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chapter.2 交通違反について(1)・自転車 


 お昼を過ぎた頃、空京は賑わいを見せていた。
 とりわけ、イベント会場付近は多くの人だかりが出来ており、場内に至っては混雑気味ですらあった。それだけイベントに対する関心が強いということだろう。あるいは、防犯への意識が高いかだ。
 会場前方にある広めのステージには、簡素なセットだけが組まれている。これから何を見せてくれるのか、ギャラリーがそう期待を寄せる中、ナレーションが響く。
「大変長らくお待たせ致しました。これより、各学校の生徒たちによる防犯演劇を始めます。なお、今回の舞台は全6部構成となっており、全部をご覧になった方にはささやかながら特典も用意しておりますので、どうぞ最後までお楽しみください」
 ガヤガヤしていた子供たちも、だんだんと声を減らしていき、ついにその意識はステージ上へすべて向けられる。
 そして、演劇が始まった。



「第1部 自転車のルールを守ろう」

 リン、リンとベルの音がどこかから聞こえてくる。次第にそれが大きくなってくると同時に、舞台の上に一台の自転車が現れた。といってもいわゆるママチャリのようなそれではなく、機晶マウンテンバイクという格好いい代物だ。
「少しでも早く、子供たちに紙芝居を見せるんだ!」
 その自転車をこぎながら、そんな言葉を口にしたのは風森 巽(かぜもり・たつみ)である。彼は仮面ツァンダーアクションスーツを身にまとい、どこかのヒーローのように颯爽と風を切っている。ただし乗っているのがバイクはバイクでもマウンテンバイクなのであまり格好良くはないが。だが、彼にとってそれは今微々たる問題だった。
「どうせ人もいないし、スピード出してこの歩道を走ってもいいか!」
 ややセリフっぽい口調の巽。それもそのはず、彼は今まさに、演じていたのだ。マナーの悪い自転車の運転手という役を。彼にとって今最大の問題は、下手な芝居を見せて子供たちを白けさせないということだった。ではなぜ巽は、あえてこのポジションを演じようと思ったのだろうか?
 それは、自転車の交通法規が一般的に見過ごされやすいという特性ゆえの行動だった。小さいうちからしっかりとした自転車のルールを教えておいて、知らず知らずのうちにルール違反を犯してしまわないようにとの算段が彼にはあったのだ。
「いけない、このままでは遅刻しそうだ……先に携帯で連絡しておこう!」
 巽はそう言うと、片手を自転車のハンドルから外し、携帯をいじりだした。無論、立派な違反である。先程の歩道運転も、正式には自転車道を走らなければならず、歩道を進むのであれば一旦降りて、歩かなければならない。
「もしもし、今日の紙芝居の件、少し遅れそうだ。すまない」
 当然電話はモーションだけだが、演技を続けながら巽は内心少し焦りを感じていた。それもそのはず、あえてマナーの悪い運転をしている自分を、誰も止めに来ないのだ。このままでは、ただ単に自分が悪者というだけで何の教訓もなく終わってしまう。
「警察役は……警察役はいないのか……?」
 不安そうな口調で巽はぽつりと呟いた。そんな巽の願いに応えるべく、ついに彼を諌める者が登場した。
「ワン! ワン!」
「……え!?」
 後ろから引き止めるような声に巽が振り返ると、そこにはふさふさした白い毛並みの、立派な犬がおすわりしていた。
「なんだ犬か……ってそうじゃなくて、なんでここに犬が!?」
「冬子さん、その人が犯人なんだね?」
「!?」
 呆気にとられている巽の前にそう言って出てきたのは、五月葉 終夏(さつきば・おりが)だった。どうやらこの犬の名前は、冬子さんというらしい。
「え、あの、これ……」
「言い逃れは出来ないよ! 冬子さんは鼻が利くから、冬子さんが吠えた相手は犯人で間違いないんだよ!」
 終夏は、親バカオーラ満載で冬子さんの能力を自慢しつつ巽を追いつめる。巽としてはようやく警察役が現れて一安心、のはずだったが、警察犬とは予想外だった。しかしアドリブに対応するのも役者の務め。巽はどうにかセリフを紡ぎだした。
「警察犬の鼻の良さには勝てないな。そう、我こそが自転車を縦横無尽に乗り回す悪の……」
