナリオ】あの人と過ごす日

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【特別シナリオ】あの人と過ごす日
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リアクション





四葉のクローバー



 空は快晴。
 穏やかな日差しとさわやかな風の吹く、ありふれた光景の中の、とある一日のことである。

 エリュシオン帝国はフリングホルニ級の量産型、翠花の操舵室ではイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)が、何故か小さくむくれていた。

「本当は私が貰った船ですの。私が艦長ですの」
「自分じゃ動かせないだろ」
 口を尖らせるイコナに、源 鉄心(みなもと・てっしん)は肩を竦めた。
「操縦、お手伝いしますうさ??」
 すると今度は、ティー・ティー(てぃー・てぃー)が、落ち着かなさも手伝ってか、わらわらとミニサイズのねこみみやうさぎみみのキャラクターを呼び出したのに、鉄心は溜息をぐっと堪えて頭を抑えた。
「……いいからよそで遊んでなさい。だいたい、今日はお客様がいるだろう」
 その言葉に、ティーが僅かに視線を彷徨わせたのに、背中を押すようにその頭をわしゃりとやった。そうして、ためらいながらもちびたちを引き連れていくティーに「変なスイッチ触るんじゃないぞ」と鉄心は声をかけたのだった。そして。
「すぷー……」
 そのどさくさに紛れて部屋から出ようとした、スープ・ストーン(すーぷ・すとーん)のシッポを、鉄心は捕まえるとにっこりと笑った。

「お前は残って手伝いなさい」






「お久しぶり……です、お元気でしたです……?」

 客室の扉を開け、ティーがそっと扉を開けると、客人は不機嫌そうな顔ながら、一応は口を開いた。
「支障はない。今の所はな」
 そう、今日の翠花には、彼等とは別に客、それも、ちょっとした大物が乗っているのだ。
 荒野の王 ヴァジラ――エリュシオンの皇位継承問題の折、現在の新皇帝セルウスとその座を争ったほどの実力者であり、同時に邪悪な世界樹アールキングと手を組んで、世界樹ユグドラシルへと大穴を空けた実行犯でもある。本来なら、ジェルジンスク監獄へ送られるべき立場ではあるが、様々な思惑が入り混じった複雑な事情でエリュシオン宮殿に軟禁中であり、こうして宮殿の外へ監視もつけず、しかも他国の艦に乗っているのは異例中の異例である。
 何故それが許可されたのか、については、珍しくもヴァジラが何かの約束事だからと頭を下げたと噂もあったものの、各方面が口を閉ざしているため真相は定かではない、が、兎も角、彼は今この翠花の客人なのだった。

 その当のヴァジラは、不機嫌そうなその表情を除けば、この艦に乗り込む際も自分の足で歩いていたし、顔色も悪くない。だが、アールキングと同化状態にあった体を引き剥がされた影響がそう易々とも消えるとも思えず、ティーは心配げに眉を寄せた。
 元々表情が伺いにくいい相手であり、以前も、床に着いていながら強がって見せたこともあるだけに、ヴァジラの「支障が無い」はなかなか信用が薄いようだ。それも判っているようで、ヴァジラの方が先に溜息を吐き出して「嘘は言っていない」と口を開いた。以前受けた仕打ちの件はまだ地味に尾を引いているらしい。思わず目を逸らしたティーに、ほんの少し表情を緩めて、ヴァジラは「いつまで立っているつもりだ」と、判り辛く椅子を勧めると、慌ててテーブルに寄ったティーが注いだ紅茶を口にすると、ふと息をついた。
「……物好きなものだな、貴様らは」
 一瞬意味がわからずに首を傾げるティーに、ヴァジラは自嘲気味に口を歪めた。
「この時期に、余を連れ出すリスクを、知らぬ訳でもあるまいに」
 それも、何か重要な用事があるわけではなく、ただのピクニックとしか思えないようなものの為に、だ。どうやらヴァジラの表情の原因は、不機嫌ではなく困惑の深さがそうさせていたらしい。ティーはほんの少し表情を緩めた。
「だって、約束したじゃないですか。イコナも楽しみにしていたんですよ」
「……ふん」
 その言葉に、ヴァジラは鼻を鳴らして視線を逸らし、紅茶へと口をつける。それっきり無言になってしまったが、そこには苛立ちもなければ、ティーを邪険にするような空気もない。多少ぎこちないのは、お互いにこういう状況が慣れていないせいなのだろう。どちらかと言えば、普段から使用人が侍るのに慣れたヴァジラの方が落ち着いていると言って良かった。
(なんだか、不思議な気持ちですね……)
 こうして会話も無くても、何をするでなくても、つまらない、と感じないという状況。気まずさのない、穏やかな沈黙。時折、お茶を要求する仕草がたてる小さな音と、飛行する艦の震動音だけが耳を打つ内、緊張感もすっかり解れて、おなかがすきましたね、などと口に出そうとした、その時だ。ごうん、と音が響き、館内に鉄心の声が響いた。
『目的地に到着、着陸シークエンスに入る』
 その放送に顔を見合わせて、ティーはかたん、と椅子を引いて立ち上がった。

