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【四州島記 完結編 二】真の災厄

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【四州島記 完結編 二】真の災厄

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第六章  暗闘


「そなたが、光(ひかり)の兄か」

 長谷部 忠則(はせべ・ただのり)は、目の前の軽薄そうな若者を、なんとも言えない渋い顔で見つめた。

「ちぃーす、南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)っス。ウチの妹が、色々とお世話になったようで――いや、お世話したんスかね?」

 光というのは、南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)が【桃幻水】を使って女となり、忠則の側で密偵を務めていた時の名である。
 光一郎が、男の姿で忠則と会うのは、これが初めてだ。

「……光は、息災にしているか?」

 忠則は、しばしの間光一郎の顔をまじまじと見つめた後、それだけを言った。

「あ〜、うん。マジな所会ってないんスけど、元気なんじゃないですかね、多分」
「そうか……。ならば、良い」

(てっきり『会わせろ』とか言うのかと思ったが……。やっぱ、結構硬派だな、このオッサン)

 一人満足気に頷く忠則に、改めて感心する光一郎。

「それで――光一郎といったか?お主、この儂に一体なんの用じゃ」
「そうそう。それなんですけどね」

 ズズッと膝を前に詰める光一郎。

「今日は一つ、忠則様にお願いの儀があって参りました」

 急に居住まいを正し、折り目正しく頭を下げる光一郎。
 そのあまりの豹変ぶりに少々面食らいながら、長谷部は答えた。

「お願いの儀……?今の儂は閉門蟄居を命ぜられ、殿の御沙汰を待つ身。その儂に、一体どんな願いがあって来た。儂の首でも、取ってまいれとでも命ぜられたか?」
「いえいえ、むしろその逆でして」
「逆?」
「はい。殿は、長谷部様子飼いの将兵の腕を、高く買っておられます。そしてもちろん、長谷部様の将器も……。殿は、長谷部様を家臣として取り立て、一軍を任せたいと、強くお望みでいらっしゃいます。お願いでございます、長谷部様。今一度、東野の為にお働き頂けませんでしょうか?」
「……要は、儂に付き従った兵が狙いか」
「いえいえ、そんなコトは決して」
「嘘を申せ。先の西湘との戦では、東野軍も少なからぬ兵を失ったと聞いておる。その穴埋めに、儂の兵が必要なのだろう」
「あー……。まぁぶっちゃけた話、確かにその通りです」
「お主は、とかく手のひらを返すのが早いな。いや、面の皮が厚いとでも言うべきか」

 光一郎の開き直りっぷりに、忠則は呆れを通り越して、感心し始めている。

「実際の所、長谷部様の兵だけではまるで焼け石に水になんですよ。なので、まずは長谷部様の『返り忠』の功を評して、長谷部様ごと将兵を丸々召し抱えて厚遇しておけば、後々九能 茂実(くのう・しげざね)の旧臣を召し抱える時も事が上手く運ぶだろう、と」
「……そんなに酷いのか。東野の損害は」
「あんまり大きな声じゃ言えませんが。まぁそれなりに」
「左様か……」

 腕組みをし、何事か考えこむ長谷部。

「いかがですかね、長谷部様?決して、悪い話じゃないと思うんですけどね。ゆくゆくは、長谷部様に九能茂実の旧領を与えて家老に取り立て、副将の皆々様も旗本として取り立てようとか、そんな話まで出てるんですよ?」

 ここぞとばかりに畳み掛ける光一郎。
 長谷部は瞑目したまま、じっと何事かを考えている。

「一つ、条件がある」
「なんでしょ?大抵のコトは、承りますよ!!」
「儂の将兵を召し抱えるというのは、異存は無い――というかむしろ、こちらからお願いしたいぐらいだ。そもそもが、洪水やら何やらで食い詰めた挙句、流民となったような連中だ。然るべき食い扶持を与えてやれば、あやつらはいい働きをするだろう」
「でしょ?俺も、そう思ってたんスよ〜!」

