|
|
リアクション
3、繰り返す時間の中で
「っ……!」
影月 銀(かげつき・しろがね)はヘッドホンを投げ捨てる。
強制的に意識を切り離されたような不愉快な感覚。
周りも皆そうなのか、頭を抑えたり、歯を食いしばったりしてその不愉快さに耐えていた。
「ミシェル、平気か?」
「うん……」
隣のミシェルに話しかける。ミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)は頭を抑えて痛みに耐えている。銀は彼女の背をさすってやった。
「みなさん、平気ですか?」
小野の声がすぐ近くに聞こえた。
「なにが起きたんですか……」
千返 ナオ(ちがえ・なお)が頭に手をやったまま言う。
「みなさんがバグに巻き込まれ、博士もバグに飲まれました。みなさんが世界に飲み込まれる前に、強制的にシャットダウンしたであります」
千田川が解説する。
「急なことだったので、みなさんの意識の切り離しも急にせざるを得ませんでした。異常はないと思いますけど……」
小野は言うが、
「異常はないとか、そういう話じゃねえだろ」
レナン・アロワード(れなん・あろわーど)が声を上げた。声を上げ、視線を博士へと向ける。
博士は相変わらず縛られたままだ。が、今はしっかりと目を開いて、どこか遠くを見ていた。
「博士……」
近くにいたジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)が近づいていって、彼の肩を叩く。
「おい、しっかりしろ。ここがどこかわかるな?」
どこかうつろな表情の博士の顔を正面から見据え、言う。それでも返事がないので、ジェイコブは軽く彼の顔をぺしぺしと叩く。
「ああ……平気だ」
博士は答えた。ジェイコブは「そうか」と口にして息を吐く。
「でも……これで、彼女とはぐれるタイミングも、どこで倒れていたかもわかりましたね」
水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)が口にした。
「倒れる場所さえマークしてれば、そこに行くまでになんとか抑えることは出来る。問題は、その周辺まで来た段階で手遅れという可能性だが」
月崎 羽純(つきざき・はすみ)がそう言った。
「倒れた場所の周辺と、そこに至るまでの道をすべて抑えよう。そうすれば、少なくとも、倒れる前に発見できるはずだ」
エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)が言う。
「そうですね。それと……」
ゆかりは視線を巡らせる。
「………………」
部屋の一番奥にいた涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)が、ヘッドホンを外して立ち上がった。
「涼介……どうしてあんなことを」
セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)が声を上げる。
涼介は答えない。答えず、視線を逸らした。
「とにかく、もう一度もしもの世界に入ってみるということで……いいですか?」
小野が聞く。
皆は聞くまでもない、と鋭い表情で頷く。
小野が博士に顔を向けるが、博士は静かにヘッドホンを付け直した。
涼介も、ヘッドホンを付け直す。
みんなの覚悟は決まった。
小野は、改めて機械のスイッチを入れる。
二度目の、もしもの世界へのダイブが始まった。
感じたのは、温かさ。
彼は何度も何度も、病室に遊びに来てくれた。
入院することが多く、友達も少なかったわたしには、お見舞いに来てくれる人なんていなかったから。
嬉しかった。
彼はいろいろなことを教えてくれた。
科学のこと。
新大陸のこと。
いろいろなことを、話してくれた。
それが嬉しかった。
楽しかった。
だから、ちょっとだけ。
彼が来たときは、ほんのちょっとだけ、体に鞭を入れて。
疲れても、そういう素振りは見せないように。
ずっと、笑っていられるように。
感じたのは、苦しさ。
そして、それ以上の……温かさ。
「今のは?」
黒崎 麗(くろさき・れい)は目を開いた。
そこは、再びお祭りの会場だ。周りを見回す。
「麗、俺、今回は大丈夫だよ……な」
黒崎 竜斗(くろさき・りゅうと)が言うが、言ってから自分で落ち込んでいた。
声が高いことに気づいていたのだろう。彼はまだ、竜子のままだ。
「はい。お父さんはまだ竜子ちゃんのままです」
