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静香サーキュレーション(第1回/全3回)

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静香サーキュレーション(第1回/全3回)
静香サーキュレーション(第1回/全3回) 静香サーキュレーション(第1回/全3回)

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【×1―1・不安】

 秋から冬にさしかかろうかという時期。
 そんな季節の変わりようをよそに、百合園女学園の食堂に設置されたアンティークの香りのする柱時計は、常にまったく変わらぬ調子で十二時三十分を静かに刻んでいた。
 けれど。事態は既に変化と悪化の一途を辿り始めていたのだが。
 そんなこととは露とも知らないこの場はとても穏やかな空気を醸し出している。生徒達は楽しそうに笑いあい、清楚に食事を楽しみ、嬉しそうに話に花を咲かせている。
 ただひとりを除いて。
 そのひとりである桜井静香(さくらい・しずか)は胸のあたりに重いものを感じてため息をついていた。
 頼んだオムライスにもほとんど口をつけないまま、顔を俯かせている。
「元気がないわね、静香さん」
 隣に座り、ミートスパゲティを食べるのはラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)
 そのいつもと変わらない表情に、静香は心に思ったことを口に出せず、代わりに昨日の夢が脳裏に思い出された。
「な、なんでもないよ」
 そういって静香は席を立った。
 このとき静香は確かに沈んでいたものの。自分の陥っている状況が複雑極まりなく深刻なものであるなどとは、まったく気づいていなかった。
 更に、残されたラズィーヤを強い視線で睨みながら、食卓のナイフを袖にしまう人間がいることも、気づいていなかった。

 三つ編みおさげを振りながら静香を追っていく西川亜美(にしかわ・あみ)と入れ代わる形で、如月 日奈々(きさらぎ・ひなな)冬蔦 千百合(ふゆつた・ちゆり)が食堂に入ってきた。
「私は……Aセットランチを、頼む、ですぅ〜」
「あたしはBセットランチを食べようかな」
 ふたりが食券を買ってテーブルにつくと、すぐさまウェイトレス姿の女学生が床を滑るような勢いでやってきて、おひやとおしぼりを置いて、代わりに食券を受け取ってこくりと頷いた。
 かと思うと、すぐさま厨房のほうへと滑っていき、数分後にはまたスムーズに戻ってきて、それぞれのランチを運び終えて別のテーブルの食器をさげに滑っていった。
「いただき、ますぅ」
「いただきまーす」
 日奈々は丁寧にパンケーキを切り分けながらゆっくり食べるのに対し、千百合はパクパクと元気そうに、しかし下品にはならないようスプーンを動かして、チキンドリアをほおばっていた。
「それ美味しそうね。ちょっとちょーだい」
 そのうち千百合が切り出すと。日奈々はわずかに頬を染めつつも、
「わかった……はい、あーん」
 特に抵抗もなくパンケーキの一片を千百合の口元へと持っていってあげた。
「ん、おいし。じゃあお返しね。あーん」
 味というより半分くらいその行為に喜びながら、千百合は自分のドリアを日奈々へと食べさせて。そのあともサラダやスープなど、あまり交換の必要ないようなものも含めて仲睦まじく食べさせあっていく。
 そんなユリユリな様子を見て、トマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)ミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)は食堂の入口で思わず立ち止まっていた。
「ほ、ほんとにああいう人らがいるんだな」
「ちょっとトマ……じゃない、ターニャ。あまりジロジロ見てると怪しまれるわよ。ここではそういうのが普通なんだから。むしろあの程度はまだ軽いほうよ、きっと」
 ふたりは百合園制服とメイド服をそれぞれ着用している。
 別段それだけなら不自然な点はないのだが、どこか着慣れていない印象があった。
「にしてもヒラヒラが落ち着かないな。ランチのためだから我慢するけど」
「意外と女装似合ってるじゃないの。ふふ」
