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【原色の海】はじめての魔法。

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【原色の海】はじめての魔法。

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第1章 船に魔法をかけましょう


 “原色の海”(プライマリー・シー)
 幾重もの幾種類ものアオで織り上げられた海の上に、くっきりと浮かび上がる白い機晶船の姿。
 ヌイ族による遊覧船は穏やかな冬の日、静かな波間の上を滑るように航行している。
 空には薄い青にたなびく白い雲、ヴォルロスを囲む陸地の緑と砂浜は目に優しく、海風も弱い。
 ホールの窓際には、今日は風邪引くことは気にせず珍しい景色を見せてあげよう、と小さな男の子を肩車してるお父さん。寄り添って甘いひと時を過ごしているカップル。
 思い思いに過ごす彼らを、カモメの翼をぱたぱたとさせて、司会役のユルルが呼びに来る。
「これから契約者の方たちのお話が始まりますよ! 途中には着ぐるみショーと人形劇もございます!
 さあ、今からみなさんに、お話のオトモ、お茶とお菓子をお配りします〜!」
 話にか、それともお茶とお菓子につられたのか観光客が窓際から全員離れたのを確認して、彼女は外に目を向けた。
 ちらちらと細かく光を反射する波間には魚が跳ね──そして、時折それは、横から飛び出した鋭い光に食いちぎられて血飛沫を一瞬、まき散らした。
(刃魚……なんでこんなに大量発生してるのかなぁ)
 族長であるドン・カバチョは異変の原因について何か気付いているのかもしれないが、ユルルには話してくれなかった。
 そして波間に遠く、小さく見える黒い塊。あれは幽霊船だという。死者を満載といっても単に死体が積まれているだけなんてことはない。ゾンビだのスケルトンだの要するに生ける屍、怪物の一つだ。
(ダメダメ、お客さんが不安になっちゃう。しっかりしなきゃ……)
「えーと、カバチョ一族の家訓その3! 『どんな時でもポーカーフェイス。赤子泣いても顔脱ぐな』!」
 ユルルは鈴の付いた首をぶんぶん振ると、カフェの方へと行た。

