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幼児と僕と九ツ頭

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幼児と僕と九ツ頭
幼児と僕と九ツ頭 幼児と僕と九ツ頭

リアクション


第2章 すごく、混沌です……

 合宿所の内部を一言で説明するとすれば、それはまさに「混沌」というのがふさわしかった。

 集まった契約者の大半は、これまでに様々な事件に介入しておりそれなりに身も心も鍛えられた精鋭である。契約者が操る技の数々、それもかなり上級のそれを操る者も多く、その破壊力たるやもう数人で世界を滅ぼしてしまえるのではないかと思わせるほどだった。それでもイコンの方がスペック上は強いらしいが……。
 そんな契約者たちは、今回の事件の影響で体のみならず精神まで退行してしまった。それはつまり、普段ならできるはずの「我慢」というものができなくなり、強力なスキルを部屋の中で乱発する、あるいは普通ならしないであろう行動も平気でしてしまえるということである。これで身体能力が減少してくれていればまだ良かったのだが、影響を受けた契約者は総じて「変化前の身体能力をそのまま引き継いだ状態」であるため、監督役であるハイナをはじめ、一部の「影響の出なかった」契約者を悩ませていた。
 その先鋒がドクター・ハデス(どくたー・はです)である。通常20歳の彼は、この日は4〜5歳程度の子供に変貌しており、「世界征服を企む【秘密結社オリュンポス】の幹部にして悪の天才科学者」を自称するというただでさえ厄介なキャラクターがさらに厄介なことになっていた。
「ふはははー! わが名は、どくたー・はです! これから『ひみつけっしゃごっこ』をおこなうのだー!」
 ドクター・ハデスと同じく思考回路まで幼児化してしまった契約者を集め、彼は大々的に悪巧みを実行しようとしていた。
 彼の言う「秘密結社ごっこ」とは、自分を含め集まった契約者を「秘密結社の構成員」、一方で集まらず、思考や身体が大人のままの契約者を「正義の味方」と設定し、正義の味方から構成員が逃げるという、一種の鬼ごっこのことである。ただし構成員はただ逃げるのではなく、合宿所の至る所にトラップを仕掛けたり、あるいは正義の味方にイタズラ――特に女性のスカートをめくったりするなど「悪役」振りを発揮しながら逃げなければならないのだ。
 正義の味方に指定された大人の契約者にしてみればいい迷惑である。だがそれを一切考えないのがドクター・ハデスという男、もとい少年だった。
「というわけでこーせいいんのしょくん! かつどーかいしなのであーる! せいぎのみかた、このおれを捕まえられるものなら、捕まえてみるがいいー!」
「みるがいいー!!」
 思考も幼児化した契約者を扇動するその様は、宗教の信徒を自爆テロに駆り立てる教祖のそれに近かった。普段のドクター・ハデスは決して自爆テロを推奨するような男ではないのだが。
 だが普段がどうとか現在がどうとかというのは今は関係無い。兎にも角にも、ドクター・ハデスの扇動工作によって最初の混沌が投げ込まれたのだ。
 その最初のターゲットとなったのは彼のパートナーである高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)ヘスティア・ウルカヌス(へすてぃあ・うるかぬす)の2人だった。
 この2人は偶然にも幼児化の影響を受けることなく、いわば保育士としてハイナの手伝いを行っていた。特にメイドの技を持つヘスティアはその能力をいかんなく発揮し、幼児化した契約者の世話をしていた。
「咲耶お姉ちゃん、ハイナさん、こっちは任せてくださいっ」
「うんお願いね、ヘスティアちゃん」
「いや、ぬし方がいてくれて助かりんすよ」
 ハイナと共に契約者の世話をしているその時である。
 自分たちがいる部屋に繋がる廊下から、子供のものと思しき数人の足音が聞こえてきた。歩いてきたのではなく、騒ぎながら走ってきたようなそれは、3人ほどの幼児化契約者を引き連れたドクター・ハデスのものだった。
「こらっ、兄さん……、じゃなくてハデスくんっ! 廊下は走っちゃいけませんっ!」
