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第2章 陽のあたりすぎる場所

 右の岩場、海岸近く。
 打ち寄せる小波ギリギリの所に神和 瀬織(かんなぎ・せお)がしゃがみこんでいた。
 小さな岩、大きな岩がゴツゴツとぶつかりあい、潮溜まりがそこここにある。岩にへばりつくようにしてタコもわずかにいたが、目に見えているので怖くはない。
「瀬織、気をつけて。カニを狙って擬態してるやつもいるからね」
「はーい」
 前方、波しぶきを立てる大きめの岩の上に座った神和 綺人(かんなぎ・あやと)からの注意に、元気よく返事は返したが、瀬織の目は足元のカニに釘付けだ。
 白いハサミを一生懸命持ち上げて、瀬織を威嚇している。
「カニさん、つんつん」
 指先でハサミの先端をつっついてみた。パチン、と閉じられるハサミ。瀬織の指先を敵と見なしたか、懸命にはさもうとハサミを近づけてくるが、ハサミに対して瀬織の指は大きすぎて、はさめない。
「ふふっ」
「瀬織、それも捕まえるの?」
 後ろで待機していたバケツ係のユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)が、瀬織の分のスコップを手に訊く。
 瀬織は立ち上がり、くるんと振り向いて答えた。
「ううん。こんな小さなカニさんだもの、きっとタコさんだって食べないわ」
 その答えに、ユーリは苦笑する。
 このカニは小さい、このカニは卵を抱いている、このカニは……etc。瀬織はカニを見つけるたびに、何かと理由を付けて捕まえるのを拒否していた。そのため、彼の持っているバケツには、ユーリや綺人が最初に捕まえたカニ数匹しか入っていない。
 そうと気づいた綺人も早々にカニを取るのは切り上げて、休憩とばかりに岩の上に腰を落ち着け、ときたま瀬織にカニの居場所を教えてあげている。
 綺人とてせっかく海へ遊びに来たのに入れないのは残念だが、瀬織が楽しめているならそれで十分なのだ。もちろんそれはユーリもである。
 ただ1人、未練を捨てきれないでいたのは…。
「ちょっとアヤ! 少しは手伝ってよ」
 瀬織やユーリのいる砂浜とは反対側、内海側でクリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)がスコップを手に立っていた。
 スコップには、雷術を受けて気絶しているタコが乗っている。
「ごめんごめん」
 綺人の差し出すバケツにグッタリとしたタコを入れ、クリスはぷんすかむくれながら次のタコを探して岩場に目を配る。
(せっかくアヤとのデートだっていうのに。すっごくきれいな場所で、最高にロマンチックな場所だって聞いたから、ここにしたのに。タコさんに占領されてるなんて、最悪!
 学園のプールとは違うんだから。エメラルドグリーンの波が打ち寄せる海辺、サラサラの白い砂浜。気持ちいい波の下でたわむれながら、開放感に促されるまま濡れた素肌で触れたり触れられたり、まさぐりあったりできる場所なんだから。周りに人がいたって、恋人同士なら何をしても大抵のことは許されるという、すばらしい場所なのよ! なのに、タコ! よりによってタコ! ロマンチックがぶち壊しじゃないの!
 ああ! アヤと2人、あーんなことやこーんなことをしようと、ゆうべお風呂で3時間かけていろんな手入れをして磨きをかけた、この努力をどうしてくれるのよ!)
「えいっ! えいっ!」
 出力を絞った雷術で、足元の岩に張りついていたタコを八つ当たり気味に次々と痺れさせるクリス。ちょっと強すぎて、死んでしまったタコもいるかもしれないが、そんなことはどうでもいいのだ。もはやタコは彼女の敵、いや、愛し合う2人の敵なのだから。
 そんな彼女の後ろ姿を、実のところ綺人は「かわいいなぁ」と思って見ていたりしたのだが。
 もしも今、クリスの心の中で自分がどういう扱いを受けているか知ったなら、とても笑ってはいられなかっただろう。
「るるるんっ」
 歌うようなその声に、綺人の注意が浜の方へと引き戻される。
 パーカーの裾を翻し、サンダルのつま先で軽々と石の上を渡っていく瀬織。岩は波で濡れているし、その足元にはタコもいる。見ている側はちょっとハラハラするが、瀬織本人は結構余裕だ。
「あ、このカニさん、イソギンチャク食べてる。イソギンチャク、だよね? これ」
「そうだよ。そのカニを捕まえるの?」
「ううん。だってお食事中だもの。邪魔しちゃ駄目よ」
 口元を手で隠し、懸命に声を殺して笑っているユーリのバケツに、そのときゴロゴロと氷の塊が幾つか放り込まれた。
「ほい、これをおまえさんらにやろうかの」
 グラン・アインシュベルト(ぐらん・あいんしゅべると)が、バケツを片手ににこにこ笑って立っていた。普段と違い、Tシャツにハーフパンツと薄着姿の彼は、とても50を越えているとは思えない、薄い筋肉に覆われた肉体をしている。……残念ながら、面は完全に歳より老け顔だったが。
「あ、ありがとうございます」
「わー、カニさんが氷づけになってる」
 バケツを覗き込んだ瀬織が、氷塊の1つを持ち上げる。それは、キンキンに凍りついたカニだった。
「おじいさんが取ったんですか?」
 ピキ。