「やあユルルちゃん。君も紅茶どう? 喉乾いてない?」
 足を踏み入れた彼女に声を掛けたのはエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)だ。
 ホールと別の階層、カフェの一角で、観光客の休憩用にお茶とお菓子を提供している。
「ありがとうございます! 大丈夫ですよ」
「困ったことがあったら言ってね」
 優しく微笑むエースの袖を、脇から一人の4、5歳くらいの女の子がくいくいと引っ張った。
「困ったのよ、おにーちゃん! あの子と同じの私も食べたいのよ!」
 女の子が指差したのは、近くに座っている男の子の、大人の掌よりも一回りは大きなクッキーだった。それは猫や犬、パンダなどのかたちをしていて、ココア生地で目や模様が作られている。
「ごめんね、もう少し待ってくれるかな……あ、丁度良いところに」
「──できましたよ。次は四十分後です」
 眉尻を下げるエースの背後から、パートナーのエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が大きな籠を持って現れた。
 籠の中には動物クッキーの他にタルト、マドレーヌ等が満載されている。どれも料理が得意なエオリアのお手製で、片手で食べやすいように工夫されてあった。
 エースは中からできたてでまだ温かいクッキーを一枚取り上げると、
「お待たせしました。では良いおとぎ話を、素敵なレディ」
 こぼれないようにパックになったジュースと猫のクッキーに、一輪の花を添えて渡す。
 笑顔で両親の元に戻っていく女の子が、食べるのがもったいないのかクッキーを掲げたり眺めたりした後で、ぱくぱく食べる姿にエオリアは微笑む。
「ふふ、子供達が両手できゅっと持ってかぶりつく姿が可愛いじゃないですか」
「だね。それじゃこれは貰っていくよ」
 エースは籠を受け取ると、ちょこまかと走り回る子供たちには、喉詰まらせないように座って食べてね、と微笑とお菓子を渡していく。
 大人には紅茶を勿論ティーカップで。それから勿論、女性──どんなに小さくても女の子には──花を一輪添えて。
 そんなカフェのカウンターに、男の子が駆けこんで来た。
「ね、ドーナツまだ? まだ〜?」
「今揚がるからねー。一番に持ってってあげるから、ホールに戻ってていいよ。名前教えて!」
 キッチンの中からは小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の元気な声と一緒に、じゅうじゅうと、あまーい小麦粉のいい香りが漂ってきた。
 美羽はぐるぐるとかき混ぜたタネをスプーンでぽとんぽとん、油に落として……。
 油の中でぷかぷか浮かぶおだんごドーナツを、ささっと菜箸を操ってくるくると形を整えながら全体を揚げていく。そうしてできたドーナツの油を切って……。
「はい、できたー。こっちはお砂糖味、こっちはきなこ味にー」
 丸型にしたのは正解だったようだ。はらぺこの小さな怪獣たちは待っていられない。
「コハク、これ宜しく! 超特急でねっ!」
「うん」
 パートナーのコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)はおっとり頷きながらも素早く受け取ると、ホールに戻っていった。
 さっきの男の子の顔を見付けると、温和な笑顔で紙袋に好きなだけ入れてあげたドーナツを、
「はい、ドーナツは揚げたてがいちばん美味しいんだよ」
 と渡す。
「ありがとうお兄ちゃん! ……わ、あっちーい」
 さっそくはふはふしながら頬張る男の子に自然に笑顔になりながら、あっという間に伸びてくる小さな手。子どもたちにドーナツを配り終えると、コハクはキッチンに戻った。
「良かったね、喜んでくれて」
「そうだね!」
 二人とも本当はただの観光客として乗船したつもりだったけど……、頑張っている百合園の生徒に、何かお手伝いしたいと協力を申し出たのだ。
 忙しそうに額に汗を浮かべる美羽を見てコハクがエプロンを取り上げ、
「僕もまたキッチンに入るよ。えっと、あとどれくらいタネ作ればいいかな?」
「──あの、僕も手伝います」
 流石に二人では大変そうだな、と思ったのだろう。
 東條 梓乃(とうじょう・しの)が美羽たちに声を掛けた。少々遠慮がちなのは新米契約者所以だろうか。
「そう? じゃあお願いしようかな。お礼に君にもあげるね、揚げたての熱々!」
「はい」
 梓乃が美羽から山盛りになったドーナツのお皿を受け取ると、コハクも続けて、
「美羽も忙しいみたいだし……紅茶もお願いしていいかな?」
 かくして梓乃はドーナツと紅茶のデリバリーサービスを開始することになった。お皿の山盛りのドーナツ、紅茶の入ったポットと紙コップを持って、キッチンとホールの間の階段を行ったり来たり。
(これが契約者の仕事だなんて思ってもみなかったけれど……僕は僕に出来ることをしよう)
 きびきびと役目をこなしつつ、ふと、彼はそんなことを思った。
 契約者になってまだ日が浅く、最近少しずつ冒険に出るようになった彼にとっては、プライマリー・シーはその「冒険」の舞台だった。冒険と言えば怪物を倒したりお姫様を救ったり──それほどベタじゃなくても、危険がつきものだ。
 でもこうやって役割を分担して、てきぱきと手分けする様子を見ていたら、何でもいいからしてみたくなっていた。
「ほらドーナツ欲しい人、いるかな?」
「いる! いるー!」
 手を挙げてぴょんぴょん跳ねる子供たちに彼は近づくと、袋に入れてあげる。
 そして自分の分も入れて、『揚げたての熱々』を一口齧って──、
「美味しい。こんなのを考えたり作れるなんて、すごいね」
 子供たちに向かって、思わず出た言葉は本心だった。
 本当は一人っ子だし、小さな子と遊んだことだってない。上手くやれるか少々心配していたのだが、本当の匂いを子供はうまく嗅ぎ分けるものだ。
「うん、美味しいー!」「ねー、これなんか変なカタチ! 犬みたい!」「僕のは怪獣みたい!」「取り替えっこしようよ!」
「ダメ、次はボクの番だよー、押さないでー」「そうよ、抜かしちゃダメよ! ちゃんと、じゅんばんばんよ!」
(女の子は守られなければいけないもの。と思ってたけど、女の子も守られてばかりじゃないんだな。小さなお母さんみたいだ)
 賑やかな反応に、彼もいつしか肩から力が抜けていた。梓乃の手を引っ張る温かい手が怯えないように、と、彼はほんの少し、願った。