 そんな咲耶の制止の声を聞かず、ドクター・ハデスたちは一直線に咲耶とヘスティアに向かって全力疾走してくる。
「あ、ご主人様……、じゃなかった、ハデス博士……、でもなくて、ハデスくん。どうしたの?」
 暢気に声をかけるヘスティアだったが、次の瞬間にはそれが悲鳴に変わっていた。
「はわわっ!? ス、スカートがっ!?」
「きゃ、きゃあっ、スカートがっ!?  こ、こら、キミたちっ!」
 数人の契約者は2人の傍を通り抜ける際に、2人が穿いていたスカートの裾に手をやったかと思えば、すぐさまその手を上に上げた。その結果、手に掴まれたスカートの生地が舞い上がり、その下にある記事の色が衆目に曝された。
「やったぁ、だいせいこうー!」
「ふはははー、さくやは白、へすてぃあは青の縞々だな!」
 してやったり、といった表情でドクター・ハデスたちは笑みを浮かべる。それとは対照的に咲耶とヘスティアの顔は真っ赤に染まっていた。
 だがドクター・ハデスたちの蛮行はこれだけにとどまらない。彼らの目は近くにいたハイナに向けられた。
「さて、2人はせいこうした。では、はいなは何色かなー?」
 その言葉を聞いたハイナの目が細められる。
「ほう……、わっちのスカートをめくるつもりかぇ? というか、着物でありんすが」
「とうぜん! それがひみつけっしゃのしめいなのだー!」
 ドクター・ハデス以外の数人の契約者がハイナの下半身を狙って突撃を敢行する。契約者である以上、その身体能力は非契約の一般人と比べれば雲泥の差。いくら体が小さくなっているからといっても能力が変わっていない以上、3対1ではハイナの方が分が悪かった。
 だがここで予期せぬ妨害が入った。
「こら〜! そこのわるい子め〜!」
 契約者たちとハイナの間に割って入ったのは、外見も中身も5歳程度に若返ってしまったシャンバラ教導団(国軍)所属の御茶ノ水 千代(おちゃのみず・ちよ)である。軍隊所属だったという経験が体に残っているのか、どうやら彼女はいわゆる「仕切りたがりの優等生キャラ」になってしまったようだ。もっとも、今の彼女は若返りのショックで記憶の欠落が見られるため、もしかするとこれが本来の姿だったのかもしれないが。
「おじさん、おばさんたちの言うことをちゃんと聞いて、いい子にしなきゃ、らめでしょ!」
「おばさんて……」
 ドクター・ハデスたちに向かって右の人差し指を向けるその姿は、まさに「委員長」といったものだった。その言葉で後ろにいるハイナを苦笑させなければもっと良かったに違いない。
 だがここで負けるような「こうせいいん」ではなかった。元々「悪ガキ」として行動しようと思い、そして実行するドクター・ハデスたちにとって「委員長」など別段大した脅威にはなりえないのだ。
「なにおう! こんなところでひみつけっしゃは負けたりはしないのだー!」
「う……、うろたえるんじゃあないッ! ひみつけっしゃこうせいいんはうろたえないッ!」
「ええい、こうなったら、そこの女もまとめてあくのみちにひきずりこむまでー!」
 千代の制止の声を聞くどころか、逆に闘志に火をつけた契約者たちは「目の前の女の子」にイタズラを敢行すべく突撃する。
 5歳児になってやたら真面目になった千代は、そんな行動に怒りの色を見せる。
「こらぁ! いいかげんにしなさ〜い!」
 そして彼女は、向かってくる数人の契約者を相手にカウンターパンチのように平手打ちを叩き込んだ。しかも則天去私のオマケつきである。
「うぼぁ〜!」
「ぼ、ぼーりょくはんたいー!」
「おんながてをだしていいのか〜!」
 殴り倒された契約者はほうほうの体でその場から逃げ出す。ボスであるドクター・ハデスを置いていく辺り、彼らに忠誠心などというものは欠片も無いことが窺えるだろう。
「あ、ああっこら! こうせいいんがそんなことでいいのかー!」
 それを見たドクター・ハデスも撤退を開始する。そもそも彼らはイタズラをするのが目的ではなく、大人から逃げるのが目的であったため、勝ち目が無いとわかれば逃げてしまうに限るのだ。
 だが彼らの受難はまだ続く。実際にスカートをめくられた咲耶とヘスティアは怒りが収まらないのか、そしてドクター・ハデスたちを迎撃した千代はその真面目さから、逃げる彼らを全力で追いかけ始めた。
