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ピラー(後)

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ピラー(後)

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【一 あるべき筈の行き先】

 気象研究学者クレイグ・バンホーン率いるバンホーン調査団は、その日も相変わらず、灼熱の陽光が降り注ぐシャンバラ大荒野の中を、ジープやキャンピングカーによって編成される隊列を走らせ、黄土色の砂塵を撒き散らしていた。
 先頭を走るジープの助手席には、リーダーであるバンホーン博士の姿があるのは毎度の通りだが、今回は少しばかり様子が異なる。
 併走する軍用バイクに跨る世 羅儀(せい・らぎ)の姿までは従前と一致しているが、そのサイドカーには、弁天屋 菊(べんてんや・きく)の姿があった。
 紅いオールバックの髪は、向かい風と砂塵によって白っぽく汚れてしまっているが、その端整な面にはパラ実生らしい不遜な表情が浮かんだまま、自身が砂まみれになることなど、まるで気にした風も無い。
 ハンドルを握る羅儀は、そんな菊の堂々たる態度が何とも頼もしく思えると同時に、彼女のような綺麗どころが隣に陣取っている現状に、もうそれだけで満足してしまっているきらいを見せた。
「百合園や蒼空のお嬢様方も良いけど、こういうワイルドな女性も捨て難いねえ!」
「……何を期待してんだか知らないがね、ちゃんと前見て運転しろよな!」
 羅儀の浮かれた表情に対し、菊の態度は実に素っ気無い。異性としては端から眼中に無いといった様子であったが、その様を、叶 白竜(よう・ぱいろん)は併走するジープの後部シートから、何故か民間の学者然とした白衣を纏った姿で、苦笑しながら眺めていた。
「弁天屋殿! 羅儀の悪い癖です! どうかお気になさらないでください!」
 風を切る音に負けまいと白竜が大声で呼びかけると、応じたのは菊ではなく、幾分不満げな表情を浮かべた羅儀の方であった。
「何いってやがる! お前こそ、そんな学者コスプレしても全然意味ねぇぞ! 幾ら軍人じゃない振りしたってな、モロ分かりだぜ!」
 羅儀にやり返されて、白竜はむっつりと黙り込んでしまった。
 彼が軍人としての衣装を脱ぎ、学者を装って白衣を纏っているのには、シャンバラ大荒野に点在する各集落に於いて、国軍たる威圧感をなるべく出さないように、との配慮が働いていた。
 ヒラニプラとは異なり、シャンバラ大荒野に起居するひとびとには軍人に対する免疫が少ないから、という判断であったが、良くも悪くも、白竜は生真面目な軍人としての性格が全身からにじみ出てしまっており、折角白衣を纏ってみても、効果があったかどうか疑わしいというのが現実であった。
 羅儀に突っ込まれて機嫌を損ねた白竜だったが、菊はむしろ好感を持ったらしく、大声で笑ってどやしつけてきた。
「まぁそんな顔すんなって! 白衣姿も、まんざらじゃねぇからよ!」
「おいおい! 白竜には優しくして、俺にはつれなくするってのは不公平なんじゃないか!?」
 ハンドルを握る羅儀から抗議の声があがったが、菊は風音で聞こえない振りを決め込んだ。

