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リアクション
平和だった。
とてもここと地続きにある別の場所で生死を賭けた戦いが繰り広げられているとは思えないほど、ここは人々の笑顔に満ちていた。
見るともなし、周囲の様子を視界に入れながらパイを食していたら、膝元の空の紙コップが持ち上げられた。
「おかわりをおつぎしますね」
九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)がステンレスポットからアイスティーをつぐ。そのまま自分の紙コップにもそそいで、ポットを給仕に返した。
「お疲れですか?」
「少しね。でも、おろそかにはできないことだから」
地上へ移住する魔族の選定。第1陣が指標になる。その重要さはジェライザにも分かった。
カラン、と紙コップの中で小さな氷がぶつかる。
「……ロノウェ様、地上に作るという魔族の街ですが……大勢の魔族が永久的に住むとなると、診療所が必要ですよね」
「あなたがしたいの?」
「どうでしょうか?」
ロノウェは少し考え込む。街とする以上、必要な施設に診療所は入る。しかし。
「魔族を診るのだから、配置する薬師は当然魔族よ」
その返答に、ジェライザの面が少し曇る。
「でも、だからといって人間の薬師がなれないわけではないわ。魔族の街だけれど人間だって訪れるでしょうし、いずれはそこに住みたいと申請すれば人間も住めるようにしたいと考えているの。
ただ、開業したいというのであれば試験を受けてもらわないと認可できないわね。あなたにその気概はある?」
「のぞむところです」
先の展望が決して暗くないことを知って、ジェライザの表情が輝き始める。
ザナドゥの試験を通って魔族を診る認可医になる。医師として、また1つ目標ができた。
「ねえロノウェ様。今の私はからっぽに見えますか?」
「……今は、私の方こそからっぽのような気分よ。前例のない、何もかもが手探りの中でただ人間を信じるしかないなんて、初めてのことだもの」
応えたのは、ジェライザを挟んで反対側で食事をとっていたシン・クーリッジ(しん・くーりっじ)だった。
「オレも、こいつと契約したばっかりのころはちょっとそんな感じでしたよ。人間を信じるっていうのは不思議な気分です。でも、こういうのも悪くないと思いませんか? 人間ってのは、見てるだけで楽しいし」
そして、ポンポンとロノウェの膝の上にてのひらで包み込めるサイズの楕円形の、銀紙に包まれた物を数個乗せる。
「これは?」
甘い香りがする。お菓子だ。
「差し入れです。地上の食べ物ですよ。食後のデザートにどうですか? なかなかおいしいですよ」
と、ジェライザがじーっと見つめていることに気付いたシンの顔が、カッと赤く上気した。
「なんだよ? べ、べつにこんなの、たいしたことじゃねーだろっ」
「ふぅん?」
くすくす笑いが口をついた。ま、そういうことにしておこうか、と言うも同然のその姿に、ますますシンの顔が赤くなる。
伝染するくすくす笑い。
「なんだよ? だから、何だってんだよ? みんなおかしーぞ!」
みんなが笑っている理由が分からず、1人不思議な思いで眺めていたロノウェに、いつの間にそこにいたのか、隣から神崎 優(かんざき・ゆう)が話しかけた。
「ロノウェ。あなたはからっぽなんかじゃないと俺は思う。でももしあなたはそう思うんだったら、それは、俺たちを受け入れるスペースが自分の中にできたと思えばいいんだ。
俺たちはあなたに、ともに手を取り合う道を示したにすぎない。だからと言って、それ以降何もしなければ今までと何も変わらない。だからあなたに道を示した1人として、そしてあなたとともに手を取り合い人間と魔族のために行動する者として、そのスペースを埋める手伝いをさせてほしい」
この、人と魔族の間にできた、まだまだ細くて頼りない道を守り、途切れさせないためにも。
「俺は、あなたとあなたの想いを護りたい。今、ここにいて、心からそう思うんだ」
「あなた……」
優はそっとロノウェの手をとった。
人間たちの笑いに包まれた席で。
ロノウェは黙ってされるままになっていた。
そしてその光景を、少し離れた木の下で笹野 冬月(ささの・ふゆつき)は見ていた。
冬月は、東カナン領主が最初に望んでいたであろう――そしておそらくは、今もまだ捨てきれずにいるのだろう――魔族と分かり合うということを、一番実現させられそうなのがロノウェであると思って、彼女に会いに来たのだった。できればそのことについてロノウェと話し、お願いしたいと……。
だが今は、そうするまでもない気がしていた。
東カナン領主が望んだ光景が、今ここにある。人と魔族が同じ場で屈託なくすごし、たわいないことで笑い合っている。
(見せてやりたかったな……あのひとに)
胸に浮かんだバァルの姿に、ぽつんと、そんなことを思った。
「下の人たち、楽しそうね」