 禁句を耳にしたグランのこめかみが引きつる。だがしかし、こんな小さな子を相手に怒るのは、あまりに大人気ない。
「わしはグランと言うんじゃよ、瀬織ちゃん」
「わたくしの名前…?」
「さっき、岩の上の若者がそう呼んどったじゃろ」
「あ、そうですね」
 納得した瀬織は、グランの横から見える綺人をチラ見する。綺人も瀬織たちを見ていたが、警戒している様子は全くない。悪い人ではないのだろう。
「グランさんはお1人なんですか?」
「いんや。カニを取っとるのがわしというだけで……ほい、あそこでタコを取っとるのがわしの連れどもじゃよ」
 グランの指差した先では、ドラゴニュートのアーガス・シルバ(あーがす・しるば)と獣人のオウガ・ゴルディアス(おうが・ごるでぃあす)が、ふくらはぎの中ほどまで海に入って、近くの水の中に小さな雷を放ったり、何か粉のような物を海面にふりかけたりしていた。
 痺れてぷかっと浮いたタコを捕獲している。
 目立つ2人だった。最初から海に入るつもりはなかったのか、どちらも普段着のままだ。
「このカニ、いいんですか?」
 と、ユーリがためらいがちに訊く。
「なに、そろそろあの2人の取ったタコを入れんといかんからの。バケツが空いて、わしの方も助かるよ」
「そうですか。
 瀬織、きみからももう一度お礼を――」
 瀬織を見て、ユーリの言葉がぷつりと止まる。
 瀬織は、凍ったカニを両手に1つずつ持ち、小さな潮溜まりの中のタコに向かってニタニタ笑っていた。
 にこにこ、ではない。ニタニタ、である。
 瀬織らしくない。
「瀬織?」
「えーい、爆撃だー」
 ドコン、ドコン。
 凍ったカニをタコに向かって投げつける。
 ニタニタが、ケラケラになっていた。
「せ、瀬織…?」
「瀬織ちゃん?」
 カラになった瀬織の両手がバケツに入り、凍ったカニを掴み取ると、岩のタコにぐいぐい押しつけた。
「ほーらごはんよ。どうしたの? 大好物なんでしょ、あげるから食べなさいよぉ」
 その姿に、ユーリは何も言葉が続かなくなってしまった。
「――クリス、なんだかユーリたちが変だよ?」
 ユーリの背中が硬直したのを見て、綺人は立ち上がった。
 ユーリとグランの体に隠れて瀬織はサンダルしか見えない。
「瀬織がどうかしたのかな? ねぇクリス……クリス?」
 返事がないことをいぶかしんで、綺人はクリスがいるはずの岩場を見た。数分前に見たとき、そこにしゃがみこんでいたはずのクリスは既にそこにいなかった。なんと、太もも近くまで海に入ってしまっているではないか!
「なっ、クリス! 駄目だよ、戻って!」
 慌てて追いかける綺人を振り返ったクリスは大粒の涙をためた目で睨んだ。
「なぜとめるの? タコは敵なのよ! 私たち2人の仲を裂こうとする、卑劣な悪魔なんだから!」
「は? クリス?」
「私、こんなに頑張ってるのに! タコの味方をする綺人なんてだいっきらい!」
 がしっ。クリスの両手がパーカーの襟元をわし掴みにしたと思った次の瞬間、体がグルッと半回転する。
「えっ?」
 ジャーマンスープレックス!
 綺人がそうと気づいたときにはもう、2人は揃って海に頭から突っ込んでいた。
「!!!!!!!!!!」←海中でタコに咬まれたがゆえの、声にならない悲鳴。
「! 綺人っ?」
 ザップーンと重いものが飛び込む音を聞いて、ユーリの硬直が解ける。
 振り返った先、そこには、しこたま海水を飲んでぷっかり仰向けに浮かんだ綺人とクリスの姿があった。
「なんと!」
 絶句するグランのTシャツの袖が、つんつん引っ張られる。
「ユーリ、グランおじいちゃん、これあげるね」
 にっこり、天使の笑顔で出されたものだから、つい、反射的に受け取ってしまう。
 それは、瀬織にさんざんいたぶられ、激怒しきったタコだった。
「うわーーーーーーっ!」
「ぎゃあーっ!」
 咬まれた激痛に身をよじる2人は、今いるのが足場の悪い岩場であることを完全に失念していた。
 つるっと足をすべらせ、後頭部に岩をぶつける。
「くすくすっ。
 ターコターコターコさん、ターコさんさんっ」
「何事でござるか、グラン殿」
 騒ぎを聞きつけたアーガスとオウガが駆けつけたとき、気絶した2人の顔の上で、瀬織は楽しげにタコタワーを作っていた。
「こ、これは一体…?」
 とまどう2人の顔面に、ひんやりぬるぬるしたタコが次々とヒットする。慌てて引き剥がそうとするが、噛み付くタコの方が早かった。
 目鼻口をふさがれたまま2人は悶絶し、ばったりその場に倒れて、グランに何があったかを追体験して知ることになったのである。
「ふふっ」
 むんずとタコの頭を掴んだ瀬織は、新たに2つのタコタワーを作り始めた。


「おや? 何か向こうであったみたいだな」
 ビーチパラソルの下、くつろいでいた樹月 刀真(きづき・とうま)が騒動を聞きつけてそちらに体を向ける。
 距離がありすぎて、何が起きたかは判然としない。
「んっ…」
 彼動きに反応して、膝枕で寝ていた漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)が身じろぎをする。
 目を覚ますことなく、すう……と再び眠りにおちる月夜を見て、刀真は元の姿勢に戻った。
 月夜を起こしてまで優先することはない。
 彼は、再び読みかけの本のページを開いた。