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黒ひげ危機脱出!

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黒ひげ危機脱出!

リアクション




1.雨上がりの亀の甲羅で


 常であればいつまでもしとしとと降り続ける梅雨。
 ここが上空であるためか、今は雨上がりのさわやかな風が吹き抜けていく。
 遠くから見れば巨大なウミガメにも似た飛行生物の甲羅は、まるで広大な丘のようにも見える。その甲羅の上に、無数の刀剣が突き立てられる。
 無数の刀剣は、剣士たちの墓標のようにも見える。その墓標の間に、タル状の突起が点在している。無数の刀剣とは違い、飛行生物の甲羅に元々存在する器官のようだ。
「――ッフ、水もしたたるいいおっさんだな」
 タル状のくぼみにはまり込んだむさ苦しい黒ひげの男が笑みを浮かべる。ひげからしたたり落ちる滴がキラキラと輝く。
「そういえばおじさんずっと雨や風に打たれっぱなしなの?」
 彩祢 ひびき(あやね・ひびき)は雨に濡れて重くなったジャケットを脱ぎながら首を傾げる。
「ああ、刀の妖精さんだからな。風邪を引かない」
「ふぅん」
 そんなひびきと黒ひげを尻目に、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)は突き立てられた刀剣を引抜いている。
 レキが黒ひげから聞いた村正の情報は『日本刀であることだけは断言できる』というまことに頼りないものだった。
 とはいえ、飛行ガメの甲羅に突き立てられた刀剣は、日本刀からレイピアまでさまざまだ。そんな雑多な刀剣の中から、まずは日本刀だけに絞れただけでも御の字というべきか。
「うぅん――日本刀かぁ――結構あるねぇ」
 レキは辺りに突き立つ無数の刀剣を見て小さく嘆息する。
 飛行ガメの甲羅にカップルで剣を突き刺すと二人の愛は永遠になる――出所が不明の伝説は主に女子学生の間に伝えられ、長い年月を経てご覧の有様になったらしい。
「ふむ、錆びておるものがほとんどじゃな」
 携帯電話のカメラで風景を撮影していたミア・マハ(みあ・まは)が呟く。別に記念撮影をしていたわけではなく、現状を記録しておくことで村正の探索を容易にしようという考えがあっての行動だ。
 ミアの言葉通り、甲羅に突き立てられた刀剣の内、およそ半分ほどは刀身がひどく錆びてしまっている。研いでも武器としては使えないものがほとんどだろう。
 ミアは、ひびきと何事か話ながら馬鹿笑いをしている黒ひげを見る。本体である刀が錆びていたり曇っていたりすれば、その分身である黒ひげにも何らかの変化があるのではないだろうか。
「レキ、錆びていない日本刀があったらそれを抜いて持ってくるのじゃ」
 ミアは自分の推理を元に、レキに指示を飛ばす。
「りょうかーいっ!」
 レキは手近にあるものから刀身の錆びていない日本刀を抜いていく。
「ふむ」
 レキが軽々と日本刀を抜いていく姿を見て、ミアも側にあった刀身にサビのない日本刀の柄を掴んでみた。
「う……ぐ……」
 抜けない。ミアが渾身の力を込めても、甲羅に突き立てられた日本刀はびくともしない。
「ん〜、どしたの?」
 女性としては長身のレキが、ミアの背後から日本刀の柄を掴み一息に引抜いた。レキの腕力が特別強いというよりは、ミアの腕が非力というべきだろう。
「ッフ……わらわは魔女じゃからな」
 ミアはずり落ちそうになった眼鏡の位置を直しながら、涼しげな風を装って呟く。
「うん、そーだねー!」
 レキは、ミアであれが身体の法が振り回されてしまうだろう太刀を軽々と肩に担いで笑みを浮かべる。 
「レキさん、そちらの調子はどうですか?」
 佐野 和輝(さの・かずき)は、以前からの知人であるレキに声をかける。
