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パラミタ・イヤー・ゼロ ~愛音羽編~ 

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パラミタ・イヤー・ゼロ ~愛音羽編~ 
パラミタ・イヤー・ゼロ ~愛音羽編~  パラミタ・イヤー・ゼロ ~愛音羽編~ 

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 九階・天殉血剣の間


「――寝てんのか? ちとキザだが、目覚めのキスで起こしてやるか」
 紫月 唯斗(しづき・ゆいと)はガラスの蓋を開け、棺に横たわる天殉血剣へ唇を重ねた。まるでお伽話のシーンのように天殉血剣が呪われた眠りから目を覚ます。
「起きたか? んじゃ、行こうぜ」
「……私に行くあてはないわ。ここが、私の居場所だから」
「あ? お前の居場所はこんな冷たくて寂しいとこじゃねぇ。もっと暖かい場所があるんだ! 俺がそこに連れて行く!」
 唯斗が天殉血剣を抱きかかえた。お姫様だっこされた彼女は、思わず目を伏せる。濡れ羽色だった天殉血剣の髪がほんのりと朱に染まった。

「ハルミアはずっと考えていたのです。初めて会った時、天殉血剣さんは支配される事が喜びなのだと言っていたけれど……。誰かに受け入れてもらえることが、本当の望みなんじゃないかなって」
 ハルミア・グラフトン(はるみあ・ぐらふとん)が言葉を丁寧に選びながら告げた。唯斗に下ろしてもらった天殉血剣は、いくぶん親しみを込めた瞳で彼女を観察する。
「……今日は、ドラゴンさんはいないみたいね」
「はい。パートナーのアルファは一緒じゃないのです。ハルミアはアルファのメイドだけれど、こうして『メイドじゃないあたし』もちゃんといます。メイドにだって、自由な時はあるのです」
「……貴方の言うことは、どうしていつも難解なのかしら?」
 天殉血剣が困ったように首をかしげた。零の参謀役としてあらゆる分野の専門書を読み解く彼女だが、ハルミアの訴えることはどうしても上手に理解できない。
「沢山の人があなたを必要としている――。誰かに支配されなくても、受け入れてくれるのです」
 ハルミアは、天殉血剣をまっすぐと見据えた。
「拒む人だっているし、信じたのに裏切られる事だってある。それでも、お互いに傷つけたり、傷つけられたりしながら、一緒に居ることだってできる筈なのです!」
「……私には耐えられないわ。これ以上、自分の腕が誰かを傷つけるのは」
「それでもハルミアは――ううん、あたしは。あなたと一緒に居たい。いい事ばっかりじゃなくても、あなたと、みんなと一緒に泣いたり笑ったりしたい」
 そう言って彼女は、右手を差し出した。
 ハルミアが自身を名前ではなく『あたし』という一人称に呼び変えたのは、誰もが持つはすの自由意志に気づいて欲しいからだろうか。天殉血剣は黙考しながら、ハルミアの差し出した掌を見る。
 家事でいくぶん荒れた手は、それ故にこそ気高く、彼女がメイドとして誇りをもっている証左だった。
「――でもこれは、あたしの気持ち。天殉血剣さんがどうしたいかは、自分で決めるのがいいと思う」
 伸ばしたこの手を掴んでも、払ってもかまわない。
 どちらにせよ傷つけられるリスクを承知で、ハルミアは臆すること無く天殉血剣と向き合う。
「あなたは、ちゃんと自分をもってる。誰かの所有物なんかじゃないもの」
「……ハルミアさんの言うことが、やっとわかった気がするわ」
 天殉血剣はおそるおそる、ハルミアの手を握り返した。彼女の持つ“生命のあるものを触れた瞬間に切り裂く力”が、ハルミアに傷を刻む。
 それでもハルミアは微笑みを絶やさなかった。
 戸惑いながら、天殉血剣もまたその口元に微笑を浮かべる。誰かに触れること。傷つけること。それをなによりも恐れてきた彼女にとって、手を差し伸べてもらえたのはなによりも嬉しい。
 思わず涙がこぼれ落ちそうになる。気丈な天殉血剣は、泣き出してしまう前にそっとハルミアから離れた。

「ハルミアの嬢ちゃんの言うとおりだぜ。傷つけることなんざ、恐れなくていいのさ」
 唯斗が、振り返った天殉血剣を抱きしめた。一瞬のできごとに驚いた彼女は、黒い髪を毛先まで真っ赤に染めた。
――その時だった。夜炎鏡が死に、天殉血剣がパートナーロストと同じ状態に陥ったのは。

 苦しげな天殉血剣を見て、唯斗はすぐに事情を察した。
 契約をするなら、今だ。
「この手は救いたい奴を救う為に在るんだ。こうしてお前を抱き締めるとか、な」
 唯斗は天殉血剣を強く抱擁した。彼の身体はあちこちが切り刻まれ、大量に出血している。
 傷だらけの手で天殉血剣の頬を寄せ、唯斗はふたたび唇を奪う。
 長く。永く。殉血剣の全てを上書きする様に――。
「約束したろ? お前達がそのままで居られる場所に連れていくって」
 唇を離し、唯斗が告げた。
 天殉血剣の髪は燃えるように赤くなっている。契約を終え、ふたりは新たな絆で結ばれた。
「はは、ボロボロで血も足りねぇけどよ。口説いた女を抱き上げて帰るくらいの格好はつけねーとな」
 満身創痍で強がる唯斗に、天殉血剣は素直に口元をほころばせる。
「……唯斗さん。……私は、貴方についていきます」