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第10章 猫カフェと猫喫茶


 しおりを左手に、ペンを右手に、教導団のメイドナナ・マキャフリー(なな・まきゃふりー)はてくてくと茶色い石畳を歩く。いつも頭に乗っけている愛猫ミケは今日はお休み。
(街のどこかに猫カフェがあるとの噂を耳にしました。メイドとしてカフェで働き、時には息抜きをしながら猫と過ごせるなどと……なんという夢空間でしょう。そのような理想郷、探し出して行くしかないのです)
 ついにやける顔をぺしぺし叩いて戻しながら──とはいっても口元が数ミリ緩むか緩まないかで、他人には無表情にしか見えなかった──自然に小走りになる。首にかけた、ミルキークォーツ製の猫型ペンダントが揺れる。
 白百合会の伊藤春佳に訊ねたところ、住宅街の中にあるというのだが……。
「本屋さんの角を曲がって三つ目の通り……ありました!」
 変哲のない家が並ぶ中、道に猫型のスタンドが建っていた。教えて貰った店名が書いてある、間違いない。
「こんにちは……」
 扉を押し開けると、からん、と扉上部に付いた鈴が鳴った。その音に、レジに座っていた女性が立ち上がっる。
「いらっしゃいませ。当店は初めてでいらっしゃいますか?」
「はい。……あの、給仕をお手伝いしたいのです」
 ──数分後。
 ナナは膝掛け部分が猫型になったエプロンを締めて、一日スタッフになっていた。ナナ・マキャフリーを知る者なら、その姿に大いに驚いたことだろう。
 何に? 彼女が笑顔を浮かべていることに。
「いらっしゃいませ……猫カフェ<鍵しっぽ>へようこそ!」
 スタッフには笑顔が大事、そう店長に言われてナナは数分の間、努力に努力を重ねて笑顔をつくってみせたのだ。普段表情があまり表に出ないから、ちょっと筋肉痛になりそうな気がしないでもないけれど、とにかくお店が終われば、
「……お猫様をもふもふ……」
「済みません、パラミタブレンドふたつ」
「……は、はいっ、かしこまりました!」
 窓際のソファで、クロト・ブラックウイング(くろと・ぶらっくういんぐ)は届いた珈琲をすすりながら、冷めるよとパートナーオルカ・ブラドニク(おるか・ぶらどにく)に声をかける。
「ん、うん、……ん? 何クロト?」
「珈琲が冷めてしまうよ」
「ごめんごめん。つい夢中になっちゃって……」
 ドラゴニュートであるオルカのトサカ?が珍しいのか、彼の頭にも尻尾にも猫がじゃれついている。尻尾をゆらゆら揺らせば、頭に乗っていた猫もすたんとカーペットの上に降りて、ソファから垂れる尻尾を猫パンチし始めた。
「あっちにここっちにもにゃんこがいっぱいだぁ〜」
「オルカの喜んでいる姿が見れて何よりだな。……そちらも猫がお好きなんですか?」
 クロトが声をかけたのは、近くの一人掛けソファにじっと俯いて座っているアーガス・シルバ(あーがす・しるば)。普段より丁寧に声をかけたのは、クロトが十代ならもっとずっと年上、おじいちゃんに見えたからだ。
「む……むぅ」
 アーガスはオルカの尻尾を真似て、おそるおそる動かしていた尻尾をぴたりと止めた。じゃれていた猫がつまらなそうな顔でアーガスを見上げる。
「我輩が……ね、猫が好きなどと……」
「そうそう、ここの猫おやつは一日五食限定だそうですよ。まだ残ってるといいんですが……なぁオルカ」
「うん、後で忘れないように頼まなきゃ」
「では、失礼しました」
 にこりとクロトは微笑んだ。素直になれないツンデレ老人(老け顔で、実際にはまだ初老といったところだったのだが)にわざわざ突っ込むのも無粋だろう。
 実はこの時、クロトと同じように考えていたのはアーガスのパートナー二人だった。
「お茶を貰って来てやったぞ」
 腰が曲がった白髪の蒼空学園生グラン・アインシュベルト(ぐらん・あいんしゅべると)は、猫カフェの外に佇むオウガ・ゴルディアス(おうが・ごるでぃあす)にコーヒーカップを渡した。
「う……うむぅ」
「猫が苦手じゃからといって、猫の形まで嫌うことはなかろう?」
「そ、そうでござるな。しかし……拙者、猫は雷の次に苦手なんでござる……」
 オウガは猫のイラストが付いたカップを仕方なく受け取る。
 グランはそのままアーガスの向かいの席に腰掛けた。席を外している間に、テーブルには猫おやつセットが置いてある。おやつセットの中身は、いわゆるキャットフードに焼いた鶏ササミとカツオ。
 おやつは猫の大好物。人気者になれる必殺アイテムだ。別の椅子で柊 美鈴(ひいらぎ・みすず)がおずおずと掌にササミを乗せると、猫がだーっと走ってきて群がった。
「急がないで順番にね?……ダメですわそちらは」
 おやつに突進する猫、取ろうとしたところを横からかっさらわれて、呆然としている猫。全員に平等におやつをあげようとするが、黒地に蝶の模様が入った着物の袖を引いて引っかからないようにするだけで精一杯だ。隣を見れば、おやつをあげなくとも猫にまみれている榊 花梨(さかき・かりん)がいる。
 美鈴はにっこり笑って、
「本当に、花梨様は……猫好きですねえ……猫好きな人って……よってくるんですよ」
「もふもふ〜肉球〜」
 榊 花梨(さかき・かりん)は紅いチェック模様のミニスカートの膝に猫を乗せ、耳裏や肉球をくすぐりながらご満悦だ。
「おや、猫が沢山寄ってきましたね……花梨嬉しそうですね? 本当に猫好きなんですから」