『我が意を得たり』とばかりに喜ぶ光一郎。

「だが、儂の仕官の話は無かった事にしてもらう」
「エエ!な、なんで!?」

 有頂天から、一気に奈落に突き落とされたような顔をする光一郎。

「なんだ、そんな顔をするな――。正直な所、儂はもう、誰かに仕えるのは懲り懲りなのだ。九能茂実にはあれだけ忠誠を尽くし、我が身を投げ売って働いたと言うのに、最後には謀反を疑われ、殺されかけた」
「いやそれは、九能のジジイがアホだっただけで――」
「それだけではない。九能家では、儂が大川で大兵を養うようになると、旧臣共のやっかみを受け、『謀反の兆しあり』などと幾度も讒言された。此度また、これ程の厚遇を得て仕官したとなれば、必ずまた同じ事が起こる。そんな目には、もう遭いとう無い」
「では長谷部様。長谷部様は仕官なされず、一体どうなさるおつもりなので?」

 これまで、黙って話を聞いていたオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)が、口を開いた。

「さあな……。故郷に戻り、気ままに晴耕雨読の日々を送るか、はたまた旅にでも出るか……。何せ、九能の首と引き換えに死ぬつもりでおったからのう。いきなりそう言われても、答えに窮する」

 長谷部忠則が投降と引き換えに要求した九能茂実の死は、磔刑の上獄門という形で、速やかにもたらされた。

「決まってないなら、取り敢えず仕官しとけば――」
「その気はない」
「そんなコト言わないで!長谷部様がいるといないとでは、他に与えるインパクトが、10倍くらい違うんだから!!」
「くどい!」
「そこをなんとか!!」

 あくまで食い下がる光一郎。
 その顔を睨みつける忠則。
 そのまま、対峙することしばし――。
 ふと、忠則の顔に笑みが浮かんだ。

「ふむ。そこまで言うのならば仕方がない。仕官の件、考えてやっても良い」
「ホントすか?」
「ただし、条件がある」
「今度はナニ!?」
「儂を、そなたの家臣とせよ」
「へ!?」

 長谷部の突然の言葉に、硬直する光一郎。

「儂はそなたになら仕えても良いと、そう言っているのだ」
「エエ!なんで俺!?」
「先程からお主は、東野の殿が儂の事を買っていると申しているが、どうせそれはお主が入れ知恵した事。実のところ、儂を買っておるのは殿ではなく、お主じゃ」
「いやでも、俺東野藩の人間じゃないし――」
「それは問題ない。儂がお主の家臣となった上で、雇われ指揮官として、儂の元の兵を率いればよいのだ」
「なるほど。一種の傭兵のようなモノか」
「コラ鯉!へんなトコで納得してんじゃねぇよ!!――っていうか、だいたいなんで俺ならいいんだよ!人に仕えるの、嫌なんだろアンタ!!」
「いやナニ。そこにいる鯉まがい――いや、失礼――と契約を結ぶような変わり者であれば、大概の主君との間に起こるような軋轢は生じんだろうと思ってな。それに、お主の家臣ともなれば、色々と外の世界の事も学べようし」
「なんだよそれ!わけわかんねーよ」
「分からんか。なら分かりやすく言おう。儂は、お主に惚れたのだ。これでどうだ?」

『惚れた』と言われた瞬間、光として忠則の側近くで過ごした日々の事が思い出され、光一郎の全身の毛が総毛立つ。

「ハッハッハ!どうする光一郎!長谷部殿はひとかどの人物なのだろう?この際、召し抱えてやってはどうだ?」
「無責任なコト言うな!ていうか、その大笑いを止めろ、この鯉野郎!!」
「俸禄は、東野藩からもらうから安心しろ。お主に、迷惑はかけん」
「そんな話してんじゃねぇよ!!」

 予想だにしなかった展開に、翻弄されっぱなしの光一郎。
 結局この話は、主に光一郎の反対によって、後日に持ち越しとなった。



「御上先生、大倉殿、これを見て下さい」

 三船 敬一(みふね・けいいち)は、古い書物の山をドサリとテーブルに置くと、丸められた巨大な紙を、クルクルと広げ始めた。
 その紙には、人名とそれを繋ぐ線がいくつも書いてある。

