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今年最後の夏祭り。

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今年最後の夏祭り。
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第六章 それぞれに夜は訪れ。? 〜人形師の工房にて〜


 人形師であるリンス・レイスの作る人形には、魂が宿る。
 その人形、クロエとちょっとした縁があったクロス・クロノス(くろす・くろのす)は、クロエを夏祭りに誘おうと思ってリンスの工房まで出向いたのだが。
「クロエ? 今日は来てないよ」
 とのことで。
「呼べませんか?」
「そんなに万能じゃないよ俺は」
 ダメモトで尋ねたが、無理だと言われた。
 それなら仕方ないなと、一人で祭りの会場までやってきたのはいいが、やはり少し寂しい。
「両手が空いているのも、なんだか落ち着きませんし……」
 クロエの魂が入った人形を抱っこしながらお祭りを回るつもりで居たから、余計に。
 両手の指をわきわきと動かしてから、心機一転。
 いつまでもこうして沈んでいるのももったいないと。
「ストッパー役もいないですし、思いっきり食べちゃいますか」
 食道楽に、走る。

 焼きそば、お好み焼き、リンゴ飴。
 たこ焼き、かき氷、ホットドッグ。
 いろいろなものを買って、食べて。
 ちょっと食べ過ぎたかしらと思いつつも、
「すみませんじゃがバター一つ」
 にこにこ笑顔で注文して。
 湯気のたちのぼるじゃがバターを食べているとき、花火が上がった。
「もうそんな時間ですか」
 わりと早くに会場入りしたと思ったのに。
 食べているうちに、案外早く時間は過ぎていたらしい。
 クロスは所持していたカメラを構えて、花火に向けてシャッターを切った。
 最初は、ブレた。
 二枚目は、花火が消えていく瞬間が写った。
 三名目で、綺麗に撮れて。
 ぱしゃり、ぱしゃり、空に咲いた花を写真に収める。
 これを見た時、クロエはなんて言うだろう。
 どうしておそらにおはながさくの。きっと、そんなことを問い掛けるのだろう。
 花火って言うんですよ。打ち上げ花火。来年こそ、一緒に見に行きましょうね。
 そう答えて、来年の約束をしよう。
 花火がしたいと言うのなら、手持ち花火で我慢してもらおう。
 一緒に見て、一緒に笑おう。


*...***...*


 新堂 祐司(しんどう・ゆうじ)が、リンスの工房のドアを開けるときはいつも派手に開けるようにしている。
 理由は、彼からのツッコミ待ちだ。
 だから今日も、バァーン、と派手な音を立てて扉を開いて、
「ふはははは! 来てやったぞ、リンス!」
 高笑いと共に、登場。
 まず向けられるのは、冷めた目。次に、ため息。それから、
「新堂、相変わらず、うるさい」
 呆れたような声。
「なんだと、親友が来てやったというのに」
「あーあ蝶番また外れてるし」
「スルーか! 俺様のことはスルーか!」
「岩沢シスターズ、外に居ないで中に入れば?」
「完全にスルーだな……」
 祐司の派手な登場シーンを外で見守っていた、岩沢 美咲(いわさわ・みさき)岩沢 美月(いわさわ・みつき)岩沢 美雪(いわさわ・みゆき)らが工房に入り、
「……あなたまた掃除サボってるでしょう……」
 美咲の、冷たくとげのある声と、冷ややかな視線。
「新堂。ドアを壊してくれてありがとう、俺岩沢長女のあの視線に耐えられる自信がない」
 リンスが美咲に背を向けたまま、ドアの修繕をしつつ、ボソリと言って。
「ふはははは、計算済みに決まっているだろう!」
「侮れないね。でも蝶番費用請求するからね」
「……抜け目ないな、おまえ」
「まぁね」

