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【帝国を継ぐ者・第二部】二人の皇帝候補 (第4回/全4回)

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【帝国を継ぐ者・第二部】二人の皇帝候補 (第4回/全4回)
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【それぞれの3日間――Side:5】



 セルウス達がジェルジンスクを脱出し、一路ユグドラシルを目指していた頃の、その地上。
 ジェルジンスク領、選帝神の公邸は、ノヴゴルドの委任状を持つと言う老人の登場に揺れていた。先代選帝神である白輝精の頃から仕えていた執務官達と知己のあるクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)の二人は、彼らの協力の下で、慎重に聞き取り調査を進めていた。
「それじゃ、委任状の所有者が、選帝神の代理として選帝の儀へ参加することは出来ないんだな」
「可能なのは、あくまで政務の代行のみですね。ノヴゴルド様は現時点ではまだ、選帝神であらせられます。委任状が仮に本物であったとしても、儀式は選帝神ご自身にしか行えないのです」
 その微妙な言い回しに、クリストファーが眉を顰めると、執務官の青年は何とも言えない顔で黙り込み、隣にいたノヴゴルドの部下だという男が、淡々と口を開いた。
「統治者の不在は、民の不幸です。このまま行方が知れぬとなれば、必然、新たな統治者を迎えねばなりません」
 ノヴゴルド様ならそう仰るでしょう、と、何でもないことのように言いながらも、声の端々に苦渋が滲んでいる。クリストファーは一つ息をつき、執務官達から資料を受け取ると、難しいこととは知りつつも、あえて口を開いた。
「そうならないように、頑張るしかないさ」

 そうして、クリストファー達は、政務がひと段落つくのを見計らって、ノヴゴルドの委任状を持つという老人へ正面から向かい合った。白輝精に対して報告を行う必要がある、というと言う言葉には無碍に出来なかったのだろう。慇懃に頭を下げた老人は「それで」と枯れて抑揚の無い声で尋ねた。
「ワシに話とは、何でありましょう」
「貴方の目的についてですよ」
 一応の敬意を払って、クリストファーは口調だけは丁寧に切り込んだ。
「最初は、貴方が選帝神の代理となって、選帝の儀へ参加するのだと思っていました。いえ、最初はそのつもりだったのでしょうが」
 ノヴゴルドがテロリストによって暗殺された、という報があって、老人はやって来た。もし実際に暗殺が成功していれば、選帝神は空座。最も次の選帝神の座に近いのは、委任状を持つ老人だ。だが実際には、暗殺は失敗し、情報もカウンターを受けたためにノヴゴルドは「行方不明」に落ち着いている。選帝の儀は、選帝神自身にしか行えない以上、老人は代理として参加することは出来ないのである。その上、選帝の儀は、必ず全員が揃っていなければならない、と言う条件は無いらしい。戦争や病等で、空座となっている場合もあるからだ。それは、欠席も同様で、やはり病等で動けない場合が想定されており、結果的に過半数の承認があれば良いとされているようだ。それでも尚、わざわざノヴゴルドを狙ったのは、僅かな芽も摘んでおきたかった為と、ノヴゴルド自身の言ったように、この機に排しておきたかったというのもあるだろう。
「選帝の儀へ参加することが出来ない以上、その委任状は出来て政務の代行だ。念の為聞いてみるけど、白輝精様やノヴゴルド様が帰ってきたら、貴方の代行業務は終わるのかな?」
「……無論のこと」
 老人は心外といった様子で返答したが、クリストファーは緩く首を振った。
「本当にそうかな。貴方は、白輝精様やノヴゴルド様が帰ってきても、その席を譲るつもりは無いはずだ。何せその頃には、貴方はそこの本当の主となっているはずだからね」
 老人が僅かに眉を寄せると、クリスティーはぱさり、と幾つかの資料を机の上に並べた。それは、老人が政務を代行している間の、オケアノスとの領境に関する書類だ。そこには、お互いの性格からか、余り交流の深くなく、どこか警戒しあっていたような互いの領域へと、随分と踏み込む内容が記載されている。内いくつかは、グランツ教への融通を仄めかすものもある。この老人が、オケアノスに寄った部分があるのは明らかだ。
「こうなってくると、その委任状が本物かどうかも問題が無い。選帝神を決めるのは皇帝の権限だそうだからね」
 空座であろうが、行方不明であろうが、或いは顕在であろうと問題ない。現在は皇帝の方が空座のため、行方不明の選帝神の座を動かすことが出来ないでいるが、この選帝の儀で決定する次期皇帝は、自身の裁量で新たな選帝神を就けることが出来るのだ。
「荒野の王が皇帝になれば、貴方はここの選帝神に納まる。そうなれば、行方不明のノヴゴルド様がどう出ようと関係ない……と、言うわけだ」
 クリストファーがそう締めくくって、挑戦的な目で見やると、老人は暫くの沈黙の後、初めて低い笑い声のようなものを漏らした。
「成る程……面白い推理であるな。して、であれば何とする?」
「その委任状を、検めさせてもらう。少なくとも、ジェルジンスクの内政を好きにさせるわけにはいかない」
 きっぱりと言ったクリストファーに、ジェルジンスクの執務官たちがす、と前へ出た。
「その必要は無い。開ければ弾ける仕組みになっておるでな。触らぬほうが良かろう」
 そう言ってあっさりと偽造を認めると、案外に潔い態度で席を立った老人は、抵抗することもなく、執務官に拘束されて部屋を後にしようとしている。その背中をじっと見やっていたクリストファーに、老人は一度だけ振り返ると、僅かに口元をあげた。
「だが……本当にこれで終わったとは、思ってはおらんだろう?」
 老人の面白がるような声に、クリストファーは眉を寄せた。
 そう、先ほど自分が推理した通り、荒野の王が皇帝となれば、委任状の真贋に関係なく、恐らくはこの老人が次期ジェルジンスク選帝神となる可能性が残っているのだ。