 ユルルは話の開始をカフェの客に伝えながら、ステージ前に並べられた椅子に座る、契約者たちの輪の中へ戻った。
 その殆どが観光客として乗船していた契約者たちは、契約者だからと固まるのではなく、自然と他の一般の観光客と一緒に車座になっている。
「それでは皆さんお静かに願いますー! 契約者さんたちのお話のはじまりです!」
 ユルルは、謎に包まれた契約者さんの実態とは? と、誇張を交えて司会を始める(ゆる族の方がよほど謎に包まれていそうなものだったが)。
「それでは一番目の方は──はい、そちらの長い黒髪の方!」
 ユルルが指名したのは、手を軽く挙げていた百合園女学院の教育実習生・宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)だった。
「私にとって初めて出会った魔法は、このパラミタそのものよ」
 それは子供向けに脚色されてはいたが、本心だった。祥子の胸に残る奇跡のような出会いの話だ。
「パラミタがですか?」
 観客の気持ちを代弁するようにユルルが問えば、
「パラミタが出現する前の地球には魔法も機晶技術もなかった。星の海に行く術もなく探検する場所も残っていない」
 本当は魔法は細々と有り、機晶技術も残されていたのだろうけれど。彼女の周りにはなく、勿論宇宙飛行士でもなく、自由に宇宙を飛び回れるわけでもなかった。
「地球は広いけど籠の中の鳥のような……実際にそんな生活をしてた。そしてある日、2つの世界が重なり、私はパラミタに出会った」
 彼女の目はここにあって、遠くを見ているようだった。
「あそこは籠の外かも知れない。自由があるかもしれない。そう感じて……家出した。うん。私は家出娘。何もかも捨ててパラミタへきて何もないけど自由な生活を始めた」
 さっぱりと言う祥子に、子供たちは首を傾げて質問する。
「それがお姉ちゃんの魔法なの?」
「へんなの、パラミタなんてどこも不思議じゃないよ。地球の方が不思議だよ」
 祥子は笑って聞き返す。
「地球のどこが不思議かしら?」
「だって新幹線がいっぱいあるんでしょ?」「空京が地球っぽいって聞いたことあるよ、あんな高くて硝子いっぱいの建物なんて、すっげー珍しいもん」
 口々に好き勝手を言う子供たち。それらにひとつひとつ頷きながら、彼女は指を横に振った。
「多くの人に巡りあってパートナーにも恵まれたその魔法は今でも続いてる。自由はちょっぴり減ったけど、そんなこと気にならないくらいの毎日がここにはあるのよ」
 全ての始まりと切っ掛けの魔法が彼女にとってはパラミタだった、と言えるかもしれない。

「地球にも魔法はあるわよ。私のママは東洋の魔法使いで……私もある理由があって……魔法使いになりたいって思ってたの」
 次に手を挙げたのは夫と共に観光に来ていた遠野 歌菜(とおの・かな)だった。
「けど、ママには反対されて……魔法の先生はママからくすねた魔導書一冊だけ。だから、全然魔法が使えるようにならなかった」
 パラミタと地球が繋がる前後では、地球にある魔法が弱かったということもあるかもしれないけれど……、彼女は代々魔法使いの家系の出身なのだ。
「でもね……最初のパートナーに出会って、その日から、私は魔法使いになれたんだ」
 歌菜は彼女の横に黙して座っている月崎 羽純(つきざき・はすみ)の方を気にして一瞥してから、
「はじめての魔法は“禁猟区”。パートナーから契約で貰った力。
 それからね、イルミンに入学して、まずは騎士として力を磨く事を選んだから……自力で魔法を覚えるまでは少し時間が掛かっちゃったんだ」
 歌菜はそう言ってすっと立ち上がると、
「今は魔法少女アイドルとして、魔法で愛と夢をお届け! “アルティメットフォーム”で変身です☆」
 くるりと回って右の指先をぴしっと前に向け、左腕を右腕に組んで、即席の決めポーズをしてみせる。
 おおーっと観客から声が上がると、えへへ、と照れたように笑って、歌菜は着席した。
 羽純は彼女が注目を浴びたのを、整った顔に何か言いたげな表情を浮かべつつ、歌菜の期待が込められた瞳に訊ねてみた。
「……俺か?」
「うん、次は羽純くんの番だよ」
 屈託のない妻に促されて羽純はゆっくりと口を開いた。
「……俺は、そうだな……俺は物心付いた時から、光条兵器と共にあった。これは……俺自身のようなものだ」
 彼が掌から抜き出した光り輝く槍に観客たちの視線が集中する。
「歌菜と初めて会った時、光条兵器を出して見せたら……」
 彼は話しながら、その時のことを思い出した。
 光が顔を照らすように、ぱあっと明るくなる彼女の顔と弾む声は、はっきりと覚えている。
『すごい綺麗っ 手品みたいっ』
『剣の花嫁さんが、体内から光条兵器を出すのは知ってたし見た事もあったけど……間近で見ると……こんなに綺麗なんだね』
「子供みたいな反応だった」
 思わず羽純の口から笑い声がこぼれた。
 自分自身についてあれこれ考えていたことが、危険な存在だと封印までされていたことが、そんな純粋な好奇心旺盛な瞳に馬鹿らしいとさえ一瞬思ってしまうほどだった。
「で、だ……俺もこの力……悪くないのかもしれないって、思えた。それまで悪いと思っていたかと言えば……そうだな、悪くはない。この力で守れたものも少なくないからな」