「こら、待ちなさい!」
「さすがにこれは許しておけません!」
「だからおへやの中をはしっちゃらめ〜!」
「大人から逃げる鬼ごっこ」というコンセプトを考えれば、この状況はドクター・ハデスにとっては最高のものだった。追いかけてくる人間の形相が鬼でなければだが。
 後に残されたハイナは、何事も無かったかのように自らの作業を再開した……。

 もちろん幼児化していて合宿所で待機することになったとはいえ、その全てが中身まで幼児化したわけではない。特にグレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)とナタクこと李 ナタ(り・なた)の2人がその代表例だった。彼らは体こそ幼児化したものの、精神は以前と変わらなかったのである。
 だが彼らの顔は浮かなかった。精神が無事だったとはいえ、やはり体が小さくなったという事実は彼らに重くのしかかっていた。
「随分と……、情けない姿になったな。俺たち……」
「頭まで幼児化するよりは、まあマシじゃね?」
 周囲で暴れまわる幼児化契約者たちを眺めながら、「元」大人2人は自らの境遇を半分だけ呪った。
「まあそんなことよりもだ、グレンよ」
「む……?」
「ここでじっとするよりするべきことがある」
 5歳程度の体格のまま、ナタクは表情を引き締めた。
「するべきこと、とは?」
 その雰囲気にただならぬものを感じたのか、つられてグレンも表情が引き締まる。
「決まってんだろ。ソニアとレンカから逃げる算段を整えるんだよ」
「……は?」
 思わずグレンは聞き返した。なぜその2人から逃げる必要があるのか。
 戦災孤児の傭兵だったため基本的に戦闘に関する知識しか持たず、特に恋愛に関しては全くの無知――最近は理解し始めたが――と言ってもいいグレンに、ナタクは細かく説明する。
「いいか、まず俺たちは幼児化している。つまり、少なくとも見た目は『子供』だ。ここはわかるな?」
「ああ」
「で、ソニアとレンカは子供が好きなんだ。もちろん、変な意味じゃなくてな。これもわかるな?」
「何となく」
「つまり、ソニアとレンカに見つかったら、俺らはかなりやばいことになる。おわかり?」
「わからん」
 少なくともナタクが何かしらの恐怖を、他のパートナーたちに抱いているのだろうということは雰囲気で理解できたが、その理由についてはグレンはまったく理解できなかった。
 子供になった自分たちを子供好きな2人が徹底的に可愛がる。これがどういうことなのか、グレンにはわからなかったのだ。
「……まあわからなければそれでもいいさ。とにかく今は逃げるのが大事だ」
「……まあ、そこまで言うならやるが」
 ナタクの必死さは伝わったのか、グレンも重い腰を上げて――一応見た目は5歳程度の幼児だが――逃げる準備に取り掛かる。
 ひとまず今いる部屋から離れた方がいいと判断した彼らはこっそりと廊下に足を踏み出すが、次の瞬間、その判断が間違いであったと思い知らされた。
「あっ! グレンお兄ちゃんもなっくんもレンカよりちっちゃくなってる!」
「げっ!?」
 声に振り向けば、グレンとナタクの視線の先にはレンカ・ブルーロータス(れんか・ぶるーろーたす)、そしてソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)がいた。今いる部屋から逃げようと思って抜け出したところを見つかってしまったのである。
 そもそもソニアとレンカがこうしてここにいる理由だが、これはかなり単純なものだった。パートナー4人で合宿に参加し、翌朝、合宿所で目が覚めるとグレンとナタクがいない。では探しに行こう、というものである。そして見事に鉢合わせしたというわけだ。
「こ、これは……、か、可愛い〜!」
 パートナーであるグレンを見つけたソニアは急に目を輝かせた。心なしか鼻息も荒くなっているように見える。
「こ、こんな可愛いグレンを誰かに任せるわけにはいきません……! 私が早く堪能、じゃなくて保護しないと……!」
 そんなソニアを見たグレンは、ここにきてようやくナタクの言葉の意味が理解できた。なるほど、確かにこれは危険すぎる!