「……ごはんの時間までちょっとありますから……少し、歩きませんか?」




 着いた場所は、ジェルジンスク山脈の麓に広がる広大な平原だ。
 大陸中最も北側に位置するこの地方は、季節がやや遅めにやってくる為、茂る草葉は柔らかく、夏の青さより優しい色合いだ。心地よく頬を撫でる風を受けながら、ティーはちらりと横を窺った。
 ずっと宮殿に軟禁状態だったからだろう、深く息を吐き出すヴァジラの横顔は、心なしかいつもより柔らかい。散歩に出ようと誘った時に微妙な顔をした時はどうなることかと思ったが、悪くないと思ってもらえたようだ。最近ではいつも不機嫌そうなヴァジラのそんな細かい感情の動きもわかるようになって、ほんのりと喜びを感じる反面、ティーは少しだけ不安でもあった。
 初めて会った時、そして心に触れた時、荒れ狂う激しい憎悪と虚無に満ちていた。破壊しかないと本人が口にしたように、全てに向けられた暴力的な感情。今は表面からそれを感じることが出来ないが、それが落ち着いたからなのか、それとも、そんな心も無いぐらい、力を失ってしまったのだろうか。それが判らない。アールキングに全身を蝕まれていたのだ。本人はいつも強がるから判らないだけで、本当は、と、そんな良くない気持ちが廻る。
 そんなティーの心を知ってか知らずか、ヴァジラはゆっくりとした足取りで草原に足を踏み入れた。そのまま何処とも知れない場所を眺めながら、その口が自嘲を含んで笑う。
「似合わんな」
 荒野の王と言う名にか、彼自身の心象風景に対してだったのか。呟いたその隣へと思わず足を踏み入れたティーは、けれどうまい言葉も見つからず、結局――
「キレイ……ですね」
 と、だけ口にした。
 小川のせせらぎ、小鳥のさえずりや、青く茂る草原の野に咲く、花たちの可憐な姿。ヴァジラに見せたかった、自分が綺麗だと感じている世界。その中にいることが、決して可笑しくは無いと、あの枯れた荒野にこんな綺麗な世界をきっと作ることができるはずだ、と。言葉にすると酷く野暮になるそれを、ティーはどうにかして伝えようと「……四葉のクローバーってご存知ですか?」と口を開いた。
「……? なんだ、それは」
 首を傾げるヴァジラに、ティーは四葉のクローバーとうさぎを象ったアミュレットを差し出した。
「地球の方のお話では、クローバーは一枚一枚の葉っぱに、意味があるそうです」
 それぞれ、希望、富、愛、健康を示すのだ、という。けれど意外に重要なのはその茎だ。
「四つ全部が4つ全部が集まって、ジェニュイン……本物って意味になるんですよ」
 失敗作と呼ばれて、紛い物とされて、世界に対して反旗を翻した、心に荒野を抱く王。今でも、ヴァジラの中に見た、あの真っ黒に塗りつぶされた世界が忘れられない。敵意と悪意と共に、焼け付くほどの強い渇望が渦を巻いていた。どこまで行っても草ひとつの無い、ひび割れた黒い荒野。
 人の苦しみや痛みを分かるだなんて言うのは、きっとおこがましくて、感覚を繋げてみても、多分本当に理解してるのとは違うのだろうけれど、その光景を少しでも和らげたくて、あの荒野をこの世界のように、綺麗なもので埋め尽くせたらいいと……そうして、彼だけの「本物」になればいいのだと。
 言葉にならないそんな思いを、どこまで理解したのか。ヴァジラは僅かな沈黙の後にそれを受け取ると、ほんの少しだけ困ったような、笑みのような、複雑な顔を浮かべた。
「……では、このウサギはなんだ」
「言わずもがな、うさぎは凄いんです、色々……」
 不意にもれた問いにティーが答えると、ヴァジラは今度こそその口元を苦笑がちながら笑みにすると「成る程」と、何を納得したのだか呟いて、アミュレットを光に翳したのだった。