「俺は空京大学で民俗学を学んでいる。ジャタの森のある獣人族の薬師も勤めている縁で、こういった方面の話を集めているのだが……」
 無愛想に、白砂 司(しらすな・つかさ)がパートナーを目で示した。
「この三毛猫が何やら話をしてくれるそうだ」
「ん?」
 パラミタ内海で獲れたたこのわさび和え的なものを摘まんでいたサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)は、司の厳しい目つき(といってもこれは生まれつきで、わざとではないのだが)を見て、
「さっさと飲み込め」
「んっ」
 自分の番かと慌ててそれを飲み込むと、ひょいと乾燥したひょうたんを指先で取り上げて咳ばらいをした。
「えへへ、皆さん失礼しました。
 えー。これはパラミタの各学校の購買でもときおり見かける『知恵のヒョウタン』というものです。獣人の古老の知識が詰められており、獣人に不思議と知識を与えてくれるという。
 しかし、その製法は謎に包まれ、中に何が入っているのかは誰も知らないのです」
 そうして神妙な顔になる。元々真面目そうな顔立ちなために雰囲気があって、一同彼女の顔とヒョウタンに注視した。
 サクラコは老人の昔話の語り口調を真似てゆっくりと話し始める。
「その昔、ジャタの森のあるところに獣人の少女がいました。
 彼女は好奇心が旺盛だったために、こっそり知恵のヒョウタンを持ち出し、無理矢理その栓を壊して抜いてしまった。
 するとどうでしょう、ヒョウタンの口から知恵が湧き水のように吹き出し、少女を包み込むと、こう言ったのです──
 「知恵なき好奇心の少女よ、私は解き放たれた」
 すると、なんと少女の魂はヒョウタンの中に吸い込まれていきました。一方、溢れた知恵は少女の身体を借り、彼女になりかわりました。

 ──知恵のヒョウタンに詰まっていたのは『好奇心』という魔物。少女はそれを不用意に解き放ったため、取り込まれてしまったのです。
 哀れ、少女の魂はヒョウタンの中に閉じ込められてしまいました。
 解き放たれた『好奇心』はヒョウタンに更なる知恵を注ぎ込むため、それから多くの書物や見聞を求め、知的に暮らしていったそうです」
 ごくり。しん、と静かになったホールの中に、誰かが息を呑む音。
「その後、獣人の少女がどうなってしまったのか、ヒョウタンの中に今は何が入っているのか、それを知るものは誰もいません」
 ……ほう、とため息をついて感心している観客たち。
 だが今まで彼女からは勿論文献からも聞いたことも見たこともない話に、司がサクラコの方を見れば、
「サクラコ、その話なんだがやはり……」
「ん? ホントのことなわけないじゃないですか、やだなあ」
 小さい声で言って、彼女はもう新しいたこわさのお皿に手を伸ばしていた。