 調査団一同は現在、バグラック砂丘のやや北寄りに位置するメルゼール岩山を目指していた。
 そのメルゼール岩山に、今回現れたピラーの本来の終着点である筈のナラカ・ピットがある、という推測を立てての移動である。
 この推測を得るまでには、様々な労力の積み重ねがあったことはいうまでもない。
 まず、前回発生したピラーに関する古代文献を再検証したセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の功績を無視する訳にはいかないだろう。
 ふたりは、これまでに発見されたピラー関連の古代文献を再度、片っ端から洗い直し、ナラカ・ピットに関連する、或いは別のいい回しでナラカ・ピットを指していると思われる箇所を、ここ数日の間に幾つも再発見していたのである。
 キャンピングカーのキャビン内で、国軍の正式軍装に身を包んだふたりが鬼気迫る表情で、日々文献と睨めっこしていた様を、調査団の面々は感嘆の思いで眺めていた。
 食事時と用を足す時以外は、ほとんどの時間を文献の再精査に注ぎ続けた結果、ナラカ・ピットがピラーの怨念を吸い込み、その役目を終えた後には、次なるナラカ・ピットの出現位置を示す特殊な紋様を、窪地の底に残すことが判明したのである。
 そして前回、つまり三百年前に役目を終えたナラカ・ピット跡の絵図を描いた文献から次のナラカ・ピット、即ち今回出現したピラーの、本来の終着点となるべきポイントが、メルゼール岩山であるということを突き止めた。
 ひと仕事終え、充実感一杯の表情を浮かべるセレンフィリティが、キャビン内のソファーで背伸びしながら、走行の振動に揺られて大きな欠伸を何度も見せていた。
「はぅ〜。流石に疲れたわ……もう他の仕事は、なぁんにもしたくないって感じ?」
「……何いってるのよ。セレンの取り上げた箇所が半分以上間違えてて、私が軌道修正するのにどれだけ苦労したか、分かってるのかしら? ま、知恵熱出さなかっただけ、成長したっていえなくもないけど」
 セレアナの容赦ないひとことに、セレンフィリティは露骨にむくれた表情を浮かべて、明後日の方角に視線を飛ばした。
 尤も彼女の場合、痛いところを突かれていい返しようが無かった、というのが正しい。
 このままでは分が悪い。セレンフィリティは話題を変えようと、サイドデスク上に山積みされた古代文献の一冊を手に取って、その表紙をぱんぱんと叩きながら語気を強めた。
「でもさ、大荒野の中に無数に散らばる大小様々な窪地の中からナラカ・ピットを探せって、それがそもそも随分な無理ゲーじゃない?」
「それには同意するけど、だからって、私がセレンの尻拭いをした事実に変わりはないから」
 結局、話題逸らしは失敗に終わった。

 ともあれ、バンホーン調査団は次に目指すべき場所がメルゼール岩山であるという極めて具体的な地名を持っていることから、本来のナラカ・ピットの発見は容易であろうと考えた。
 ところが、このメルゼール岩山というのが、実はとんでもない曲者だった。というのも、このメルゼール岩山が、現在のシャンバラ大荒野全体を記している地図には、載っていなかったのである。
 そもそも、シャンバラ大荒野自体に未踏の地が多く、それぞれの地名は口伝によって各地の集落に伝えられているケースが少なくない。
 メルゼール岩山もまさにその典型で、普通に探そうとすれば、再び過去の文献やネットワーク上のデータベースを片っ端から当たらなければならないところであった。
 しかし今回は、菊の存在が非常な威力を発揮した。
 彼女は、自ら率先してバグラック砂丘に点在する集落を回り、各集落の古老や、伝承に詳しい知識人を回るなどして、ほとんど苦労らしい苦労をすることもなく、メルゼール岩山が現在のバグラック砂丘北端に位置する岩山群のうちのひとつである、と絞り込めたのである。
 バンホーン博士が菊を案内役に指名したのは、大当たりであったといって良い。
 ある程度の場所が絞り込めた以上、先行して空からナラカ・ピットの形状を見ておこう、という話になり、火村 加夜(ひむら・かや)が宮殿用飛行翼を駆使してメルゼール岩山上空へと向かっていた。
 その加夜から、連絡が入った。
 キャンピングカーのキャビン内に設置された外線用が受信音を鳴らすと、セレンフィリティが半ば飛びつくような勢いで受話器を取る。
『こちら、加夜です。現地に到着しました』
『ご苦労様〜。案外、早かったんじゃない?」
 気流の音が受話音に混ざり込んでいる為、幾分加夜の声が聞き取りづらかったのだが、教導団で野外訓練も受けているセレンフィリティには、何ほどのことでもない。受話器の向こうから流れてくる加夜の声だけを的確に聞き出し、確実に会話を成立させているのは流石であった。
『地上は悪路なので結構な迂回を要しますけど、空は穏やかなものでしたよ。それで、ナラカ・ピットなのですが……』
 加夜の声から、幾分の緊張が滲み出ているのを、セレンフィリティは咄嗟に感知した。思わず、喉がごくりと鳴る。
 セレンフィリティの様子の変化に気づいたのか、セレアナもそれまでの呑気な表情を一変させ、美貌を引き締めてセレンフィリティの横顔に鋭い視線を飛ばしてきた。
『何だか、様子が変なんです。聞いていた話では、非常にはっきりと造成されて、他の自然に出来た穴とか窪地とかと比べても分かり易いぐらいに、くっきりした形状であるとのことでしたが……』
 加夜が伝えるところでは、違う、というのである。
 他にナラカ・ピットらしき窪地は見当たらないので、ほぼ間違い無く、今、彼女が見下ろしているその窪地がナラカ・ピットであるのは確実であろうと思われる。
 だが、その形状はいささか崩れ気味で、自然に形成された窪地とはいわないまでも、中途半端な印象を与えるというのである。
 セレンフィリティは即座に、加夜からの通話回線を先頭を走るジープの受話器に回した。
 直接バンホーン博士に報告させた方が早い、と考えたのである。