「これは……家系図ですね。随分沢山ある」
「一番手前のコレは、上様の家系図ですな。他は――」

 御上 真之介(みかみ・しんのすけ)大倉 重綱(おおくら・しげつな)が、興味深そうに家系図を覗き込む。
 重綱の言う『上様』とはもちろん、東野藩主広城 雄信(こうじょう・たけのぶ)のコトだ。

「他のは、雄信様と一緒に眷属化した方達の家系図です」
「この数……もしや、全部調べたのか!?」
「もちろん、全部調べました」
「は〜、大したモンじゃのう〜」

 重綱は、その余りの量にただただ感心している。
 
「それで、敬一君。何故家系図を?」
「実は、一つ気になった事がありまして……」
「気になったコト?」
「はい。雄信様は、今回の西湘との戦で首塚大神に憑依されてしまいましたが、その前、九能 茂実(くのう・しげざね)との戦の際にも、鬼神化しています」
「そうじゃな……。今にして思えば、あれが此度の前兆だったのやもしれぬ……」
「俺も、最初はそう思いました。でも、そう思うと変なんです。話の辻褄が、合わないのです」
「変?何がじゃ?」
「よく考えてみて下さい。そもそも鬼神化とは、マホロバ人に起こる現象。もし、マホロバ人の血を引くせいで大神や眷属に取り憑かれたと言うなら、重綱様も、定綱様も、東野の侍も、それどころか西湘の侍だって取り憑かれなければおかしい。にもかかわらず、憑依されたのは、ごく一部の、限られた方のみです」
「それは、単なる偶然――」
「本当に、そうでしょうか?」

 重綱の口にした『偶然』という言葉に、敬一は疑問を投げかける。

「『一度目は偶然、二度目からは必然』という言葉もあります。もし、前回の鬼神化と今回の憑依の間に、何らかの関係があったとしたら?雄信様には、大神に取り憑かれて然るべき理由があるとしたら、どうでしよう?」

 敬一の刺すような問いに、重綱は全く答えられない。

「それで敬一君は、その問いの答えが、雄信様や旗本達の『血』にあるんじゃないかと、そう思った訳だね」
「そうです。それに……もし本当に、眷属化を引き起こすような理由があるのだとしたら、それは、もう一度起こるかもしれないんです。なら、なんとしてもその理由を見つけて、二度と同じ事が起こらないようにしなければならない」
「敬一君。君は……雄信様があんな事になってしまったことに、責任を感じているんだね」
「俺は、春日(かすが)様から『雄信の事を頼む』と、言われていたんです。でも俺は、雄信様を守れなかった……」
「敬一君……」

 御上が慰めるように、敬一の肩を叩く。

「三船殿。貴殿とは縁もゆかりもない雄信様の事を、そこまで思って下さるとは……。この重綱、我が主に成り代わり、御礼申し上げる!」

 突然床に手をついて、頭を下げる重綱。
 その両の目からは、滔々と涙が溢れている。
 
「重綱様……。どうか、頭を上げて下さい。これは、自分の好きでやってる事なんですから」
「そうですよ、重綱様。僕達はみんな、自分の好きでこんな事をやってるんです。それに、お礼を言うのは敬一君の話を聞いてからにしないと」
「……そうじゃの。どうにも歳を取ると、涙もろくなってイカン」
 
