天御柱学院へ

蒼空学園

校長室

イルミンスール魔法学校へ

彼氏彼女の作り方 最終日

リアクション公開中!

彼氏彼女の作り方 最終日

リアクション



いつだって真っ直ぐに


 たくさんやってくるお客様のために、特別な衣装でお持て成し。笑顔を増やせることは嬉しいけれど、やはりそれは特別な相手にしてあげたい。天司 御空(あまつかさ・みそら)は事情を説明し、講座を受けていなかったものの臨時のスタッフとして入店することになった。
 臨時とは言っても、お持て成しのコースはしっかり考えてきてあるし作法もシミュレートしてある。あとは、水鏡 和葉(みかがみ・かずは)が訪れるのを待つばかり。食器を下げたり掃除の手伝いをしながら待っていると、窓越しに中を見つめ可愛い内装に頬を綻ばせる姿が見えた。
「お帰りなさいませ、和葉お嬢様」
 はやる気持ちを抑えきれず、ついドアを開けて迎えに来てしまった御空を、和葉は驚きながらもすぐにはにかんで見せた。冷静に考えているように見える彼が、時折見せる大胆で子供っぽい一面。そんなところも好きだな、なんて眩しく見える執事姿を少し強くなってきた初夏の日差しのせいにして駆け寄った。
「今日はお誘いありがとうござますっ! もしかして、御空先輩はボク専属……だったり?」
「もちろん。和葉お嬢様のお帰りを、首を長くしてお待ちしていました」
 さりげなく荷物を持ち、エスコートしてくれる姿はさまになっていて、普段エスコートしなれている和葉も惚れ惚れとしてしまう。いや、普段エスコートされる側じゃないからそう思うのかもしれないし、相手が御空だから思うのかも知れない。
 落ち着かない気持ちは無意識に安心出来る物を求め、考え込むような仕草で右手は左肘を抱え左手はFlugelnHoffenに触れる。近くで揺れる片翼は、出逢えた喜びを歌うように静かに輝いていた。

 出逢いを求めての接客ではなく、特別な人への振る舞い。それこそがこの講座の本来の目的なのだろうが、とは言えちょっとした巡り会いに期待していた宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)にとっては羨ましい光景だ。
 けれども、店員としてはそうガツガツとナンパするものでもないだろうとフォーマルな執事服に身を包み、そつなく仕事をこなしていた。
「……なのに、朱美はなにふしゃーっ! って猫が毛を逆立てる様なことに?」
 ギリギリとシルバートレイが歪まんばかりに握りしめる那須 朱美(なす・あけみ)は、ある人物を睨み付けている。視線を追えばふわふわの髪を揺らし、愛らしいメイド姿に扮するウェルチフェンリルとともに給仕する姿があり、朱美も人並みにああいう仲良さそうなものに憧れるのだろうかと思っていたところ、ミシッとなにやら鈍い音が聞こえてきた。
「あいつが、同僚だって……? 愛想笑いして円満に仕事だって? 自分を殺した奴なんかとっ!?」
 男装しようとフリフリのメイド服着ようと、人に笑顔を振りまきながら働くのだって構わない。ただ、自分が魔鎧になる切っ掛けを与えた人間と同じ空間にいるのだけは耐えられない。ギリギリと力の入る朱美の手により、シルバートレイもまた耐えられなかったようだ。
 無残に湾曲したトレイを取り上げ地団駄を踏む朱美を宥めていると、メニュー片手におっかなびっくり見上げている長原 淳二(ながはら・じゅんじ)と目が合った。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。お食事はお決まりでしょうか」
 凜とした声に優しい微笑み。パートナーの暴走を止めようとする真面目な一面は好感が持てるものの、やはり淳二には祥子の背後で殺意の炎を燃やす朱美が恐く感じられるのか、1人の来店を気遣う祥子との話も弾まない。やはり1度、朱美の怒りを静めてからでないと自分の出逢いは求められないだろうかと微妙な空気に困惑していたとき、美鈴がプレゼントを持ってやってきた。
「祥子様、お花はオレンジの薔薇でよろしいですか? ハナミズキもご用意してきましたけれど……」
 同じように髪をまとめ、さらなる男装の麗人が現れたことで淳二の興味はそちらに向かう、祥子は少し残念に思いながらも次こそは出逢いを無駄にしないために朱美を大人しくさせてこようと美鈴にあとを任せて去って行く。
「……あの、アクセサリー作りが好きな子とかって、いますか?」
 異性に声をかけるのは苦手だけれど、こうもバタバタと入れ替わられるのも落ち着かない。勇気を出して淳二が尋ねると、美鈴はにっこりと微笑んだ。
「特別に好き、という方は存じ上げませんが……興味があるので、私でも宜しければお話相手になっても良いでしょうか」
 出来れば同じ趣味を持つ同士で話したいこともあったが、世辞でもなく耳を傾けてくれる美鈴が会話を拾うように質問をしてくれるので、淳二も少しずつ打ち解けることが出来たようだ。