 それから、30分後。
 バンホーン調査団一行はメルゼール岩山に車列を停め、一部の待機組を残して、加夜の上空からの案内に従って、ナラカ・ピットを目指した。
 問題の窪地にはすぐに到達したが、そこで一同は、窪地の縁で愕然と佇むバンホーン博士の異様な緊張感に、揃って息を潜めた。
 古代文献を丸暗記する程に、その内容を完璧に記憶している者でなければ、恐らくその微妙な変化には気づいてはいなかったのだろうが、しかしバンホーン博士程にもなれば、ほんの些細な変化にも、重大な意味を見出すことが出来るものらしい。
 飛行翼の飛翔力を落として着陸してきた加夜が、すっかり言葉を失ってしまっているバンホーン博士に、幾分表情を強張らせて問いかけた。
「博士……あの、矢張り、何かおかしいのでしょうか?」
 控えめに絞り出された加夜の声に、バンホーン博士はしばし険しい表情を窪地の底に向けたままであったが、ややあって、やれやれと小さくかぶりを振りながら、加夜に視線を向け直した。
「おかしいも何も、こんな重大な事態が待ち受けておったとは、正直、予想外であったよ」
 曰く、このナラカ・ピットは既に使用済み状態だ、というのである。
 誰もが、そんな馬鹿な、という思いを抱いた。
 さもありなん。このナラカ・ピットにピラーが接近したという記録は、どの文献を漁っても、出てこなかったのである。
 だが現実に、彼らが目指してきたこのナラカ・ピットは、最早何の役にも立たない、ただの窪地と化してしまっているのである。それは、厳然たる事実であった。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。それじゃあ、あたしの案内は無駄骨だったってぇ訳かい?」
 思わず菊が、鼻の頭に皺を寄せながら不服の声をあげた。折角自分が参加してやったというのに、結果がこれでは、不完全燃焼に他ならないという思いが強かった。
 ところが、バンホーン博士は菊の不平に対しては、真っ向から否定の意を告げた。
「いいや、むしろその逆だ。おまえさんが参加してくれたことで、この異常事態を早期に知ることが出来た。これは、大いに意味がある」
「ん? あぁ、そうかい。なら、良かったんだが……」
 さすがの菊も、こういわれては引き下がらざるを得ない。
 しかしバンホーン博士は決して菊に気を遣った訳ではなく、心底、この異常事態の早期発見には重要な価値を見出していたのも事実であった。
 もしメルゼール岩山でのナラカ・ピット異常の発見が遅れるようであれば、今後の対策が完全に後手後手に回らざるを得なかったのである。
「それにしても、このナラカ・ピットが既に役目を終えたというのは、全く解せません。一体何が起きたというのでしょう?」
 白竜が思案顔で誰に語りかけるともなく呟いたが、これにはバンホーン博士が即答した。
「誰かが人為的に、このナラカ・ピットの機能を失わせたようじゃ。そしておまけに、次のナラカ・ピット出現位置まで、ご丁寧に刻み込んであるよ」
 恐らく、次のナラカ・ピットは出現済みだろうから、今更この使用済みナラカ・ピットをどうにかしたところで、最早ピラーの進行方向を変えることは出来ないだろう。
 であれば、取るべき行動はひとつ。
 既に出現している筈の次のナラカ・ピットを、探す以外に無い。
 それにしても、一体誰が、どうやってこんな真似を――それは、この場に居る全員の共通した疑問でもあったが、ひとつだはっきりしていることがある。
 この窪地が指し示す、次のナラカ・ピットの出現位置。それは、バスケス領の領都バスカネア、となっていたのである。
 この有り得べからざる現実に、誰もが戦慄の念を抱かざるを得なかった。