 囁きかわされる言葉を聞く者がいれば、大方の事情は察することができただろう。勿論聞く者はいなかったが。
「えーっと。それで注文とかどうやるのかな」
「普通に食券を買えばいいんですわ。後はテーブルにつけば、ウェイトレスの子が勝手に来て勝手に持ってきてくださいます」
 答えたのは崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)。意外と世話好きな彼女は、まごまごしているトマスを見かねて声をかけてくれたらしい。
「あ、自分でカウンターに持っていく必要はないのか……しら」
「ええ。カウンターで待たせていると生徒達が混雑してしまいますから、いつからかそういう風になったんですわ。ここも生徒数が増えましたしね」
 そして説明は終えたとばかりに亜璃珠は去っていき、
「今日はクロワッサンサンドにしましょうか……」
 と、ひとりごちながら食券を買っていた。
 ちなみに彼女はもう少し先のループで違和感に気がつくことになるのだが。今はまだ、食券を見て首をわずかに傾げる程度だった。
 そして亜璃珠にならうように、トマス達も食券を買ってテーブルにつくと寡黙なウェイトレス少女が滑りながら来て、確認後また帰っていった。
「それにしても、もう少しお嬢様らしいメニューの取り方とかあるのかと思ってたけど。意外と普通なんだな」
「はじめの頃はもしかしたら、頼む作法とかも色々あったんじゃない? でも、あんまり悠長にしてたら昼食の時間なくなっちゃうでしょ。だからよ」
 それもそうか、と納得してトマスは周りに目を走らせると。ほとんどの百合園生はきちんとマナーに気をつかいながら食事をしている。あれでは確かに時間がいくらあっても足りなくなりそうに思えた。
 やがてランチが運ばれてくるなり、さっそく食べ始めようとしたトマスだったが。
 すぐに無作法にするわけにはいかないと思い返し、慎重にスプーンを動かして旬の野菜がふんだんに使われたスープを口に運んでいった。こくりとのどを鳴らすなり、一言。
「ん、美味い!」
「ターニャ。女性がいきなり『美味い!』はないでしょう」
「あ、そうか。悪い」
 しかし謝罪したその後も、フォークやナイフを動かす様子が、爆薬でも取り扱ってるのかぐらいの超スローペースなので確実に浮いてしまっており、そうして気を遣っているせいで、逆に食べかすをポロポロとテーブルにこぼす結果になっていた。
 周りからのクスクス声が、全部自分に向けられている気がしてトマスはいたたまれない気持ちになったが。
「あの子、またあんなにゆっくり食べてるね」
「そこまで気負って食べることはないでしょうに」
 そんな囁きが耳に届いて、妙な疑問が頭によぎる。
(『また』? なんで『また』なんだ? 僕がここに来るのは初めてなのに)
 疑問がむくむくとわいて来たのが気になり、食事とは別の意図で口を開いた。
「あのさ、ミカエラ」
「…………」
「ミカエラ? どうかした?」
「……あ、うん。実はなんだかこの味、すごく最近食べたような感じがするの」
「そういわれると、確かにそうかも。でも僕らはこの、ひゃくごうえんじょがくいんには今まで来たことなかったのにな」
 むーん、と深刻そうに悩み始めたトマスだったが、
「あの。ゆりぞのじょがくいん、が正しい名称だよ?」
 ふいに、近くに座っていた久世 沙幸(くぜ・さゆき)が笑いをこらえているような表情で声をかけてきたことで空気が一気に緩んだ。
「え、そ、そうなの?」
「うん。百と合で『ゆり』。それに園をつけて『ゆりぞの』って読むんだもん」
「……どうりで女子校なのになんて勇壮なネーミングだと思った」
「ま、まったくターニャったら。恥ずかしいわね」
 そういうミカエラも実は『ゆりえんじょがくいん』だと思っていたことは秘密である。
「えっと。それで何の話だっけ?」
「……別にもういいわ。それより、本当に美味しいわねこの料理。上品なだけじゃなく、誰の口にもあうよう努力を込められた味だわ」
「そうだな。本当に」
 結局ふたりはそのまま気にしないという結論に至ったようだったが。
 そうした違和感を気にする人物は、この食堂内に既に何人かいた。
 例えば、さきほど学園の名前を教えてあげた沙幸もそのひとり。
 蒼空学園生である沙幸ではあるが、買い物ついでに百合園に遊びに来て奇妙な感覚に襲われたのだ。
(百合園のお嬢様ってどんなの食べてるか気になったけど、これって……?)