 先程エスコートされた和葉はと言えば、御空の意外なほどにピッタリはまる立ち振る舞いに目を奪われていた。
「英国より直接取り寄せましたアールグレイ・ゴールデンチップスでございます。ベルガモットの爽やかな香りと豊かな風味を御楽しみ下さい」
 実家に執事もおり、小さな頃はお嬢様として育てられた和葉にとって懐かしく感じてもおかしくない接客。なのに、この服を着て甲斐甲斐しくお世話をしてくれるのが御空であるというだけで、こんなにも緊張してしまうものだろうか。
 手慣れた手つきでポットを揺すり注ぎ終わるまでの動きをじっと見つめていると、御空が少し困った顔をして見せた。
「和葉お嬢様……? もしや、何か至らぬ点がありましたでしょうか」
「いっ、いえ! なんでもな――あっ」
 見つめていたことがバレるのが恥ずかしくて、必死に誤魔化そうと手を振る。突然かちあった瞳にガタガタと椅子が動くほど動揺したせいか、マナーの良い和葉もスプーンを落としてしまう。
 けれど、それすら予想したのか動体視力が良いのか。和葉の足下にしゃがみ込む形で空に舞うスプーンを取る御空はまるで忠誠を誓う騎士。これ以上心臓に負担をかけないでほしいと、見上げて笑う彼の視線に耐えきれず和葉は思い切り視線を逸らした。そこへ飛び込んで来たのは、ベルガモットの香りを邪魔しないようにシンプルなスコーンと、その爽やかな香りと同じくさっぱりとした口当たりを与えるラズベリーソースのかかったレアチーズケーキ。これなら、反撃出来るかもしれない。
「ボクだけ食べてたら悪いから……執事さんも一口どうぞ?」
 一口分取り分けて差し出してみると御空は少し驚いたように瞬くから、和葉は心の中でガッツポーズをする。けれど、特に恥ずかしげもなく口にいれ、礼の言葉を述べるから悔しくなってしまう。少し大きめに取り分けて何事も無かったようにケーキを食べる和葉へ悪戯心の沸いた御空は、顔を覗き込むようにしゃがんで甘く囁いた。
「……ところでお嬢様、少し目を閉じて頂けますか?」
 しっとりと耳をくすぐる声音にフォークを落としそうになるも、今度はそうならないようにぎゅっと握りしめる。なんで、と問いかけるより早く御空が顔を近づけてくるから、そのまま目を伏せた。
 頬が熱くなりすぎて、いわゆる吐息がかかる距離に御空がいるのかどうかはわからない。けれど、さらりと前髪を撫でられ羞恥に染まる顔を見られているのかと思うとこれ以上なんて耐えられない。それでも、やっぱりほんの少しは期待している自分がいる。大好きな先輩と一歩進めるのなら……色んな思いがぐるぐるしている間に、前髪に触れていた御空の手は静かに離れていった。
「これで大丈夫です、少々乱れておりましたので……おや、どうかしましたか?」
 くすくすと笑う声に目を開けると、御空は片目を閉じて悪戯に微笑んでいる。こんな執事は、生まれて初めてだ。
 恐いどころか愛らしささえ感じる睨み顔。拗ねてしまったお嬢様のご機嫌が晴れるよう、専属執事は優しい笑みで労るのだった。

