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【原色の海】樹上都市の感謝祭

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【原色の海】樹上都市の感謝祭

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第5章 お祭りの外の風景


(ぬいぐるみ、いいなぁ……)
 ほんわか枕を両手に抱え、ふわふわの感触を確かめていた清泉 北都(いずみ・ほくと)は、樹上都市に突如現れたそのクレーンゲームの筐体に釘づけになっていた。
 何処から資材を持ってきて、どうやって組み立てたのか、空京で入手したのか、ぴかぴか光る装飾が場違いでお祭り気分。お菓子の入ったのや、仮装の衣装の入ったのやら、クッションの入ったのやら。
 そのうちのひとつ、クマや猫や犬やら動物のぬいぐるみのたっぷり入ったクレーンの中を見つめる無表情の北都の、目だけがキラキラしていた。
 他の人がクレーンを動かして、アームが動くたびに、少しずつ近づいて行って……。レバーを握る前には、“超感覚”の犬耳と犬尻尾がぴょこんと飛び出て、ぴこぴこしたりぱたぱたしたりしていた。
 景品の中に何か目が動いたりもぞもぞしたぬいぐるみが混じっていたような気もしたが、それには気付かなかった。
 うぃーん……ぽとん。アームの間から――滑り落ちる。
 割と辛い設定にしてあるのではないか? アームが弱い。
 今回お祭りのために持って来たので、ドン・カバチョは無料で挑戦できるようにしていた。もし普段からこの設定なら儲ける気分満々であろう。
 ――しばらく後、彼はお気に入りのぬいぐるみを抱いて、尻尾をぱたぱたさせながらお祭りを回っていた。ちなみにそのぬいぐるみ、死んだ魚のような目をした猫のぬいぐるみ、つまり一般的にカワイクナイぬいぐるみであったが北都自身はとても気に入っているらしい。
 執事姿の少年が抱っこしながらだと、まるでそのぬいぐるみが主人で景色を見せて回っているようだった。
「あれは何だろうねぇ」
 生春巻きやサンドイッチを摘まみながら一周しようと都市を歩いていると、頭上の高い位置の枝のに設けられたデッキの上で、座っている知人の後ろ姿が目に入った。
(あんな隅っこで何してるんだろうねぇ?)
 フレッシュジュースを飲み干してゴミ箱に捨てる。
 長い階段を上っていくうちに喧騒が遠ざかっていった。かすかに談笑が聞こえて来る静かな木陰で、フェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)はイーゼルに立てかけた大きなスケッチブックを前に絵を描いていた。
 振り返ったフェルナンと視線が合いそうになって、彼はぬいぐるみで顔を隠す。
「こんにちは、やあ、僕ネコくんだよー」
 北都は顔の前に持ち上げたぬいぐるみの手足をもぞもぞ動かした。もちろんネコでないのはバレバレで、しかもこんなお祭りでまで執事服を着ている少年は彼しかいなかった。
「清水さん……」
「今はぬいぐるみなので吐き出すならどうぞ。王様の耳はロバの耳ってね」
 フェルナンは息を軽く吐くと、
「ありがとうございます。これは……止めてくれたお礼です」
 それから気まずそうな表情になって、
「自分のしようとした事は間違っていたでしょうが、後悔はしていません。かといって止められたから悔しいわけでもないのですが……」
 あの時の熱は一過性の風邪と同じで、もうフェルナンの中からは消えてしまっていた。
「誰かを利用する者は、利用される覚悟を持たなければならない……私にはその覚悟が足りなかったのだと思います」
 北斗はぬいぐるみの手を振ると、またお祭りに戻っていった。
 フェルナンは再びスケッチブックに絵筆から絵の具を乗せた。まだ紙のほとんどが真っ白だった。
 もともと絵は趣味の範囲で、そこそこの腕だがとてもプロ並みとはいかない。だからうまく書こうとしたら工夫が必要だったろうが、スケッチブックには下書きもなく、細かな構成や順序なども考えていない、誰に見せるでもない気ままな絵だった。
 暫く無心に絵を描いているとパートナーの村上 琴理(むらかみ・ことり)が珍しく制服以外のスカート姿で戻ってきた。立場上とお祝いの気持ちで一応、花をイメージした青いドレスで仮装をしていたが、控えめなのはフェルナンへの配慮だったのはすぐに分かる。
「フェルナン、差し入れの残りのたい焼きだけど食べる? 種類はね、あんこと、カスタードにチーズクリームと……」
 軽く頷くと、琴理は茶色い紙袋を彼の横のテーブルに置いて、自分も隣の椅子に座った。
「あ、ひとつだけだからね。私もまだ食べてないし、……もしお腹空いてたら……、下に降りて来たら?」
「済みません。……迷惑をかけました。無実を証明してくれたというのに、もしこれで俺が、パートナーが殺人を犯したら……」
