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自然公園に行きませんか?

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22


 時間は少し遡り、未散みくるがリンスとクロエを連れてカフェを出た頃。
「店長さんはわたくしが前に話したわがままな子の話、覚えておりますか?」
 ハルは、フィルにそう切り出した。
「うん、覚えてるよー。どしたの?」
「最近、わかったことがありました。
 彼女とわたくしの気持ちが、一緒だったのです」
 それは、喜ぶべきことで。
 もっと、明るい顔で報告してもいい、はずだったのだけど。
「……それで?」
「……はい。彼女は、私以外の方も気になっているようで……」
 ハルは、未散が幼い頃からずっと傍にいた。
 世間一般で言うところの幼馴染。
 件の、未散がハルと同じように想っている相手とは、過ごしてきた時間が圧倒的に違うはずなのに。
 その分、アドバンテージがあるはずだったのに。
「時間さえもあっという間に越えてしまう関係というのもあるのですね」
 悲しかった。
 積み重ねてきたものが、意味のないもののように思えてしまって。
 また、そう思ってしまう自分自身が。
 ハルが話す間、フィルはじっと黙って聞いていた。
「正直どうしたらいいのかわからないのです。
 彼女への想いが強くなるばかりで……」
 言って、締めくくる。
 どうすればいいのだろう。わからなくて動けない。その間にも、向こうは。彼と、未散は。
 ――嗚呼。
「好きなんだよね?」
 不意に、フィルが言った。はい、と頷く。
「誰よりも、何よりも。好きなんだったら、離しちゃいけない。絶対」
「……でも、」
 そんな縛るような真似できないと、首を振る。フィルが静かに笑った。
「ハルちゃんはいい子だね」
「どうしてですか?」
「未散ちゃんのためを思って、彼女の幸せを思って、自分の身を引けそうだから」
「…………」
 だって、その方が良いのではないか。
 未散が幸せになる方が。
「そういう人はたくさんいるけど、俺は無理。俺は、俺とその人が二人で幸せになれなきゃ嫌だ」
 いっそ、それくらい強く自分を出せればいいのか。
「店長さんが、もしわたくしと同じ状況にあったらどうしていましたか」
「未散ちゃんを攫って逃げてるねー」
 答えを聞いて、礼をした。
 話を聞いてくれて、ありがとうございました。
 話をしてくれて、ありがとうございました。
 二つの意味をこめて。
「考えるといいよ。店は大丈夫だからさー」
 今日はもう帰りなー、と言われたので、言葉に甘えて素直に従う。
 帰ろうとしたところで思い出した。
「店長さん、あとでリンスくんに言っておいてください。未散くんの料理は芸術的すぎて食べられない、と」
「やだよー自分で言いなよー」
「いえ、早々会う機会がないもので」
「何言ってんの。いつも一緒でしょ」
「ええ?」
「俺が言ってるのは未散ちゃんの方。未散ちゃんに、『貴方の料理を食べてもいいのは私だけ』って言えばいいよ」
 それはなかなか勘違いしそうな告白ですな、と苦笑して、でも試しに言ってみようか、なんて悪戯めいたことも考えた。


*...***...*


 『Sweet Illusion』というケーキ屋のことが、以前から気になっていた。
 だけど、入るきっかけがないんだよね。
 そう、柚木 貴瀬(ゆのき・たかせ)が言ったことを、紺侍は覚えていたらしい。
『一日限定でオープンカフェ出すみたいスよ。オレもバイトしてるんで、よかったら来ません?』
 と、律儀にもお誘いのメールが届いた。
 ――紺侍はほんと、色々なところで頑張ってるなぁ。
 携帯を閉じて、小さく息を吐く。貴瀬の挙動に気付いた柚木 瀬伊(ゆのき・せい)が、「どうした」と声をかけてきた。
「紺侍がオープンカフェでバイトするんだって。ケーキ屋さん」
「行くのか」
「せっかくお誘いもらったし、ね」
 それに、この季節はベリー系のスイーツが出回る頃だ。ベリー大好きな柚木 郁(ゆのき・いく)のためにも行きたいところ。
 瀬伊も同じ考えに至ったのか、淡々と黙々と出かける支度を始めている。本当に郁のことが大好きだなぁ、と笑いながら、ふと『Sweet Illusion』の制服の話を思い出した。
 ――たしか、すごく可愛いんだっけ?
 女の子が言っていたのだ。明るくて可愛いから、一回着てみたいねと。
 ――ウェイターの制服はどんななのかな?
 ひいては、紺侍がしている格好は。
 どんな格好でも着こなせちゃいそうだなあ、と思った。


