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春をはじめよう。

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●魍魎島の土となりて

 葦原島は、周辺に無数の浮島を従えている。
 魍魎島と呼ばれるこの小さな島もその一つだ。空から見れば黄金虫が海に漂っているかのように見える不毛の火山島。
 少し前、この島がある大きな戦いの舞台となった。
 戦いは、少なくない犠牲を出したものの収束している。

 火山灰が成した硬い土を、長靴(ちょうか)の踵が少し削った。
 ボートから降り立ったのは軍人である。国軍の制服、階級章は少佐。軍帽の下の顔は、その約半分が恐ろしげな火傷に覆われており、黒い眼帯もあって威圧的な印象を見る者に与える。白髪交じりの髪から初老と見えるが、鍛え上げた肉体は若者のそれに劣らない。
 彼はユージン・リュシュトマ。魍魎島での戦いでは援軍を指揮し、背後に警戒を解いていた敵勢(戦艦)を沈め戦いの趨勢を定めた。
 リュシュトマの横にはクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)があり、前回の戦いについて、改めて指揮官としての報告を行っていた。
「報告書の15ページをめくっていただきたく。残留物を分析した結果、敵兵器クランジΙ(イオタ)の消息はここで絶たれています」
 クレアの報告に頷くと、だしぬけに少佐は問うた。
「逃亡は確実、ということだな」
「そう考えます」
「むしろ問題は逃亡先だが……」
「これまでのように味方陣営の誰かが匿っているのであればまだいいのですが」
 リュシュトマはそれ以上追求しなかった。
「ブラッディ・ディバインとはいずれ、雌雄を決せねばならんな」
 塵殺寺院はシャンバラにとって主要な敵だが、統合力に欠けるという重大な弱点があった。派閥抗争や分裂を繰り返しており、現在ではもはや『塵殺寺院』という名称が同じだけで事実上は無数の細胞に別れてしまっているのだ。それが彼らの一斉検挙を難しくしているという反面、その脅威を弱めているのも現実だった。
 ブラッディ・ディバインは塵殺寺院内でも先鋭の勢力として知られている。一時期は隆盛し、塵殺寺院の勢力統一すら可能ではないかと見なされていたものの、リーダー格を相次いで失うなどして減退し、迷走しつつある。しかし、最近はその一方でクランジ(と呼ばれる自立型戦闘機晶姫の部隊)を味方に引き込んだとも考えられており、恐るべき存在に復しつつある。
「じ、自分もそう思います!」
 これまで無言で付いてきていた士官――董 蓮華(ただす・れんげ)が声を上げた。
 彼女はリュシュトマの補佐官代理である。現在、リュシュトマには正補佐官がいるものの、その彼が少尉にまで昇進した現在、いつまでも補佐をさせるわけにはいかないということで、その後任にすべくリュシュトマが選んだ人材だ。
 リュシュトマは無言だ。クレアも別段何か言うことはなく、黙している。
「申し訳ありません! 口を挟む気はありませんでしたっ!」
 蓮華は直立し、いくらかうわずった声で叫んだ。リュシュトマ少佐の噂なら聞いている。元KGBのエージェントだったとか、顔の火傷は拷問の結果だとか……鬼のような形相の彼に、怒鳴られたら魂など飛んでいってしまうのではないか。
 ところが少佐の反応は静かなものだった。
「構わん。意見は自由に言うがいい。むしろ、補佐官にはそれを望みたい」
 望外の言葉をかけられ、蓮華は緊張と感激でますます身が強張るのだった。
 それでは遠慮なく、と、彼女のパートナースティンガー・ホーク(すてぃんがー・ほーく)が問うた。
「この島、これからどうするんで?」
「どうする、とは?」
 クレアが問い返した。
「いえ、建物の今後や戦闘で荒れた土地の復旧です。このまま放置ってわけにもいかんでしょうし……」
「現実的な回答でつまらないかもしれないが。元々住人も利用者もなく放置されていた荒地だ。当面は放置と考えている」
「あ、左様で……」
 スティンガーは島に眼を向けた。不発弾の調査や弾薬の回収は終わっている。来たときよりも美しく、とはいかないが、来たとき程度の荒れ方に戻っただけとはいえよう。そもそも、作戦の流れが最悪の方向に至れば、すべて爆破して消滅させる計画すらあったのだ。
「それでは、お伺いしますが」
 蓮華が問うた。
「報告書は拝読しましたが、少佐の目から見てこの戦いはどうだったのですか?」
「するべきことをしただけだ。私に感慨のようなものはない。むしろ董蓮華補佐官代理、貴様の考えこそ聞きたい。掃除はしたが、島には戦いの爪痕が残っている。分析して己の考えを述べよ」
 ひとつしかない少佐の眼が、鈍く光っているのを蓮華は感じた。
 分析眼を試されているのだ――自分が、リュシュトマ少佐の補佐官に足る人物かどうか。
「ハッ! 一回りして参ります!」
 敬礼して蓮華は、スティンガーを連れて走った。
蓮華を見送ってリュシュトマは歩き出した。クランジΘ(シータ)が砕け散った地点を目指しているのだ。クレアは随行する。
 道々、クレアが作成した報告書について、少佐は質問した。非実戦系の佐官と違い、細かな数値をどうこうという聞き方を彼はしない。戦いのデータを見るにしても、そのデータの背後にある編纂者の思想を読み取るような問い方をする。立場的には少佐より上の出世を求められているのに、あくまで現役にこだわり昇進を蹴り続けているリュシュトマらしい観点だとクレアは思った。これは、報告書を作成するにあたり徹底的に主観を排そうとするクレアの思想にも共鳴するするところである。
 また、クレアは報告書とは別に、敵の戦術、島の地形などもふまえた考察、戦術シミュレーションも作成して提出していた。これについてもリュシュトマからは一定の評価があったが、ときおり主観的になっているところを指摘されるなど、刺激的な会話になった。
「本日は、空大で春を祝う懇親会があるということだったが」
 ふと、思い出したようにリュシュトマが言った。
 活火山がもたらす上気が地面から吹き上がり、熱帯のように暑いこの場所で、『春』の話題というのはいかにも場違いに思えた。前回の戦いでは雨天だったこともあり肌寒いほどであったが、元来ここは灼熱の土地なのだ。
 とはいえリュシュトマがこういった雑談をするのは珍しい。クレアは話に乗った。
「春ですか。過ごしやすい、いい季節ではありますが。昔であれば、戦意に燃えるか、人によっては悲嘆にくれる季節だったでしょうか……」
 心頭滅却すればとはよく言ったもので、こうやって話すと、この酷暑の地でも春を感じることができた。彼女は続ける。
「技術の進歩により、季節に関わらず戦争が行われるようになった。これは果たして、人類にとっていいことか、悪いことなのか。そんなことも思ったりします」
 過去の時代、冬は戦争をやめさせる理由になった。酷寒の時期、食料の問題もあってに兵は出せない……それが常識であった。だが近代以降、戦争は季節を選ばなくなった。ゆえにシャンバラ国軍のような常備軍を人々は必要としたのである。
 少し饒舌になりすぎただろうか、とクレアはここで口をつぐんだ。
 少佐はしばし黙していたが、やがて、
「人類にとって、か。自分のように歳を取ると、そういった考えはできなくなるものだ……」
 それを良いとも悪いとも言わず、ただ短く、呟いた。
 このときのリュシュトマの呟きを、ずっと後になってクレアは思い出すことになる。
 