「うん……なんとなくわかってた」
麗は落ち込んでいる竜斗の頭を、背伸びしてよしよしと撫でてやった。
「おいユリナ、今回は抱きつかないで……ってギャーッ!」
竜斗は振り返って悲鳴を上げる。なにごとかと麗が視線を向けると、
「よ、竜子」
見知らぬ男が立っていた。その横ではシェスカ・エルリア(しぇすか・えるりあ)が息を吐いている。真一も苦笑していた。
「もしかして……お母さん?」
麗が話しかけると、見知らぬ男は「そうだぜ」と髪をはらって口にする。なるほど。これが噂に聞いた、前回のユリナの性別変化バージョンか。
「ななななななんで今度はお前も男になってるんだよ!」
「小野さんに頼んだんですよ。せっかくだから、こういうのも楽しんでみたくなって」
ユリナ……いやユリスケは竜子の肩に手を回す。
竜子はなんとかして引き剥がそうとするが、男と化したユリナは力が強く体も大きい。振り払うだけでものすごいエネルギーを消費していた。
「……ということは、お父さんがお母さんで、お母さんがお父さんで、……あれ?」
麗は混乱しているのか首を傾げる。
「あんまり深く考えないほうがいいわよぉ」
シェスカはそのように口にした。
「さ、竜子。人のいないところにいこうか」
「離せーっ! いやーっ!」
竜子はユリスケに抱え上げられてどこかに連れて行かれるところだった。
「竜斗さん、今、土井くんと虎子ちゃんが嬉々としてついていこうとしています」
「止めてくれ! いや、ていうかユリナを止めてくれ!」
竜子は叫ぶが、ふたりはもうすでに遠くだ。シェスカが近くにいた皆口虎之助を足止めするだけで精一杯だった。
「止めないでください。いい写真が撮れそうな予感がするんです」
虎之助は振り返って言う。
「それ予感じゃないから。確信犯だから」
真一は息を吐いて言った。
「ていうか、ハイパーエロス。さっきまでどこにいたのよぉ」
シェスカが聞く。
「いかにも。僕の名は皆口虎之助(みなぐち とらのすけ)。またの名を『絶大なる性的欲求』(ハイパー・エロス)です」
虎之助はいつものように名乗ってから、
「初回はいろいろと写真を撮っていました。これで、どのエリアに誰がいるかは把握できるはずです」
そして、手にしていたカメラのデータを見せる。
なるほど、いろいろな場所をいろいろな角度から撮っている。時間も右下に書いてあるので、どの場所がどのタイミングで誰が立っていたか、よくわかる。
合間に浴衣の女の子が何枚か入っていたが。
「でも、今回SAYUMINさんの写真がないね」
真一は気になって聞く。すると、虎之助は口を開いた。
「次に盗撮したら、イベントを出禁にするぞと先輩が言われたみたいで」
「なるほど。自業自得ねぇ」
シェスカは息を吐く。
「お父さんたち、どうしましょう」
麗は言う。「さあ……」と真一が口にしたら、
「さっき、竜斗さんメスバージョンとすれ違ったんだけど、追わなくていいのか?」
ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)がちょうど近くに来て、声をかけていた。
「ハイコドさん。お父さん、どうしてました?」
麗が聞く。
「鼻息の荒い男に連れ去られようとしてたよ」
あっけらかんと言う。「止めてくださいよ……」と真一が口にした。
「でもあれ、確かユリナさんだよな。まあ、大丈夫なんじゃないか」
ハイコドはそう言い、
「……身内がアレだと、大変だよなあ」
どこか遠くを見て口にした。
そういえば、この人も前回、女になってて大変な目に合っていたような……シェスカと真一は顔を見合わせた。
「麗に妹か弟ができるかもねぇ」
シェスカは言う。
「兄弟ですか!? 欲しいです!」
麗は嬉しそうに言う。
「その場合……竜斗さんが産むことになるけどいいのか?」
ハイコドが真一に耳打ちした。真一は「さあ……」と、苦笑したまま答えた。
一方、もうひとりの大変だった人物、千返 かつみ(ちがえ・かつみ)は。
「直ってねーじゃ……あれ?」
カツラを外そうとするとカツラじゃない。
声が高い。それと、なんというか自分の体のつくりに違和感がある。
「かつみ……」
「今度は完全に……」
「女だね」
エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)、千返 ナオ(ちがえ・なお)、ノーン・ノート(のーん・のーと)が続けて言う。
「なんで!? なんで今度は完全に女になってんの!?」
