校長室
【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第3章 白騎士、そして黒騎士 4 シャムスとエンヘドゥとの一騎打ちが始まったとき、それを見守りながらも、遠くヤンジュスのほうを気にかけていた男がいた。時間は確実に迫っている。このままでは、シャムスとエンヘドゥの闘いだけではなく、この迎撃戦そのものが敗北に終わってしまう。 はやる気持ちを抑えて待ち続けていたそのときだった。天空に砲撃の音が鳴り響いたのは。 「なんだっ……!?」 兵士たちの間にざわめきが走った。 それは、いわば天空へと叫ばれる咆哮でもあった。同時に、遠くから聞こえてくる飛空艇の駆動音。それは―― 「政敏、きたわ」 「ああ」 それはエリシュ・エヌマであった。政敏がその姿がかすかに見えたのを確認したとき、カチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)が彼に声をかけた。その手にあるのは、無線機だ。モートから死角になるようにして隠れる彼女が、もう一人のパートナー、リーン・リリィーシア(りーん・りりぃーしあ)からの情報を伝えてくれた。 「やっぱり……モートの中にいるみたい」 「中に?」 「伝説は伝説のままじゃないってことね。“心喰い”と呼ばれる所以も……分かる気がするわ」 二人は互いに頷き合い、動き出した。 エンヘドゥを使った南カナン軍の混乱が予想よりか上手くいっていないことに苛立ちを見せるモート。その隙を狙って、政敏とカチェアが迫る。 「……ッ!」 あいにくと、モートを守る者は来栖も彩羽も傍を離れていた。 それでもモートの腕が魔術を放とうと振り上げられる――が、それを防いだのは、一発の銃弾だった。 「なっ……!?」 それまで余裕綽々の顔をしていたモートの赤い瞳が、初めて動揺の色を見せた。その時には、すでにカチェアと政敏の手が迫っていた。飛び上がっていたカチェアの手が、弓矢を引いている。射抜かれた矢は――モートへと突き立った。 突き立った矢の根元から飛び散ったのは、赤い血ではなく黒き闇であった。黒き闇を吐き出しながら仰向けになって倒れゆくモートが見たのは、己の視界が失われる消失の瞬間だった。 「っと……やりましたね」 「マスター〜〜! そんなのんびりと言ってないで、さっさとここから離脱しましょうよ〜!」 砂丘の上から狙撃銃を構えていたルース・メルヴィン(るーす・めるう゛ぃん)が銃の照準レンズから顔を離すと、ソフィア・クロケット(そふぃあ・くろけっと)がなにやらわたわたと慌てふためきながら叫んでいた。 見つからないようにカモフラージュしてたのは良かったのだが、あれだけの銃声を放てばそれは気づくわけで……カモフラージュの解けたルースへと敵は迫っていた。敵陣のど真ん中にいる彼は格好の獲物である。迫り来る敵を排除しながら、ソフィアが泣き言をあげる。 「こ、このままだとやられちゃいます〜!」 「ふっ……こうしてここでやられるのも本望ですかね。オレにやれることは、やったんですから」 シュボッとタバコに火をつけて吹かしながら、そんなことを言って遠い目をするルース。ソフィアは度肝を抜かれ、そんな彼を揺さぶった。 「マスター〜! シリアスモードやめて、いつも通りナンパキャラに戻って下さいよ〜」 「死して屍拾うものなし」 「何を自分の知っている範囲で格好良い言葉を使ってるんですか〜! ほら、美人さんいっぱいいますよ? シャムスさんも綺麗ですし、エンヘドゥさんなんかちらっと太もも見えてますよ、すっごいエッチいですよ。モンスターまで行けるマスターなら、ハルピュリアにグールもいますよ〜。ね? ね? ね? だめ?」 ソフィアは必死でルースに訴えかけた。ルースは、そんな彼女にほほ笑みかける。 「まったく、あなたといると死にそうな気がしませんよね」 「だから死んじゃだめですってばー!」 「分かりました、分かりましたってば……」 よっこらせっと起き上がったルースは、持ち前の身体能力で迫ってきた敵を思い切り蹴り飛ばした。それまで何もしなかった男がいきなり攻撃を仕掛けてきたことに、敵の間ではどよめきが走る。 「マスター……」 「オレの中の辞書に諦めるって文字はなかったんでしたね。ま、いけるところまで行きましょうか、ソフィア」 「はい! ……あ、だけど、もし、私の顔に傷付いたらブチ殺しますからね。顔は女の命なんですからねーー!!」 ここまで来てもそんなことを言うソフィアにルースは半ば呆れたが、彼女の足が震えていることから、きっとそれが自分を奮い立たせる言葉なのだと思った。あるいは、彼を勇気付けるために言ったものか。 そう思うと、ルースの頬は静かにほほ笑みの形を作る。彼女とパートナーになれたことを、どこかで誇らしく思っていた。だとすれば、彼女の言葉に答えるためにも生き残るしかあるまい。 「分かってるんですか、マスター?」 「はいはい」 「あ、なんか真剣みが足りないですー!」 そんなことを言い合いながら、二人は包囲網を抜け出すべく駆け出した。 (あとはシャムスたち……未来ある若者たちに任せるとしましょうか) 道中で、そんなことを思いながら。 