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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション


●Interlude part2 -2

 平時であれ混沌期であれ、人の求めるものにそう違いはない。とりわけどす黒い欲望というものは、時代の趨勢には無縁だ。ただ、それが表に出やすいか、出にくいかの差はあろうが。
 ここに、そんな退廃の極みのようなナイトクラブを紹介する。『日本人お断り(No Japanese Allowed)』というプレートの揺れる革張りの扉を押し開ければ、すぐにもうもうたる紫煙に包まれる。ただの紙巻き煙草ではなく、もっとずっと甘い香りの煙だ。日付が変わってそろそろ三時間、外に出れば真っ暗だが、この場所の『闇』には及ぶまい。薄暗い中シャンデリアが下がり女たちは飾りたてているが、決して晴れぬものがある。
 良く磨いた大理石のバーカウンターが設置され、背の高いテーブルが等間隔に並んでいた。客のほとんどは米兵だ。それも、高い階級章付きが中心である。だがどうやって紛れ込んだか、ごく一部に上物のスーツを着た日本人もいる。男の三分の一ほどは、当時パンパンと呼ばれた娼婦――米兵が顧客なので『洋パン』とも呼ばれる――を連れていた。いずれも、街で拾えるような安っぽいのではない。一晩で月の稼ぎが飛びそうな上玉ばかりだ。なるほどいい服を着ている。
 店の隅には小さなステージが設置され、青い目をした女性の歌い手が、望郷の唄を歌い上げていた。ただ彼女の服装は、シンガーというよりストリッパーのそれに近い。バックバンドのウッドベースが、壁や床に染みるほど官能的な低音を響かせている。
 そんな中テーブルで一人、長煙管(キセル)をふかす女がいた。連れはない。ぞっとするほどの美人で、死人のように肌が白く、真紅の唇をしていた。黒髪は長く、座れば膝に届くほどあり、血の色をした浴衣を着ている。浴衣の胸元は派手にはだけていたが、決してその奥は見せていない。
 女のいる席に若い米軍士官が二人、したたかに酔った状態で近づいて来た。
 二、三言ほど彼らは女に話しかけた。やがて互いに顔を見合わせ、どっと笑った。何か下品なジョークを言ったように見えた。
 一人の士官が、テーブルに米ドル建ての軍票を束で置いた。ちょっとした額である。
 女は一瞥もしなかった。
 士官は自信満々でさらに札束を積んだ。どんと置いた手を動かさず、反対の手を女の胸元に伸ばした。
 悲鳴が聞こえた。
 悲鳴を上げたのは士官だ。札束に置いた手が短刀で貫かれている。刀の刃は男の手を貫通し、札束もろとも串刺しにしていた。
 手を押さえぎゃあぎゃあと喚きながら、士官は赤いものを撒き散らして手を振っていた。刃はテーブルから抜けたものの、札束と手が串刺しにされたままなのだ。
 もう一人の士官が女につかみかかろうとした。すると彼は、その士官よりさらに体格のいい男に襟首をつかまれた。ゴリラのような体格の黒人だ。店のボディーガードだろう。ボディガードは士官になにか耳打ちした。すると士官はみるみる青ざめて、もう一人の肩に手を貸しそそくさと店から出て行った。手を貫かれた男の悲鳴がまだ聞こえるものの、相棒は完全に無視していた。
「……遅くなりました。お詫びします」
 東洋人が彼女の前に座った。丸グラスのサングラスをかけ、しわひとつない白一色のスーツを着ている。
「あんたかい?」
「ええ。新竜組相談役のウォンと申します。ご存じかと思いますが……」
 白スーツの男は、運ばれてきたブランデーを口に含んだ。
「遅刻した理由ですが……」
「遅れた? 違うだろう?」
 と言い、辿楼院殺女(てんろういん・あやめ)は、面白くもなさそうに煙管を咥えた。
「妾(わたし)がああいうゴミを、どうあしらうか見たくて身を潜めていたくせに」
「お見通しでしたか」
 ウォンは薄く笑った。しかし彼のサングラスに隠された眼が、どんな形に歪んでいるのかはわからない。
 ウォンの背後に巨大な人影があった。本当に人間か。異様なまでの長身に巨体、そして殺気を迸らせている。先日からウォンの護衛をしているジャジラッド・ボゴル(じゃじらっど・ぼごる)という男なのだが、殺女はその男を見ても、特に感慨を抱いてはいない様子だった。
「八方手を尽くしましてね、探しましたよ……日本に伝わる暗殺者の家系、その継承者をね」
 殺女は何も言わない。ウォンは慇懃な口調で続けた。
「さっきの彼、死にましたね? あの短刀には毒が仕込んであるようだ。今頃は死体でしょう?」
「敵は逃がさない主義さ」
 女は、容貌(かおかたち)を少しも変えずに告げた。
 紅い唇から白い煙が一条、竜のようにゆらゆらと立ち昇っていった。
「只者じゃないね」
「彼のことですか?」ウォンは空とぼけたような口調で、背後のジャジラッドを見上げた。「ええ、逸材ですよ。重宝している」
「そうじゃない。只者じゃないのはあんたさ」
「さて、どういうことだか?」
「判っててよく言うよ」
 気怠げに殺女は言ったのである。
「妾とは違う種類の、『得体の知れなさ』を感じる」
 まるでそれを探ろうとでもするかのように、殺女は眼を細めてウォンを見た。
 それまで無表情だったジャジラッドが、このときニタリと笑った。