「うーん、とりあえず村正っぽいの集めてるところだよ」
「本当に見つかるのでしょうか……」
 飛行ガメが巨大だ。その甲羅にまんべんなく刀剣が突き立っているのだ。総当たりで探すにはあまりにも数が多すぎるだろう。
「うーん、ひげのおじさんに見せてみれば村正がどうか分かるとは思うんだよね」
「問題は、どの穴が正解か分からないということですね」
 和輝が考え深げに顎に手をやる。
「ねぇ和輝! 剣を抜いて刺せばいいんだよね」
 アニス・パラス(あにす・ぱらす)は和輝の背中に飛びつく。柔らかなプラチナブロンドの髪とともにふわりと舞い上がったプリーツスカートの裾をスノー・クライム(すのー・くらいむ)が慌てて抑える。
「お、おい……」
 和輝は小さく咳き込みながら自分の首に回されたアニスの腕を掴む。そんな彼らの様子はまるで家族のようにも見える。それぞれの思いはともかくとして
「にひひー」
 和輝の背中にぶら下がりながら、アニスは精神を集中させる。力を加える場所をイメージし、サイコキネシスを発動させる。頭の中心に火花の走るイメージ。
 アニスは一気に複数の刀剣を引抜きたかったのだが、彼女の身体能力では一本の剣を持ち上げるのが精一杯だった。精神的な力とされるサイコキネシスだが、動かすことのできる物体の重さは能力者の身体能力に規定されるという。一説には、サイコキネシスを発動させるためには、自分がその物体に実際に触れて動かす感覚を正確にイメージする必要があるためだと言われている。
 錆びたロングソードがが、見えざる手で引抜かれたかのように宙へと浮き上がる。
「おぉ〜」
 日本刀を抱えたレキが感嘆の声を上げる。
「これ刺せばいいんだよね!」
 アニスはそう言うが早いか、サイコキネシスで持ち上げた刀剣を再び飛行ガメの甲羅に突き刺す。
「おい! アニス、ちょっと――」
 和輝がアニスを停めるより前に、甲羅に再び刀剣が突き刺される。
「んもぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜」
 牛の鳴き声のような音が響く。それに続いて和輝たちの立つ飛行ガメの甲羅が大きく揺れる。
「っきゃ!」
 突然の揺れに、スノーが思わず和輝にすがりつく。背中のアニスと横から抱きついてきたスノーの動きに翻弄され、和輝もバランスを崩す。
 側にいたレキも体勢を崩し、抱えていた日本刀を取り落としてしまう。
 飛行ガメは甲羅に刀剣の類を刺されることによって、人間でいえば鍼灸治療にも似た心地よさを感じるらしい。その際に、身体を大きくゆらすのだ。
「わ、わ、わ、わ……あぶない」
 足もとが揺れることによってレキの取り落とした日本刀が踊る。
「お。お……お?」
 レキは飛行カメの甲羅に突き刺された奇妙なものを見つけた。刀身が三角錐の形をした短刀だ。刺突専用の武器だろう。手に取ってみると何かの動物の皮を巻かれた柄は、手に吸い付くようになじむ。継ぎ目を狙えばプレートメイルも貫通させることが出来そうだ。
 皮の巻かれた柄には焼き印が押されている。『アイなんていらねぇよ! 2015夏』。誰かがおいていった悲しみの印のようだ。
「レキは……記念品を手に入れた」
 レキはどこかの誰かの残していった悲しみの印をそっと引き受けた。
「にひひ〜、おもしろーい!」
 アニスは再びサイコキネシスで刀剣を抜き差し、甲羅に突き刺した。
 牛の鳴き声に似た飛行ガメの声、そして振動。
「ぬふぅっ!」
 安土桃山時代の剣豪の気合いのような悲鳴を上げてレティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)は転倒する。
「うわぁ、変な声出しちゃったよ――えへへ」
 レティシアはタル状の突起の中から顔を出して苦笑を浮かべる。