 島を歩きながら、スティンガーは蓮華を見た。
「どうしよう。これって少佐に試験されてるんだよね? 期待に応えるため、ひいては団長のお役に立てるため、なんとしてでもできるところを見せなきゃ……!」
 彼女はスティンガーの視線には気づかず、それこそ野ウサギのように首を巡らせ何かを掴もうとしていた。ただ、どうも漠然としているようだ。恋い慕う金鋭鋒のことでも考えて頭がいっぱいになっているのか。
 そんな蓮華は、スティンガーが契約した二人目の相手だ。
 一人目、つまり先代はすでにこの世にない。
 先代の契約者……それはスティンガーにとっては兄のような、戦友のような存在だった。記憶の無かった彼に『スティンガー』という名を与え、戦いでは常に共にあった。ともに死線を乗り越えたことも数限りない。
 しかし、そのかけがえのない相棒は永遠に喪われてしまった。
 無論、現在の契約者である蓮華の面倒を見ること自体はイヤではないし、彼女の成長を師匠として助けるのも悪くないとはスティンガーも思っている。しかし、先代に比べれて物足りない、あるいはもどかしい気持ちはあるのだ。
「見るのではなく観察しろ」
 スティンガーは、彼女に言葉を渡すように言った。
「どういうこと……?」
「見ることと観察することは別だ」
 それ以上は自分で考えるんだな、と言い捨ててスティンガーは口を閉ざした。
「見るのではなく、観察する……」
 しばらく立ち尽くしていた蓮華だが、突如、何かつかんだように身を低くした。
 突撃する兵士の視点で何かを探すつもりだろうか。眼が輝いている。きっと、何か見つけたのだ。
(「あの分なら、少佐になにがしか報告できそうだな」)
 自分も彼女を『観察』していきたいものだ。
 そうスティンガーは思った。