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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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第3章 深夜、ジェラルディ家別荘


 ジェラルディ家の門の前に出て行ったはずの馬車が別の馬車で戻ってきた――門番の傭兵からそれを聞き、村上 琴理(むらかみ・ことり)は慌てて彼女たちの元に走った。
「もう始まってましたのね」
 空に向かってもくもくと立ち込める煙にアナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)がケホン、とむせた。
「ええ。皆さんこちらのマスクかハンカチをどうぞ」
 既に、傭兵の手によって、庭のあちこちで焚火がされていた。真夜中なのに、この敷地だけが昼間のような明るさだ。
 同時に私服の傭兵たちが、残っている住民に偽装して、周囲や避難所に、火事が起こったと流言を流している。
「……戻っていらしたんですか? それに彼女たちまで……」
 フェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)は一瞬困惑したように姉妹を見たが、
「他の皆さんもいらしています。事情をお伺いして宜しいでしょうか?」
 感情を消して、彼女たちを応接室に案内した。
 フェルナンは応接室の隅に急遽運び込んだベッドの上に遺体を、契約者たちを挟んで離れたソファにレベッカのクローンを座らせた。レベッカの横には藤崎 凛(ふじさき・りん)が座る。
「まぁまぁ、丁度よかったわ。ほら……雨が降って来はった」
 清良川 エリス(きよらかわ・えりす)が全員の前に温かいお茶を並べて、張りつめた空気をほぐすように言った。
 それからまた扉からにぎやかな声がしたので、慌てて玄関へと出ていく。元々の使用人は今議会で事情聴取を受けていたり、偽装のために議会の監視下にあり、契約者兼使用人、ということで忙しかったのだ。
「……馬車追ってきたら雨が降ってきてさ。……平気だよ」
 応接室に入ってきたのは、鳥丘 ヨル(とりおか・よる)だった。タオルで髪を拭っている。
 小雨だからと言うヨルに、お客はんに風邪でも引かれたら……とエリスが真面目な顔で無理やり渡してきたのだった。
 最初はぽつぽつと降り始めた雨は知らぬうちに本降りとなり、窓ガラスを叩いていた。
 タオルをエリスに渡すと、ヨルはぼすっと、腰を空いているソファに下した。
「にしても、議会に行くって聞いてたからだいぶ遠回りしちゃったよ。今日走ってる馬車なんてこれくらいだったから、みんなすぐ分かってくれたけどね……」
 ヨルは今まで、古物商で買ってきた絵を調べたり、一度この屋敷でフェルナンに預けていたり、何やかややっているうちに馬車が出発したと聞いて、戻ってきたのだが。みんな、というのは聞き込み先の傭兵である。どうやら長い散歩になってしまったようだ。
「……それで、レベッカ……で、いいよね? 落ちついた?」
 ヨルは泣き止んで、しかし呆然としているレベッカのクローンに声を掛けた。
 返事はないが、聞こえてはいるようだ。ヨルはいいかな、と頷くと、一同を見渡して、
「ちょっと考えたんだけど……もしジルドさんの魔術が成功したら、今生きてるレベッカはどうなるのかな?
 ジルドさんなら、意に染まなかった彼女を不要と言うかもしれない。レベッカが絵を欲しがってたのは、ジルドさんの邪魔をするためかもしれない。レベッカの考えを聞きたいな」
 あの魔法陣が描かれた絵をレベッカが欲しがっていたのは事実。だがそれがどんな意図をもってそうしたのか、については、まだ真意を聞いていない。
 レキは油断なくレベッカの表情、動きに注意を払う。
 これは彼女が敵でない可能性を一度確認してみる、という意味であり無条件に信用するというものではなかった。
 レベッカは俯き、かすれた声で語った。
「あれは……『父』の儀式を手伝い、完成させるためよ。私は今まで、その目的のために錬金術を学んできた。父の役に立つため……けれど……それだけではない……」
 語るように、自分に言い聞かせるように。
 ……もしかしたら、レベッカは何も悪くないんじゃないか。もしそうなら、ここはジルドさん一人に……。そして本物のレベッカが助からないなら、クローンだけでも。そう、ヨルは思ったが。
 彼女が儀式の完成に伴う犠牲について考慮しなかったというのは、残念ながら、事実だった。
「アナスタシア、彼女を百合園に連れていけないかな?」
 言ったヨルの言葉には流石に普段ほどの明快さがない。
(捕まえるしかないのかな……?)