 冷たい視線で攻撃しても、リンスは振り返らないから。
 はぁ、と小さくため息を吐いて、美咲は自前のエプロンを着けた。掃除を始めようと。
 はたきを持って、棚の掃除……と思ったが、棚には埃がかかっていなくて、あら、と思う。
「掃除、するようになったの?」
「しないよ? 見ての通りじゃん」
「……そうね」
 床や、作業机の上は乱雑に散らかっているし。
 掃除の形跡は見当たらない。
 前回尋ねた時の記憶を掘り起こしてみる。棚。棚の汚れ。そういえば、あのときも棚の上部はともかく、陳列棚の中身は綺麗だったような、気がする。
「産んだものくらい、きちんとしておかないとね?」
 疑問に答えるようなタイミングで、リンスが言って。
 ああ、棚だけは掃除していたのか。と納得。
 けれど他の箇所は、やはり酷い。前回から間が開いた分、酷い。
「こういう生活能力ない奴にお節介焼くとか……私、バカなのかしら」
 呟きながら掃除機をかける。
 バカ、なんだろうなぁ。だけど、ほっとくわけにもいかない。ほっとくほうがムズムズするのだ。落ちつかない。バカという言葉を変えるなら、保護者とか、そういう感じなのだろうか。しっくりこない。お節介。こっちか。
「岩沢長女って、オネーサンって感じだよね」
「うむ。美咲は姉御肌でな、メルクリウス自慢のメンバーだ」
 リンスと祐司の会話で納得。
 そうか姉御肌か、いや納得している場合じゃなくて。
「あなたたちはあなたたちで、少しはしっかりしなさい!」

 美咲が掃除をしている。
 さすが姉さん、世話焼きだわ。
 と、ティータイムを駆使して宴会の準備をしながら、美月は思った。
 正直、美月としてはあまり面白くないのだ、この状況は。
 夏祭り。店のかきいれ時ではないか。なのに店を開かずわざわざリンスに逢いに来るなんて、信じられなかった。
 ティータイムだって、美雪が「お姉ちゃん、お願い」と潤んだ瞳で言ってくるから断り切れなかっただけで。手伝いたいわけでもない。
 ここに居らず、一人で店を開いて店番をしている方が何倍かマシだろうとさえ、思う。
「ねーね、リンス、何か新しいお人形作った?」
「作ったよ」
「見せて見せて! 遊ばせてー♪」
 けれどまあ、美雪はああして楽しそうにしているし、美咲だってぶつくさ言いながらも実は楽しんでいることを知っているから、そこはいいのだけど。
 どうしても店の利益のことや、この時期に商売しないリンスのことを考えてしまい、眉間に皺が寄る。
「美月お姉ちゃん、おこりんぼ?」
 それを美雪に気付かれて、笑顔を作った。
「そんなことありませんよ。お人形さんと遊ばなくていいんですか?」
 美月は、あの喋る人形と友達になりたいと笑っていたから聞いてみる。
「今日ねぇ、居ないんだってー」
「居ない? リンスさん、呼べないんですか? 妹の頼みです」
「さっきも同じようなこと言われたけどさ。無理だって、イタコとかじゃないんだから口寄せみたいに魂を呼ぶなんてできないよ」
「案外使えないんですね」
「一般人と大差ないよ、俺なんて」
 毒舌にも怒る顔を見せず、困ったように言われて。
 まったく張り合いもない。
「まぁいいです、準備できましたよ」
 美咲が片付けたテーブルを、今度は美月がセッティングして。
 宴会の準備はあらかた整った。
 あとはみんなで楽しくやるばかり。
 準備? とリンスが目を丸くしていたが、説明は省く。あたしは姉や妹のように優しくないのだ。

「ところで新堂、これは何事」
 美雪に人形を見せたりしていたら、宴会の準備が整っていて。
 準備って何、宴会って何、と美月に問おうとしたが、つんっとそっぽを向かれたので諦めて祐司に尋ねに来たのだ。
「宴会だ」
「いや、だから」
「こんな、人がイベントで騒がしくしているときに一人引きこもっているなど言語道断、不健康極まりないぞ!
 さあ酒も珍味もあるからな、楽しく騒げ!」
「酒って、未成年ばっかじゃ――ああ、甘酒」
「ふっふっふ。俺様に抜かりはない。何せおまえの親友だからな!」
 ふはははは、と高笑いする祐司は楽しそうだし。
「宴会、楽しいよ?」
 美雪がにこにこ、笑っているし。
「掃除、終わったわよ。……って、宴会? 祐司あなた何考えて……はぁ、まぁ、いいわ。鉄拳制裁はあとに取っておくか……」
 何やら不穏なことを言ってはいるが、美咲のおかげで工房も綺麗になったし。
「……最初の一杯くらいなら、付き合ってあげますよ」
 美月もちらりとこっちを見るから。
 ノっておかないと、たしかに損だな、と。
「じゃあ、乾杯?」
「馬鹿な! 乾杯の音頭は俺様が取るぞ!」
「はいはい」
「よし皆の衆、酒を持て!
 本日はお集まりいただき中略! かんぱーい!!」
 かつん、と酒を入れたグラスとグラスが音を立ててぶつかった。