「さあ、たんと召し上がれ、ですわ!」

 その後、ただ気ままに歩き回るだけの散策を終え、艦へ戻った二人を待っていたのはイコナとスープの自信作たちだった。テーブルの上に並べられた、目にも華やかな食事が一同の食欲を誘ってくる。
 菜の花のおひたし、新じゃがのポテトサラダ。春キャベツサンドウィッチに、たけのこ炊き込みご飯のおにぎり。そして春野菜とキスのてんぷらという、季節を感じさせる品揃えに、一同は態度に個人差はあるものの、感嘆と共に見やった。
「ふふ……今回はデザートも忘れずに用意しているのですわ!」
 幾らかはスープに手伝わせたものではあるが、イコナはいたく満足げだ。特に天ぷらは艦内のキッチンで作った揚げたてである。恐らく見たことが無かったのだろう。
「ささ。あつあつサクサクの内に召し上がって欲しいんですの」
 食事の挨拶もそこそこにヴァジラは何かしらの警戒も見せることなく、早速とイコナの勧めるまま天ぷらに手を伸ばした。それにティーと鉄心が顔を見合わせたが、当人達は天ぷらとそれを口に運ぶ動きに完全に意識が集中しているようだ。さくり、と耳に心地よい音がして、イコナが息を呑んだ次の瞬間。
「……! ……」
 ヴァジラはぱちりと目を瞬かせると、ひょいと再び天ぷらに手を伸ばした。素直に感想が口から出てこないのは性格だろうが、その態度が全てを物語っている。イコナは頬を緩ませて、その手が要求するままに皿に盛っていくので「せ、拙者等の分は……」とスープが涙目になっていたのは余談である。
 そうして、和やか、とはやや言いがたくはあるものの、それぞれ思い思いに料理と会話を堪能してくれたこと。そしてヴァジラから、表情はなかったものの「どれも美味い」と感想をもらえたことでイコナは満足げに息をついた。
「……またこう言う機会があれば良いのですけれど」
 窺う様子のイコナに、ヴァジラは初めて小さく眉を寄せた。その意味を敏感に察して、鉄心が「大丈夫」と笑みを浮かべた。
「一度あったなら二度目もある。それより、そろそろデザートの出番なんじゃないか?」
「あっ、すぐ取ってくるのですわ!」
 慌てて駆けていったその背が見えなくなったところで、鉄心は声を潜めた。
「……その様子だと、処遇は」
「もう暫く先にはなるが、ジェルジンスクに入ることになる」
 ジェルジンスク監獄。エリュシオンの政治犯等重要参考人の収容される、極寒の監獄だ。今までその体調等を理由に保留になっていただけで、ヴァジラが罪人であることは変わりないのだ。表情を重くしたティーに、ヴァジラはほんの僅かにだけその目元を緩めた。
「余は挑み、そして敗れた、その結果だ。お前が気に病むべきことではない」
 でも、と言いかけたティーの声を遮るように鉄心が首を振り、ヴァジラは僅かに肩を竦める。
「収監場所が宮殿から監獄になるだけだ。寧ろ、あ奴が尋ねてこないだけ鬱陶しくなくて良い」
 その言葉からすると、どうやら処罰としての収監ではなく、宮殿での軟禁状態が難しくなったからというのが実際の理由であるようだ。それにほんの少し息をついたティーに、ヴァジラは面倒くさそうに息をついた。
「……余は出来ぬ約束はせん。監獄に入れば、流石に今ほどには自由はなかろうからな」
 だから、先程のイコナへの態度だったのだ、と納得して、ティーは笑みを浮かべなおして「でしたら」と口を開いた。
「約束ではなくて……ご希望を伺っても、いいですか?」
 その言葉に、ヴァジラは少し苦笑ぎみの笑みを浮かべて口を開いた。
「……美味いものが食べれる機会は、有るに越したことはないな」
 随分捻くれた物言いではあったが、答えは貰ったも同然だ。
 ティーは嬉しくなって、頬を緩ませて笑ったのだった。


 その後は、イコナがもって来た、びわのびわのコンポートゼリーに皆で舌鼓を打った。
 酸味の強いびわだが、コンポートにしたことで酸味と甘味が引き立てあって舌触りが良く、何より保存が利くからというあたりヴァジラに持ち帰ってもらおうという魂胆もあったのかもしれない。これもいたく気に入った様子のヴァジラが(ほとんどスープが用意した)スイカやメロンといった家庭菜園製ジュースと共に、黙々と平らげ、短い会話をいくつか続けて、暫く。
 段々と気だるげな様子を見せたかと思うと、一呼吸置いて、頬杖をついていたヴァジラの首がかくりと倒れた。どうやら、眠りに落ちてしまったらしい。難しい顔をしているが、調子が悪いわけではなさそうで、満腹感のせいか、単純に疲れでもしたのだろう。
「まだ、本調子ではないのでしょうか……」
 心配げにティーが言ったか、それだけではないだろう、と鉄心は僅かに目を細めた。
 弱さは弱みだ。特に彼のように見た目通りの歳とは言えない傲慢さを持つ人間は、極端にそういった部分を晒すのを嫌う。普段のヴァジラならば眠りに落ちる前に引っ込むなりしただろう。それをしなかったのは、恐らく。
「……少しは気を許した、と言うところかな」
 猛獣が僅かに牙を引っ込めた程度のものだが、進歩は進歩だ。呟いた鉄心は、軽くティーが首を傾げたのに笑うと、以前手こずされたことへの意趣返しを思いついて、悪戯っぽく口元に指を当てた。
「久々に遠出して疲れたんだろう。……寝顔撮るなら今がチャンスだぞ」
「えっ」
 上げた声がどんな種類のものか明白で、うにゃうにゃと始めたティーとイコナに、鉄心は声を殺して笑ったのだった。


 空は快晴。
 穏やかな日差しとさわやかな風の吹く昼下がりの穏やかでありふれた、特別なその日。
 実際に、貴重なヴァジラの寝顔を写真に収めたかどうかは、彼女たちの他に、知る由も無く。