エリシュ・エヌマがヤンジュスへとやって来た理由は、決して偶然の一言で片付けられるわけではなかった。エリシュ・エヌマの軌道はすでにインプットされていたものであり、自動的にプログラムがこの地までシャムスたちを導いたのだ。 それは、この地にエリシュ・エヌマ自身の歴史が眠っていたからであり、また、この地に自分の核があるということをエリシュ・エヌマが理解していたからに他ならない。エリシュ・エヌマの自律回路は、いかに効率的に敵の手から民を守るかに比重を置かれているのである。 そしてそれはだとすれば……もしやエリシュ・エヌマには過去の戦いの記録が残されているのではないかという推論に達した。記録をもとにエリシュ・エヌマが動いているのだとしたら、辻褄が合う。 『――だから、私たちは浩一さんに頼んで、エリシュ・エヌマに残されている記録の解析も頼んでいたの』 地に伏したモートの死体を前にして、リーンは無線機越しに他の契約者たちに説明していた。 『それに、もしかしたら……あの白騎士は偽物なんじゃないか? っていう疑問もあったわ。過去に同じような状況があったなら、白騎士の本当の姿が分かるんじゃないかと思ってね』 「偽物……!?」 驚きの声をあげたのはフレデリカたちだった。しかし、彼女たちを慌てさせないために、早急にリーンが声を発した。 『まあ、落ち着いて。正確に言えば、半分正解で半分間違いだったってところかしら』 「どういうことだ?」 アインの問いに、彼女が答える。 『あの白騎士は、いわば彼女の心の中の闇だけが残された存在なのよ。光を失って、ただむき出しの憎悪や怒りだけが、彼女を支配しているわ。……じゃあ、光はどこにあるのか?』 「……もしかして!?」 朱里が何かに思い至って、モートの死体を見下ろした。その光景が見えているわけではなかったが、どういう状況なのかは察したのだろう。リーンが悪戯げに言った。 『正解』 「心喰い……というわけか」 アインは朱里と同じように納得した様子でモートを見下ろした。 『つまりエンヘドゥの光はモートの中にある。それは、エリシュ・エヌマのレーダーが感知できる代物でもあるわ。そういう意味でも、あれは“心喰いの魔物”に対する兵器だったのでしょうね』 感慨深げにリーンは言った。 『光の心を喰らったモートはいわば光を封じ込める檻のようなもの。モートを倒せばエンヘドゥの光の魂も取り戻せるはず……』 エリシュ・エヌマの記録にも、そんなことが描かれていたらしい。だから、政敏たちはこうしてその確証を得られる瞬間を、モートの隙を、うかがっていたのだ。 だが――気づく。 「しかし、エンヘドゥは……」 シャムスと闘うエンヘドゥはいまだ白騎士のままで、しばらく待ってはみたものの彼女がもとに戻る気配は全くないのだ。心のどこかで感じる嫌な予感。 「ひゃははは……」 突然聞こえてきた不気味な声が、契約者たちを振り向かせた。死体があったはずのそこには、黒い血のような塊が砂を濡らしているだけであり――代わりに、ねずみ色のローブを纏った小汚い魔女が嘲笑をあげていた。 「な、どうして……!?」 「生憎と……私は身体のなかでシャドゥをたくさん飼っていましてねぇ……そうそう容易く死んであげるわけにもいかないのですよ」 「貴様……!」 思わず激昂した千歳が手錠を構えてモートに飛びかかろうとした。その前に聞こえてきた異様な音に、その足は止まらざるをえなかった。 「なんだ……?」 「ひゃはは……私の中の光に気づいたことまでは褒めてあげますが……これはあくまでも戦争なのですよ?」 それは、兵士たちだった。 これまでの敵軍の倍はあろうかという敵兵の群れが、大軍を成してこちらに向かってくる。モートの手のひらが掲げる黒い光が、大軍を進軍させる合図なのだ。 「数に勝るものはないのです」 モートは嘲笑を崩さずに言った。 その後ろに続く大軍は、これまでの軍勢だけでも苦戦を強いられていた南カナン軍の兵士たちを恐怖で震え上がらせた。もはや、勝ち目はない。圧倒的な大軍が迫るその光景が、そんなことを目の前に突きつけてくる。そして、そんな援軍部隊はついに主戦場へと乗り込んできた。 モートを前にした契約者たちも悔しさを滲ませる。だが……その中にあって、政敏たちだけは慌てた様子を見せていなかった。 モートがそんな彼らを訝しがるよりも早く、政敏は静かにリーンへと告げた。 「いまだ、リーン」 『了解』 突然――それは援軍を蹴散らした。 「なに……!?」 援軍の横合いから現れたのは、シャンバラの契約者たちに率いられる兵士たちだった。その数は少数なれど、突如予想もしていなかったところから攻め入られたこともあって、敵軍が混乱に陥る。よく見れば、その契約者たちはモート軍が捕まえていた先行部隊の連中だった。 しかも、彼らだけではない。突然、まるでゴーレムのように地中から現れた潜伏部隊が、先行部隊の仲間たちと合流して反対側から攻め寄せたのである。 モートだけではなく味方の南カナン軍さえも驚く状況だが、これが反撃の兆しになったことは間違いない。 「ぐ……!」 常に笑みを崩さなかったモートの口から漏れたのは、嘲りでも笑い声でもなく、そんな苦く噛み潰された呻きだけだった。