 甘酒だから酔わないだろうと高をくくっていた。
「……そういうわけでですね、あなたには足りないものが多すぎます」
「うん」
「感情とか、生活能力とか、表情とか、そしてなによりも商売魂が足りないです」
「うん」
「いいですかあたしは店と利益と大切な姉妹以外どうでもいいんですからね」
「うん」
「今日こうしてここに居ることも、妹が望むからやむなしです」
「うん」
「そもそもあなたは少し対人関係において努力するべきです」
「うん」
「向こうから来るのを待つばかりなのはどうかと思いますし」
「うん」
「コミュニケーション能力が不足している証拠ですよ」
「うん」
「そういうわけでですね、あなたには足りないものが多すぎます」
 甘かった。
 美月は酒に弱いらしく、酔って同じ言葉を無限ループの最中で。
「うん。……ごめん岩沢三女。助けて」
 かれこれ十五分ほど延々言われ続けて、リンスは美雪を呼んだ。
「なーに、リンス」
「岩沢次女の話を俺の代わりに聞いてあげて」
「頼みごと?」
「頼みごと」
「任せてー!」
 美雪はなぜかはしゃいだ様子で申し出を受け入れて。
「あーお姉ちゃん顔赤いよ。酔ってるの?」
「……、リンスが美雪に変身した……。こういうことって、あるんですね……? ううん、……?」
「えへー、私、リンスだよー」
「?? まあいいです、リンスであるなら話は変わりません。あなたに足りないものはですね――」
 美雪の相手をはじめる。話の内容は相変わらず無限ループだった。
 押しつけてしまってよかったのだろうか。でも少し疲れたし、と様子を見ていると、
「いいのよ、あの子はあの子なりに人の役に立ちたがっているから」
 美咲がバターピーナッツ片手に、ぽつり。
「なにそれ」
「自分に出来る事を探しているの。
 美雪の身体はほとんど大人だけど、精神的にはまだ子供よ。
 純粋に、お仕事を頼まれて一人前になりたいと思っているみたいなの」
「……へぇ、じゃあ手が空いた時に店番でもお願いしようかな。そろそろ一人であれこれやるのも辛い頃だし」
「? そうなの?」
「人形失踪騒動がわりと大事になったからね、俺の名前が知られたようで」
 それで片付けができなかったわけで。
 部屋が綺麗になったことが嬉しい。やはり汚れた空間より整頓された空間の方が落ち着く。
「片付け。ありがとね、岩沢長女」
「どういたしまして」
「おまえら俺様をぼっちにさせて喋っているとはいい度胸だな。俺様も話の輪に混ぜろ」
 だべっていると、祐司が輪の中に乱入してきた。
「いいわよ、親友同士水入らずで話しなさいな。私は妹たちの面倒もみなきゃいけないし」
 美咲がそう言って抜けて。
「…………」
「…………」
 リンスと祐司の間に落ちる沈黙。
 別に居心地が悪いわけではないので、そのままにしておくと。
「……迷惑だったりしたか?」
「え?」
「おまえにもやることがあって、祭りに参加しなかったんじゃないか?」
「いや別にそんなことはないけど。本当に人混みが苦手なだけ」
「そうか」
「何、酔ってるの? 新堂が弱い発言するなんてキモイ」
「おまえ、たまにキツくないか?」
「嘘だよ、半分」
 小さく笑って、甘酒を飲んだ。
「感謝してるよ。こう見えても」
「感謝? されていたのか」
「一応はね。俺の無彩色の人生に色をつけてくれてるし」
「なら、俺様はおまえに影響しているか?」
「してるよ、イルミンスールの生徒だった頃からね」
 さんざん振り回されて、めんどくさいし疲れるようなこともあったけれど。
 迷惑だとは、ただの一度も思ったことはなくて。
「メイド狂いで快楽主義者の一見ダメ人間かもしれないけど」
「オイ」
「俺の自慢の親友です」
「……そうか」
 月が綺麗な、夜だった。