 特別な人を持て成すと言う趣旨では、桐生 円(きりゅう・まどか)たちもそうかもしれない。講座を受けてきた3人は執事に扮し、友人である七瀬 歩(ななせ・あゆむ)を持て成す姿はまるで執事と王女様。甲斐甲斐しく尽くしてくれる3人をはべらせて、歩は少しむず痒いような笑みを浮かべる。
「ふふふ、今日は皆よろしくね!」
 入り口で出迎えたナガン ウェルロッド(ながん・うぇるろっど)が席までエスコートすれば、円にロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)も深々とお辞儀をして迎え入れる。歩の好みに合いそうな可愛らしい席の一角を予約席として確保していた円とは違い、ロザリンドは歩が来ることを突然聞かされたようで、少し面食らいながらも執事らしく振る舞い続けるべきかどうか悩んだ。
「お嬢様、今日もお疲れ様でした。こちらへどうぞ」
 ナガンが手荷物を預かるのを見計らい、円が椅子を引く。その姿には友人だからと言って執事らしさに手を抜くことはなく、その態度を見てロザリンドもこのままで通そうと思う。折角プレスもきちんとかけた執事服に袖を通し、長い髪も作業の邪魔にならないよう前はオールバックに、後ろは首筋の辺りに細い黒のリボンで纏めてみた。ネクタイはビシッと決めて、モノクルもかけて形から入ったのだから、3人を驚かすような執事っぷりを見せつけたい。
「お食事がお決まりになられましたら申しつけてください」
 甲斐甲斐しく世話を焼くだけが執事ではない。常に一歩引いた所で主人の命を待っているのも執事のあり方……というのは少し格式張った古めかしいイメージで、この店の趣旨では無いかもしれない。だからこそ、筋の通った執事姿は2人と差をつけられるのかもしれない。
(わー、あたしがお友達感覚なのに、しっかり執事さんだ。これは、見習わなきゃポイント1かも)
 嬉しそうにノートにメモをとる姿は、今日のことを日記に書くのかもしれないと思わせるような可愛らしい雰囲気で、同じようにナガンも遠目から見守る。側に控えている円が親しみやすく少し砕けた口調でお勧めのメニューを説明し、1口に執事と言っても三者三様なんだなぁと歩がどれを頼もうか迷っていると、ふと話してくれた講座のことを思い出す。
(そういえば、三人とも最近恋人出来た人たちよね? むむむ、恋人募集修業ってすごい効果かも)
 これは色々チェックして、技術を盗まないと! と気合いの入る歩はお手並み拝見とばかりに微笑んだ。
「それじゃ紅茶をミルクティーでもらえるかなぁ。甘めのが良いかも」
 それを聞きロザリンドが一礼してキッチンへ向かうのを見て、円は胸を撫で下ろす。料理やお菓子ならオーダーを持っていくだけで良いが、ドリンクは自分たちの仕事。家庭科が苦手で講座でも審査側で振る舞っていた自分には、少し自信がない。格好だけはオールバックに後ろ髪も軽く結い、ネクタイも締めてきっちりとしているのに苦手なところが残ったままなのは残念だ。けれど、シャツの1番上のボタンは開けて気軽さを演出し友達に見られるような執事を振る舞うには丁度良いのかもしれない。
「ねえ、円ちゃんならミルクティーはどの葉にする? ケーキを頼まなかったから迷っちゃうかな?」
 さすがメイド思考の彼女は視点が違う。いつも気軽に飲んでいるお茶を、食べ物や飲み方に合わせて葉を変えるなど気にもしなかったかもしれない。それでも、形だけでも学んだ円にも会話の1つとしてそういう気遣いの仕方があることを覚えた。
「やっぱり無難なところでアッサムじゃないかな。ショートブレットを添えて頂きたいところだね」
 うんうんと頷く歩はまたノートに走り書きをする。そうこうしているうちにロザリンドがポットを運んできて、あの人に淹れてあげるためにと独学で学んだ作法でミルクティーを注ぐ。けれどもトレイにはお茶請けは乗せられていなくて、サービスで付けられないものかと円はキッチンへ交渉に向かった。
 そして訪れる静かな時間。2人とも待ちの姿勢では歩を退屈にさせるとナガンが1歩テーブルへ近づく。
「お嬢様、お味はいかがです?」
「うん、とっても美味しい! 皆こんな勉強して素敵な人を見つけちゃうだなんて羨ましいよ」
 果たして講座の効果はあったのかどうか、真面目に参加してきたナガンは思い返しては苦笑する。多少プラスになったのなら良いが、どうにも頭では正しいことを理解していても行動に移すことはなくて、成果を見せる機会はそうそう無いかもしれない。苦笑する悪友は、きっとそんな面を見抜いているんだろう。今日のようにきっちりとスーツを着て髪を高い位置でまとめ真面目な格好でいることが多いならいざ知らず、ピエロの格好で派手な言動をしていれば普通は近寄りがたいはず。なのに、こんな自分に素敵な人の見つけ方を尋ねてくるから、ナガンは少しだけ戯けて見せた。
「それはどうでしょう。歩お嬢様の場合、白馬に乗った王子様が現れてくれるのでは?」
「そうかなー? そうだといいけど、いつまで待てばいいのかなっ」
 行儀が悪いとわかっていても、両肘をテーブルにつけて頬杖をつく歩につい笑いが零れそうになる。それぞれに大切な人がいても、こうして友達同士でゆっくり出来る時間はとりたい。その思いはきっと4人とも同じだと、見えない絆を信じられるのだった。



イケナイパラダイス?