「ワン!」
「……」
 完全に出ばなをくじかれた。
「あのー……警察の方、もうちょっと犬を静かに……」
「え、私は警察じゃないよ?」
「え?」
「私はただの飼い主。警察はこの冬子さん……そう、彼女こそ、刑事わんこだよ!」
「どこかで聞いたこと……」
「ワン!」
 それ以上言ったら噛み付くぞ、と言わんばかりの声で冬子さんが吠えた。怖かった。それもそのはず。冬子さんは犬は犬でも、牧神の猟犬という巨大な猟犬だったのだ。
「こ、怖っ……」
「怖くなんかない! むしろ可愛いじゃないか! すごく可愛いじゃないか! この可愛さを理解できないなんて、それこそ犯罪だと思うよ!」
 親バカを通り越して、モンスターブリーダーである。
「と、ともかく我は急いでいる! 失礼する!」
 冬子さんから逃げたかったのか、それとも演技を頑張って続けようとしたのか、巽は再び自転車にまたがった。そしてどいてくれ、とばかりにベルを続けざまに鳴らす。これももちろん、違反行為だ。
「わっ」
 危うく自転車とぶつかりそうになり、終夏は慌てて飛び退いた。このままでは犯人が逃げてしまう。と、そこに新たな警察役が現れた。
「はいすいません、ちょっと止まってくれますか」
「!」
 キキッ、とブレーキを踏む巽。そこにいたのは、ベージュに近いコートに身を包んだ風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)だった。両隣には、婦警役と思われるパートナーのテレサ・ツリーベル(てれさ・つりーべる)ミア・ティンクル(みあ・てぃんくる)もいる。
「新手か!?」
 少し嬉しそうに、巽が言う。いかにもな刑事が出て来たことで、自分の責務をこれで果たせると思ったのだろう。が、彼が思うような展開は訪れなかった。
「はいはい、自転車止めてもらって、と」
 テレサとミアが巽の乗り物を脇にどけると、優斗は巽の前で渋い顔をして言った。
「一連の自転車違反事件、その犯人が君である証拠がここにはたくさんありますよ」
 優斗はす、と地面を指差した。そこには確かに、歩道につけられた車輪の跡がある。加えて、巽の手には携帯電話。これを証拠と言わずして、何と言うか。
「しまった……数々の交通違反がバレている……! しかも車と違って免許がないから、警告の次は即罰金か!」
 若干説明口調なのが気になるが、巽は大声とオーバーアクションでそれを伝えた。優斗がそれを待っていたかのように、ぽんと巽の肩を叩いて言う。
「お金を取られていいことなんて、何もありゃしないんです。ただでさえ少ない小遣い、大事に使わないと。カミさんに頭下げることになってしまう。そうそう、カミさんといえばウチのカミさんがね……」
「あれ、それもどこかで……」
 巽は刑事わんこに続き、またもや違和感を覚えた。だがそれを思い出す前に、テレサとミアがそれに反応していた。
「優斗さん!? ウチのカミさんがってどういうことですか!? まさか私の知らないところでまたナンパを……」
「優斗お兄ちゃん、僕に内緒でまた浮気してたの!?」
「え? いや、ちが、これは……」
「言い訳なんて見苦しいこと、聞きたくありません!」
「男らしくないよ、優斗お兄ちゃん!」
「話を聞いてくださいふたりとも、これはあくまで定番というかお決まりの……いたっ!!」
 警官役のはずの優斗は、すっかりテレサとミアによって拷問……もとい、尋問されていた。
「だからこれは僕の好きなキャラクターのマネであって、フィクションとしての……」
「まだ言い訳するんですか!?」
「優斗お兄ちゃん、白状した方が楽になるよ!」
 左右からどつき回され続けた優斗は、身を潔白する前にばたりと倒れてしまった。
「すいません、もうひとつだけ……」
 最後に何か言おうとした優斗は、それすら許されずテレサとミアによって気絶させられたのだった。が、偶然にもそのセリフが、巽の頭でひっかかっていたものを解消させた。
「そうだ、さっきのセリフといい、もしかして刑事コロン……」
「ワン!」
 またもや抜群のタイミングでなく刑事わんこ。何と言う万能犬だろうか。そして飼い主の終夏は終夏で、倒れた優斗を見て事件の発見者っぽい言葉を口にしていた。
「こんなこと、一体誰が……」
