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十五夜お月さま。

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十五夜お月さま。
十五夜お月さま。 十五夜お月さま。 十五夜お月さま。

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第六章


 水彩画の紅葉が彩りを添える絵葉書を、リンス・レイスは薄く笑んで眺めていた。
 『稲穂が実る頃になりました』という一文から始まる、志位 大地がしたためた葉書。よかったら食べてね、との言葉と一緒に送付された月見団子を食べながら、続きを読む。
 料理下手な恋人のせいで、すっかり料理上手になったな、志位は。
 そんなことを思いながら。
 読んで、どんな返事を書こうかと悩みながら。
 『季節の変わり目、お身体を大切に』という、労わりの言葉で締められた葉書を、愛しそうに見つめて。
「息抜き終わり」
 仕事に戻ろう。
 そう、背筋を伸ばして呟いた瞬間。
「こんにちは」
 工房入口から聞こえてきた、来客を知らせる声に、おや、と思いつつも。
「いらっしゃいませ」
 葉書を見ていた時とは違う、普段通りの無愛想さで、入口に向けて声をかける。


*...***...*


 メティス・ボルト(めてぃす・ぼると)は、陳列棚に並べられた人形をじっと見ていた。
 ガラス玉のような瞳に、人形を映して。

 十五夜の今日、昼間から人形師であるリンス・レイスの工房を、レン・オズワルド(れん・おずわるど)が訪れたのはメティスの希望あってのことだった。
 普段望みを口にしない彼女が、珍しく希望を――人形師に会いたい、と言ったから。だから、連れて来た。
 メティスは飽きもせず人形を眺め続けているし、リンスは尋ねて来た客をもてなそうとしないまま、作業台に向かっていて、レンとしては多少手持無沙汰な時間が流れて行く。
 そろそろ日も暮れてくるか、といった頃合いに。
「あれ? レンさん?」
 工房に、琳 鳳明(りん・ほうめい)がやってきて、声をかけられた。
「どうしたの? レンさんもリンスさんに用事?」
「俺が、というよりはメティスが、だな」
 相も変わらず人形を見ているメティスを見て、どうせまだしばらくはあのままでいるのだろうと踏んで。
「月見の準備でもするか」
「へ?」
「十五夜だからな、今日は。琳、手が空いているなら、手伝え」
「え、うんっ」
 買い出しはしてあるから、あとは準備のみだ。
 折角だから本格的にやってやろうと、意気込んだその時、
「私は変われたのでしょうか?」
 メティスの声が、工房に響いた。

「私は変われたのでしょうか?」
 メティスは静かに呟いた。
 変わったような、気はする。けれど、そうでないような気もする。
「レンと一緒に多くの人と出会い、数多くの経験を積んできましたが、私自身の本質――私が人形であることは変わりません」
 リンスはこの言葉を聞いているのだろうか。尋ねた時に「いらっしゃいませ」と無愛想に声を掛けられて以降、一言も発していないと思うが。
 聞いていてほしい。訊きたい事があったから。尋ねたい事があったから。
「あなたは『人形』に何を望みますか?」
 人形へ向けていた視線を、リンスに向ける。作業台に向かったままのリンスは、何も答えない。
「リンスさんが私を作った機晶技師でないことは判っています。
 だけど、訊きたいんです。教えてほしいんです。
 作り手は、私に何を望んでいるのですか? 何を望んでいたのですか? 私は望んだ物になれていますか?」
 言いながら、胸が締め付けられる感じがした。
 なれていますか? できていますか? 変われていますか?
 湧き上がるのはいくつもの問いと、耳が痛くなるような静寂。
 沈黙に耐えられなくなりかけた頃、
「俺は」
 ようやくリンスが口を開いた。
「その子が受け入れられた先で幸せで居られることを望む」
「……、幸せ?」
「だって自分の子だよ? 幸せになってほしいでしょ。だから、ボルトも幸せになっていいんだよ?」
 思わず振り返ってレンを見た。
 レンは、メティスに笑いかけている。優しく優しく、微笑んでいる。
「変わったか変わらないかなんて、関係ない。望む望まないも関係ない。ただ、メティスがメティスであればいいと、俺は思うぞ」
「……レン」
 いつも見守っていてくれた人は、今でも私を見守っていてくれて。
 自分たちを作る、作り手側である人間が望んでいたものは、その子の幸せだと教えられて。
 じゃあ、私も、いいのだろうか?
 幸せになっても。
「メティス。月見の準備を、しよう」
「はい」
 いいのだろう、きっと。