「紺侍おにーちゃーん!」
 公園に着き、紺侍の姿を見止めた郁が走り出す。
 転ばないようにね、と声をかけ、貴瀬はゆっくりと追いかける。
 郁に挨拶している紺侍の格好は、白いシャツに黒のベスト。黒のスラックスといったしゃんとしたもので、ラフな私服姿とはまた全然違った。ネクタイもしっかり結んであって、なんというか。
 不意に、紺侍と目が合った。紺侍が悪戯っぽく笑う。
「見惚れちゃった?」
 なんていうものだから、
「うん」
 素直に認めてやる。
 だって、かっこいいと思ったんだ。
「随分と素敵な制服だね」
「……こう、真っ直ぐ褒められると、照れますね」
「あはは」
 誤魔化すように、紺侍が「お席へどうぞ」と接客モードに入った。素直に紺侍の後ろをついて歩く。
 案内されたテーブルに着き、メニューを見ながらオーダーを考える。
「郁ね、いちごさんのおすすめさんがいいの!」
「苺さんスか。苺っつったらショートケーキっスね。ここのショートケーキは美味いっスよー」
「! それにする!」
 あまりにも嬉しそうに郁が頼むので、貴瀬も同じものを頼んで郁に苺をあげようかと考えたら、
「俺も郁と同じもので」
 瀬伊に先を越された。大概、兄馬鹿である。
「貴瀬さんは?」
 問われたので、少し悩む。三人揃って同じメニューを頼むのも芸がないしもったいない。
「シフォンケーキで」
「了解しました。じゃ、しばしお待ちを」
 一礼して、紺侍が去っていった。いちいち所作が丁寧で綺麗だ。慣れているんだな、と思う。
 間もなく、トレイにケーキの乗った皿を持って紺侍が戻ってきた。お待たせしました、とテーブルの上に皿を置く。
 皿と伝票を置き、「ごゆっくりどうぞ」と言いかけたとき、郁が紺侍の服を引っ張って止めた。
「? どうしたんスか?」
「あのね、えっとね」
 椅子から降りて、郁はもじもじそわそわとした様子でいる。紺侍がかがんで郁の目線に合わせると、内緒話をするように、郁が紺侍の耳元に口を近付けた。微笑ましい光景だけれど、何の話をしているのだろう。少し、気になる。
 不明瞭な小さな声では何を言っているのか聞き取れず、郁の話す内容は紺侍にしか伝わらないのだろう。
 ――郁も、俺に隠し事をするようになったのかー……。
 と思うと複雑で、若干、胸のうちにもやもやが溜まった。
 それに、
「あは。そうなんスか」
 紺侍が、嬉しそうに相槌を打つから。
 よくわからないけれど、また、もやもやと。
「…………」
 何がこんなに引っかかるのだろう。
 どうしてこんなに、ちくちくするのだろう。
 ――うー、ん。
 眉を寄せたとき、瀬伊がこっちを見ていることに気付いた。クッと唇の端を上げて、笑っている。
「何?」
「別に? 随分と子供っぽい表情をするものだ、と思ってな」
「…………」
 指摘されて、改めて自覚する。子供っぽい。そうだ、確かにこの感情は子供っぽい。だって、こんな。
「いつもの胡散臭い笑顔より余程いいがな」
「褒められた気がしないな」
「その辺りは紡界に感謝しなくもないが」
 シニカルな物言い。瀬伊が黙るのとほぼ同時に、郁と紺侍の内緒話も終わったようだ。にこにこ笑顔の郁が、椅子に戻る。
「ね、郁。どんなお話したの?」
 気になったので、素直に問うた。
 けれど郁は、はっとして、それから紺侍を見て、目を合わせたらはにかんで、
「えへへ。ないしょのおはなしなの。ねー」
 ときた。
「ねェー」
 さらに紺侍も笑うものだから、もやもやがまた、沸く。
「…………」
 つい黙ってしまったら、紺侍が「あ」という顔をした。
「怒りました?」
「怒ってないよ」
「じゃ、拗ねた」
「拗ねてもない」
 嘘だ、ほんとは少し拗ねてる。
 反対のことを言って、そっぽ向いて、ああなんて、
 ――子供っぽい。
「貴瀬さん」
 紺侍が、名前を呼んでくる。
 ちらり、彼の顔を見た。困ったような、悲しそうな顔をしていた。
 そんな顔をされたって、ほだされるものか。
「ね。機嫌直して」
 ほだされたり、
「…………」
 ……ほだされた。
 だって、そんな顔見ていたくなかったんだもの。
 貴瀬は、自分の前にあったシフォンケーキを一口大に切った。それをフォークで刺して、紺侍に向ける。
「はい」
「あーんスか?」
「うん」
「ここで?」
「うん」
 食べてくれたら、君が言うように機嫌を直してあげる。
 ああ、本当に、いよいよ子供っぽい。
 この間病院に行ってから、こうだ。甘えたくなるというか、我侭を言いたくなるというか。
 ――こんな俺は嫌われちゃうかな。
 不安に思った。
 だけど、身体は勝手に行動を起こす。
 貴瀬はただ、紺侍をじっと見るしかできない。
 フォークを持った手を、紺侍が掴んだ。そのままぐい、と引っ張ってケーキを食べる。
「ご馳走様でした」
「えっと。お粗末様でした」
「機嫌。直りました?」
 なんて柔らかく笑われたら、うんと頷くしかないじゃないか。
 あーよかった、と紺侍が胸を撫で下ろす中、瀬伊がデジカメを弄っているのが見えた。うっすらと嫌な予感。
「何してるの、瀬伊」
「撮った写真の確認をしている」
「撮ったって何を」
「今の二人を」
 今の、というと。
「あーんスか?」
「そうだ。何か問題でもあったか?」
 紺侍の確認に、さらりと肯定。貴瀬は思わず眉間を押さえた。
「駄目だろ……」
「ほら、郁。苺をやろう」
「わーい!」
「ちょっと、聞いてるの。瀬伊」
「まァまァ」
 紺侍になだめられた。なんだか申し訳なくなる。
「ごめんね?」
「いえいえ。別に撮られるくらいどってこと」
「……そう?」
「はい。……あ、オレバイト戻らなきゃ。すみません、ゆっくりしていってくださいね」
 会釈し、紺侍が去っていく。後姿を見ながら考えた。
 彼が気にしていないなら、いい、のだろうか。
 貴瀬は、撮られても別に構わなかったし、一緒の写真を嬉しく思うけれど。
 ――紺侍は、どうなのかな?
 もやもやが、また少しだけ湧いた。
 なんとか消そうと、シフォンケーキを口に含んだ。