*...***...*


 リンスの工房の、台所にて。
「まさか宴会をしているとは思わなかったなぁ」
 紺地に絣の浴衣を着た本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)が、葛切りを作りながら笑った。
「たまにはいいでしょ」
 いつもの、つんと澄ました調子で彼は言うけれど。
 どことなく、声も、表情も、柔らかい。付き合いが長いから、わかる。
「リンス君はいつからこんなに積極的になったんだ?」
「さあね」
「この調子でいけば来年は夏祭りに行けるんじゃないか?」
「無理。あんな人混みに出向くなんて、無理。三分で死ぬんじゃない?」
 変身ヒーローが母国に帰るスピード並みに短いことに、苦笑い。
 本当は、リンスを夏祭りに誘いたいのだけれど。
「屋台とか、風情があって楽しいもんだぜ」
「夏祭りに参加したいなら今からでも遅くないよ?」
 行っておいで、と手を振られてしまった。それは嫌だとかぶりを振った。
「リンス君と一緒じゃないなら意味はないよ」
「告白みたいじゃん、それじゃ」
「あはは。それも面白いな」
 大きめのバットに氷水を入れ、それよりも一回り小さいバットの内側を水で濡らして葛切りを流し入れた。あとは冷やしてできあがりだ。
 冷蔵庫にバットを移し終えて、工房の外を見た。まだ空は暗い。花火の上がる音もしない。
 喧騒から外れた、静かな場所だった。風もないから、虫の声しか聞こえない。それと、作業部屋でわいわい騒ぐ新堂たちの声か。いやそれが一番大きいのだけれど。
「そういえば、なんで葛切りなの」
「うん? 夏の盛りだからな。冷たくするりと食べられるお菓子の方がいいだろ?」
 どうせあまり食べてなさそうだし、と言うと苦い顔をするので言わないでおく。
「夏の夜ということだし。目にも涼を取れて、なかなか風情があるぞ」
「それは楽しみだね。本郷の料理は、味もいいけど見た目もいいし」
 リンスが少し、微笑んだ。いつもの困ったような笑みじゃなくて、純粋に嬉しそうに、楽しそうに。
 珍しいな、と思うと同時に、少し嬉しくなった。
「冷えるまでは宴会の続きと行こうか」
「新堂がたくさんつまみや甘酒を持ってきたからね。本郷の分もあるよ」
「お相伴にあずかることにしようか」
 二人で作業部屋に戻って。
 祭りの喧騒とは違う喧騒に、身をゆだねた。


*...***...*


 ヴァイシャリー付近で大規模な祭りがあると聞いて、よっしゃ祭りだ参加するぞと紺色の甚平を着て草履を履いて、瀬島 壮太(せじま・そうた)は会場に到着した。
 到着して、さあ楽しむぞ、という時。
 ふと、リンスはどうしてるかなと思った。
 どうせ一人で工房に引きこもってんだろ、せっかくの祭りなのに勿体ねえな。
 そう思って進路変更。身をひるがえして逆走。
 途中でたこ焼きなんかを買って行って、冷める前にと早足で。