「いや、そこ! そこのふたりだどう見ても!」
 もう事態は自分が庇いきれる範囲を越えている。そう感じた巽は自転車に三たび乗り、ステージから去ろうとする。が、ペダルをこぐその足はすぐに止まった。前方から、異様な人影が迫ってきたからだ。
「な、なんだアレは……!」
 巽が目にしたもの、それは全身をパワードスーツで包んでガシャンガシャン歩いてくる謎の鎧と、スーパーの袋を頭にかぶった謎の覆面女だ。なぜ女と分かったかというと、その覆面の首から下が百合園の制服だったからだ。鎧の方が、巽に声をかけた。
「あ、あなた怪しい人ですね!」
 この時ほど、巽は「お前らが言うな!」と叫びたい時はなかったという。が、言われてみれば彼だって、仮面ツァンダーアクションスーツという謎の着ぐるみを着ているのだ。怪しい怪しくないでいえば、怪しい方に入ってしまう。
「誰だ!?」
 とはいえ、とりあえず流れには乗らなければいけない。巽は頑張って入り込もうとした。
「私は、か弱い乙女デカです」
「えっ」
「か弱い乙女デカです」
「……そっちは?」
「ビニール袋デカです」
「えっ」
「何度も言わせないでください。ボクたちはか弱い乙女デカとビニール袋デカです」
「なにそれ、こわい」
「怖いってなんですか、侮辱してるんですか。じゃあ侮辱罪です」
「えっ」
「つまり、犯罪者ですね!」
「いや、ていうか本当に誰……」
 一切名前を名乗ることなく、ふたりの怪しい女は自分たちでつくったと思われる身分証を見せた。そこにはかわいい文字で「か弱い乙女デカ」「ビニール袋デカ」と書いてあった。
 ちなみに、一応紹介しておくと、か弱い乙女デカとビニール袋デカの正体は、ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)桐生 円(きりゅう・まどか)である。
「これ以上ごねると、公務執行妨害もつけるよ?」
 ビニール袋に空けた穴から、円……もとい、ビニール袋デカが巽を睨む。
「ちょっと、ちゃんと自転車のマナーについて注意してくれないと……」
 巽が小声でそう頼みこもうとした時だった。顔が近づいてくるタイミングを見計らって、ビニール袋デカは後ろに倒れ込んだ。もちろん、一切接触していない。
「きゃっ!? 痛い! なにするんですか! やめてください!」
 手で顔を抑え、ビニールがふさぎ込む。巽が弁解する間もなく、乙女デカの方が大声を上げた。
「ああ!? これは完全に悪ですね! 犯罪確定! このままではか弱い私まで襲われてしまいます!」
「いや、え? え?」
 清々しいまでの冤罪だが、いつの世も主張が通るのは女性の方なのだ。周囲の目線は、巽に冷たかった。
「犯罪者から身を守らなくては! こんな時役に立つのは、護身術です! これさえ使えばどんなにか弱い乙女でも、ほらこの通り……護身アターック!!」
「ひっ」
 乙女デカはふわりと宙を舞ったかと思うと、そこから急降下し、空を滑り落ちるように巽に向かって突撃すると、持っていた槍を巽の顔面のそばに突き立てた。顔の真横に槍を突き立てられぷるぷる震える巽をよそに、乙女デカはくるりと観客の方を向いて言った。
「このように、素敵なパワードスーツを着込むだけで、私みたいなごく普通のか弱い乙女でも、犯罪者から身を守ることが出来ます。防犯のために、一着いかがですか?」
 やりたい放題の乙女デカの後ろでは、すっかり泣きマネをやめていたビニールデカが巽に手錠をはめていた。
「13時40分、犯人逮捕」
 事件解決、みたいな雰囲気を勝手に醸し出し、ビニールデカと乙女デカは手を取り合った。
「さあ円さん、帰りましたら一緒にカツ丼でも食べましょうか?」
「ロザリン先輩! ボクレバカツがいいな!」
 お前らがカツ丼食うのかよ。そう声を上げる気力もなくした巽は、キコキコと大人しく自転車を引いて舞台を降りた。
「あ、カツ丼頼むなら私の分もお願いします!」
 なぜか最後にのっかってきた終夏に、乙女デカは笑顔で返事をした。
「それなら、ここにいる皆さんで一緒に食べましょうか」
「ワン!」
 なんだそのノリは。カツ丼パーティーかよ。猟犬の冬子さんがそうツッコんだのか、それとも自分もカツ丼を食べたかったのか、それは分からなかった。