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リアクション
「カーリー! カーリー!!」
名前を呼ばれたからというよりも、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が切羽詰まった声を発しているがために、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は石のように重いまぶたをどうにか持ち上げた。
夢を見ていた。
でも、どんな内容だったか覚えていない。
ただ、目を開けた直後、めまいがして、とても気分が悪かった。視界には見慣れた部屋の天井と、見下ろす今にも泣き出しそうなマリエッタの顔。
「休暇……休暇を、とりましょ……カーリー」
濡れたハンカチを顔に押し当てられたが、しびれているのか、それらしい感触は伝わってこなかった。ただ、目の端に入った布が震えているのが見えた。それを押し当ててくる、マリエッタの指も。震えている。
「無理……2カ月前に、とった、ばかり……」
まためまいがぶり返してきて、ぎゅっと目を閉じる。
「でも」
「大丈夫ですから。騒がないで。……お願い」
眉間に寄った縦じわに、頭痛がしているのだと悟ったマリエッタはベッドから腰を浮かせる。
「どうしたの?」
「ちょっと待っててね。バスルームから薬を取ってくる──きゃっ」
突然腕を掴まれ、引っ張られて、マリエッタはバランスを崩した。どさりと倒れ込んだベッドの上で、するりとゆかりが上半身を彼女に乗せる。
「必要ありません」
胸と胸が重なる。バスローブごしにも、ゆかりの体が熱く発熱しているのが分かる。
「でも」
「必要ないの」
問答無用というように、ゆかりは起き上がろうとするマリエッタの両腕をベッドに押し戻し、強引に唇を奪って眠りにつく前にしていたこと、彼女との情事をまた始める。
自分の上で揺れるゆかりの肌は、幾分赤みが戻ってきているもののまだ青白くて……マリエッタは、この行為に夢中になろうと懸命な、でもなれないでいるゆかりのどこか狂気じみた姿に、このままではいけないと思った。
このままではゆかりは本当に壊れてしまうかもしれない。
かといって、今の彼女を「やめて」と突き放すこともできない――どうせマリエッタが突き放したところで、別の人間にそれを求めに行くに決まっているのだ――マリエッタは、届いた招待状を見て決意を固めると翌朝上官に直訴、談判し、休暇をもぎとってきたのだった。
そういう経緯があって、2人は浮遊島群にきたわけだが。
「……結局、やってることは同じじゃないの」
ホテルのベッドに横たわり、カーテンで閉ざされた窓を見ながらマリエッタはつぶやく。
外界とシャットダウンされた場所で、ゆかりは安易な肉体の快楽による一時的な逃避ばかりを求め、マリエッタはそうと知りながら拒絶もできない。
「ん……。マリー」
浅い眠りから目を覚ましたゆかりがマリエッタを求めて腕を持ち上げてくる。キスをして、さらに先へと進もうとするその手をするりと躱わすと、マリエッタは思い切りよくシーツを剥いで立ち上がった。
「マリー……?」
さっさとバスルームへ行き、シャワーを浴びて出てくる。ゆかりはベッドに寝たままで、マリエッタがベッドを出たときと寸分変わっていない。
「カーリーも起きるの。出かけるわよ」
「出かけたくないわ……今日はここでこうしていましょう……」
「ばか言わないで。ほら、シャワーでも浴びてらっしゃい。そうしたら気分も変わってすっきりするから。
さあさあ!」
怠惰に寝たままのゆかりを引っ張り起こし、そのままバスルームへ押し込む。そしてドアに耳をあて、シャワー栓をひねる音がするのを確認してから、大急ぎ自分の支度をした。
部屋に入った早々ゆかりにベッドに引っ張り込まれたのでドレスはまだトランクの中だ。
「よかった、そんなにしわになってない」
青い絹のドレスの表面をなでて細かなしわを伸ばすと足を突っ込む。髪に胸元のコサージュと同じピンクの薔薇の髪留めをして銀の首飾りをうなじで止める。手早く終えたマリエッタは、今度はゆかりのトランクを開けて彼女のドレスを引っ張り出した。どうせこれを準備したのもマリエッタだ、プライバシーうんぬんを言われる心配もない。
