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南よりいずる緑

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第4章 夜の帳が下りる頃 1

 夜――静かな夜だった。
 宿の一室にいたシャムスのもとに、とある二人が尋ねてきた。
「明子……」
「ご報告にってことでね」
 伏見 明子(ふしみ・めいこ)、それに彼女のパートナーであるレイ・レフテナン(れい・れふてなん)だ。二人が尋ねてきたというで、その目的はシャムスには分かっていた。
 部屋の中に招き入れて、椅子に促す。少しだけ空元気気味に、明子は部屋の内装を褒めたりシャムスのゆるいワンピース姿をからかったりと、明るく笑う。だが、シャムスが紅茶を用意して彼女たちの前に差し出してしばらくすると、その表情が陰りを帯びた。
「さってと……んじゃあ、本題に入ろうかな」
「そうだな」
 明子にならって、シャムスも真剣な表情で対面した。
 カナンの全体的な状況を知るために、明子は各地を巡回して回っていた。シャムスが見ることのできない細かい民衆の問題を、彼女はその目で見てきたのだ。
「んー……一言で言うと、あまり良い状況ってわけでもないみたい」
「と、言うと?」
「ほら、ネルガルがやられて、戦いが終わったわけじゃない? だから、そのネルガル残党との小競り合いでさ。開放された人達の方が、逆に手を出してる場合があって、ちょっとね。……どっちが悪者だか、正直よくわかんない」
 明子はそのときのことを思い出しているのだろう。ごまかすように、軽く苦笑した。シャムスは、難しそうな表情になる。
「大義名分を盾に、というわけか」
「見かけた時は喧嘩両成敗って双方脅して何とか収めてるけど、力業で止めただけだから……本当に解決するには、きっとあなたの力も必要なはずよ」
 シャムスは考え込むように床を見た。
「何だかんだいって酷い目にあった人だっているし、そりゃ遺恨も残るわよ。ネルガルにも目的はあったって言う人はいるけど、やっぱ私は許せないかな。国を変えよう、とか言い出す人はこういう事を見なくなるから……そういうのが、私は嫌いなんだ」
 明子は、唇をぎゅっと噛んだ。世の中には、小さなものばかりを気にして、大きな大局を見ようとない人がたくさんいる。だが、大局ばかりに目を奪われて――小さなものを見落としてしまう者もまた、存在するのだ。それは、違うのはないかと思ってしまう。
「貴女も、上手くいかないことがあっても、極端な手に走っちゃだめよ。自分を犠牲にして世界を変えるんだ、とか言い出したら個人的にブン殴りにいくからね」
「また、そんなことを……」
 最後の物騒な言葉に、レイは呆れたため息をついた。じと、と明子の目は横に視線を移す。
「……何よ、文句ある? どんな相手にだって言いたい事を言うために鍛えてるんだからね、私は。王様だろうが神様だろうが知ったことか、よ。そんなことより、あんたはどうなの?」
「僕からは何も。僕は地球人ではありませんし、カナンの復興にも関わっていなかった。口を出すのはそれこそ筋違いと言うものです」
 逆にいえばそれは、関わって来た契約者はここで身を引くというのが無責任――と言っているようにも思える。遠まわしに非難めいたことを言うのがこの男の特徴で、それに気づいていた明子は相変わらずだなという顔をしていた。
 だが、レイは思い出したように続けた。
「ああ、ただ……折角集めた物が無駄になるのは癪ですし、巡回した村の様子はHCのデータとしてカナンにお渡しします」
 あくまでついで、という言い方だ。レイは横の明子の視線に気づいた。
「……なんですかその目は。どうせ付き合わされる以上何もしないのは勿体ないと思っただけです。いやだからなんですかその生ぬるい目は」
「べっつにー」
 いつまでも生ぬるい目を向けていた明子の口元が、笑みの形に緩んでいる。
 時計を見て、彼女は言った。
「じゃあ、そろそろ時間も時間だし、おいとまするわね。今日は私もこの宿に泊まるつもりだから、何かあったら言ってちょうだい」
「ああ。……すまんな、助かった」
 最後のシャムスの礼に、明子は笑みだけで応じて部屋を出て行った。
 二人がいなくなった室内で、シャムスは鏡台の前に座る。『領主』である自分を見て、明子の報告を思い返す。戦争が終わるということは、なにも全てが良い面ばかりということではない。その影響は、様々な形で顔を出してくる。それを、自分は受け止める必要があるのだ。
 『領主』――として。
「笑顔……か」
 昼間にイルマや千歳が言ったことが、頭をよぎる。じっと鏡に映る自分を見つめて、そして、
 ――ニコッ。
 シャムスは、なるだけイルマたちのアドバイスに沿うようにして笑顔を浮かべた。すると、同時にパシャッという音を聞く。咄嗟に振り返った。
「誰だっ……!?」
 が、そこには誰もおらず。
 代わりに――箪笥の上に乗っていたのは猫耳を生やし、デジカメとデジタルビデオカメラという証拠記録機器をフル装備で構えていた人形のような人影だった。
「朝…………斗?」
「にゃっー!」
 人影――ちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)はシャムスに気づかれると鳴き声をあげ、その場を立ち去ろうとした。それが朝斗かどうかはシャムスにはよく分からなかったが――確実なのは、どう考えてもあのデジカメやビデオカメラが自分を撮影したものだということだった。
 それも、鏡の前で笑顔を浮かべる自分を。
「ちょっ、ま、待てっ!」
「にゃーにゃーにゃー!」
 部屋の中の家具をバッタンバッタン倒しつつ、逃げ回るあさにゃんを追いかけるシャムス。やがて、あさにゃんは部屋を飛び出していった。
「あ、この……!」
 それを追いかけて自分も部屋を飛び出したとき、シャムスは誰かにぶつかった。
「あ、す、すいませ……」
「あ、シャムス。ちょうどよかったです」
 そこに立っていたのは、カチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)だった。彼女はどうやらシャムスに用があったらしい。あさにゃんは逃がしたが……今更追いかけたところで追いつけるような気はしなかった。
 ――後で、朝斗たちを尋問しなくてはな。
「ああ、悪い……ところで、カチェアは何の用だ?」
 問いかけたシャムスに、カチェアは窓の外を見やって言った。
「ちょっと、お食事なんていかがですか?」