 工房のドアを開けると、
「瀬島?」
 リンスが驚いた顔で立っていた。
「よおリンス、げん……、なんでおまえ宴会してんだよ」
 そして、てっきり一人で仕事をしていると思っていた相手は、工房で飲んで騒いでいた。
「なんでって……なぜか」
「おかしいだろ、おまえそういうキャラじゃねーじゃん」
「いや、キャラとか言われても」
 人混みだとか、誰かとぎゃーぎゃー騒ぐこととか、そういう俗世的なことが似合わないやつなのに。
 これまた珍しい、考えが外れたか。
「飯は? 食ってんの?」
「今日はね、それなりに」
 今日『は』、という言葉にため息を吐きつつ。
「さっき屋台に寄ってたこ焼き買ってきてやったから食えよ」
 たこ焼きの袋を渡して、再び身をひるがえす。
「え、瀬島?」
 リンスが慌てたような声を出した。これも珍しい。
 一拍遅れて隣にリンスが並ぶ。同じ速度で歩く。工房からは離れる。
 こいつはどこまでついてくるつもりなんだろうか。
「何」
「いやそれ、俺のセリフだよ?」
「オレは年上のねーちゃんをナンパしに会場へ」
「戻るの?」
「戻る」
「なんか用あったんじゃないの?」
「オレのことはどーだっていいだろが」
「よくない」
「……っせーな。おまえが一人で工房に引きこもってんじゃねえかって心配して来てやったのによ」
 別に一人でもなんでもなかったし。
 だったらオレは祭り会場でおっぱいの大きな年上お姉さん(できれば社会人)をナンパしに行くだけだし。
「あ、それ知ってる、ツンデレ」
「は、ツンデレ? ばかじゃねえの」
「だよね。瀬島はヤンキーデレだよね」
「何言ってんだ」
「瀬島を引き止める言葉」
 さすがに、足を止める。
「おまえばかだな」
「え、知らなかったんだ?」
「今日知った」
「そう、ならひとつ賢くなったね」
「嬉しくねえよ。……で、オレを引き止めて、ナニしよーって?」
「俺、花火好きなんだよね」
 それは、なんとなくそんな気がしてた。だから花火でも見に行こうと思って、……。
 あれ、じゃあ今この状態は。
 気付いてリンスを見ると、いつも通り表情の薄い顔に少しだけ笑みを浮かべて、
「連れてってくんない? よく見える場所」
 しれっと言うものだから。
「……しゃーねーな、連れてってやるから工房のやつらも呼んでこい。おまえ勝手に出てきたから心配されてんぞ、きっと」
「了解」
 じゃあ待ってて、と工房に戻っていくリンスを見ながら。
 なんかあいつって全部お見通しみたいでずるい、と思った。
 同じタイミングで、空に花が咲いた。


*...***...*


 壮太が案内した小高い丘の上で、花火を見た。
 花火は、「おまえらも飲め!」と壮太や涼介に甘酒を勧めまくっていた祐司も黙るほどに美しく、立派で。
 帰り道で、綺麗だったと誰からともなく言いだせば、誰もかれもが綺麗と言って。
 工房に戻った一行を、エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)は白地に金魚の柄が描かれた浴衣姿で出迎えた。
「みなさまおかえりなさいませ。葛切りがよく冷えていますよ。お茶も用意しました。庭先にシートも敷いてありますので、用意するまでお座りになってお待ちくださいね」
 エイボンの説明を受けて、祐司らと壮太が工房から出ていく。
「私も配膳を手伝おうか」
「兄さま。助かります」
 涼介がそう言って残り、俺も手伝うおうか? と視線で問いかけるリンスに首を振って大丈夫だと示してから。
「リンス様には、別の用事が」
 にこり、微笑んだ。