 御上と敬一の差し出した手を取り、立ち上がる重綱。
 懐紙で涙を拭うと、いつもの落ち着きを取り戻す。

「聞かせてくれ、三船殿。若様には、一体どんな秘密があるというのじゃ」
「はい。雄信様と、眷属化した全ての方に共通していたのはたった一つ、『混血』です」
「混血?」
「混血というと……マホロバから移り住み、支配者階級になった武士達と、元々四州島に住んでいた土着の民族という事ですか?」
「その通りです。流石は御上先生、話が早い」
「いやしかし混血と言っても、今どきマホロバから伝わった血を守り通しているのなぞ、西湘(せいしょう)藩主の家系くらいじゃろう?マホロバから、この四州に我が父祖が移り住んで既に幾星霜。混血しておらぬ家系なぞ――」
「問題なのは、その相手なんです」
「相手?」
「はい。初代藩主清信(きよのぶ)公は、正室を西湘藩から迎えていますが、この正室との間に出来た子は夭折し、二代藩主には、この側室の子が就きました。つまり広城家の家系には以後、この側室の血が受け継がれていく事になります。この側室、残念ながら名前が伝わってませんが、どうやら清信公が征服した、東野の土着民の族長、の娘だったようなんです」
「藩祖清信公が藩を開いたのは、東野征服の功を認められての事。その際、服従の証として族長が娘を差し出したという話は、聞いた事がある。もはや、神話伝説の類じゃがな」
「そうなんです。俺も、もっと確度の高い情報が欲しくて、レギーナに知泉書院(ちせんしょいん)を調べてもらったんですが……」
「結局、何も見つからずじまいで……。申し訳ありません」

 レギーナ・エアハルト(れぎーな・えあはると)が、すまなそうに言った。

「一方、その他の旗本の方々なんですが、いずれも多かれ少なかれ、藩公家の血を引いているんです」
「ナニ?そりゃ本当か!?」
「はい。かなり昔に臣籍降下したり、藩家の女性が降嫁して別姓になったり、藩主の血を引く旗本家が、別の旗本家と結婚したりといったケースもあって、かなりわかりづらいんですが……」

 敬一は、眷属化した旗本一人ひとりについて、重綱たちに丹念に説明していく。
 すると確かに間違いなく、一人残らず藩公家の血を引いていた。

「うむむ……これは盲点じゃった……。確かに、藩主直系の場合、同じ旗本でも『御血筋方(おんちすじがた)』と言って、格上とするのが通例なので、これは儂も知っておったのじゃが……」
「これはわからなくても仕方ないですよ、重綱様。家系学の専門家でも無い限り、把握するのはとてもムリです。むしろ、調べあげた敬一君を褒めるべきでしょう」
「あ、有難うございます」

 御上に手放しに褒められて、普段あまり感情が表に出ない敬一も、流石に嬉しそうにしている。

「さて、雄信様と旗本達が土着民族の血を引いている事はこれでわかったかと思いますが、実はもう一つ、の血を引く家系があるんです。ドコだと思います?」
「さて、ドコと言われてものう……」
「もしかして……、首塚大社の宮司家とか?」
「正解!」
「なんと、そうなのか!?」
「ん?ちょっと待ってくれ敬一君。首塚大社の宮司家って確か、首塚大神の末裔だって言われてなかったっけ?」
「そうです。つまり――」
「ちょ、ちょっと待て二人共。つまり雄信様や旗本達は、首塚大神の子孫だから憑依されたと、そういう訳か?」
「断定は出来ません。でも、その可能性は高いと思います」
「確かに、降霊術なんかは、同じ素養のある人でも、降ろそうとしている霊と血のつながりのある人の方が、格段に成功しやすいって、前に円華さんから聞いた事がある」
「多分、由比 景継(ゆい・かげつぐ)は、雄信様の血の事を知っていたんだと思います。だから、雄信様を選んだ」
「少しでも多くの、血を流させる為にか……」
「むむむ……。話が大きくなり過ぎて、この年寄りにはもう何が何やら……」
「あの、良かったらお水……、いかがですか?」
「うむ、スマン」
  
 レギーナの差し出す水を、一息に飲み干す重綱。
 それでようやく人心地ついたようだが、まだ、釈然としない表情を浮かべている。

「それじゃあ敬一君。第二第三の眷属化を防ぐ為には、僕達は他にも藩公家の血――ひいてはの血――を引く人がいないか、調べないといけないんだね」
「その点は、大丈夫です。俺とレギーナとで手分けして調べましたが、の血を引く人で、あの場にいなかった人は、少なくとも旗本の男子にはいませんでした。女性だけです。あとは、宮司家の方ですが……」
「今の話の流れだと、首塚大社の宮司さんたちも、眷属化している可能性があるね」
「首塚大社から逃げてきた神職や巫女の話だと、宮司は社に残ったらしいですから……」
「なんと……」

