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シャンバラ大荒野にほえろ!

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シャンバラ大荒野にほえろ!

リアクション

 
 

「フハハハ! 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクター・ハデス(どくたー・はです)!」

 目の前に立つ、白衣の裾を風になぶらせた男の高らかに名乗りを、富田林は呆然と眺めた。
 一歩後ろにいる倉田も、同様の表情で立ち尽くしている。
 しばしの沈黙の後、ようやく富田林が口を開いた。
「……なんだこいつは……倉田、お前の親戚か」
「い、いや……僕の白衣は、もっとボロくて汚いし……」
「そうなのか?」
「消耗品ですから、仕方ないんですよ」
 僅かに咎めるようなニュアンスを感じたのか、倉田は聞かれもしない言い訳を口にする。
 その様を、身を逸らして腕組みをした堂々たるポーズで見ていたハデスが、また笑い声を上げる。
「ククク、ドクター倉田よ。我らオリュンポスに入り、そのウィルス開発の知識を生かさないか? お前が望むなら……」
 ハデスは勝ち誇ったように言った。
「最高の仕立ての白衣を、毎日必要なだけ支給してやろう!」
「……え」
 何を言ってやがるんだこのバカは、という顔の富田林とは対照的に、倉田は僅かに狼狽えている。富田林は慌てたように倉田をどやしつけた。
「こら、動揺するな!」
「え、あ……ですよね。ははは」
 心なしか虚ろな目の倉田に、ハデスは畳み掛けるように言う。 
「ドクターよ。オリュンポスならば、お前のウィルス知識を、正しく世界征服のために役立ててやるぞ? お前も研究者として、自分の研究をテロなどに使われたくはあるまい?」
「え……いや、まあ、その……」
「こら待て、てめぇ!」
 富田林が憤然として、僅かに頬を引き攣らせ、困ったような笑みを浮かべている倉田の襟首を掴み、ハデス前から引きずり戻した。
「こいつは、俺が護送中の容疑者だ。気安く犯罪行為に勧誘するんじゃねえ!」
 その言葉に、ハデスがきょとんとした顔で富田林を見た。
 それから傍らに控えるアルテミス・カリスト(あるてみす・かりすと)に視線を移し、不思議そうに訊く。
「……何を言っておるのだ、この男は?」
「……さあ、何か誤解されておられるのでは」
 ハデスとアルテミスが、ひそひそと言葉を交わし始める。
「しかし、我らオリュンポスの世界征服を犯罪呼ばわりとは、失礼極まりないではないか」
「理解できないのではないでしょうか。怒るよりも、偏狭かつ凡庸な価値感しか持たない彼の無知と愚かさを、哀れむべきかと」
「うむ、確かに……哀れなヤツだな」
「おいこら、聞こえてるぞ!」
 富田林が喚いた。
「訳のわからんことを言ってるなら、さっさと消えろ。てめぇらみたいな胡散くせぇ連中に、こいつを渡すつもりはない!」
 アルテミスが振り返って富田林を見た。
 青い瞳をぱちぱちと瞬かせて、じっとその顔を見つめる。
「こう、仰られていますので……よろしいですね、ハデス様」
「よろしい、存分にやるがよい、アルテミスよ!」
 芝居がかった二人のやり取りを、何事かという顔で見ている富田林に、アルテミスが向き直る。
「倉田博士に害をなす者は、我が主の命により、排除させていただきます!」
「……あ?」
 すらりと大剣を抜き放つと、小柄な体に似合わぬ力で軽々と構え、切っ先を富田林に向けた。
「オリュンポスの騎士アルテミス、参ります!」
「なにーー!?」

「ち、ちょっと……何なんです、一体……っ」
 目の前で起こっていることを理解できないのは、むろん倉田も同じだ。
 突然、ゲームでしか見たことのないような巨大な剣を振り回す美少女を目の当たりにして、腰を抜かさんばかりに狼狽えている。
「フハハハハ、怯えることはないぞ、ドクター倉田。あれは我がオリュンポスの騎士。必ずやお前を守る」
 大剣が音を立てて富田林を襲う。荒野に放逐されたときに、手錠も拳銃も、財布に至るまで奪われている富田林には、ひたすらその剣を躱し続ける外、どうしようもない。
 手にしたコートを目くらましに振り回しながら、思ったより器用に剣先を躱す富田林の動きを意外に思ったが、じりじりと後退する姿に、倉田は青ざめた表情で呟いた。
「……まさか、殺す気じゃ……」
「……ふふ、倉田博士。やはり、思った通りですわね」
 ふいにハデスの背後から、これまたこの場にそぐわない優雅なドレスを着た少女が声をかけた。
 その顔は、【舞踏会の仮面】で隠されている。
「博士……貴方はテロや殺人とは無関係なのではなくて?」
 倉田は、警戒するように顔をしかめて、その少女を睨んだ。
 少女はその視線をさらりと受け流して微笑む。
「わたくしは、オリュンポスの後援者のミネルヴァ・プロセルピナ(みねるう゛ぁ・ぷろせるぴな)と申します」
 名乗って、優雅に一礼する。
「博士、オリュンポスに来ていただければ、悪いようにはしませんわ。オリュンポスはテロ組織ではありませんもの」