 少し騒ぎはあったものの、今のところは大きな問題もなく営業出来ていることに嵯峨 奏音(さがの・かのん)は着慣れないメイド服のままフロアを眺めていた。キッチンでの衛生面は徹底させているので食あたりも起きてないようだし、嵯峨 詩音(さがの・しおん)の顔色も良い。忙しそうな店内を歩き回ったり、お客の無茶な対応で疲れさせるわけにはと、詩音が好きな絵をお客様の希望通りに描くというサービスを取り入れたが上手くいっているようだ。
 シーラ・カンス(しーら・かんす)の希望に応え、看板娘となりつつある{SNL9999020#エリーちゃん}の悩ましいポーズやら同じく女装して甲斐甲斐しく接客している薔薇学の皆さんとの絡みなど、なんとも言えない絵を描いていることには……この際、目を瞑るろう。
「男の娘にこんな絵を描いてもらえるなんてねぇ。期間限定と言わず、ずっとやってくれたらいいのになぁ」
 男女とも同性カップルを愛でるのが大好きなシーラにとって、異性装を着たこの店はそのままで良し脱いで良しな妄想を働かせるには美味しすぎる店。もちろん、アーヴィン・ヘイルブロナー(あーう゛ぃん・へいるぶろなー)にとってもそれは同じ。先程から店員や客を見渡しては、様々な妄想を繰り広げているようで、指名したがメニューを届けてくれるまでの間も平和に過ごしていた。
「そう言えばね、同級生に魔鎧を持っている子がいるんだけど……」
 さらさらと詩音が絵を描く後ろで、魔鎧と聞いて興味が出たのか席の片付けをしていたウェルチが顔を上げる。シーラが今度はどんな絵を描いてくれるのだろうかとキラキラした目線を送っているので、原稿用紙に描くスケッチを覗き込んだ。
 そこには、フェンリルの悩ましき裸体……を最低限隠すようなビキニアーマー姿が描かれており、一目見るだけにするつもりだったウェルチは背後から詩音に声をかける。
「ランディを侮辱するなら、キミも魔鎧の材料にするよ?」
「ごっ、ごめんなさい!」
 静かな怒りをたたえたウェルチの声に反射的に謝り、振り返った姿が違和感のないメイド姿の女の子で驚かされたのはウェルチのほう。同級生に似合いすぎる男の娘がいるとは噂に聞いていたけど、こんな子もスタッフでいるならフェンリルは心配しすぎじゃないだろうか。
(……そうだよね、元々麗しい男の子を入学させてるんだ。これくらい女装が似合う子がいたって)
 そう思い、なんとなくランディの件の腹いせとあまりにも似合いすぎることの悪戯心で彼の胸元へ手を伸ばす。こんなに詰め込んで、どこまで女の子らしく振る舞おうというのか、彼を魔鎧にしたならどんなデザインの物が良いだろうかと考えたそのとき――。
「きゃぁあああっ!?」
 バッと胸元を覆う彼に、つい伸ばしかけた手が止まる。背を向けられていてよく見えないシーラは何事かと目をランランとさせていた。
「あ……はは、ボクが悪戯したおかげでパットがずれちゃったみたいだね。直すの手伝うから更衣室へ行こうか」
「ふぅん、更衣室かぁ。誰かくるかもしれないドキドキな部屋ね、行ってらっしゃあい」
 何かを期待して見送るシーラに、詩音は何も返せない。ただ胸元を押さえたまま、静かにウェルチへ従うだけだ。
「薔薇学生だと思ってたけど――女の子、だよね?」
「あ、あの……誰にも、言わないで……お願いっ!」
 今さらどう言い訳をしたところで誤魔化しきれない。そう悟った詩音は懸命に頭を下げるがウェルチは冷たい瞳で見下げるだけ。このままでは学校を退学させられるのか、それともエリート校で罰則には厳しいだろう薔薇学で何が待っているのかと考えると震えが止まらない。
「……君のパートナーも、薔薇学に?」
「うん……校医をね、やっていて。薔薇学に勤めているの、だから」
 声を詰まらせて事情を説明する彼女の気持ちは良くわかる。同じ薔薇学生として、そんなことを感じてはいけないけれど、パートナーの傍に居て支えたい思いが強いからこそ、多少の無理もいとわない。
「同じだね、ボクらは」
 静かにそう呟いたウェルチを驚いて見返す詩音の涙が止まる。男装して忍び込んでいるのは自分だけでは無かったのだ。
「でも、気をつけて。ボクらは校則に背いてる、そしてそれはパートナーも同じ……同じ失敗は許されないよ」
 男子校への立ち入りだけでなく、パートナーでさえも女人禁制を徹底しているエリート校、薔薇の学舎――。
 そこで生活をしていくには、いつでも気を緩めることなく美しい男の子として振る舞わなければならない。仲間を見つけたことで安心するのではなく、これからもしっかりしなくてはと詩音は疑われることのないように振る舞わなくてはと決意を新たにするのだった。