かつみが通信を送る。すると、程なくして小野の声が聞こえてきた。
『ノーンさんがそうしろと』
「ノーンっ!!」
かつみがナオのフードの中に入っているノーンを追いかける。ノーンはナオの周りをくるくる回り、ふたりはナオを中心にしばらく追いかけっこをしていた。
「さっき、女のほうがマシだと言っていたじゃないか」
「いやそうだけどねっ! そうだけどだからって女にする必要ないだろうがよっ!?」
かつみは長い髪を振り回して言う。
ふたりに挟まれ、ナオはくるくると目を回していた。
「完全に女じゃねえか……なんだこの違和感」
言い、かつみは体をぽんぽんと触る。
自分の体とは思えない柔らかな感覚。筋肉の感覚がぜんぜん違う。そして、そんな風にぽんぽんと触っている手が胸元に来たところ、
「ひぅ」
と、思わず声が出てしまった。
「………………」
「………………」
ナオとエドゥアルトが顔を見合わせた。
「聞いたかいナオ。ひぅ、だって」
「聞きました。なんというか、意外ですね」
「ちょっとくすぐったくて声が出ただけだよ忘れろーっ!!」
かつみは叫ぶ。ノーンはフードの中で笑いをこらえていた。
「あ、そうそう。今回は小野さんに頼んで、カメラを持たせてもらったんですよね。せっかくだからかつみさんを一枚」
「やめろ撮るな! 頼むから撮らないでくれ!」
ナオが写真を撮ろうとすると、かつみは顔を隠そうとする。
「まあ、かつみ。落ち着いて。とにかく、今回の世界から抜け出さない限りは、容姿を変えることは出来ないよ」
エドゥアルトが口にした。「う、確かに……」とかつみも言う。
「今回はさおりさんがどこで倒れるかわかっているから、すぐ解決するさ。それまでは我慢するといい」
「というか……我慢するしかないんだよな」
かつみは息を吐いた。
「じゃあ、博士たちが来るまで回ろうか。ほらかつみ、さっき食べなかったから、たこ焼きなんかどうだい?」
エドゥアルトはそう言って、屋台のひとつを指差す。「……食べる」とかつみが口にするので、エドゥアルトはたこ焼きを買ってきて、爪楊枝でひとつを刺す。
「はい、あーん」
「自分で食べれるよ!?」
かつみは大げさに驚いて言った。が、エドゥアルトは「いいからいいから」と勧めてくる。仕方なくかつみは少しだけ上を向いて、「あーん」と口を開けた。
その瞬間に響いたぱしゃりという音。たこ焼きを食べる前に振り返ると、ナオが写真を撮っていた。
「せっかくだから撮りましたよ」
そして、データをふたりに見せる。
あーんをしているかつみ(♀)と、エドゥアルト。
どう見てもデートだ。
「うわーっ! なにを撮ってるんだよ!」
かつみが真っ赤になって叫ぶ。エドゥアルトも「ははは、恥ずかしいね」と笑っていた。
「せっかくですから、記念に」
ナオはけろんとして言う。
「ナオに悪意がないのは分かるけど、頼む俺たちのは消してくれっ! エドゥもさらっと言うな!」
かつみがナオからカメラを奪おうとするが、ナオはカメラを話そうとしない。ノーンも参戦し、そんなふうに攻防をしていたところ、
「ふ……まだまだ甘い」
そんな四人の耳に声が響いた。
「ば、バーストエロス……」
かつみがその名を呼ぶと、
「いかにも。俺の名は土井竜平(どい りゅうへい)。またの名を、『瞬速の性的衝動』(バースト・エロス)」
竜平はいつものようにメガネを持ち上げ、名乗る。
「千返ナオ。まだまだ写真の腕が甘い。これを見てみろ」
そう言って、彼はデジカメを見せる。ナオが疑問符を浮かべてカメラを覗き込むと、真っ赤になって顔を逸らした。
「……なんだ?」
かつみは嫌な予感を感じながらも、カメラを見る。
見事なアングルで、たこ焼きが見えない。その上、「あーん」とする、ほんの一瞬だけ前の写真だ。
少しだけ上を向いて、目を閉じて。それでいて、まだ口は開いていない。
……キスをねだっているように見えた。
「うわーっ!!!!」
かつみが真っ赤になって叫ぶ。「これはさすがに、私も照れるな……」とエドゥアルト。
「うわーっ、うわーっ!! すぐに消せすぐに消せすぐに消せすぐに消せすぐに消せ!」
「落ち着くんだかつみ。レトロゲームのバグみたいになっているぞ」
真っ赤になって叫ぶかつみにノーンが冷静に言う。
「うわーっ!!」
そして、真っ赤なままどこかに走り去った。
「この写真なら、いろいろな方面に売れそうだな」
が、竜平がそのように呟くと勢いそのままにかつみが戻ってきて、