 重綱が、嘆息する。

「でもお陰で、これ以上眷属化する可能性のある人がいないのはわかった訳だ」
「まだ、女性が眷属化しないと決まったわけじゃないですが、東野の女性は滅多な事じゃ戦場には出てきませんからね」
「念の為確認するが……我が大倉家は大丈夫じゃろうな?」
「はい。大倉家には、の血は入っていません。それと、春日様も確認しましたが――」
「春日さんも確認したのかい?春日さんの家に、家系図とかが残ってそうには思えないけど……」

 春日は、元は遊女であり、そもそもはごくありきたりの農家の出身である。
 普通そんな家に、家系図は無い。

「私が、春日さんの生まれた村に調査に行ったんですが――」

 レギーナが口を開く。

「名主さんに聞いた所によると、春日さんの村というのが、随分昔に刀を捨て農民になった侍の一族でして。そこから辿ったんですが、その一族に、の血が混ざった形跡はありませんでした」
「そうか!まずは一安心じゃな」

 重綱たちや春日は、これから首塚大社で東遊舞に参加する事になっている。
 その最中に、眷属化したりしたら大事だ。

「でも、本当に有難う敬一君。君のお陰で、色々な事が分かったよ。この話、後で円華さんにも聞かせてあげてくれ」
「わかりました」
「しかし、それにしても――……」
「どうしたんですか?」
「いやね。これだけの話、景継は一体ドコで調べたんだろうと思ってね」
「そうですね……。景継は雄信様の血のコトほ知っていた。それに多分、魔神や封印のコトも」
「それは多分、西湘からじゃろうな」
「西湘?」
「そう、西湘じゃ」

 御上の言葉に、重綱が頷く。

「あの国が故事故実を有り難がるコトと言ったら、それこそ気狂いのようじゃからな。きっと大昔の事についても、一通り伝わっておるじゃろう。ウチなんぞは、入れ物だけ作ったら、後は放り込んで終わりじゃからな」

 そう言って、カラカラと笑う重綱。
 重綱自身は、西湘のそういった所がかなり嫌いなようだ。

「その景継とかいう男が、水城 永隆(みずしろ えいりゅう)と手を組んでおったんじゃろう?なら、色々と知っておってもおかしくない。全く永隆も、ろくでもない輩を引き込んだモンじゃ」

 どうやら重綱は、水城永隆の事はもっとキライなようだった。

「そうか、西湘か……」

(やはり一度、西湘には行ってみる必要がある……。その為にも、鉄心君に頑張ってもらわないと……)

 御上は目を閉じると、二度、三度と深く呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。
 そして、西湘にいる源 鉄心(みなもと・てっしん)に意識を向けた。
 


「どうした、鉄心?」

 安倍 晴明(あべの・せいめい)は、前を行く源 鉄心(みなもと・てっしん)に声をかけた。
 彼が急に、立ち止まったからだ。

「いえ、何でもありません。急に、御上先生から呼ばれたもので」
「《テレパシー》が使えるというのも、中々に不便なモノだね」

 晴明がからかうように言う。

「便利なモノには、それなりに代償が伴うものです。携帯電話みたいなモノですよ。いつでも電話が出来て便利だけれど、いつでも上司から呼び出される。プライベートなんてありはしない」
「本当だ」

 晴明は今度は、声を出して笑った。

「オイ、何を無駄口を叩いている。早く行け」

 一番後ろを歩くモードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)が、不機嫌そうに言う。

「それから晴明さん、そんな大きな声を出して笑わないで下さい。もし誰かに聞かれたりしたら……」

 ティー・ティー(てぃー・てぃー)は、辺りを不安げに見回している。

 晴明と鉄心とティー、それにモードレットの四人は、西湘(せいしょう)藩の首府白藍(はくらん)城内にある、秘密の通路を、人知れず進んでいた。
 目的は、由比 景継(ゆい・かげつぐ)に操り人形と化している藩主水城 薫流(みずしろ・かおる)をその呪縛から解き放つ事。