 紺地に唐草模様の浴衣。救いは女物でないことか。
 この見た目で女物の浴衣なんて着たら、それこそ女の子にしか見えないだろうなと、鏡の前でリンスは思った。
「リンスくん、着れた?」
「着たよ」
 涼介の声に少し慌てて部屋から出る。初めて着るものだから、多少手間取った。だから心配して来てくれたのだろう。
「おや。和風も似合うな」
「それはどうも」
 褒められて、なんだか恥ずかしくて顔を背けたら美雪と目が合った。お茶を運ぶのを手伝っていたのだろう。
「リンス、私ねお手伝いしてるんだよー」
 案の定だ。「そっか、えらいね」と頭を撫でると嬉しそうに抱きついてきたので、軽く抱き返す。
「これからリンスとエイボンちゃんの分運ぶからね。お外で待っててね」
 抱きついてきたときと同じように、するりと腕の中から出て行って。
 外に出ると、祐司が、
「何っ、浴衣だと」
 目を丸くさせた。
「浴衣だよ。エイボンが持ってきてくれた」
「ふむ、似合うな。だが男物よりも女物の方が似合いそうだ。どうだ来年は女物、それもミニ丈でも着てみないか?」
「冗談でしょ? 嫌だよ」
「つまらん。似合いそうなものだがな」
 それが余計に嫌なのだ、とため息。
「つか。帯歪んでんぞ」
 座ろうとしたら、壮太に言われて動きを止めた。
 どうしよう自分では見れない。
 まあいいか、とそのまま座ろうとしたら、「できないならできないって言えよ」と呆れた声で言われて、壮太が帯に手をかけた。
「直せるの?」
「歪んでんのを直すくらいできんだろ。つかおまえ腰細ぇ、ちゃんと食わねえからこうなんだよ」
「食べたって」
「今日は、なんだろ。普段からっつってんだよばーか」
 おらできた、と最後に帯の上から腰をばしんと叩かれる。「どーも」と言って座ると、美雪と涼介が工房から出てきた。
「エイボンは?」
「いま来るよ」
 葛切りを食べながら待っていると、エイボンが花火を持って出てきた。
 手持ち花火のパーティセット。
「それ」
「買ってきたんです。せっかくですので、リンス様に夏の風物詩である花火を楽しんでもらいたくて」
 シートの上に花火をばらし、シートから離れて手持ち花火に火をつけた。
 どきどきしながら時を待つ。
 ちりちり、火が上に上ってくる。ある場所に達すると、火花が、しゅばぁぁぁ、と吹きだして。
 あちらこちらで花火が咲く。
 明るい。人の顔がはっきり見えるくらい、明るい。
 なんだこれ、面白い。少し笑んで、花火をゆすった。動きに合わせて火花も揺れる。
 じきに、火が消えて、目に少し痛い煙が立ち上り。
 次、次、と手に取って、
「わ、ばかこっち向けんな!」
「秘技! 両手持ちだ! ふははははは!!」
「私も両手持ちやろうかしら……面白そう」
 わやわやと、歓声。
「よかったよ」
 いつのまにか傍にいた涼介が、笑う。
「リンス君が楽しそうで」
「うん。楽しい、かなり」
「ねえリンス君。私は、君がいつもこうして本当の笑顔で居られるような友達で居たいと思っているんだ」
 花火が消えた。
「だから、これからもよろしくね」
 花火が消えたから、涼介の顔ははっきり見えなかったけれど。
 きっと優しい顔で、笑っていた。
 だから、自分まで上手く笑えた気がした。