*...***...*


「美味しい料理は人を笑顔にするんです」
 ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)は、そうクロエに微笑みかけた。
「えがお?」
「はい。幸せな時に、人が浮かべる表情です」
「りょーりがおいしいと、えがおでしあわせね?」
「はい。今日は、それをクロエちゃんに伝授しようと思います」
「でんじゅ?」
「お教えすることですよ」
「おしえてもらうわ!」
「じゃあ、そのお団子の粉を――」

 工房を訪れた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)に、
「久しぶりだね」
 と声をかけたはいいけれど。
「うん、久しぶり」
 そう笑い返す美羽の表情が、異様に暗くてリンスは驚く。
 自分の感情が薄い代わりに、人の感情にはそこそこ強いと、リンスは思っている。その割に鈍感だとか言われているけれど、それはまあいいとして。
「……ねぇ、なんでそんなに元気がないの」
「え? そんなことないよ」
「俺相手に強がる必要あるの?」
 本当に大切な相手にならば、弱味は見せるべきではないと思うけれど。
 別に俺相手なら、弱いところ見せてくれてもいいんだけど。
「――瀬蓮ちゃんが」
「うん」
「瀬蓮ちゃんが、どうしたら幸せになれるかなって。私には、何ができるかなって」
 座った椅子の上、膝を立ててその膝に顔を埋めて。
 泣き出しそうな弱い声で、美羽が言う。
「わからないの」
「難しいから、ね」
「リンスもそう思うの?」
「俺だって、高原が幸せになればいいと思うし。
 そう思うようになる前から、クロエに幸せになってほしいって思ってるし」
 でもどうすればいいかなんて、美羽同様、上手い方法が思いつかないんだ。
「私……瀬蓮ちゃんにも、クロエにも、みんなにずっと笑顔でいてもらいたい……」
「うん」
「でも、その私が笑えないの。笑顔で居てもらいたい相手が居るのに、私が笑えないの。どうしよう……」
「笑えない時は無理に笑わなくていいよ。見てる方が辛い。そうでしょ? 少なくとも俺はそうだな。今日、小鳥遊が無理に笑ってるの見て、なんか痛いと思ったし。
 元気を取り戻せるまで、少し休んでいいんだよ」
 ぽんぽん、と頭を撫でると、「うぅ」と唸るような声が聞こえた。
 美羽は強いから、それじゃ駄目なんだって思ってる。
 だけど。
「お待たせしました、お団子、できましたよ!」
「できましたよー!」
 ベアトリーチェとクロエの明るい声に、美羽が慌てたように顔を上げた。
「どんどんお月見の準備、できていくね! 私楽しみだな!」
 そして強がって笑うから。
 リンスはベアトリーチェと顔を見合わせて、困ったように笑う。