 元々この作戦を考えたのは、両ノ面 悪路(りょうのめん・あくろ)である。
 守部良泰(もりべ・よしやす)の話から、薫流に景継の手が及んでいると判断した鉄心は、悪路の使者から共闘の話を持ちかけられた時、迷う事無く同意した。
『敵の敵は味方』という単純な理論からだが、単純な理論であるが故に、裏切られる可能性は低いと踏んだのだ。
 その悪路から、『景継の洗脳を解けるような、強力な術者が必要だ』と言われ、鉄心が呼んだのが、安倍 晴明(あべの・せいめい)である。
 晴明自身は、{SNM9998935#ハイナ・ウィルソン}から怨霊討伐の加勢を頼まれて四州島に来ていたのだが、突然の御上 真之介(みかみ・しんのすけ)の申し出(鉄心がテレパシーで、御上に誰か寄越してくれるよう頼んだ)にも、快く応じてくれた。ただ、『もし私に洗脳が解けなくても、怒らないでくださいね』という条件付きだったが。

 モードレットは、悪路が連れてきた。
 出会って最初の一言が、『とにかく、俺は強いヤツと戦えればそれでいい』という本人の弁には、さすがの鉄心も少々面食らったが、玄秀の使役する式神式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)と戦ってもらうにはちょうどいい。
 更に、今三人が通っている秘密の通路の存在を指摘し、『詳しい事は、東野で捕虜になっている水城 隆明(みずしろ・たかあき)に聞け』と入れ知恵したのも悪路である。
 隆明は、『それで妹が助かるのならば』とこちらも快く協力を申し出てくれた。
 鉄心は、その隆明とテレパシーでやりとりをしながら、薫流がいると思われる彼女の私室へと向かっている。
 隆明の話では、もう間もなく到着するはずだ。

「オイ、鉄心」
「なんだ、モードレット?」
「もう一度確認するが、敵は全部で三人で間違いないな」
「そうだ。うち二人は術者で、一人が護衛で、もう一人が薫流さんの洗脳役。そして残りの一人は術者の式神だ」
「式神という事は……その術者は陰陽師?」
「はい。名前を、高月玄秀と言います」
「た、高月玄秀!?」
「晴明さん、しーっ!」

 ティーが口に指を当てて、静かにするよう晴明に迫る。
 相変わらず、相当心配らしい。

「あちゃ〜!高月玄秀か〜……」

 顔を手で覆い、天を仰ぐ晴明。

「ど、どうした晴明?」
「ゴメンね、鉄心。作戦変更だ。俺が玄秀の相手をするから、鉄心とティーでその洗脳してるヤツを倒してくれ。それが済んだら、薫流を連れて撤退して。多分、洗脳してるヤツさえ倒せば彼女は意識を失うはずだから、連れ帰るのはそれほど難しく無いはずだ。それと、俺の事は、気にしなくていいから」
「晴明……もしかして、玄秀と何かあるのか?」 
「俺が、何かある訳じゃないんだけどね……。ま、会ってみれば分かるよ。はーーー……」

 晴明は、ウンザリしたような、苦虫を噛み潰したような、とにかくヒドく嫌そうな顔をしている。

「どうやら、ついたようだぞ」

 モードレッドに言われて前を見ると、行く手に突き当りになっており、人一人がちょうど通れる位の大きさのドアが、壁一杯に立っている。
 鉄心が、隆明から聞いた通りの造りだ。

(しかし、薫流さんを担いで帰るとなると、それなりに負担が大きいな……)

 などと、急に変更になった作戦への対応を鉄心が考えていると、

「どうした、開けないのか?なら、俺が開けるぞ」
「えっ?ちょっ、まっ――」

 鉄心が止める間もなく、扉を開け放つモードレット。
 扉の先は、寝室のようだった。
 調度から見て、かなり身分の高い女性の部屋と見て間違いない。
 隆明の情報は、間違っていなかった。

