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Moving Target

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Moving Target

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●テンペスト(2)

「イーシャ・ワレノフ」
「そういう君は、たしかローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)だよねえ?」
「あら? 名前を知っててくれたの? 嬉しいわ」
「有名人だからね、君は」
 イーシャ・ワレノフは黒いアーマー姿だった。ヘルメットのバイザーを上げてローザと向き合っていた。
「遠隔からの跳弾による狙撃はない、そう読んでいたわ」
「お聞かせ願おうかな」
 ふふっと鼻で笑い、イーシャはヘルメットを投げ捨てた。
「失礼。これ暑くって」
 イーシャは追いつめられた格好だ。
 最上階のフロア、すでにソノダを含むすべての客は避難を終えていた。
 数分前が嘘のような静寂のなか、倒れたテーブルの陰より、イーシャはそっと立ち上がったのである。
 ほとぼりが冷めたころに脱出……と考えていたのだろうが、ローザのほうが上手だったというわけだ。
「それで、どうやってその読みに至ったか教えてよ」
 変に馴れ馴れしい口調だが、どうも油断ならないものがあるように思えてならない。
「御方様、これ以上の問答は不要かと」
 上杉 菊(うえすぎ・きく)が言い、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)も率いる特殊舟艇作戦群【Seal’s】に総攻撃の合図を出したがっているそぶりを出したが、ローザは首を横に振った。
「可能性はある……でも今回は状況が複雑と判断したわ。
 なぜなら狙撃は、遠距離であればある程に着弾までのタイムラグが生じるから。
 弾が届くまでの間も、標的は生物である限り絶えず動いている。動的標的(Moving Target)というわけね。
 これを跳弾で当てるとしたら、相手の未来位置を含めた確率計算は世界中の数学者が束になっても解くのは不可能な、まさに『神はサイコロを振らない』という領域になる。
 もう一つの要素……それは、魍魎島の時にΙの跳弾射撃が私の直線距離での遠距離射撃に敗れているというころ。
 加えて、彼女は合理主義
 私との決着に跳弾を使っても、暗殺が第一の今回の場合、それにこだわるかどうかは不透明」
「ゆえに『彼女(イオタ)』は今回、目視距離での狙撃を試みる可能性がある……と結論を出したわけだねえ」
「違って?」
「いや、正解」
「で……そのイオタじゃなくどうして僕を追ってきたのかな?」
「さあ? 気まぐれかしら」
 ローザは空とぼけているが、視線はイーシャからそらさない。
 それにしても、特殊舟艇作戦群【Seal’s】……教導団に志願した獣人族部隊の外観の特殊さはどうだろう。彼らのある者はホテルマンの制服に袖を通し、ある者は下水道工事の業者を装っている。ホテル外壁の清掃業者の衣装で、窓の外のゴンドラに待機している者もあった。
 彼らの陰ながらの活躍が、騒動を早期に終結させるきっかけとなったのである。
 グロリアーナもやはり、口元にマスクをしツナギに着替えた扮装だった。
「ブラッディ・ディバインの主だった幹部は転向、死亡、或は化け物に変貌するなどして姿を消した。実質、組織は壊滅したといえる。しかしイーシャ・ワレノフとやら……そなたは残党を指揮してここまで盛り立てた。だがディバインの幹部にそなたに類似した者はいない」
「あなたは何者ですか」
 菊は弓を肩から外していた。返答によっては――という構えだ。
「当ててご覧よ」
「私の予想では、あなたは……」
「学習:開始」
「どういう意味?」
「よし。学習:終了」
「妙な真似をするのなら……」
 虚を突かれた。
 突然イーシャは凄まじい瞬発力を見せた。一気にローザとの距離をゼロにしたのである。
 ――迅い!
 なんということか、イーシャはローザの肩から彼女の銃、M6対神格兵装【DEATH】をもぎ取った。
「くっ」
「御方様!」
 グロリアーナも菊も、下手にイーシャに手を出せない。二人の距離は接しすぎている。下手に攻撃すればローザを巻き込む怖れがあった。
「その度胸だけは認めても……!」
 いいけどね、と言うかわりにローザは手刀をイーシャの首筋に叩き込んだ……つもりだった。
 手刀は空を切った。ローザ本人に匹敵するほどの反射神経だ。
 銃を手にしてイーシャは走る。
「でもお生憎様、その狙撃銃はウィリアム・マクベインが私のためにカスタマイズしたものなの。私以外の人にとっては引き金だってまともに引けたものじゃ……」
 【Seal’s】の獣人たちが一斉に頭を抱えてしゃがみ込んだ。
 それはまるで雷、天地が割れるほどの轟音が響き渡ったのである。
 黄帝の火竜槍と称される【DEATH】が火を噴いたのだ。
 窓を砕いてイーシャは疾走した。
「そんな!? どうやって」
 砕けた窓のそばに掃除用具入れがある。
 そこに手を入れるとイーシャは窓から飛び出した。銃は投げ捨てている。
「作戦は成功だよ。じゃあ、またね」
 いつの間にか背中には、ジェットエンジンの飛行ユニットが担がれている。
 ローザは忘れない。
 一瞬、振り返ったイーシャに嘲笑するような笑みがあったことを。
 その瞳……虹彩に、針のように細い特徴があったことを。
 あの瞳をローザは知っている。
 それは、一度は心の通じ合った大黒澪(オミクロン)の、
 その生まれ変わりのような大黒美空(オングロンクス)の、
 死闘を演じたイオタの、
 あるいは悠月由真(ユマ・ユウヅキ)の、
 ローラ・ブラウアヒメルの、パティ・ブラウアヒメルの、
 瞳にあったものと、同じ。
 クランジの目だった。