*...***...*


 今日は、一年で一番月が綺麗な日。
 そんな時こそ、宴会だ!
「――という訳で、今回は月見に誘いに来たぞ! リンスゥ!!!」
 相も変わらず、工房のドアを派手に開けて新堂 祐司(しんどう・ゆうじ)は言い放つ。
「……な、」
 しかし今回リンスが驚いているのは、外れかけた蝶番にではなくて。
「何、その顔……」
 岩沢 美咲(いわさわ・みさき)によって、ボコボコにされた祐司の顔に、だった。
「ふはははは! 大☆成☆功! ふはははははははぐっ」
「うるさい」
 驚かせたことに喜んで笑っていたら、またも美咲に殴られた。遠慮のないグーだ。この女は強い。
「しかし大丈夫だ、この手の特殊メイクは次ページで治っていると相場は決まっているものでな」
「ねえ岩沢長女、俺たまに新堂の発言の意味がわからないんだよね」
「わからなくていいわよ、馬鹿になるから」
「で、なんであんな面白い顔になってるの、新堂は」
「美月を酔わせたから鉄拳制裁を加えたのよ」
 美咲がそう言って、工房の外を指差した。
 指差した先には、
「ふにゃぁ……。ねぇさん、美月、らいりょーぶ、れふよ……?」
 前に甘酒を飲んで酔っていた時とは、段違いにへろへろな岩沢 美月(いわさわ・みつき)が居た。
「…………あれは」
「だから、酔わせたんだってば。同じ事ばっかり繰り返して訊かないで、殴るわよ」
 美咲に脅されたリンスが祐司の傍に逃げてきて、そのまま後ろに隠れる。
「ふはははは! 怖いのか? ん?」
 頼られたような気がして嬉しくて、祐司はニヤニヤ笑ってリンスの頭を小突いた。その手をぺしりと振り払い、「怖いよアレは」と己の感情を肯定するリンスに、もう一度「ふはは!」と笑う。
「ついでに、もうあのボコられ顔が治ってる新堂も怖いよ。どうなってんの」
「仕様だ」
「医者いらずの仕様? 恐ろしいね」
「ところでリンス、今回はお前の都合を考えずに、宴会だ」
「今回『も』の間違いでしょ」
「気にするな。さあ既に場所はセッティングしてある、月見に向かうぞ!」
「今すぐかよ! ちょっと待ってよ俺仕事――」
「いいからリンス、さっさと準備しなさい。あんたも殴られたい?」
「だから岩沢長女怖いっつの!」
 そうして半ば引きずるようにして、リンスを外に連れ出して。
「なんならお前らも来い! 酒は甘酒しかないが、数々の珍味を用意した! 宴会は大勢でやった方が楽しいからな、ふはははは!」
 さらには工房に居た全員に聞こえるように声を張り上げて。
 いざ向かわん、宴会場。