 その頃フロアでは、てっきり客としてくるのだと思っていた志位 大地(しい・だいち)を見つけたが、そう言えば仲良く講座を受けていたっけと声をかけた。
「なんだ、俺が接客しようかと思ってたけど……もしかして彼女でも来るの?」
 きっちり執事服を着た大地と、なんとか大きな肩幅をこれ以上大きく見せないためにフリルは控えめのシックなメイド服に身を包む真。互いの服装がいつもと違うのに、むしろツッコミを貰えたなら笑い話に変えられるというのに、大地はそれすら気にせず薄ら笑いを浮かべる。
「ふふ……メイドさんじゃなくてお嬢様も似合いますよね……ドジっ娘なメイドさんを助けるのも捨てがたいですが…………うふふふふ」
「え、あ、大地、さん?」
 もしや自分はとんでもない地雷を踏んだのか。白昼夢より抜け出せない大地を不憫に思いながらも、真はこれ以上彼の傷を抉らないようにそっとしておくのだった。
 彼のパートナー、シーラだけでも幸せそうなのが何よりだが、彼女が手にするイラストに目を留める者がいた。もちろんアーヴィンだ。
「お、おおおっ! この素晴らしきイラストはキミが? いやはや素晴らしい、ぜひともお話させて頂きたいものだ」
「さっきここに座ってた男の娘に描いてもらったのよー。今は更衣室でお楽しみみたいねぇ……ふふっ」
 うんうんと大きく頷くアーヴィンを遠目から冷ややかな目で見るマーカス・スタイネム(まーかす・すたいねむ)は、わざわざ別席を頼んだにも関わらず待ちきれないのかそわそわと歩くアーヴィンが視界に入ったことでげんなりとする。早くあの悪魔でも呼び出しそうな会話が終わってしまえばいいのにと思っているとエリオがケーキセットを運んでくる。
「お待たせしました……と、どうかしたのか?」
「……なんで、パートナーは選べるようで選べないんでしょうね」
 エリーさんと呼びかけて良いものか分からず、ポツリと泣き言を漏らす彼が1人で来ているようなので愚痴に付き合うことにしてくれたエリオに感謝を伝え、ささやかな幸せに包まれようとしたとき、やっぱり邪魔をするのはあの男だ。
「真城さんが、仮面を外しているにも関わらず関西弁じゃない……!!!?」
「接客業だからね。折角覚えた標準語だから、場面に合わせて使い分けないと」
「なんたることだっ! 最近は方言を使える男子はポイントが高いと言うのに、これでは旬を逃してしまうではないか!」
 何やら熱く方言について語られてしまったが、これは関西弁での接客を熱望しているととって良いのだろうか。
「一口に関西弁と言ってもだ! 大阪か神戸でもまたニュアンスが違って奥が深いものなのだよ、そうだろう?」
「ああ、まあ……でも僕の地域は荒っぽいから、人前に立つ機会が増えてからはあんまり……」
 それは逆にアーヴィンの創作意欲を刺激したようで、わくわくとネタ帳を広げる彼を前にわかりやすい言葉は無いかと記憶を掘り返す。
 地元の名前を告げず、地方を表せる言葉。的確なものとして1つしか思いだせなかった。
「地車に曳かれとう無かったら道あけんかいっ、横しゃくりでぶつけんぞドアホが! ……とか?」
 小さな頃、よく行っていたお祭りで耳にした言葉。分析に意気込んでいたアーヴィンも一瞬言葉を失うほどに荒々しく、方言分析の次にしようと思っていた会話が暫く頭から飛んでしまったという。