 こう見えても富田林も剣道の有段者だ。しかし、「騎士」の振り回す大剣相手に何の役にも立たないのは、剣道の段位も書道の段位も同じようなものだ。
 ただ……どうやら、アルテミスは自分を斬るつもりはない、と富田林は感じていた。
 倉田やハデスの方に行こうとする動きを巧みに封じながら、自分を牽制している。
 ……くそ、足止めのつもりか。
 ここで倉田を連れ去られたら、おそらく倉田を逮捕する機会は永遠に失われる。
 一か八か、仕掛けるしかない……そう思った瞬間に起きたことを、富田林は最初、奇跡かと思った。
「……あっ」
 何かわからないが、石つぶてのようなものを顔に受けたアルテミスが、小さく声を上げて顔を逸らしたのだ。
 その一瞬の隙を逃さず、富田林は振り回していたコートの端を掴んでアルテミスの正面に飛ばし、大きく回転させて剣身を絡め取った。
「……く、姑息な」
 すぐに体勢を立て直したアルテミスが吐き捨て、剣を振って逆に富田林を絡め取ろうとする。しかし富田林はすぐにその手を放し、頭を下げてアルテミスの体にタックルをかけた。
 アルテミスは、間一髪で飛び退った。が、また顔をしかめ、片手を顔の前にかざして戸惑ったように周囲を見回した。
「……って、ててて」
 タックルをしそこなって無様に地面に倒れ込んでいた富田林も、両手で頭をかばって悲鳴を上げた。
「なんだ、これは一体……」
 身を起こそうとして地面を見て、ようやく何が起きているのかがわかった。
 雹だ。
 親指大くらいの雹が、ばらばらと地面に叩き付けられていた。頭の上で、低く唸るような雷鳴が聞こえる。
「……は、ハデス様っ!」
 空を見上げて、アルテミスが叫んだ。
「……竜巻です……っ!」

「倉田博士、どうぞ車に」
 日傘を開きながら、ミネルヴァが硬い声で言った。指し示す先には、運転手の控えたピンクの自動車が停まっている。
「あの車なら、小型結界装置が付いてますので、安心ですわ」
 僅かに迷うように倉田が眉をしかめた。
「倉田……っ!」
 富田林が叫ぶ声が聞こえた。
「竜巻が来る、逃げろ!」 
 倉田はちらりとそちらに目をやって、それから、その視線を空に彷徨わせる。
 やがて、ミネルヴァに向き直った。
「ありがたいんだが……僕にもちょっと事情がある。あんたたちとは行けない」
 ミネルヴァが小首をかしげる。
「あの竜巻に呑まれても、ですの?」
「……まあね」
 仮面の奥で、ミネルヴァががすっと目を細める。そして、軽くため息をついて、踵を返した。
「車を出して頂戴。帰ります」
 日傘を叩く雹の音などものともせず、あくまで優雅に車に乗り込むと、運転手が静かにドアを閉めた。
 す、と窓が開く。
 ミネルヴァは倉田に微笑みかけて言った。
「気が変わられたら、いつでもお知らせくださいな。歓迎しましてよ」
 倉田はジャケットを脱いでかつぎのように頭の上に翳し、ますます激しくなる雹をしのぎながら、ピンクの自動車が走り去るのを見送った。
「……えっ」
 白衣を頭からかぶったドクター・ハデスが、我に返って声を上げた。
「ちょっと待て、乗せていかんか、こら!」
「は、ハデス様ー、逃げましょうぅぅ」
「こらーーーミネルヴァーーーーーっ」

「……な、何がどうなった」
 立ち上がった富田林が、ふらふらした足取りで地面に落ちたコートを拾い上げる。
 そして倉田の横に立つと、走り去るピンク車と、車を追って走るハデスとアルテミスの姿が急速に遠ざかっていくのを、唖然として眺めた。
 一瞬激しく襲いかかって来た雹は、今は大粒の雨程度の大きさになって、地面を白く覆っていた。
 そして雹と入れ替わるように激しい風が、地面に落ちた雹と砂を一緒に巻き上げながら吹き始めている。
「さあ……竜巻から、逃げたんじゃないですか」
 ようやく、富田林は我に返った。
「……そうだ、逃げるぞ!」
「え、どうやって……」
 富田林は倉田を睨みつけて喚いた。
「走るんだよ!」
 吹き飛ばされそうな強風の中、富田林に引きずられるようにして倉田はよろよろと走り始めた。
 あの車に乗っておいた方が良かったかな……と、一瞬だけ、思った。