*...***...*


 宴会場に、一足先に着いていたのは南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)オットー・ハーマン(おっとー・はーまん)だった。
「2020年の中秋の名月って10月1日なんすよ。だからこれは旧暦8月の十五夜なんじゃね? まだ夏じゃん?
 というわけで突発競技ピーチフラッグ選手権を開催しまーす。
 ルールは尻につけた旗を取り合いキャッキャウフフ。自分のが取られたら負け。今適当に考えただろうって? んなわけないしぃー、昨夜寝ずに考えたしぃ。え、肌のハリがいい? 褒められちゃったスねー、徹夜してねぇだろって? してねぇよ。
 でまぁ、これをきっかけにメジャー化して、ゆくゆくはろくりんぴっくの正式競技になるわけスよ。
 え、何がしたいかって、レオンくんのキュートなヒップにおしりタッチがしたい。
 いや、したかった。するところまで夢に見たんスよ、ねぇ、それなのにさぁ鯉、鯉がー! 鯉がー!!」
 先生のように説明していたかと思えば、うっとりとしたような顔と口調になり、それから頭を抱えて転げまわる。
 一人百面相並みに表情を変え声を変え、もんどりうっている光一郎に、
「光一郎、うるさいぞ」
 珍しく冷静で的を射ているオットーのツッコミ。
「黙れこの海も渡れる淡水魚! 色ボケ恋ボケ、淡水魚らしからずそこの湖で溺れてしまえばいいじゃん! つーか溺れろ!」
「んな、失敬な! それがしがこのような湖で溺れるわけなかろう、見ていろ!」
 どぼーん、と湖に飛び込んで、戻ってこなくなるオットー。
 ……溺れたわけではない、と思うが。
「アホじゃん。ふつー飛び込むかっつーの。あーあ、この湖はもう色ボケ沼って名付けるしかないしぃ。で、鯉は格下げヨゴレ主のナマズじゃん」
 言いつつもする行動は、東屋を建てる事。
 どうせなら湖畔に東屋を立てて、茶も点てて。優雅に風雅に過ごしてみたいじゃない。
 鯉の色ボケ頭を冷やしたいとか、そういう気持ちもなきにしもあらず。
 ちょちょいのちょいっと、パラ実工法で作り上げて。
「これならデブ症、もとい出不精のリンスくんも呼べるしぃ。さっすが俺様」
 自画自賛して、呼びにいってやろーかねぇと背伸びをした時。
「あ」
「あ?」
 呼びに行こうとした人物が、すぐ近くに。
「リンスくんじゃん噂をすればの」
「リンスきゅんだとぅ!!?」
 名前を呼んだら湖からヨゴレ主のナマズが、もとい鯉が、もといオットーがザッバァンと水しぶきを上げて飛び出してきた。おかげで光一郎は水に濡れた。水も滴るいい男な俺様、などとは言わずにまずオットーを蹴る。
「ぐぁ、何をする! いやそれよりもリンスきゅん、水を被ってせくしーな格好でこの『ちょうようのせっく』に? おおぅ、長、幼、菊……セック……、いや妄想逞しいそれがし、破廉恥な……」
 蹴られた事を意に介さず。
 ぶつぶつと危うげなことを呟き始めるオットーを、リンスが困惑したような目で見ている。
「あのさ、何言ってるのか三割くらいしか理解できない」
「三割も理解できるんスか? スゲーな変態仲間だから? ところでちゃんと飯食ってる?」
「たまには」
「たまにかよ。出不精だけどデブ症にはならないってね」
「南臣は言葉遊びが好きだね」
「楽しいじゃん? からかうにも使いやすいしぃ」
 ケラケラ笑って、東屋に入る。先導した形になって、リンスや、リンスと一緒にやってきた面々も東屋に入る。誰かが「いい出来だな」と褒めたりしたけど、浮かれたりなんかはしない。
「正座? 楽にしていいのよ」
 ちょっと口調が変わって、くつろげと言うくらいだ。うん、浮かれてない。
 オットーはオットーで、
「破廉恥漢の冥府魔道に堕ち、恋のまな板における俎上の鯉、どのように料理されるのかとゲンドウ総受けジョータイのようだ、ぽっ」
 頬を赤らめていた、気持ち悪い。
「ハーマン、なんで湖に入ってたの」
 そんなオットーに声をかけるリンスは、実は相当のツワモノなのではないかと光一郎は推理する。安楽椅子探偵の名にかけて。いや嘘、かけやしないけど。
「それがし、湖畔に浮かぶ月を取ろうとしてヴァイシャリー湖を泳いで渡って徒労に終わってきたところ。残念無念がここに極み、この気持ちを何と言えば……!」
「溺れなくてよかったね」
「!! あんな妄想逞しい、ヨゴレそれがしに変わらず接してくれるとは……!」
 ああ、オットーがキュンとしているのが手に取るようにわかる。どこまで昇り詰める気なのだ、あの鯉は。
「嗚呼嗚呼、トランストレランス。心のヨゴレが祓われたようだ。今宵の月はそれがしには朧月に見えるようだ、涙に霞んだこの結果!」
「……っていうか、」
 熱弁を振るうオットーに、リンスが平坦な声で、一言。
「まだ、月、出てないけどね」
「………………」
「………………」
「それがし、月を召喚する簡単なお仕事に就く故、これにて!」
 なんとも微妙な空気を残して、ヨゴレ主のナマズは湖へ。
「……まぁ、月が出るまで騒いで遊んでればいいんじゃないスか?」
 とりあえず、その空気のままなのはあまりにアレだったので、一応はフォローしたら。
 リンスが困ったように笑って「そうだね。ありがとう」と素直なので、「気持ち悪ィ、リンスきゅん」と笑い飛ばしておいた。