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漂うカフェ

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漂うカフェ

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「やっぱり、たまにはこうやって落ち着く時間が必要よねぇ」
 奥山 沙夢(おくやま・さゆめ)は、コーヒーを一口飲んでほうっと息をつき、誰にともなく呟いた。
「ちょっと子供連れが多い時間帯だったのが惜しいけど、でも、不思議と気分が……なんだか、うーん? ……落ち着くわ」
 コーヒーを飲んで一息つく、この「時間」そのものを味わおうとしている沙夢の向かいの席で、雲入 弥狐(くもいり・みこ)は、夢中でパフェを食べていた。
「クリーム、甘ぁい。パフェって美味しいよねー」
 そんな無邪気な弥狐の様子に、沙夢は自分との差異を感じて少し呆れながらも、微笑ましさにちょっとだけしほっこりした。
「やっぱり、珈琲っていいわよね。カフェを探す旅でも、してみようかしら」
 コーヒーのいい香りが鼻先をくすぐり、微かに立ち昇るその湯気に誘われるように、不意に言葉が、沙夢の口から流れ出る。
「けど、カフェ探すよりも……うーん……見つからないのは、私の運命の人よね……一体、どこにいるのかしら……」
 パフェの長細いグラスの奥の果物と格闘していた弥狐が、ふと、目をぱちくりさせて沙夢を見た。
「影はあっても姿は見えず、手を伸ばそうとしても掴めるものなし……はぁぁ……あ」
 もう一口コーヒーを飲んで、その時に弥狐の視線に気づき、なぜこんな言葉を口走ってしまったのだろうと自分で驚き、慌てた。
「……沙夢、運命の人を探してるの?」
「あ……その」
「じゃあ、運命の人と、美味しいコーヒーのお店と、両方を探すんだね!」
「え!? いや、その、それを同列にされると……」
「運命はわからないけど、ここみたいに美味しいパフェがあるお店だったら、あたしも連れてってね! あたしの大切な人は、沙夢だもん。だから、沙夢と一緒に美味しいもの食べたいもんっ」
 元気よくそれだけ言い切ると、弥狐は再びパフェのグラスをやっつけ始めた。
 沙夢は、そんな彼女の裏表のない、真っ直ぐな言葉に何か、不覚にも感慨を覚えてしまった。
 と、
「あ、……ええとどうしよう、満席……です、ね」
 接客する五月葉 終夏(さつきば・おりが)の戸惑った声が不意に聞こえ、沙夢が振り返ると、終夏と、案内されようにも空席がなくて困ってもじもじとつっ立っているリース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)の姿が見えた。
「どうします? お待ちになりますか?」
「え……と、あのっ、い、いいです……本当はと、友達と来るつもりだったんだけど、予定が入ってダメになっちゃって、どうせ、ひとり、ですし……」
 本当はこの店で女子会をするつもりだったのだが、予定が狂って一人になってしまって、どうせ暇な時間なのだから行くだけ行ってみようか……と思い、飲み物を飲みながら読書でもしようかと、お気に入りの本を持って店まで来てみたのだが、こんなに混んでいては、ひとりでテーブルを占領してのんびり本を読むような客は、店側には迷惑に違いない……帰ろう、と、とぼとぼ踵を返しかけたリースに、
「ここでよければ、相席、いいわよ」
 沙夢は声をかけていた。リース、終夏、そして弥狐の、三人の目が彼女に集中する。
「あ、……よろしいですか?」
「でも、そんな、お邪魔するなんて……」
「いいの。全然邪魔じゃないわよ。構わないでしょ? 弥狐」
「いいよ! だってみんな、美味しいもの食べたいんだもんねー」
 まだ戸惑いがちのリースに、沙夢はにこっと笑って手招きをした。
(別々に来たお客同士が、何気なく席を隣にしてひと時を共にする……ってのも、カフェの楽しみの一つ、かもね)
 運命の相手、がどこにいるのかは分からない。けれど。ささいな、その場限りかもしれない小さな出会いとも呼べないような邂逅も、ちょっとだけ大事にしてみたら、運命の相手に出会えるかどうかはともかく、知らない楽しさや優しい気持ちに出会えるかもしれない。急にそんな風に思ったのは何故だろう? さっき、あんな言葉が口からこぼれ出てしまったのと関係あるのだろうか?

「――お待たせいたしました。スパゲッティ・ナポリタンです」
 少女たちの様子を離れた席から何となく眺めていたトマスのテーブルに、スパゲッティの皿が置かれた。
 持ってきたのは鈴里だった。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。あまり出ないメニューでしたので、スパゲッティを茹でるところから始めてまして……」
 申し訳なさそうに頭を下げる。いや、と簡単に謝るのを止めさせて、トマスは、白いペーパーナプキンで先をくるんだフォークを手に取り、そのナプキンを外した。
「それで……申し訳ありません。お好みでかけていただく粉チーズを切らしてしまいまして……買い出しが間に合いませんでしたものですから。もしお望みでしたら、厨房で、トースト用チーズを削った物をかけさせていただきますが……」
 言われて、トマスは鈴里の顔を見た。好みでチーズをかけるという食べ方のことも知らなかった。だから、別に構わない、と簡単に答えた。
麺はケチャップの色に染まっていて、具は玉ねぎ、ピーマン、マッシュルームにソーセージ。麺とそれらを絡めるようにほぐしてかき回すと、出来立ての湯気がふわーっと立った。
(なるほど、こういうものか)
 ケチャップの赤とピーマンの緑のコントラストが特に目を引く。フォークに巻いて口に入れると、ケチャップの酸味は予想したほどではない。ソースを絡めてからよく炒めてあるらしいからだろうか。野菜やソーセージ、黙っていては融け合ってくれないそれらの食感を、口の中でほごして混ぜて味わった。
「いかがですか?」
 鈴里が、まだ傍らを去らずに訊ねてきた。久しぶりに出したので味が不安なのだろうか、とトマスは思った。
「あ、あぁ、旨い、よ」
「よかったです。……もしまた機会がありましたら、完全なものを提供させてください」
 そう言って、鈴里はもう一度頭を下げると、厨房に戻っていった。
(また機会があったら、か……)
 彼女の言葉を頭の中で繰り返し、トマスはまた、スパゲッティを口に運んだ。
 この店は、不定期な期間でこの世界に出現したり消滅したりを繰り返すという。いつまでここに在るかも分からない、と。またの機会は、あるのだろうか。
 なぜだかしんみりとそんなことを考えてしまうのは、一人でこの店に来たからだろうか。こんな一人の時間も悪くはない。そう思っているが。
「パラミタも悪くはないけれど……なぁ」
 口からこぼれた言葉が、どこか寂寥とした響きを帯びたのは、心にひっそりと感じている、少しだけ孤独感に似た不安のようなものからだろうか。大切なパートナーたち、仲間がいてもなお、自分はまだ、ここが自分の居場所だと、確固として感じる場所を見いだせないでいる。沢山の人に笑顔と料理を提供し、賑やかな日もあっただろう、よい思い出もあっただろう、それを抱えながらもある日どこかにひっそりと消えてしまう宿命のカフェ。そこで名しか知らなかった料理を口にする自分も、また。
「――いったい、どこへ行くつもりでいるんだろう?」