*...***...*


 外の花火を、テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)は工房から静かに見ていた。
 リンスが一緒にいた面々と別れて工房に入って来て。
「おかえりなさい」
 声をかける。
「ただいま。マグメルも花火一緒にやればよかったのに」
「いえ、私は結構です」
「楽しかったよ」
「そのようですね。声が、とても弾んでいます」
 花火の音や、楽しむ声。遠くで聞こえる祭り囃子。
 様々な音が楽しめた。
「夏祭りは?」
「私も人混みが苦手ですので。ここで楽しませていただきました。あれはいわゆる場所代です」
 言って、冷蔵庫を指差す。リンスが疑問符を浮かべながら冷蔵庫を開けて、「スイカだ」声を上げた。
「わざわざどうも。切ったら食べる?」
「そうですね。いただきましょうか」
 結構前に来て、着いてすぐ冷蔵庫に入れたから冷えているはずだ。
 さくん、すとん、と包丁で切る音と、まないたにぶつかる音。
 ふんわりかすかなスイカの匂い。
「どうぞ。塩とかかける人?」
「いいえ。そのまま食べます」
「俺と同じだ」
 齧ると、しゃくしゃく音がした。
「ご無沙汰でしたね」
「そう?」
「お人形の騒動以来ですよ」
「一ヶ月半くらいか。言われてみれば久しぶりかもね」
「外でばったり会うとか、しないですしね」
「一人で籠ってばかりだからね、俺は」
「夏が終わっちゃいますよ?」
「そもそも夏が来たことにも気付けなかったりする」
「それは酷いですね」
「だから夏の風物詩を持ってきてもらって、実は今とても嬉しい」
「そう言ってもらえるなら持ってきた甲斐がありました」
 結構重かったんですよ、と笑う。
 でも、その苦労に見合う美味しさと、相手の喜ぶ姿だ。
「私、シャンバラに来てから変わりました」
「そうなの?」
「ええ、リンスくんが変わったように、私もです」
「俺変わった?」
「はい。変わりましたよ」
「ふうん、ピンとこないな」
「ふふ、すぐにわかると思いますよ。
 ……で、ですね。私、最近結構アクティブなんです。サマフェスや肝試しに行ったりしたんですよ。
 それも全て、お節介な友人達のお陰です」
 たとえば今、ごたごたの渦中にいる瀬蓮などが共通の友達か。
「そうだね。……あいつは何を選ぶかな」
「良い方向に動くことを祈るばかりです」
「じゃあ俺はあいつが後悔しない選択ができるように祈ろうかな」
 リンスが、指を組んだのが見えた。きっと、目も閉じて。祈っているのだろう。
 今すぐに有言実行するあたり、根本の真面目さは変わっていないようだ。
「ねえ、リンスくん」
「ん」
 祈り終えたタイミングで、声をかける。
 頼み事が、あった。
「私にも人形を作っていただけませんか? 題材は、私」
 す、と手を伸ばす。リンスの、肉付きは薄いが柔らかな頬の感触。夏なのに冷たくて、さらさらつるりとした肌を触りながら、
「ヒトのカタチは触ればわかるんですけど、自分がどのようなカタチをしているのか、分からないんです」
 もう片方の手で、自分を触る。触っても、いまいち『自分』を分かっていないため明確なイメージが浮かんでこない。
「ヒトは写真で自分の履歴をみることができますが、私にはもう、できません」
 今私はどんな顔をしていますか。
 ヒトから。あなたから。どう見えていますか。
 笑えていますか。歌えていますか。それは下手ではないですか。
「だから、私がどう見えているか。形にしていただけませんでしょうか」
「うん。……なかなか難しそうで、面白い依頼だ」
 ふ、と頬に冷たいものが触れた。
 一拍遅れて、それがリンスの手だと気付く。
「いいよ、やってみる。でもあまり期待しないでよ」
「いいえ、期待して待っています」
 悪戯っぽく、クスリと笑い。
「お土産も、したい話もできました。そろそろお暇しますわ」
 そして立ち上がる。お互いの頬から、お互いの手が離れた。テーブルの上で、その手が重なり合う。握手するように握りしめて、絡めた指をほどいた。
 ひらひら、手を振って。工房を出て。
 頭上で輝いているであろう月に、問いかけた。
 お月様。あなたに私はどう見えていますか。
 でも、その答えももうすぐ出るのだと、もうすぐ自分がどう見えているのかわかるのだと思うと。
 足取りは軽く、唇からは歌もこぼれた。


*...***...*


 さて、クロス・クロノスは祭りが終わってから再び工房を訪った。
 花火の写真を、リンスに渡すために。クロエに渡してもらうために。
「この写真をクロエちゃんに渡してください」
「やだよ」
「何故です?」
 まさか断られるとは思っていなかった。
 眉をハの字にした不満げな顔で首を傾げると、びっ、と指を突き付けられて、
「クロノスがクロエへって撮ってきたんだ。自分で渡しなよ」
 ぴしゃりと言われる。
「その方があいつも喜ぶと思うしね」
 喜ぶ? クロエが。
 クロスおねぇちゃん、これはなぁに? おはな? とてもきれいだわ!
 そう言って笑うクロエの顔が、声が、浮かんだ。
「……ええ、そうします」
 それはとても楽しそうで、隣にいる自分もきっと楽しいのだろうと。
 考えると今から楽しくて。
「また、近々お邪魔しますね」
 微笑んで。工房を去った。


*...***...*


 静かになった工房で、リンスは手紙を書く。
 昼間、志位 大地から手紙が届いていたのだ。
 その返事をしたためる。
 もらった手紙には、夏の挨拶と、誘いに行けなかったけれど、花火楽しんでね、といった内容があり。
 さてどう返事しようかと、悩む。
 手紙なんて書いたこと、ないし。
 と考えて、ああ、これがテスラ・マグメルの言っていた『変化』の一つかもなぁ、と思う。
「まぁ、変わることは悪くはないし、ね」
 さらさら、ペンを走らせる。
『俺は元気です。花火も楽しみました。たこ焼きも食べました、あれ美味しいね。志位はどうですか。恋人と仲良くやれてますか。また二人でおいで、彼女さんにぬいぐるみ作って待ってます』
 あれなんか半分志位への手紙じゃなくなった。
 まぁいっか、とペンを置いて、明日にでも出しに行こうと決めて。
 楽しかった想いと共に、ベッドに飛び込んだ。