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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)

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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)
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リアクション


●仁科耀助

 ツァンダの別の場所。
 月明かりが完全に閉ざされ、黒いカーテンが降りた空を背に、仁科 耀助(にしな・ようすけ)はオブジェから音もなく飛び降りた。
 彼の胸元でちりちりと、小刻みな振動をするものがあった。携帯電話だ。
 発信者の名を確認してから、彼はおもむろに電話に出た。
「はい、仁科耀助です。ただいま留守にしております。御用の女性はピーという発信音と同時に恥ずかしい言葉を叫んで下さい…………なーんちゃって」
 ついさっきまでの冷たい表情が一変している。発信者の名は『ルイーゼ・ホッパー(るいーぜ・ほっぱー)』だった。
「あみあみエロすけ〜? いまどこにいる〜?」
「どこかの女の子の部屋かな」
「嘘、風の音してるじゃん。外でしょ〜? こんな時間に何やってるのぉ?」
「おっと、外だとバレちゃしょうがないな。恥ずかしいから他の人に言わないでほしんだけど、実は……詩の文句を考えてたのさ。俺ってポエマーだから」
「詩人って『poet』って言うんじゃないの〜?」
「げほげほ、まあ細かいことは言いっこなしということで。本当は散歩さ。夜の散歩」
 ルイーゼは「ほんとかなぁ〜?」という顔を傍らのミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)に見せたが、ミレイユは「さあねえ?」と肩をすくめるだけだった。
 ルイーゼの電話自体にはそれほど深い意味はなかった。ふと思いつき、「ん〜、なんだかんだあったけど頑張ってたみたいだし、お疲れさまくらい言っとこうかな〜ってね」と電話をかけることにしたのだった。最初はミレイユが「ワタシがかけようか?」と提案したものの、「連絡ならあたしがする〜」とルイーゼはみずから進んで彼にコールしたのだった。
「それでさあ、ポエマーなエロすけ〜」
「なにか用かい? デートの誘いなら順番待ちになるかもよ……あ、ウソウソ、ルイーゼちゃんならいつでも体を空けるつもりだよ」
 その返事を聞いてルイーゼは顔を上気させた。
「じゃあさあ、よかったら一緒にクレープ食べに行こぉ、明日〜。辻斬りと失踪事件、ぴたっと止まってよかったじゃん〜、だから今回はそのお祝いってことで……」
 二つ返事かと思いきや、耀助の声が陰るのがわかった。
「ごめん、ほんっとにごめん。さっきは『いつでも』って言ったけど、ホントは少し、このところ忙しくて……」
「う〜ん、他の子とデートぉ?」
「だったら良いんだけど……いやいや、いつだってルイーゼちゃんが最優先だよオレは。……ちょっとね、個人的なつまらない用事があってね。でも、用事が終わったら真っ先にキミを誘うよ」
「もしかして、まだ何か心配事があるのぉ?」
「そうだな、ルイーゼちゃんとのデートに着ていく服のことは心配してるよ。『エロすけ』はいいとしても『あみあみ』のほうは返上したほうがいいかもしれないから」
 耀助の口調には嘘の気配が感じられない。
 それでも、とルイーゼは考える。本当に『つまらない用事』なら、捨ててデートを選ぶのが耀助だ。
 だがそれでいい。むしろ簡単に機密や重大情報に近い事をベラベラしゃべったとしたら、「お前ニンジャかよ」と彼女は怒っただろう。
「こっから先は、聞き耳立てられないような場所で話す〜?」
 ちらりとルイーゼはミレイユを見た。「向こうへ行こうか?」と、言葉は使わずとも身振りでミレイユが問うが、その必要はなさそうだった。
「誰にも言えない……もしかしてエッチな話?」
「何言ってるの〜! もう〜」
 ルイーゼの問いかけの真意は「いま耀助のいる場所まで行こうか?」である。時間を考えると大胆な申し出でもあった。
 耀助もわかっているはずだ。わかっていて、おちゃらけた回答にしたのだろう。
 ルイーゼはミレイユに向かって首を振った。そして、声を落として告げたのである。
「あのさ、事情については詳しく話さなくても構わないからさ……あたしらでよかったら、手伝うよぉ?」
「嬉しいね。助けが欲しくなったら頼るよ」
「……じゃあ」
「じゃ、また」
 ルイーゼは電話を切った。
「よかったの? あれで」
 ミレイユは気遣うようにルイーゼを見た。ルイーゼがしばらく、電話を握ったまま下を向いていたから。
「え? うん」
 ルイーゼは顔を上げた。