「売るなよ! 売らないでくれよ! ていうか売らないでくださいお願いします!」
全力で土下座してきた。
ナオは「あははは」と小さく笑いながら、土下座したかつみを一枚、写真に収めた。
「涼介」
酒杜 陽一(さかもり・よういち)は屋台で売っていたペットボトルのお茶を、神社の境内に寄りかかっている涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)に投げて渡した。
「もう一度だけ聞くわ。どうして、あんなことをしたの?」
陽一の後ろにはセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)もいる。
涼介は受け取ったお茶を一口だけ口に含み、
「もしもマシーンというのは、あくまで夢見の機械でしかない。この世界は単なる、仮想世界だよ」
言葉を紡ぐ。陽一たちは黙って、その言葉を耳にしていた。
「結局、いくら足掻いたところで現実は変わらない。夢を見るのは大いに結構。結構だけど……現実をきちんと見て、真摯に取り組んだほうが、博士のためなんじゃないかな、と思ったんだよ」
「なるほどねえ……」
セレアナは頷く。
確かに、彼の言うことはもっともだ。この世界はあくまで仮想世界。この世界でなにかが起きても、それが現実に反省されることはない。
「涼介の言うことは正しいな。博士が、現実のさおりさんや親御さん達のことを忘れて、偽物の彼女との幸福に満足したりしたら、後味悪いってレベルじゃない」
陽一は口にした。口にし、息を吐いて言葉を続ける。
「かといって、博士自身にその気がないのであれば、さおりさんへの誠意を他人が無理強いしたところで意味無いしなぁ……結局は、本人がどうしたいか、か」
言って、軽く頭に手をやった。
「そういうことだよ。この世界は、ハッピーエンドになんて決してならない。彼の物語は、バッドエンドで終わっているんだから」
涼介は口にした。
「それを知らしめるために、あえて泥を被ったっていうのね」
セレアナは言う。それに涼介は答えず、お茶をゆっくりと口にした。
「ハッピーエンドになるか、バッドエンドになるかなんて、結局……偶然が織りなす気まぐれのドラマよ」
セレンフィリティがふと、そんなことを口にする。
「神様って、とっても意地悪なのよ。信じられないような幸福を誰かにもたらしたかと思えば、逆に、とんでもない不幸を誰かに押し付ける。そんな気まぐれにあたしたちは付き合わされて、辛い思いをしたり、逆に、幸福な思いもする」
セレンフィリティは遠くを見つめている。陽一たちには、その視線の先がどこに向いているのかわからなかった。
「そんな偶然と気まぐれの中で、あたしたちは生きていくしかない。無理やり押し付けられる幸福と不幸を、なんとか自分の中で噛み砕いてね」
しかし、セレアナにはその視線が、どこを向いているのかわかった。
わかったからこそ、肩に手を回す。回した手に力を入れると、セレンフィリティはわずかに体重をセレアナのほうへと預けた。
「博士は……それをわかってない」
そして、最後にそう言う。
「そうかもしれないな……」
陽一もそう口にした。
幸福と、不幸。
それが、紙一重の偶然が織りなすもので、しかも、それを人の力でどうにも出来ないんだとしたら、この『もしもマシーン』は、なんとも寂しい機械だ。
叶いもしない夢を見させ、届きもしない声を届かせ、出来もしないことをやらせる。
でもそれは、世界になんの影響もしない。この世界を変えたところで、本当の世界は変わらない。
なんの、意味もないのだ。
「それでもよ、」
いつからそこにいたのか、境内の影に紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が腕を組んで立っていた。彼の声に、皆の視線が向く。
「やはり、物語はハッピーエンドで終わるほうがいい」
唯斗は言い、陽一たちの元へと歩を進める。
「ハッピーエンドが一番、なんだがなぁ。世の中、そーでもねぇんだよなー。ぶっちゃけますけどよ、俺だって変えたい過去はある。救いたかった奴を、救えなかったりしたからよ」
歩きながら唯斗は口を開く。
彼もまた、どこか遠くを眺めていた。
「でも、それは背負わなきゃいけない事だろ? 自分の選択の結果なんだ、それから逃げるわけにゃいかねーだろ。全部背負ってそれでも自分を貫く。それが必要だろう?」
その視線が、仲間たちの顔へと向く。