城の屋根に腰かけて下を見下ろしながら、ミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)がつぶやいた。
「まざってきますか?」
やはり、屋根飾りの1つにもたれたレティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)が応える。
「レティも? そうする?」
「あちきはここで十分。あちきはもしもに備えてここに来ているだけですからねぇ」
なら、自分の居場所もここだ。
ミスティは自分のした考えに頷いて、屋根の端から足をぷらぷらさせる。
だが、まさにこのとき。
この地を訪れただれもが警戒し、そしてその警戒を薄れさせた瞬間に、それは起きた。
巨大な爆発音がロンウェルの街で起きた。
少し遅れて爆風が通りすぎる。
「なに!?」
だれもが動きを止め、身を固くして音と風のきた方を向いた。
2度3度と続く爆発と崩落音に、レティシアとミスティが互いを見てうなずきあい、屋根を跳んで離れる。
「一体何事なの?」
ロノウェが立ち上がった。翔含む数人の使用人がロノウェの元へ駆け寄る。
「火災事故かもしれません。今確認の者を向かわせています。情報がそろうまでもう少々お待ちください」
一気に騒然となる中。
だれも、ヨミの禁猟区やディテクトエビルが反応したことに気付かなかった。
全員の意識がなぞの爆発へと集中した、一瞬の隙をついて暗い影が場を横切る。
「あっ、ヨミ!!」
夜魅が伸ばした手の先で、ヨミが影にさらわれた。
「みんな、動くな!!」
地面にヨミを押しつけ、その背に膝で乗り上げることで自由を奪ったラグナ・レギンレイヴ(らぐな・れぎんれいぶ)が、声高に言い放つ。
手には前もってブーツからはずしておいたヴァルキリーの脚刀が握られ、ぴたりとヨミの頸動脈に押しあてられている。
「おまえらが動いたと俺が判断した時点でヨミを殺す! いいな!」
その宣言に、全員動くのをやめた。息すらひそめられ、しんと静まり返ったことに満足して、ラグナがうなずく。
「よし。
俺が用があるのはロノウェ、きさまだけだ。このガキには何のうらみもない。だから、おまえが俺の言うことをきいたらすぐに放してやる」
「……何が望みなの」
「おまえが死ぬこと。何者にも二度と復活させられない方法で、自ら死ね!」
ラグナはロノウェが苦悩しているのを見てとり、あざ笑う。自分こそ清廉潔白な者であると言わんばかりの優等生面をしたクソ生意気な女にあの表情を浮かべさせたのが自分だと思うと、痛快だった。
ロノウェはラグナとの距離を目測した。おそらく彼女がヨミの首を掻き切るより早く、彼女の首の骨をへし折ることができるだろう。だが彼女はただの地上人ではない。そのことがロノウェをためらわせた。この襲撃に彼女がどんな用意をしてきているか分からない。そんな状態でヨミの命をかけることはできないと。
それが裏目に出た。ヨミの肩に脚刀が突き立てられたのだ。
「ああああっ……!!」
ヨミの口から悲鳴がほとばしった。
「ヨミ!!」
「ためらってるからだ。いいか? 10数える間にやれ。さもないとこいつの体、1箇所ずつバラすぜ?」
脚刀を引き抜こうと下を向いたときだった。
突然、近距離から何か黒いものがラグナの視界をおおった。ほぼ同時にガツンと顔面に衝撃が走る。そのまま後ろに押され、後頭部を勢いよく地面にたたきつけられた。
「……まいっちゃうなぁ。最近護衛ばっかりだなー、今日も何もないのかなー、とか思ってた矢先に、あんた来るんだもん」
どこか楽しげな響きをした少年の声が耳元近くでする。
顔をわし掴んだ指の隙間からラグナに仰ぎ見ることができたのは、してやったりとの愉悦の笑みを浮かべたマッシュ・ザ・ペトリファイアー(まっしゅ・ざぺとりふぁいあー)だった。
その両手には、影にひそむことができる黒影がまとわりついている。
「にしても、あんたいい度胸だよねー。この面子の中に1人で飛び込んでくるなんてさ」
「きさま!!」
「おっと。動いちゃ駄目だよー。じゃないと、石化して粉々に砕いてやるよ? したくてうずうずしてるんだから。あ、でもこれって、あんたが言ってた「何者にも二度と復活させられない方法」だよねぇ」
その言葉に、ラグナはぴたりともがくのをやめた。あきらめたわけではない。頭の中で逃走手段を探す。力ずくは無理だ。ひっくり返され、馬乗りされた状態では体勢が悪い。銃を抜く前に石化されてしまうだろう。――しびれ粉を使うか?
そのとき、マッシュの視線が後ろで回復魔法を受けているヨミへと流れた。
ためらっている暇はない。ラグナはしびれ粉をマッシュにぶつけた。
「わぷっ!」
至近距離から受けたマッシュは瞬時に脱力する。身をねじって彼を落とすと、ブラックコートと隠れ身で闇にまぎれようとしたのだが。
立ち上がる前に、彼女の逃亡は阻止された。アルテミシアの銃口が額に押しつけられる。
「BAN!」
とがらせた口元で、アルテミシアがつぶやいた。