「よかったと思うよ……これで」
 そう言って微笑んだ。

 電話を終えた耀助は、誘うような笑みとともに言った。
「ごめんよ、キミを無視していたわけじゃないんだ」
 背後の林、何も見えないあたりに声をかける。
 林に変動はない。ただ、冷たい風が吹き込んでいるだけだ。
 しかし耀助は呼びかけをやめなかった。
「巧く忍んでいるよね、フレンディスちゃんもマスターニンジャだからなぁ……恥ずかしがり屋さんなんだね。オレをこっそりと追っかけたくなる気持ちはようくわかるんだけど、ごめんねオレは、可愛い女の子の気配は逃さないのさ」
 すると観念したかのように、林からフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)が姿を見せたのだった。
「かなり真剣モードで同じマスニンとして忍び勝負を挑んだつもりだったのですが……残念です」
「おだてるつもりじゃないけれどいいとこいってたと思うよ。オレの電話の内容を聞き取ろうとしなければ、ひょっとしたら気づかれないまま寝首を掻くことができたかも」
「そうですか……」
 確かに、フレンディスは彼の電話を聞くことに集中するあまり、消していた気配を表に出してしまったかもしれない。けれどそれはごくごくわずかなものであり、常人ならば、いや、たいていのニンジャでも察知することができなかっただろう。
「オレをやっつけるつもりなら色仕掛けで頼みたいなぁ」
「やっつけるつもりじゃ……」
 ぴこ、っとフレンディスの頭の耳が動いた。こほん、と咳払いし改めて言う。
「気配を消して近づいたことはお詫びします。
 耀助さんは自身が抱える問題に人様を巻き込むのを避ける性格だと思うのです。ならばまず巻き込んでも大丈夫に値する者と認めて頂かないといけないと思った次第でして……私にはかような手段しか浮かびませんでした。お二人は私にとって大事な後輩でありお友達です。極力お力になりたいのです」
 彼女の言う『お二人』は、耀助のみならずそのパートナーたる那由他も視野に入れた言葉だろう。真剣な目をするフレイだが、耀助はその視線を受け流すようにしてけ言った。
「フレンディスちゃんの真剣な気持ちはありがたく思うよ。ただね、あまりに真っ正直すぎると、折れやすくなるってのがオレの持論かなぁ。お力かぁ……そうだな。フレンディスちゃんが彼氏もちなのは知ってるけど、デートしてくれたらオレ、すごーく元気になっちゃうと思うんだ。そういう貢献ならいつでも……」
「コラー!」
 林を両断するほどの大音声、木々を避けるというよりは単純に押しのけるようにして、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が駈け込んできた。
「冗談でもあまり笑えねぇからそういうのはやめとけ、な?」
 まずはそう言って耀助を制し、改めてベルクはフレイに顔を向けた。
「……ったく、勝手な行動するなってのに。いきなり飛び出ていくから探すのに苦労したぞ。性分なのはわかってるが、もうちょっと考えてから動けよ」
 耀助と那由他のことについて考えていたフレイが「決めました! マスター、ポチ、急なお話で申し訳ありません。私、少々耀助さんの所へ行ってきます」と言い残して出ていったのを彼は追ってきたのだ。
「ですがマスター、耀助さんのことを考えるとどうしても……」
 このとき、
「お待ち下さい」
 と言いながらベルクとフレイの間に、忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)が割り込んだ。
「エロ吸血鬼の手助けなんてしたくありませんが……どうしても、と泣いて頼まれたので仕方ありません。頼まれてやって調査させていただきました」
「待て、いつ俺が泣いて頼んだよ?」
 さっそくベルクが抗議するわけだがポチの助は聞き流し、くるりと振り返って耀助を見た。
「そこのチャラ忍、白状しなさい」
 本日のポチの助は獣人姿だ。すっくと立って耀助に近づく。
「チャラ忍ってオレのことだよな……? 呼び方はハンサム忍にしてくれない? それはそうとして白状? オレの好きな食べ物でも知りたいの?」
 へらりと耀助は笑うが、ポチの助は惑わされない。
「自称ハイテク忍犬として、調べさせて頂きました。今回の件、あなたはハイナ校長からの命令を受けたわけではありませんね。他に依頼を受けた形跡もない……独断で動いているとすれば」
「その理由が知りたい、ってことかな?」
 仕方ないな、と嘆息して耀助は言った。
「返事は『今日は無理』だと思ってくれ。オレはみんなのこと信頼はしてる。巻き込むべきときがきたら遠慮なく巻き込ませてもらうさ。けど……今はそうじゃないって思ってる」
「そんな不完全な回答……」
 憤るポチの助だったが、ベルクがそっと彼を押しとどめた。