「って――抜けない! くぬっ」
 レティシアは身をよじってタル状の突起から脱出しようとするが、抜け出そうと力を込めると身体全体が圧迫され身動きが取れなくなってしまう。
「ま、いいや。おーい、ミスティー」
 あまりにものんきなレティシアの様子に、ミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)は嘆息しながらも近づいてくる。
「なんですか?」
「ヘイ! お湯かもーん!!」
 レティシアは、飛行ガメの甲羅の突起に温泉から汲んできたお湯を張って、露天風呂を楽しもうとここまでやってきたのだ。
 レティシアは器用に狭いタル状の突起の中で服を脱ぐ。抜け出そうとしなければ、タルの中で身動きを取ることは用意だ。
「水着着ててよかった〜」
 レティシアから渡された制服を丁寧に畳んたミスティーは、汲んできた温泉のお湯をタル状の突起に注いでいく。
「お湯加減はどうですか?」
「おー、ばっちりいい気分だね〜。ミスティも入りなよ」
「二人して入ったら出られなくなっちゃいますよ」
「――っは!」
「え? どうしました」
「ちょっと頭くらくらしてきた」
 レティシアの頬は真っ赤になっている。いつまでも風呂に浸かっていればのぼせてしまうだろう。
「ど、どうしましょう」
 ミスティはおろおろと辺りを見回し、何本かの剣を引抜く。
 レティシアとミスティのやりとりを見た和輝が、少ししゃがんでアニスと視線の高さを合わせた。
「アニス、何であんなことをしたんだ?」
「あの……ちょっと面白いかなって」
 アニスは真っ正面からの和輝の目を耐えられず、視線を左右に彷徨わせる。
「和輝、アニスも悪気があったわけではないですし」
 戦場では恐れを知らないスノーも、どこかおろおろと和輝に声をかける。
「アニス、自分のやったことの責任は取らなくちゃいけない。わかるな」
「うぅ……」
 スノーはしばらく目を伏せて板だ、ゆっくりと頷いた。
「分かった。そう言うわけで、あの人を助けに行くぞ……たぶん剣を正解の穴にさせばタルから出られるだろう」
 和輝は適当な剣を引抜くと、それを片手にレティシアのはまっているタルへと向かった。
「村正探しは後回しだ。あの黒ひげ、今すぐ助け出さなきゃ行けない訳じゃない」
「はい! アニス、行こう?」
 スノーの差し出した手を、アニスはそっと握った。
「私も手伝いますよぉ〜」
 イチゴ柄のアイテムでドレスアップした佐々良 縁(ささら・よすが)は、背後にアリスの少年、佐々良 睦月(ささら・むつき)を従えている。
「ねーちゃんいいのかー? あのひげのおっさん」
「きっと大丈夫だよぉ」
 縁はにこやかな笑みを浮かべて頷く。
「おいさー。じゃあ、適当にさしていけばいいんだなー」
 睦月はレティシアがはまった樽状突起のまわりに刺さった剣を抜く。
「よーし、さしてくよー」
「よっしゃ−! ばっちこーい」
 レティシアはタル状突起の中で怪気炎を上げる。
「えい! 不意打ちですよ―」
 不思議なタイミングで茶目っ気を発揮した縁は、レティシアとミスティの死角になる位置から無造作にタル状突起に剣を突き刺した。
「うっ……」
「レティ!?」
「うひゃひゃひゃひゃひゃ、くすぐったい〜」
 はまっていた時間の差なのか、レティシアのはまったタル状突起は間違った穴に剣をさすと、くすぐられるような感覚を覚えるらしい。
「わぁ、楽しそうですねぇ」
「よかった、痛くないのみたいですね」
 ミスティは安堵の息を吐きながら、思い切って剣をタル状突起に刺す。
「ふははははは!!」
 昔の特撮番組の悪役に様に高笑いを浮かべるレティシア。
「あらあら、和やかですねぇ」
 縁も剣を突き刺す。和輝たちもレティシアのはまった樽状突起に剣を刺していく。
 一輝にタルに空いた穴の半分が埋まるが、レティシアはタルに捕われただけだ。