 モードレットに続いて部屋に入る三人。
 秘密の通路は、作り付けの大きな姿見につながっていた。

 部屋に誰もいないのを確認したモードレットは、次の間へと向かう。
 襖に手をかけたモードレットは、向こうの部屋から聞こえてくる声に気付いた。
 手で、晴明を差し招く。

「――…………。――……――……」

(何かの呪文のようだけど――……!これは!!鉄心、踏み込むよ)

 晴明は、鉄心にそう思念を送ると、モードレットと共に左右の襖をガラリと開けた。
 部屋の床の間に近い方に、糸の切れた人形のように座り込んでいるのは、水城 薫流(みずしろ・かおる)だ。その薫流の前に座っている男が、香るに向かって何か呪文のようなモノを唱えている。
 先程、襖越しに聞こえたのは、この声だ。
 この男が、両ノ面 悪路(りょうのめん・あくろ)が言っていた遊佐 堂円(ゆさ・どうえん)だろう。
 
 その向かい側に座っていた男――高月玄秀だ――は、晴明の姿を認めると、

「お、お前は……晴明……?」

 まるで信じられないモノを見たかのように、ポカンと口を開ける玄秀。
 しかしすぐにその顔が、怒りと憎悪とで真っ赤に染まる。

「せいめーーーい!!」

 地の底から響くような、聞く者を戦慄させずには置かない叫びを上げる玄秀。
 いつの間にかその手には、何枚もの呪符が握られている。
 玄秀の感情の昂ぶりに合わせて、その目に埋め込まれた【崑崙の呪眼】が怪しい朱い光を放ち始める。
 玄秀にとって、晴明こそは決して許す事の出来ない、不倶戴天の敵なのだ。

「鉄心、早くあの男を!あの男が、術をかけ終わる前に!」
「わかった!」

 ナイフ型のギフトスープ・ストーン(すーぷ・すとーん)を抜く鉄心。

「広目天!」

 玄秀の求めに応じ、虚空から黒い渦を巻いて姿を現す式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)

「お前の相手は、この俺だ!」

 姿を現した広目天に、待ってましたとばかりに斬りかかるモードレット。
 瀟洒な室内が、たちまち血なまぐさい修羅場に変える。

「ぐわぁ!」

 遊佐堂円は、逃げる間もなく鉄心に一刀の元に切り捨てられた。
 鉄心の振るったスープ・ストーンの刀身が突然数メートルもの長さになり、遊佐堂円を襲ったのである。
 まさか、そんな距離から攻撃されるとは思っていなかった堂円には、避ける事すら出来なかったのだ。
 心臓を一突きされ、堂円は即死した。

 ティーが、素早く薫流に駆け寄る。

「薫流さん!大丈夫ですか薫流さん!しっかりして下さい!」

 ティーが身体を揺さぶって幾度も呼びかけるが、薫流の返事はない。
 呼吸こそしているが、身体には全く力が入っておらず、瞳も虚空をぼんやり見つめたままで、何の反応も帰ってこない。

「晴明の言っていた通りだ。よし、出番だスープ!」
「了解にござる!」

 鉄心はスープ・ストーンをギフト形態から人型に戻すと、手分けして薫流を肩に担いだ。

「ティー、援護を頼む!」
「了解!」

 未だ激しい戦いを繰り広げる二組の戦士たちを尻目に、抜け道へと急ぐ三人。
 しかし、玄秀は狂ったように晴明に攻撃を仕掛けているし、広目天もモードレットの相手で手一杯で、鉄心達の逃走を妨げる者はいない。
 抜け道へ続く鏡をくぐる際、鉄心とティーは後ろを振り返った。

「ねぇ鉄心……。二人共、置いて行って大丈夫かな?」
「気にするな。俺達の任務は、薫流さんを無事に連れ帰る事だ」 
「そうだけど……」
「あの二人なら、大丈夫だ」

 それは単なる気休めではなく、鉄心の本心だった。
 玄秀の猛攻に防戦一方の晴明だが、表情には余裕がある。モードレットに至っては戦いを楽しんでいる様子がありありと伺える。置き去りにしても大丈夫だろう。