ハイヒールもそろえてベッドの上に置いたところでドアの開く音がして、バスルームからゆかりが出てきた。
「グッドタイミング。
さあこれを着て、ここに座ってちょうだい」
マリエッタの指示にゆかりはげんなりとした表情でため息をつく。熱いお湯を浴びても気分は優れなかったようだ。しかしマリエッタに逆らう気力もなく、言われるまま、ゆかりはドレスを着て鏡台とは逆向きにされたイスへ腰かけた。
「今からあなたに魔法をかけてあげる。それがすんだら、きっと楽しくなるから。2人で食事とダンスに出かけましょ」
マリエッタはことさら明るくふるまい、力づけるように両肩を強く握ってから始めた。
「カーリーってほんと、きれいな髪してるよね。さらさらでやわらかくて、癖らしい癖もなくて。うらやましいなー」
ブラシで梳かす合間もそんなふうに陽気におしゃべりをして、ゆかりが何の反応も返さなくても気にしていない様子で話し続ける。
慣れた手つきで髪を結い上げ、ゆかりの着た百合の刺繍をあしらった清楚な白いドレスにぴったりな百合のヘッドコサージュをピンで止めつけると、真珠と小粒ダイヤのペンダントトップがついた細い銀鎖を止めた。細い鎖は優美な女性の細首をさらに際立てる。
「最後の仕上げ!」
ゆかりに薄化粧を施したマリエッタは、具合を見るように少し離れて眺め、出来上がりに満足そうにうなずいた。
「これで準備は完璧ね! 今のあなた、すっごくきれいよ、カーリー。みんなに見せびらかしに行きましょ」
「ちょっと待って、マリー。まだ……」
「待たない! もう夕方よ? 今だって遅いくらいだもん!」
さあさあさあ。今夜は朝までパーティーのはしごをするわよーっ!
マリエッタはゆかりの手をとって、ぐいぐい引っ張って歩く。ゆかりは鏡台の上にあった自分のパーティーバッグを掴むのが精一杯だ。ゆかりが何を言ってもマリエッタは立ち止まらず、ホテルを出て、通りへ出た。
祭りの間、どこの家も門戸を開き、訪問者を歓迎する。大きな家では例外なくパーティーが開かれていて、こちらもだれでもフリーパスだ。人々は気軽に出入りでき、家々のパーティーを回る。
マリエッタはまるで生まれたときからこの島の者のようにふるまった。視線が合えばだれかれとなく気軽に話しかけて、フレンドリーに笑い合い、冗談を言い合う。何かあるたびグラスをかち合わせてそれが何か分からないものであっても乾杯をした。もちろんゆかりもその輪のなかに引っ張り込まれている。
「カーリー、聞いた? 向こうの館のパーティーがすっごく楽しかったって! 料理もおいしいって! これは行かなくちゃ!」
そんな感じで落ち着く間もなく次から次へと連れ回されて、息をつく暇もない目まぐるしさだ。自分がどこで何をしているのかも正直よく分からない。
だけど
「楽しいわね!」
と言われればそんなふうにも思えるし、マリエッタの言うように、大勢の人の笑顔と接するうちに、たしかに気分は良くなっていた。
「あっ、ダンス! 踊りましょ! カーリー!」
音楽が流れだしたとたん食事をやめたマリエッタに、やはり有無を言わせずダンスフロアに引っ張り出される。
青いドレスの裾をひるがえし、軽やかにステップを踏むマリエッタのはしゃいだ笑顔と笑い声に、ゆかりは自分が少しずつ癒されていくのが分かった。
ここ最近ずっと、彼女が自分のことを心から心配し、ゆかりの気持ちを引き立てようとしてくれているのは知っていた。
「マリー、ごめんなさい……また、心配かけたわね……」
花のように回転する彼女を引き戻し、腕に抱いて。そっと耳元でささやく。
マリエッタはとまどったようだった。小さな体がかすかに震えたが、それだけだ。
マリエッタの表情はあえて見なかった。ただ、掴んだ手を離さず、そのまますべるようにリードして進む。
とても優雅に、まるで百合の花と青い薔薇が咲き乱れるかのような、そんな幻想を見る者に抱かせるように繊細で、でも決して弱々しくは見えないように――ゆかりはその意を込めて踊ったのだった。
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