 琴理は首を振る。
「そんなこと気にしてないわ……私は、だけど」
「琴理さんは……俺と契約を結んだことを後悔していますか?」
「人の生き死にの価値観なんて、生まれた場所や育ち方で違うでしょう? それに人に害をなす怪物を倒すのが良くて、多くの人に害をなした、人の姿の……ジルドさんを殺すのがいけないというのは、社会を維持するための……。……違う、そうじゃなくて」
 琴理はまた首を振った。今度は少し力がなかった。
「……後悔はしてない。どっちかというと、助けになってあげられなくって、ごめんなさい」
 お茶を取ってくるね、と立ち上がって下に引き返そうとした時、
「……あ、歩ちゃん?」
 彼女はデッキの入り口に立って様子を伺っていた七瀬 歩(ななせ・あゆむ)を見付けた。
「琴理ちゃん、フェルナンさんは……?」
「心配してくれてありがとう。大丈夫、ちょっと反省したらすぐ元気になるから」
 気づかわしげに尋ねる彼女を安心させるように、琴理は苦笑した。
「みんなが心配してくれたのに自分の意思をああいう形で押し通そうとしたの、悪いと思ってるんだと思う。
 でも……今までもこれからも、立場に縛られてきたから。次期当主としてこれしますあれしますってばかりで、自分の好きなことずっと我慢してきたから、自分を出すのに馴れてなかっただけ、だと思う」
 もうちょっと気楽になればいいのにね、と笑う。それから改めて、二人の友人に軽く頭を下げた。
「あの……フェルナンのこと宜しくね」
 歩は、たい焼きには手を付けないで絵を描き続けるフェルナンの後ろ姿を見ていた。そんな気持ちになれなかったのだろう、仮装をしていない。
 パレットに取った絵の具を絵筆に付けて、腕を動かし続けている。水彩画だ。
 歩は、何を書いているのだろうか、と思って静かに歩み寄った。
 ……それは風景画だった。そういえばいつか、絵を描くのが好きだと……特に風景画を描くと言っていた気がする。あの海の絵をここで買ったのも、だからだ。
 きっと描きながら色々考えているのだろう。声を掛けない方がいいのだろうか……。
 歩が逡巡していると、フェルナンは気配に気付いたのかふと顔を上げた。視線が合う。
「……あの、こんにちは」
「こんにちは」
 フェルナンは視線を戻して、書き続ける。表情がいつもより固い。それに普段ならきっとあれこれと話しかけるのに。
(フェルナンさん、やっぱりジルドさんのこと許せないんだよね。……ううん、あたしも正直許せない。でも、復讐かぁ)
 スケッチブックの上に、まだ森しか描かれていなかったが、デッキから見える枝ぶりと一致している。樹上都市の風景画だ。しかし、ここから見えている人はちらとも描かれていない。
 何となくだけど、きっと先のことを考えようとしてるのかなぁ、と歩は思った。
(自分の大切な人を救いたいっていう気持ちはわかるし、そのために他の人に迷惑をかけることになることもあると思う。そういう大きい話だけじゃなくて、交易の話だってそうだよね。自分にメリットなきゃ交易しないだろうし。
 でも、そこで自分を貫くだけじゃ争いになっちゃう。争わないためには、話し合わなきゃいけない。
 そこでも争いは生まれるけど、でも、お互いのこと考えて別の手段が探せるかもしれない)
「樹上都市を描こうとしてるんですか?」
 そういう争いを回避するためには、相手を知るってことが大事だし……と、声を掛けると、迷ったような声だけが帰ってくる。
「今まで、人を描いたことは殆どありません」
「そうなんですか?」
「……人から逃れるために絵を描いていたので」
 ただ筆を動かす。視線は風景とスケッチブックの間を行ったり来たりしていた。
「商売をしていると、人をどうやって動かすか、腹の内の探り合いばかりしてしまうので……もしかしたら、性に合っていないのかもしれません。
 今回のことだって、そうやって人を見た結果で、利用されてレジーナさんやレベッカさんを苦しめたのでは、と……」
 苦しげに吐き出す。
「俺は好きではない人と商売のために婚約をしました……ジルド・ジェラルディが俺を利用したのは確かです。ですが、結局当主の座を財産をすべてを失ってでも、娘さん一人の幸せを願って、全てを懸けた」
 風景に、色が付きだす。遠くに人の姿が見えるようになっていた。
「彼を許せない、と同時に、自分の未熟さを指摘されたような気がしました。そして、何故か、自分の思うままに生きてみたいと……」
 絵の中に、人が描かれている。
「……今までは風景画や静物画ばかり描いてきましたが。これからは人物画も描いてみたいですね。
 その時は百合園の皆さんを描けると嬉しいのですが……、未婚のお嬢様方にはぶしつけなお願いでしょうか」
 フェルナンは顔をあげて、真摯な歩の瞳を見て微笑した。
 彼はもうすぐ立ち直るだろう、と、歩はそんな予感がしていた。