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リアクション
<part1 登頂開始>
葦原明倫館、総奉行執務室。
机に向かっていたハイナ・ウィルソン(はいな・うぃるそん)は、気配を感じて書き物の手を止めた。
「……来たでありんすね」
「……任務とのことですが」
天井裏に膝立ちで隠れた紫月 唯斗(しづき・ゆいと)がささやくような声で言った。
「四つ墓山の妖怪調査を晴明に命じたのでありんすが、どうも気が進まない様子。しっかり仕事を果たすか、見張っていて欲しいでありんす」
「承知」
他にも指示があるのだろうかと、唯斗はハイナの言葉を待つ。
沈黙。
やがて、ハイナが尋ねた。
「そこにはどうやって入ったでありんすかぇ?」
「屋根の瓦を外させて頂きました」
「……ちゃんと直しておきなんし」
「承知」
唯斗の気配が消えると、ハイナは小さくため息をついた。
四つ墓山、山頂。まだ日は高く、蝉時雨が騒がしい。
ヌラリー・ヒョンとその取り巻きたちが、打ち捨てられた神社の境内にたたずんでいる。
高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は補佐役の式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)を引き連れて、ヌラリーたちと対面していた。
ヌラリーが訝しげに問いかける。
「人間のくせに妖怪の用心棒をやりたい、じゃと?」
「ええ。晴明が出てくるのならば御代は結構。是非、是非、引き受けさせて頂きたい。駄目と言うのならこちらにも考えがある」
玄秀はずいずいと押し迫るようにして自らの腕を押し売りした。
たじろぐヌラリー。
「む、むう。やりたいのであれば止めはせぬが……」
「それは良かった。僕の全力を持って奴を泣かしてやりましょう。ふふふ……」
底意地の悪そうな笑み。
本当にこの者に頼んで良かったのかと、ヌラリーは不安を覚えた。
とっぷり暮れて、山のふもと。
月もない夜だった。ここからでは四つ墓山は真っ黒な輪郭としか見えず、異様な空気が漂っている。どこかで犬の遠吠えがした。
「……面倒くさい」
安倍 晴明(あべの・せいめい)はいまだにテンションが低かった。夏の山なんて虫の巣窟、まさに悪夢である。自然が豊かであればあるほど、そこに蠢く生物・微生物の数は恐ろしく膨大だろう。
「もー、ここまで来てそんなこと言ってないの! 途中で逃げようとしたら、担いででも山頂に連行するからね!」
リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が晴明を軽く睨みつけた。
「頑張ろ、師匠。師匠の戦い方を教えて欲しいな」
サンドラ・キャッツアイ(さんどら・きゃっつあい)は晴明を師匠と仰ぎ、弟子を自称していた。本当はまだ弟子候補なのだけれど。護衛として、ドンネルケーファーとレッサーフォトンドラゴンを連れている。
「……クワガタ」
晴明がドンネルケーファーを見て眉をひそめた。
「あ、ご、ごめんなさい!」
サンドラは慌ててドンネルケーファーを遠くに行かせる。うっかりしていた。
度会 鈴鹿(わたらい・すずか)が虫除けスプレーと携帯防虫器を晴明に差し出す。
「これを使ってください。完全にとまでは行かないかもしれませんが、いくらか楽になると思います」
「ありがとう」
晴明は微かに笑みを見せて虫除けグッズを受け取った。携帯防虫器を腰元に提げ、虫除けスプレーは体に噴霧してから返す。
少しは晴明の心に近づけているだろうか、と鈴鹿は思う。晴明は悲惨な目に遭って傷ついた。そんな彼の心に無理やり踏み込んでは、傷を広げるだけだろうけれど、ちょっとずつ距離を縮めて、いつかは信頼を勝ち得たい。そう願っていた。
「うー、弟子としての株を上げるチャンスなのにー……」
悔しそうに鈴鹿を眺めるサンドラ。でもきっと挽回の機会はある、と自分に言い聞かせた。