 二人のパートナー神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)は二人を眺めながらアイスコーヒーに刺さったストローに口を付ける。今日の彼は茶色のGジャンに黒のジーンズ姿だ。
「でも、やっぱり」
 花梨はこそっと声を低め、
「うちの黒猫のリンちゃんの方が可愛いかも……でも満足〜」
「そうですか……ですがそろそろ疲れていませんか? 早く帰りましょうか? 待っている人もいますし」
 翡翠の提案に二人も頷く。支払いをしようと翡翠がレジの前に立つと、猫が目に入った。レジの乗ったカウンターには細々とした猫グッズが見本として置いてあったのだ。実際に店で使用しているカップやポット、コースターに絵はがきまで。そのうちの一つを翡翠は手に取った。
 それは磁器製のオルゴールで、リボン模様のティーカップの中に、入った仔猫が、ちょこんと縁から顔を出している。
「可愛らしいオルゴールでしょう? 色もピンクとブルー、二色ありますよ」
「では、一つずつもらえますか? あ〜プレゼント包装で」
 店員は手早く透明な袋にリボンで包む。それを受け取るなり、彼は振り向き、ぽんと二人の掌に乗せた。
「あたしに? ありがとう。えへへ、もらっちゃた。嬉しいな」
「私に? ありがとうございます……花梨様とお揃いですね」
「二人とも……今日の記念ですよ」
 パートナーの笑顔を嬉しく思いながら、翡翠は微笑むのだった。


 住宅街の北端、閑静な住宅が立ち並ぶ中に、その薄茶色の中規模マンションはある。
 変哲のない古いこのマンションの前を歩くのは周囲の住人だけで、その住人達もそこには気付かない。たまたま見上げることがあっても、ああ、アルターナがあるな、昔は高級マンションだったのか、と思うだけだろう。
 アルターナとは、屋上に設けられた屋上テラスや物見台に相当する。
 だがそのアルターナ目指して、ソフィア・リースレット(そふぃあ・りーすれっと)モファーレ・ファー(もふぁーれ・ふぁー)を抱えて階段を登っていた。契約者でなければ、ちょっと息が切れそうな高さだ。しかしひとたび外に出れば、眺めに疲れなど吹き飛んでしまうだろう。
 煉瓦色の屋根の住宅街を見下ろして、上には透き通るような青空を抱えて、その喫茶店は建っていた。<高台のカフェ>と、わずかな利用客に呼ばれる喫茶店だ。本当は別の名前があったのだが、客に呼ばれるうちに、今ではそれが正式名称になっていた。
「……ここも猫カフェですか? このような処にあるとは、意外ですわね」
 白百合会の副会長井上桃子(いのうえ・ももこ)が目を丸くする。
「猫さんがおもてなしするのは確かだから、そうとも言えるかもしれないわね」
 ソフィアはくすくす笑った。乳白金の髪が気持ちの良い風になびいてきらきら光る。
「──実はね、マスターさんの趣味なのよ。“見晴らしの良いカフェを開いて、お客様と一緒に飲み物片手に他愛も無いお話をしたいのですよ”そう、言っていたの」
 彼女が詳しいのは、彼女自身がこの住宅街に住んでいる住人の一人だからだ。
「確かにマンションの上なら充分見晴らしがいいですけれど、何故こんな処に?」
「繁華街だと少し騒がしいし、もう空いている場所も少なくてその少ない所さえも、場所を借りるだけでお金が掛かっちゃうのね……でも、マスターさんは諦めなかったの。彼が住んでいるマンションの管理人さんと話し合って、屋上を借りたのよ。条件は毎朝に一杯の珈琲をご馳走する、って事♪ そういうのって、とても素適よね」
 マンションの屋上という割に、殺風景さはない。屋上のへりにはラティスフェンスや植木鉢がところどころに置いてあり、絡んだ植物が茶色の風景に彩りを添えていた。
「こんにちは、マスターさん」
 ソフィアが扉を押し開くと、カウンターの向こうでグラスを磨いていた男性が顔を上げた。年の頃は二十少しくらいだろうか、ちょっと細身で頼りないくらいひょろっとした男性である。
「やあいらっしゃい。今日は珍しくお客様連れだね」
「そちらこそ、今日は珍しくお客様でいっぱいね」
 立地条件が悪いにもかかわらず、4つあるテーブル席もカウンター席もお客でほとんど埋まっている。
「お手伝いするわ。井上さんにファモーレは……オムライスでいいかしら?」
 ファモーレはソフィアの腕の中でにゃーと猫の声で鳴くと空いているカウンターに早速座る。
 マスターはファモーレの左隣に座って昼から酒の入ったグラスを傾ける男に頭を下げた。
「すみませんスミスさん、そちらに席をずれていただけませんか?」
「はいよ。お嬢ちゃんどうぞ」
「ありがとうございます」
 桃子は丸椅子に大人しく座って、オムライスが出てくるのを待った。ここから見える厨房では、猫の着ぐるみをきたゆる族がフライパンを振るっている。辺りに視線をやれば、ウェイター(ウェイトレス?)も皆猫のゆる族だ。
「私とファモーレはここの常連なのよ。木曜定休で、それ以外だと雨の日がお休み。これ、観光ガイドによろしくね」
 しばらくして、エプロンを締めたソフィアは出来上がったオムライスをカウンターの上に乗せる。
 ケチャップをたっぷりかけたそれをファモーレはがっついた。
「にゃにゃみゃーみゃ」
「美味しいって言ってんのかね」
 客の男がファモーレの頭をなでる。
 ……顔を上げたファモーレの口の周りは真っ赤に染まっていて、カウンターには笑いが広がった。