「あとは……あちらに託すしかないね」








 そして、選定の儀の開催宣言から三日後のオケアノス。
 選帝の儀も間近に迫ったこともあって、内外とも賑わうラヴェルデ邸にあって、荒野の王のいる一室だけは妙に人気が少なかった。それは、この段階ではすでに荒野の王にはするべきことがないからでもあったが、何より荒野の王自身に近寄りがたい雰囲気があるためだ。とは言え、それはあくまで邸の人間であって、当然例外はある。
「選帝の儀は、どのくらいかかるのかわからないんですし、食事はしていった方が良いと思うんですの」
 そう言って、手ずからサンドイッチを用意したのは、エプロン姿も愛らしいイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)だ。その隣では、ティー・ティー(てぃー・てぃー)がさっさとテーブルの準備を済ませている。ラヴェルデの部下たちがそれを見れば肝を冷やしたかもしれないが、荒野の王は恐れ気も無く近付く相手が物珍しいのか、特に咎めるでもなく好きにさせ、勧められるままに椅子に座ってサンドイッチに手を伸ばしていた。
「……よもや毒でも入っているのではあるまいな?」
「毒ですか?」
 その言葉にきょと、としてティーが構わずサンドイッチを頬張ったのを見て、荒野の王は「愚問だった」と息を吐き出し、倣ってサンドイッチを口に入れた。
 うさぎの耳をしたティーと、エプロン姿の少女と、見た目だけは少年な取り合わせは、絵面だけで言えばメルヘンなティーパーティーといったところだが、荒野の王は黙々とサンドイッチを頬張りながら表情は動かない。とは言え、新じゃがのポテトサラダや、春キャベツが挟まれたサンドイッチは口にあったのか、順調にその口の中へと消えていっていた。が。
「…………」
「…………」
 妙に気まずい沈黙が落ちたのに、荒野の王が僅かに首を傾げていると、ふとそれが見えた。イコナが先ほどからじいっと荒野の王の顔を見つめているのである。睨んでいると言ってもいい視線に、荒野の王は一瞬眉を寄せたが、その顔が求めている一言に気付いてようやく「……悪くない」と言う言葉を口にした。その途端に、ぱあっと表情が明るくなるイコナに、荒野の王は微妙な顔だ。腹が満たされてやや寛容になったのか、あるいは害のなさそうな幼い相手へは、態度が緩くなるのかもしれない。
 そんな荒野の王の横顔に、ティーはほんの少し眉を寄せた。行動も言動も、苛烈な印象の強い荒野の王だが、こうしていると強面なだけの少年のようにしか見えない。そんな少年が皇帝になるということを「生まれた意味」だと口にするのが、ティーには寂しいことのように感じられるのだ。ティーがそっとその手を偶然のようにして、サンドイッチに手を伸ばす荒野の王の手に触れさせたのも、その内面を、僅かにでも理解しようと思ってのことだ。だがそんな祈りのようなティーの力は、彼女自身に牙を剥いた。
「――……っ」
 それは、真っ黒く塗りつぶされた感情の塊だった。ティーへのものではない、だが墨を煮凝らせたかのようなそれは、敵意と憎悪だ。世界そのものが敵だと言うような憎しみ、恨みが、焼け付く程の強い渇望を抱いて渦を巻く、その底にあるものは、何処まで言っても草ひとつ無い、黒い荒野だ。とてもではないが、少年の持つような精神ではない。ティーは、交感によって流れ込んできたそれに、気がつけば指先が震え、ぽろりと涙がこぼれていた。
「……っふ、……っ、……」
 流れ込んできたそれが恐ろしかったのか、悲しかったのか、自分でも良く判らないまま流れてくる涙を拭うティーを、イコナが心配そうに背中を撫でるのに、突然のことで原因も理解できない荒野の王は、初めてその顔を困惑させていた。
 そんな時だ。
 なかなか戻ってこない二人の様子を窺いに顔を覗かせた源 鉄心(みなもと・てっしん)は、思いもがけない光景に目を見開いた。
「……どうしたんです?」
 怪訝げに尋ねた鉄心は、振り返ったイコナのおろおろしている顔と、明らかに泣いた後だと判るティーの顔に、その表情を険しく荒野の王を見やったが、こちらはこちらで、判り辛いが困惑している様子だ。状況が判らず、ひとまず鉄心はイコナ達を手招くとその肩を抱くようにして、荒野の王へ頭を下げた。
「どうも、この子達がお騒がせいたしました」
「…………いや」
 荒野の王が曖昧に答えるのに、そのまま二人を連れて出ようとしていた鉄心は、扉の前まで来たところで「ああ、そういえば」と不意に足を止めて振り返った。
「全て力でねじ伏せる……と言っておられたが、彼らを取り逃したのは残念でしたね」
「……貴様」
 言葉の端に感じた棘に、荒野の王は目線を鋭くしたが、鉄心は慇懃にお辞儀をしただけで、イコナたちを連れてその部屋を後にしたのだった。