「あーあー、ハウンド01からハウンド00へ。ターゲットは広場を右折して路地裏に、これから料亭『モルモンの髭』へ向かう模様。次の指示を頼む」
 宿を抜け出していったシャムスとカチェアを追いかけるのは――灰色のコートと帽子にサングラスという出で立ちをした、いかにも『探偵』ですという格好の羽瀬川 まゆり(はせがわ・まゆり)シニィ・ファブレ(しにぃ・ふぁぶれ)だった。まゆりは携帯を片手に、どこぞから聞こえてくるスパイものの脳内BGMを再生しつつ通話する。
 その通話が繋がるのは、まゆりとは逆側の角で身をひそめるエンヘドゥのもとだった。
「尾行を続行。計画はAプランのまま遂行する。用心されたし」
『了解』
「あの……もしもし、エンヘドゥさん?」
 これまた探偵ファッションで、まゆりと物々しく会話するエンヘドゥに背後から苦笑の声がかけられた。
「はい、なんでしょう?」
 振り返ると、そこにいたのはリーン・リリィーシア(りーん・りりぃーしあ)だ。彼女は何とも言えなさそうな表情で、エンヘドゥを見つめていた。
「これって一体……?」
「ふふふふ……決まってますわ。夜の密会。二人の食事。このお姉さまのデート……見過ごすわけにはいきません!」
 ぐっと拳を握りしめ、謎の決意を掲げるエンヘドゥ。通話がそのままだったのか、携帯――ちなみに、リーンが貸したものである――からまゆりの芝居じみた声が聞こえてくる。
『ふっふっふ……越後屋、お主も悪よのぉ』
「いえいえ、お代官様ほどでは」
 エンヘドゥがなぜ日本のお約束を知っているか? ということはさておき、エンヘドゥに協力をお願いしたのは失敗だったか、とリーンは思った。もともとカチェアがシャムスを連れ出す際に、抜け出すチャンスを作ってほしいと頼んだのだが……まさかこんなことになるとは。
 ノリノリで楽しんでいる彼女たちに水を差すわけにもいかず、かといってカチェアたちの邪魔をさせるわけにもいかず――現状は一緒にいることを選んでいる次第だった。
『ところでハウンド00』
「あら、ハウンド02どうしたの?」
 もういっそ名前で呼びなさいよあんたたち……と背後のリーンが思う。通話の相手はまゆりからシニィへと変わったようだった。
『約束のワインは大丈夫なんじゃろうなぁ? わらわはそれが楽しみでしょうがないのじゃぞ』
「もちろん大丈夫です。南カナンでも特別なものをご用意していますわ。この作戦が終わった際には、ぜひともご堪能ください」
『……任せてもらおう、かっかっか』
 あくどい声が聞こえてきた。まったく、裏取引も良いところである。
「とにかく、我らハウンドチーム4人。力を合わせてお姉さまのアレコレを見守るのです。頑張りましょう!」
「…………4人って、私も入ってるのっ!?」
 いつの間にかメンバーにされていたリーンが驚く。
 しかし、そうこうしているうちにシャムスたちは目的の場所に着いたようで、リーンの嘆きを聞く間もなく、エンヘドゥたちは視認できるところまで場所を移動した。
 料亭『モルモンの髭』に入っていったのは、カチェアではなく店の前で合流した緋山 政敏(ひやま・まさとし)とシャムスだった。そして、その後大した間も空かずに、綺雲 菜織(あやくも・なおり)がとある男と料亭に入っていくのを目撃した。