 それでも今拘束されていないのは――十人以上の契約者に囲まれれば、同じような意味があるとはいえ――契約者の側は、彼女を悪人とみなしていない証左だった。
「……まだ生まれて三年なのですものね」
 これを聞けばレベッカは激昂するかもしれない、とアナスタシアは思わないでもなかったが……。
「生まれた経緯を考えれば、彼女には選択の余地がなかったと思いますわ」
 ホムンクルスはフラスコの中でしか生きられない、という説がある。彼女にとってのフラスコはジェラルディ家だったのだろう。

 そんな中、何事かを考えていた一人の少女が顔を上げてレベッカを見る。
「ジルドさんのお手伝いをしてたってイメージだったけど、それが利害の一致だけだとすると、ジルドさんが集めてきた何かを使おうとしてるのかな?」
 そう言ったのは、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)だった。
 先ほどまで焚火の手伝いをするために、ジェラルディ家の別荘に来ていた。外の雨脚は次第に強くなっている。大丈夫だろうか、と少し気にかかった。
(もし……昨夜のあの行動が自分のため、だったら……ジルドさんとレベッカさんの目的は、実は違う?)
 昨夜眠るフェルナンの前で肌を晒した後、止めようとする歩に彼女は言った。
 ――私はお人好しじゃないの。ただ、途中で利害が一致する可能性はあるわ。『父』とも『妹』とも、契約者ともね。
 ――そうよ。私が、『本物』のレベッカ・ジェラルディ……!
「レベッカさんたちがやってきたことって、正直許せることじゃないですけど……レベッカさんの気持ち考えると辛かったのかもって思うんです。
 誰かの代わりとして生み出されて、作った人に一方的に否定される。そんなの悲しいですもん」
 歩はレベッカの瞳を見据える。昨夜とは全く違う、抜け殻のような顔。
「だから、あたしはレベッカさんが認められたいって頑張ってることは否定したくないです。ただ、これが終わったらもう他の人を騙したり、傷つけたりはしないでください」
 レベッカはふと顔を上げると、歩を見た。あの時の女性だと分かったのだろう、唇の端に自嘲めいた笑みが浮かぶ。
 ぽつぽつと、語りだす。
「……生まれて暫くは、私はレベッカだった。だけどある時から、私には『妹』ができた。そして『父』は私を偽物だと言い、人前に出ないときには、名前を呼ばれなくなった」
 新しくできた『妹』が三年前に死んだ自分の本体で、自分は彼女のクローンであること。
 振る舞いや記憶の欠如から父を失望させていたこと。
 その日から、『ほんもののレベッカ』の世話をさせられていたこと。
 魂を取り戻す手伝いのため、錬金術を仕込まれていたこと。その過程で、自分を実験台にもしたことがあること。
 『ほんものレベッカ』がジルドがいなくてもその生活を保障されるように、婚約者の前で彼女を演じさせられていたこと。
「動かないアレが本物で、私が偽物だなんて、そんな馬鹿なことがある……?」
 それは、歩が指摘したこと。
 ――認められたいから。
 その一心でしてきたが、それも、最近終わりを告げた。
「『妹』を、『父』の目の前で殺す。そして『パナケイア』は、私のものになる。私が本物のレベッカになる……」
 ぎゅ、とガーネットをきつく握りしめる。
 静まった部屋の中で、雨音がやけに大きく響いていた。その雨音を切り裂くように、番犬だろうか、遠吠えがひとつ、聞こえた。