 日替わりランチを食べながら、沙幸は思う。
(お嬢様らしい清楚な雰囲気あるメニューなのはいいんだけど……なんだろう。このランチメニュー、つい最近見たような気がするのよね)
 食べ終わってトレイを下げてからも、ずっとその感覚は頭にまとわりつき続けていた。
(そう。それで確かこのあと)
 沙幸は、ちらりと日奈々と千百合の席へと目を向ける。
「あ、口のとこついてるよ」
「えっ……あ、どこ……?」
 戸惑う日奈々の顔へとぐぐっと千百合は自分の唇を近づけ、鳥がついばむようにして、
「む、ん、んんっ。ほら、とれた」
「ち、千百合ちゃん……」
「なに? 嫌だった?」
「え、あ、そうじゃなくて……」
「なーに? ちゃんと言ってよ。嫌だったの? そっか、嫌だったんだ。ショックだなぁ」
「う、ううん。全然、嫌じゃ……なかったよ」
 いちゃいちゃなふたりの様子に、沙幸はこっちが恥ずかしくなりながらも。
 今のやり取りに確かに見覚えがあり、セリフも一言一句同じであることを確信していた。
「やっぱりループしてたんだ!」
 思わず声に出してから、慌てて沙幸は口を押さえてその場を後にした。
(でも、どういうことなんだろう。なにが起こってるのかな)
 事態の把握に努めたいところであるものの、誰かに「ループしてるよ」と言っても頭が爽やかな人かと疑われるのがオチなのは明らかだとして、とりあえず周囲の人たちを観察してみることにした。
 もしかしたら、自分と同じようにこの状況に気づいた人間がいるかもと期待して。
 そうした沙幸のわずかな期待は意外とあっさり叶うこととなる。
 それは廊下の突き当たりでキョロキョロしている水橋 エリス(みずばし・えりす)と、その後ろに隠れるようにするニーナ・フェアリーテイルズ(にーな・ふぇありーているず)だった。
「どうなってるのかな、今日っていうか昨日っていうか。この状況」
「とりあえず落ち着くことです」
 うろたえているニーナに、エリスがよしよしと頭を軽く撫でている。
 沙幸にとってそんな光景は自分の記憶には記録されていない。なので、
「あの」
 沙幸が声をかけると、ふたりはその場で軽く飛び上がるくらいく過剰に驚いて、驚かれたことに沙幸も驚いた。
「な、なんでしょうか」
 平静を取り戻したエリスの声は警戒の色こそ宿っているものの、表情はどこか期待の色が込められているように沙幸には見えた。
「今日、何かいつもと変わったことがなかった?」
 わかりやすい質問をしてみると、ふたりの目が大きく見開かれた。
「あなたも、気づいているんですね」
 エリスから返ってきたのは質問の答えではないが、期待していた回答ではあった。
 なので今度は連続して質問をぶつけることにする。
「この後起きるかもしれない事件や事故に、心当たりはない? この状況について何かわかってることがあれば教えて欲しい。あと、いつ頃今日の変化に気づいたの?」
「あ、えっと。実は私達は昨日、というか今日、ここに泊り込みで資料の閲覧をしていたんです。ああいえ、正確にはこれからするつもりだったんですけど……んん、ややこしいな」
 眉間に軽く人差し指を押し当てながらエリスは頭を整理しつつ、
「つい先ほど、今日閲覧する予定の書物を手にしたとき、内容をなぜか既に把握していたことに気づいて、この異変にも気づいたんです」
「だからあたしたちも、今さっき調べ始めたばかりなんだよ。一体なにが起きてるのかは、まだわかってないの」
 ニーナもエリスの後ろから声をあげる。その声にはわずかながら明るさが戻っていた。
「お互い、活路はまだ見えて無いってことね。わかったわ、協力して解決の糸口を探していこう!」
 沙幸の陽気な掛け声に、ふたりは大きく頷き散策を再開させた。