「……いや、耀助なりに誠意のある言葉だと思ってるよ。悪かったな耀助、今日はこれ以上詮索はしないでおく。ほらフレイ、帰るぞ」
「とおっしゃっても……」
「巻き込むときは遠慮しない、って耀助は言ってる。この時点でこちらの意向を押しつけるのわけにはいかねぇだろ? ポチも来るんだ」
 有無を言わせぬベルクの言葉に、
「はい、マスター……」
 とフレイはうなだれ、ポチの助も彼女に従った。
 すると耀助はにこりと、屈託ない笑顔を見せたのである。
「サンキュ、ベルク。オレ、もし女の子だったらベルクに惚れてたと思うな〜」
「気持ち悪いこと言うなっての。じゃ、またな」
 まったく、と苦笑いしてベルクはフレンディスとポチの助を促して去っていった。
 彼ら三人が姿を消すのと入れ替わるかのように、
「さすがツァンダの街、おっきぃねぇー。明倫館では売ってないようなご飯やおやつが一杯売ってたし、公園ひとつにしたって広々としてるよー♪」
 賑々しい声が入ってきた。ひょっこり顔を出したアイラン・レイセン(あいらん・れいせん)は耀助を見て足を止め、軽く片手を上げた。
「こんばんはー♪」
 やって来たのはアイランだけではない。
「ほら悲哀、こちらの建物にもお洋服にもいまいち興味を持てなかったようですけれど、こちらの方を見てもそのように沈んだ気持ちでいられるでしょうか?」
 と、ヴェール・ウイスティアリア(う゛ぇーる・ういすてぃありあ)一雫 悲哀(ひとしずく・ひあい)の手を引いて現れたのである。
「悲哀ちゃんじゃないか」
 耀助はあの、悲哀の心を蕩かすような優しい眼差しになった。
「……あ、はい、ご無沙汰してます……。奇遇ですね……耀助さん」
 ところがこの悲哀の言葉を聞いて、
「なにが『奇遇』なの? だって悲哀ちゃん、あの仁科ちゃんに会いに来たんでしょ?」
 アイランはこともなげに言う。これに対する耀助の反応より先に、
「……そういえば、私は仁科さんとお話するのってこれが初めてですわね」
 ヴェールが耀助に向き直った。
「初めまして、『元』花妖精のヴェール・ウイスティアリアと申します。以後、お見知りおきを」
 彼女は淡い桃色のドレスの端を、ちょこっとつまんで頭を下げる。
「こちらこそよろしく」
 と耀助は挨拶を返して、屈託なく告げるのである。
「それはそうとして悲哀ちゃん、オレに会いに来てくれたんだって? 嬉しいなあ」
「……耀助さんが……何やら調査をされてるとお聞きしました」
 ここでしばらくためらっていたが、やがて悲哀は、意を決したように続けた。
「それは……マホロバ人失踪についてでしょうか? それを今調べてるということは……何かしら、龍杜さんに何かがあったと言うことでしょうか?」
 耀助のパートナー龍杜那由他がマホロバ人であることは、関係者ならば誰もが知るところである。
「そうだとすれば、納得がいきます。ですが……なぜ隠すような言動をなさるのですか? 一人では……出来ることに限界があります……それで手遅れになってしまう事も……あります」
 悲哀は耀助に一歩近づいた。常に潤んでいるようなその瞳が、普段以上の湿り気を帯びている。
「私は、葦原に来て……手を伸ばして下さる方々が居る事を知りました。耀助さんがただ『手伝って』と言うだけで……きっと皆さん嫌な顔なんてしません。私みたいな者に言っても仕方がない事なのかもしれませんが……きっと、耀助さんを助けたいと思う方は……一杯いらっしゃいます。
 ですので……話して下さい。何を、してらっしゃるのか。
 ……私は、ただ……少しでもいいから、耀助さんのお役に立ちたいのです」
 耀助は黙って聞いていた。
 彼の心をうながすかのように、アイランも口を開くのである。
「あたしだって手伝うよ! んっとー……仁科ちゃんは悲哀ちゃんの友達で、悲哀ちゃんはあたしの友達! 友達の友達は、やっぱり友達だよね! うん! 友達が困ってたら手伝うのは当たり前だよ♪」
 だが、
「ごめん」
 耀助は、頭を下げた。
「……迷惑……でしたでしょうか?」
 悲哀はうつむいた。目の前で扉が閉ざされてしまったかのように、細かく肩を震わせる。
「迷惑というわけじゃないんだ。……けど、今は話すときじゃない。然るべき時に話すよ。約束する」
 ヴェールは耀助の横顔を見上げる。彼は穏やかな表情だが、その決意は固いかと思われた。
「トラブルにあるってのは本当なんだよね? だったら……」
 アイランが言いかけるもヴェールが首を振って彼女を止めた。
「事情はわかりました。仁科さん」
 かわりに、ヴェール自身が口添えたのである。
「この子は本当に、貴方の幸せを願ってますわ。それこそ、自分の幸せは顧みずに……それだけは、忘れないであげて下さいね」
「ありがとう。その気持ちは本当に嬉しいよ」
 耀助は口元を綻ばせている。
 けれどどこか哀しい――哀しい笑みだとヴェールは感じた。
 悲哀も同様の寂しげな笑みを彼に返した。
 そして仁科耀助は別れを告げ、どこかに去っていったのだった。