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リアクション
1/ 釣りをしよう
がり、がり、がり。真っ白な氷の表面に音を立ててそう突き立っているのは、氷へと穴をあけるための、手動式のドリルだった。
「お、空いたかな?」
すっぽ抜けるような貫通の感覚がそのドリルを回す手に返ってきて、風森 巽(かぜもり・たつみ)は足許に屈み込む。
ドリルを引き抜くと、ちょうどそこには釣り糸を垂れるにはほどよい手ごろな大きさの、円を描く穴がぽっかり、湖面に向かい開いている。
「よし、よし」
実にいい感じだ。巽は満足げに頷く。
広大な、凍結した湖の南南西にあたるこの釣り場。ちらほら、辺りには他の参加者たちも見える。ある者は巽同様黙々と釣り穴を掘ったり、またある者は既に釣り始めていたり。豪快にも釣っているすぐ横に七輪を置いて、その場で釣れたものを直接フライにしようとしている者までいる。多くの者が、多様なやり方で釣りを、このイベントを楽しもうとしているのがわかる。
巽だって準備は万端だ。本部でスノーモービルを借りて、ここまでひとっ走り。同じく本部で貸し出していた火鉢と、椅子と。水筒には温かい飲み物も注いでもらっている。
あとはおもいきり、釣りを楽しむだけだ。果たしてどのくらい釣れることやら。やってみるまでわからないのが、釣りの醍醐味だろうと巽は思う。
「あ、いけない」
思わず、経験者としてぽろり、そう言葉が漏れていた。
ちょっとした出来事を、見つけたから。
残りの道具をとりにスノーモービルへと踵を返したとき、その光景が目に入ってきていた。
「それじゃーダメですよー。そのまんまだと、凍っちゃいます」
ひと組の男女が、氷上へと空けた穴にそのまま、釣り糸を垂らそうとしていた。それを見て思わず、巽はそのペアへと呼び止める声をかけていた。
「凍る?」
きょとんと、釣竿を手にした少女──リリ・マクレラン(りり・まくれらん)は目を瞬かせ、巽のほうを見返す。彼女の足元の氷穴には、ドリルによって砕かれた氷の破片が大小いくつも漂っている。
「これやっとかないと。カケラが糸にくっついて、そこから凍っちゃうからね。ご注意」
おもむろに巽は、柄杓を手に彼女らの空けた穴のもとにしゃがみ込む。
「そうなの? ……知らなかったわ」
「ま、普段こういう氷の上で釣りする機会なんてそうそうないだろうしね」
釣りははじめて? 巽は氷を掻き出しながら、リリに尋ねる。おそらくは初心者だろうと、巽は思った。そして、案の定、
「ええ、穴釣りははじめてよ。故郷にいた頃は父とトラウト釣りをやったこと、あったけれど」
「そう」
「ルークは?」
「それがしも、こういう形の釣りははじめてだな」
話を振られ、リリのパートナー、ルーク・ナイトメア(るーく・ないとめあ)も穴の中を覗き込みつつ言葉を返す。
「狙いはワカサギ? だったらワカサギは底釣りだから、オモリが湖底に付いてから少し持ち上げてやるといい」
「なるほど」
ありがとう。リリがぺこりと頭を下げた。ルークも、同じく。
いいの、いいの。ひらひら手を振る仕草を返しつつ、巽は立ち上がる。
「せっかくだし、みんなで楽しく釣りましょうってことで」
*
「わー、釣れた釣れた。はじめてだけど、釣れるもんだねぇ」
引き上げた竿に、ワカサギモドキが一匹くっついてじたばたしていた。
すごいすごい。無邪気に喜ぶ金元 ななな(かねもと・ななな)の糸に手を伸ばし、シャウラ・エピゼシー(しゃうら・えぴぜしー)はそこから魚を外してやる。
「うまいじゃないか。これでもう三匹目だろ?」
「たまたまだよ、たまたまー。ビギナーズなんとかってやつかも」
「ビギナーズラック、な」
釣り大会の海上警備の中に、ななながいるのを見た。だから見回りの交代時間を見計らって、シャウラは彼女を釣りに誘った。
いくら仕事だからって、せっかくこういう場所にきているのだ。何も遊ばないじゃあ、つまらないだろう。
ぽややんとこちらを見返してくるなななにそんなことを言って連れ出してから、もう半刻ほど。
「どうしたの、ぜーさん。なんだか、そわそわしてるよ?」
「え、あ、そ、そうか? ……そうかな?」
実は図星。シャウラはごまかしつつ、火鉢にかけた湯せんから缶のドリンクを引き上げる。あたたかいココアと、甘酒と。好きなほうを選ぶよう示すと、なななはココアのほうを受け取った。
「っと、また」
「凄いな。こっちはまだ全然だっていうのに」
なななの竿に、またアタリ。ひと口だけしかまだ飲んでいないココアを再びシャウラに預けて、彼女は竿に向かう。
「特に得意ってわけでもないんだけどなぁ」
「ふうん。……じゃ、じゃあさ。なにが得意なんだ? そうだな、ウインタースポーツなんかだと」
「うーん? なんだろう? ゼーさんは?」
「そうだな、スキーとスノボとか。その、どうだ。よかったら今度」
どうだ、と言いかけてシャウラは言葉を切る。……思わず。
防寒にと手袋をしていてやりにくいのだろう、なななは釣り針からワカサギモドキを外そうとあれこれ、生きているその小魚と格闘している。
それに夢中になっていて──気付いていない。
自分の女性らしい胸のふくらみを、釣り竿へと意識傾けるあまり、おもいきり「寄せて上げて」強調していることに。それだけじゃあない。ブーツとコートの間から覗く黒いタイツの両脚、腿がなんだか雪の白の上では艶やかに輝いて見えて。
防寒着の下でも、よくわかる。シャウラは彼女の無防備な魅力の発露に、息を呑んだのだ。
「……オーバーからなにから、はじけ飛びそうだな」
「え、何―? 何か、言った?」
ようやく針から外した魚を、なななは足許のバケツに放り込んだ。
いいさ、別に。知られる必要はないさ。
「別に。こっちの話!」
言った瞬間、大きな水柱がシャウラたちの背後で噴き上がった。
いや、すぐそこ、背後に見えるくらい大きな──大きなその飛沫は、そこからは遥かにずっと、遠い場所で氷を砕き、顕現したものだったのだ。
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