 盛りあがるフロアを後にして、キッチンへとオーダーを取りに行く影。フロアとの境目にある姿見は客席へ出る際に身だしなみを整えるため設置されたが、皆川 陽(みなかわ・よう)は注文を伝える前に暫しその鏡の前で立ち止まってしまった。凡庸すぎて好きになれない見た目が、男性的な特徴も無かったためにメイド姿が違和感なく似合ってしまう自分。本当はいつもの眼鏡を外して合わないコンタクトをしているから良く見えないけれど、器用にこなすテディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)にメイクを頼んだし、他の女装している人たちと比べたらそれなりの見た目だとは思う。タシガンの医療技術は空京よりも後れていることに、今日ほど感謝したことはない。もしハッキリと自分の姿を確認できてしまったなら、きっと深く落ち込んでしまったことだろう。
(例え可愛くなったとしても、ボクを求めてくれる人なんていない……何の価値も無いから、当たり前なんだけどさ)
 もし女の子だったなら、誰かが哀れんで手を差し伸べただろうか。もし契約者が彼じゃなかったら、こんなに卑屈にならなかっただろうか。綺麗な顔も勇気も欲しいものはなんでも持っているくせに、家族が欲しいとわけのわからない理由で自分をも奪った。欲しいほしいと声を大にして近づいてくるくせに、その目は何も捉えてない。大好きな飲み物が入っていたグラスでも、飲み干してしまえば終わり。近くにあっても見向きもされない虚しさは、何でも手に入る彼なんかにわかるはずもない。
 ほんの少し勘違いをしていたんだ。契約を求められて必要とされたと思い込んで。そうじゃないとわかった今、彼に期待をするのは間違ってる。なのに、良く見えないはずの目は戦場のように忙しそうなキッチンからテディを見つけてしまうのは何故なんだろう。
「……すみませーん、イチゴのタルトとチーズケーキお願いします」
 奥でテディが振り返った気がしたけど、今は仕事中だ。気付かないフリをしてコーヒーを淹れるのに、バタバタを落ち尽きない足音を聞いてどこかホッとしてる自分がいる。
「陽、あの……ごめん。この間は」
「――やめて。何も聞きたくない」
 これ以上期待して、傷つきたくないんだ。彼の嘘に惑わされたくないんだ。契約だって出来るなら誰でも良かった、好きだって言葉も家族になってくれるなら誰でも良かった。その次は?
「今は本当に好きなんだ! それだけは、わかってほしくて」
(そう言ったら無理矢理も無かったことに出来ると思ってるのかな。ボクが欲しいのはそんな簡単な言葉じゃないのに)
 淹れ終わったコーヒーと、テディが運んできたケーキをトレイに乗せる。自分と視線を合わそうともしないテディを一瞥すると、姿見を向いて襟を整えた。
「嘘つきは嫌いなんだよね。だからもう、ボクに話しかけないで?」
 冷たくあしらっても、テディはしつこいくらいに付きまとってきた。だから、本気なら食い下がってくるに違いない。昔みたいに癇癪を起こして、それを宥めて……それでいいじゃないか。好きとか嫌いとか、そんな次元の話じゃなくて――。
「――イエス、マイ・ロード」
 深々と頭を下げ、振り返らずにキッチンへと戻るテディに、何を言われたのかわからなかった。
(たったいま、好きだって言ったじゃない。なのになんで、否定もせずに……ねぇ、なんで?)
 期待しちゃダメだってわかっていたのに、それでも試してしまった。必要なんてされるわけもないのに、どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。彼だから賭けてみたかった、正面から心を求めてほしかっただけなのに。
「あ、あの……大丈夫……?」
 ふらふらと何も持たずにフロアに出て来た陽を、マーカスが訝しんで声をかける。目尻にいっぱい溜めた涙にギョッとするも、可愛らしく見上げられては抱き留めていいものか手を右往左往させる。メイド姿なら男の子だと思いたいが、いかんせん胸に膨らみがあればパットなのか女の子なのかわからないからである。
(やっぱりテディは嘘つきだ……全部ぜんぶ、嘘なんだ――!)
 何を信じればいいですか、何処に行けばボクは必要とされますか。いらない子だと分かっていて、その答えを求めるのは馬鹿馬鹿しいのかもしれない。けれど、1%でも、それ以下だとしても0じゃない可能性があるなら縋りたい。零れる涙は合わないコンタクトのせいにして、陽はマーカスの胸で泣きはらすのだった。