「は……ふぅ」
 湯あたりと、タルに剣が刺されたときのくすぐったさでレティシアは疲労困憊の様子だ。一度に剣を刺すと、レティシアの消耗が激しくなる。かといってあまりに時間が掛るとレティシアが完全にのぼせてしまう。
「ここは材料工学専攻中の私の観察眼で……」
 縁は糸のように細い眼を凝らし、レティシアのはまったタル状突起を見つめる。
 そのまま数十秒、無言の時が流れる。
「ねーちゃん、寝てんの?」
 睦月は縁の顔をのぞき込む。糸目の縁は、端から起きているのか寝ているのか分かりづらいのだ。
「失礼な〜。ちゃんと起きてますよ……でも、やっぱり測定器がなきゃわからないですねー」
 剣を出して飛び出す穴の付近に衝撃を与えれば、その場所はほかとは違った振動波形を示すはずだ。縁は試しに拳で軽くタル状の突起を叩いてみるが、人間の感覚では違いは感じられない。
「ざんね〜ん。フーリエ変換とかしたかったな〜、えへっ☆」
 ぺろりと舌を出して笑ってみせる縁。
「た……たすけて」
 レティシアはぐったりとうなだれた。

 自分で拵えた露天風呂にはまったレティシアの救出をしている学生達。
 そんな彼らの様子を見ながらルーシェリア・クレセント(るーしぇりあ・くれせんと)は、地面に刺さっている刀を抜いていく。笑いすぎて息も絶え絶えといったレティシアの様子を見る分には、あちらには今以上の人手は要らないだろう。
「これでもない、これでもないですぅ」
 今は剣士ではないが、代々剣士の家系に生まれた彼女は、業物とそうでないものとの違いくらいは分かる。業物ではないなら、村正ではないはずだ。候補から外れた刀がルーシェリアの足もとに積み上げられていく。
 彼女自身は、村正を手に入れたいという願望は全くない。タル状の突起にはまり込んで長い間動けなくなった黒ひげに同情しただけだ。
「それにしても絶景ですねぇ」
 ルーシェリアは作業の手を休めて辺りを見回す。地面に無数の武器が突き立っているという風景は、それだけで自分が大きな物語の中にいるような錯覚を起こさせる。
「日本の映画だったかしら?」
 こんな風景を映画の中で表現した名映画監督は確か日本人だった。二十一世紀のくる前に逝去したその監督の名は、日本人ではないルーシェリアでも知っている。
「なかなか思い通りには行かないものですねぇ」
 ルーシェリアは、自分の足もとの刀を見て小さく嘆息する。
 黒ひげ救出の手伝いをしながら、一振り業物でも見つけられればとも思っていた。しかし、飛行ガメの甲羅に突き刺されている刀剣のほとんどは、何でもそろう魔法のお店『首領・鬼鳳帝』でも買えそうな大量生産品がほとんどだ。
 戦乱、それに伴う略奪などが未だ止む気配もないパラミタでは、安く高品質な武器が安定されて供給されている。
「やっぱり伝説の武器なんてそうそうは……」
 聖ジョージの槍やノートゥングとは言わないまでも、なにか変わった武器が欲しいものだ。
 雲海からの照り返しと、太陽、さらに甲羅に突き立てられた無数の刀剣によって、まるで夢の中にいるような不思議な感じがする。
「あぁ、ここには影がほとんどないんですねぇ」
 まるで建築家によって計算し尽くされた空間であるかのように、この瞬間、この場所にははっきりとした影が存在しなかった。
 いや、たった一つ。
 夜を切り取ったような黒い刀身と、深淵を凝らせたような柄を持つレイピアがルーシェリアの瞳を捉えた。柄には消えかけた刻印がある。『CAST IN STARLES』。
 ルーシェリアは夢遊病者のような足取りで、その漆黒の剣を手に取った。直径一センチもないであろう刺突専用の刀身は、ルーシェリアの心をそのまま現しているかのように揺れた。
 ルーシェリアはいつまでも不安定な未来そのものであるかのような刀身に見入っていた。