「走れ、グレン!」
「言われずとも!」
 2人に見つかった以上は全力で走って逃げなければならない。グレンとナタクはその場から大急ぎで走り去った。
「あっ、逃げたよソニアお姉ちゃん!」
「おっと、そうはいきませんよ!」
 元から小柄なレンカが自分にしがみついてきたのを確認すると、ソニアは幼児化した男2人を追いかけるべく全力疾走を始めた。ソニアの狙いはグレン。レンカの狙いはナタク。2人が同時に、しかも同じ方向に走っているのであれば捕まえるのは容易い。
 合宿所を疾走するのは本来ならば危険な行為なのだが、今現在は多くの契約者によってその「危険行為」が当たり前のように行われている。そこに男2人と女2人が加わったところで何かしらの影響が出ることは無かった。
 数分間走り続けた結果、女2人はターゲットである男2人の姿を捕捉した。前方数メートル。両方とも同じ契約者の身体能力で走っているため、このまま走り続けていれば体力の少ない方がダウンするだけに終わるのは明白である。
「随分とちょこまかと逃げてくれますね。こうなったら……」
 いまだに前方を走るグレンとナタクを視界に入れ、ソニアは両手で抱えたレンカを強く握り締める。
「レンカさん、ちょっと荒っぽいやり方ですが、大丈夫ですか?」
「ん? なにやるの?」
「投げます」
 言ってからソニアはレンカを「構え」、投擲の準備に入った。もちろん2里を追いかけるべく足を動かすのは忘れていない。
 その動きにいち早く気づいたのはナタクの方だった。
「うげっ!」
 ちらりと後ろを見れば、レンカを今にも自分に投げつけようとするソニアの姿があった。つまりレンカを飛ばして、自分を捕まえさせようということか。
 だがナタクはこの状況において笑うことができた。ほぼ絶体絶命だというのに、である。
(甘いぜソニア! そう簡単に俺が捕まるかってんだよ!)
 ナタクはソニアから何かしらのアクションがあるということは予想していた。そのためにいつでも殺気を感じ取れるように準備はしておいた。そのアクションがまさかレンカの投擲とは考えていなかったが、それでも恐怖に値するものではなかった。
 ナタクは最初からソニアを足止めするための策を考えていた。策自体は非常に単純、一緒に逃げるグレンを盾にすることである。だがグレンも走っている途中で自分が何かしら不穏な動きを見せていることに気がつくだろう。だがそれでも構わない。要はグレンの動きを止め、それにソニアが気を取られている間に逃げればいいのだ。
 廊下の角を曲がる。その瞬間、ナタクは懐に忍ばせていたしびれ粉を辺り一面に振りまいた。
「!?」
 ナタクからのアクションはその殺気を感じることで予測はできていたが、周囲一帯に散らばるしびれ粉を全て回避するというのは、立ち回りには自信がありイナンナの加護を受ける身であっても不可能というものだった。結果的にグレンはナタクの策にはまり、その場で体がしびれて動けなくなった。
「ナタク! 何をする!?」
 グレンが叫ぶが時すでに遅く、ナタクは前方を走り去っていってしまった。
「悪いなグレン、俺はまだ捕まりたくないんで――ねぇっ!?」
 だがナタクが安心するのもつかの間、振りまいたしびれ粉フィールドを高速で突き抜けて、レンカがナタクの体にクリーンヒットした。
「甘いですよナタクさん。グレンが手に入ったのであれば、こちらは遠慮無くナタクさんを狙えるということですよ?」
 レンカを投げた後はしっかりとグレンを抱きしめ、ソニアは暢気に言い放った。
「ぐ、ぐぞ……。結構いい作戦だと思ったんだけどな……」
「なっく〜ん、捕まえた〜」
 倒れ伏すナタクをレンカはしっかりと抱きしめる。普段はナタクに妹として可愛がられているレンカだが、今回は自分が姉としてナタクを愛でる番だ。
 一方のグレンはソニアに捕まった後、それでも抜け出そうと必死にもがいていたが、逃げられないようにと全力で抱きしめにかかるソニアの拘束から抜け出せず、だんだんとその抵抗力を無くしていった。
「ああぁ〜、このやわらかさ、可愛さ、どれをとっても、もう……幸せすぎる〜……」
「いや、その、た、頼むから離してくれ、ソニア……」
「ダメです。こればかりは離せません〜」
 人目もはばからずパートナーを可愛がり倒すソニアと、そのソニアに捕まり、恥ずかしさに顔を赤くして、ついでに抱きついてくるパートナーの感触や匂いで頭が一杯になり、ついに思考を停止させたグレン。ナタクは、レンカによって膝に座らされ頭を撫でられながら、
「まあ、今日ぐらいはいいか……」
 などと諦めつつ、その光景を眺めるのであった。