「せいめーーい!」

 狂気に満ちた玄秀の声を振り切るようにして、鉄心達は抜け道の向こうへと消えた。


 鉄心達が消え去ってから、わずか数分。
 室内は、まるで暴風が吹き荒れたようになっている。
 晴明は、玄秀の《アシッドミスト》も《グリムイメージ》も、《ヴェイパースチーム》で引き起こした水蒸気爆発や《エンヴィファイア》も、とにかく、玄秀がその魔力と魔技の全てを持って叩きつけた攻撃のことごとくを、打ち消してみせた。

 晴明の衣服は焼け焦げボロボロになり、本人も肩で息をしているが、未だ表情には余裕がある。
 一方の玄秀はと言えば、手傷はおろか衣服に焼け跡一つついていないが、ガックリと膝をつき、もはや立ち上がる気力すら無い。
 その隣では、広目天王が、胸にモードレットの【魔槍スカーレットディアブロ】を突き立てられ、バッタリと倒れている。
 わずかに首を動かし、玄秀の方を見る広目天王。
 しかしその瞳に、既に光はない。
 次の瞬間広目天王は、黒い煙となって消えた。

「どうした……?もう……終わりかい?」
「くっ……こ、この……!」

 玄秀を見下ろし、余裕有り気な笑みを浮かべる晴明。
 この屈辱を、黙って受け入れるしか無い自分の無力さが、玄秀は今ほど憎いを思った事は無い。

「晴明……。貴様何故……俺を攻撃しなかった……」

 荒い息の下から、玄秀は辛うじて訊ねた。

「君の攻撃を打ち消さなかったら、この部屋はおろか、この城の一角がまとめて吹き飛んでしまう。そんな事になったら、お前に殺される前に生き埋めだ。それに――」
「それに?」
「もしそうなったら、大勢の人が死ぬ。そんなコト、俺には耐えられない」
「この……。どこまでも綺麗事を……」
「確かに、綺麗事だ。でもそれは、俺の本心でもある」

 憎々しげに自分を見つめる玄秀の視線を、涼しい顔で受け流す晴明。

「クソッ……、ナゼだ……。ナゼ、勝てない……」

 血を吐くような、玄秀の言葉。
 だがそれを聞いても、晴明は顔色一つ変えはしない。

「さて、何故かな……。才能の差か、それとも努力の差か。それとも、呪具にかけた金額の差とか?」
「ふ、ふざけるな……」
「だって、分からないんだもの。それこそ、何故君がこれ程俺の事が憎いのかと、同じくらい」
「言った所で……貴様には……分からん」
「ウン、わかんないだろうね。ていうか、わかりたくもない?ああでも、一つだけ分かる事があるよ?」
「な、ナニ……?」
「俺は、一人じゃない。玄秀、君と違ってね」
「それが……どうした……」
「わかんないかなぁ。所詮、恨みなんていうのは個人的なモノだろう?それに付き合おうなんて奇特なヤツは、普通一人もいない。でも、俺は違う。目的を同じくする仲間がいる。同じモノを守りたいを思う友がいる。景継を見てみなよ。あれ程の力を持ち、あれ程権謀術数に長けていながら、未だ五十鈴宮 円華(いすずのみや・まどか)一人殺せない。それは、彼に仲間がいないからだ」
「俺は……景継とは違う……」
「そうかい?俺には、君と景継がまるで同じに見えるけどね――それじゃ」
「ま、待て……何処に行く……」
「何処って……帰るのさ。早く帰って、シャワーを浴びて新しい装束に着替えて、それから薫流の様子を見に行かないと。玄秀と違って、俺は忙しいんだから」

 玄秀をその場に残し、さっさと出て行こうとする晴明。

「何故……俺を殺さない……?」
「俺は、人殺しはキライだ。ましてや、もう戦う力の残っていない相手を殺すなんて、カッコ悪くて」
「また、綺麗事か……」
「なんとでもいいなよ。俺は、俺のやりたいようにやる。それだけ。それじゃ――」

 晴明は、心底面倒くさそうにそう言うと、部屋を出て行った。