そのサンドラを穏やかならぬ心境で眺めるアレックス・キャッツアイ(あれっくす・きゃっつあい)。
「なんだよ、姉貴。師匠、師匠ってギャーギャー騒いでさ……」
サンドラには聞こえないようにこっそりつぶやく。なんだかちょっと面白くない。多分、嫉妬。でも、サンドラにとって晴明が大切だというのは分かるし、協力はするつもりだった。
「む、鈴鹿殿は随分と準備が良いな」
鬼城 珠寿姫(きじょうの・すずひめ)が感心すると、鈴鹿は珠寿姫にも虫除けグッズを手渡した。
「はい、たまきさんもどうぞ。虫に刺されたら、せっかくの綺麗な肌がもったいないですよ」
「お、お気遣い痛み入る」
珠寿姫は胸がじんわりと温まるのを感じながら、グッズを使わせてもらった。緩みそうになる頬をきりりと引き締め、晴明に顔を向ける。
「この度は微力ながら晴明殿を援護させて頂く。貴殿は相当な術の使い手とのこと。その技を参考にしたい」
「……別にいいけど」
晴明は依然としてそっけないが、迷惑がっている様子でもない。
彼を中心とする調査団は、山のふもとから頂上を目指して出発した。
その跡をつける怪しげな影。アストライト・グロリアフル(あすとらいと・ぐろりあふる)である。ポケットにジェヴォーダンのラクーンというマスクを忍ばせ、足音を忍ばせる。
彼には野望があった。機会をとらえ、必ずやあの者に思い知らせてやらねばならぬ。
「くくっ、せいぜい楽しく夜の散歩でもしてろ……!」
ほくそ笑む彼の跡を、さらにつけている人物がいた。
ハイナの指令を受けて動いている唯斗だ。
「いろんな思惑が渦巻いてるみたいだな……」
「!?」
思わず漏れたつぶやきに、アストライトがばっと振り返る。
が、誰の姿もない。唯斗が草藪に隠れたまま声をかける。
「あ、いや、ただの忍びにござる。お気になさらず」
「……まあいいか」
アストライトは軽く首を振って尾行を再開した。
三合目、川辺。
林と土手に挟まれた狭い領域を、暗い水が流れている。聞こえるのは虫の声に蛙の声、絶え間ない水の音。
その川原で、清泉 北都(いずみ・ほくと)はモーベット・ヴァイナス(もーべっと・う゛ぁいなす)に呆れ混じりの声を投げかけた。
「モーちゃん……。なにやってるの?」
モーベットは地面に河童の大好物と名高いキュウリを置き、つっかえ棒でザルを被せていた。スズメを獲ったりするのに用いられる、あんまりにもあんまりなトラップである。
モーベットは胸元のスカーフを指でピンと張り伸ばして、誇らしげに顎を突き上げる。
「罠だ」
「うん、それは分かるんだけど、さすがに引っかからないんじゃないかなあ?」
北都は超感覚で生えた耳を動かした。近くに何者かが潜んでいるのを感じる。油断はできない。
「ふん、心配するな。妖怪など所詮は野獣の類。これを罠と見抜く知恵など欠片も持ち合わせてはおらぬよ」
モーベットが断定した、そのとき。
「馬鹿にすんなああああああ!」
そんな叫びと共に、川面から幾つもの影が飛び上がった。べしゃりと川原に着地する。暗くて色は正確に分からないが、河童に特徴的な水かきと皿は見て取れる。なぜか細い竹筒をくわえていた。
「ほら、モーちゃん! 舐めてかかるから怒られたよ!」
「人の言葉が……話せるだと!?」
北都とモーベットはとっさに川岸から飛び退いた。
そこへ、騒ぎを聞きつけた晴明たちの調査団が走ってくる。
「師匠! 河童だよ! ホンモノの河童だよ! 師匠の技でやっつけて!」
物珍しげに指差すサンドラ。
「変な臭いするから近づきたくない」
晴明は鼻をつまみ、川から距離を置いている。
河童たちが顔を見合わせてささやき合う。
「おい、なんか侮辱されたぜ?」「されたな」「水の中にずっと隠れてたら、お姫様でもこうなるっての」「人の苦労を思いやる心に欠けてやがる」「超傷ついたぜ」「食べちゃうぞー、がおーって脅すか?」「それ迫力なくない?」「そーそー、この前も島民の反応いまいちだったしさー」「やっぱあれっしょ、河童の基本」「だな」
みんなでうなずき、声を揃えて叫ぶ。
「尻子玉よこせやコラアアアア!」
河童たちが襲ってきた。
「来るか!」
珠寿姫が直ちに弾幕を張った。
「せっかくの罠が無駄になったな」
モーベットは河童の足を強弓で狙い撃ちして、着実に倒れさせていく。
しかし、敵の数が多い。加えて地形を知り抜いており、闇の中に身を隠しながら迫ってくる。
「うおおおお!」
珠寿姫の掩護射撃に勢いを得て、アレックスが河童に殴りかかった。背後から別の河童が接近し、一瞬にして水の中に引きずり込む。
そして、モーベットも水中に引き込まれて消える。
「モーちゃん!?」
北都は悲鳴を上げるも、その隣からモーベットが澄ました顔で尋ねる。
「どうした?」
「え、今、河童に捕まって、あれ?」
「ドッペルゴーストを身代わりに使った」
「なんだー、良かった……って、あの人を助けないと!」
北都は川に駆け寄り、自らの危険も顧みず水に飛び込んだ。
それきり、上がってこない。川は二人の契約者を飲み込み、あざ笑うようにして流れ続けている。
「まずい、やられたか!?」
珠寿姫が爆弾を川に投げた。着水と同時に爆発し、衝撃波が水を貫く。
ぷかぷかと、アレックス、北都、そして彼らを水に引っ張り込んでいた河童たちが浮き上がってきた。腹を表にして大の字になり、目を回している。
「兄貴!」
サンドラは慌ててアレックスに走り寄り、腹を押して水を吐かせる。モーベットも北都の救命措置を始める。
「よくも……うちの子たちを!」
リカインは瞳に闘志を燃やし、拳を握り締めた。たかが妖怪と思っていたが、こうまで狼藉を働くなら容赦はしない。絶対にぶっ潰す。
今だ、と木陰で様子を窺っていたアストライトは思った。木陰を飛び出し、背後からリカインの顔にジェヴォーダンのラクーンを被せる。喜々として、得意気に河童たちへ叫ぶ。
「裸SKULLの殴り込みだ!」
「ちょっと、なにするの!」
リカインは即座に振り向くが、アストライトは脱兎のごとく逃げていった。今はアストライトをシメる暇はないし、マスクを脱いでいる暇もない。
リカインは猛々しく咆哮し、河童に飛びかかった。水際には近づかないようにして、一匹ずつ仕留めていく。
その迫力と、異様なマスク姿に、河童たちは恐れをなす。総崩れになって水に逃げ込もうとする。
「そうはさせん!」
モーベットが冷気をまとった矢を川に撃ち込んだ。たちまち数十メートルに渡って氷結し、河童たちは水に足を突っ込んだ状態で身動きが取れなくなる。
「さーて、覚悟はできてるわよね……?」
ベキバキと指の関節を鳴らしながらにじりよるリカイン。
「ひいいいいいいい!」
山に河童たちの悲鳴が響き渡った。
半時間後。
河童たちは川原に正座させられて、北都の説教を受けていた。
「……なんだから、もう悪さしちゃ駄目だよ?」
北都は腰に手を当て、人差し指を振って言い聞かせる。
「自分ら、別に悪いことしたつもりはないっすけど」
一匹がぼそりとつぶやく。
「ああん!?」
リカインがマスクの向こうから鬼のような目で睨み付けた。
「ごめんなさいもうしませんっす!」「降参っす!」「裸SKULL様には逆らわないっす!」
河童たちは震え上がって三拝九拝する。
「良い子だねぇ。ご褒美にこれをあげる」
北都が河童たちの前に大量のキュウリを積み上げた。
「ありがとうございますっす!」「北都様は天使っす!」「このご恩は一生忘れないっす」
河童たちは感涙にむせびながらキュウリを頬張る。
警察の尋問方法で、優しい刑事と柄の悪い刑事が飴と鞭になって犯人に言うことを聞かせるというものがあるが、今の状況はまさにそれだ。
以後、アライグマの化け物・裸SKULLの名は、河童たちのあいだで脈々と語り継がれることになるのだった。
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