「起きたことは起きたこと。それを認めて、全部吐き出してやりましょうぜ。そうすれば、後悔なんて、そんな言葉で表現する必要はねえ」
ほんの少しだけ、明るい表情。
彼がどんな出来事を味わい、どんな出来事を乗り越えてきたのかはわからない。
それでも――その言葉には、不思議な力があった。
「結構しんどいけどよ。少なくとも、俺は後悔はしてねー。それがなけりゃ今の自分はなかったんだしな。それを否定しちゃ、他の全てを否定するのと同じじゃねーかな?」
だからこそ、近くに来てそう言って笑う彼の言葉を、否定は出来なかった。
「ま、あくまで個人的な意見だがなー」
最後はごまかすようにそう言って笑う。
「つーか、恥ず! 何語ってるンだ俺! 嫁さん達には絶対バレたくねぇー」
続けてそう言うと、みんなも少し頬を緩めた。
「全部認めて、それでなお、吐き出させる、か」
陽一がその言葉を繰り返す。
「それで、博士はほんの少しでもマシになる?」
セレンフィリティは聞いた。
「それはわからないな」
陽一は答えた。
「でも……そうさせるだけの価値はある」
続けて口にした言葉に、皆の表情が少しだけ変わった。
『博士たちが、会場に入りました』
小野の声が聞こえた。
「と、いうわけですよ。行きますか」
唯斗は首をこきこきと鳴らして歩き出す。陽一も続いた。
「涼介は、どうするの?」
セレアナが聞く。
涼介はその場を動かない。動かずに、空になったペットボトルを投げる。
それは、離れた位置にあったゴミ箱に、ぎりぎり入りそうで……入らなかった。
「アレを片付けてから考えるよ」
肩をすくめて言う。その表情は、先ほどまでの硬い表情じゃなかった。
「そ」
その表情だけで、セレアナは十分だと感じた。涼介がペットボトルを拾いに、歩き出す。その様子を、セレアナはじっと見つめていた。
隣を見ると、セレンフィリティは顔をぱしぱしと叩いて、「よし!」と気合を入れていた。
「シリアスモードはあたしには似合わないって?」
「そんなこと言ってないわよ」
そして、にかっと笑顔を浮かべてセレンフィリティは言う。セレアナは息を吐いて答えた。
「似合わないわよ……正直、シリアス過ぎるのは嫌い」
セレンフィリティは自分で答える。
「だから笑顔で行きましょう。セレアナ。そうすれば、ちょっとは気まぐれな神様も、笑ってくれるかもしれないんだから」
それが、彼女の出した答えなのだろうか。
セレアナは、そんな風に彼女が思ってくれるだけで十分だった。
「行くわよ」
だから、その言葉には笑顔で返す。
「ええ」
ふたりは歩き出した。
気まぐれな神様に、ちょっとばかりの反抗だ。
今回も、ふたりをマークしつつ、会場に監視を広げつつ、の体制だった。
が、大きく違うのは、さおりが倒れた場所周辺がしっかりと囲まれているということだ。どの位置から彼女が来ても、しっかりと保護できる体制は出来ている。
それだけじゃない。今回は、博士にもちゃんと記憶がある。
彼は、彼女とどこではぐれるかも、どうはぐれるかもわかっている。
その上、どこで彼女が倒れるかも、わかっていた。
なので、はぐれることもないかもしれない。はぐれても、きっと、倒れる前に再会できる。
それはそれで、新たなドラマだ。誰もが、その展開を期待した。
それでも、だ。人ごみに飲まれた博士は、必死に手を繋いでいたのだが、
「あっ……」
その手が離れる。
「こちら谷岡。彼女を……見失った」
そして、今回は彼にもついている通信機でそう送る。
『倒れた場所に彼女は向かうと思います。みなさん、警戒を』
フィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)の声が響く。
倒れた場所付近をマークしているメンバーが周りを見回し、いつ彼女が来てもいいようにした。やがて博士もその場に来た。
完璧だと思った。
だが……彼女はいつまで経ってもその場には来なかった。
『あの……夢悠です。救急車が来ました。どうも、入り口付近で人が倒れていたらしい、と』
想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)の通信が入った。
「入り口付近だって!?」
ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が叫ぶ。
「どういうことだ?」
近くにいた羽純も声を上げた。夢悠が『やっぱりさおりさんです。間違いありません、確認しました』と通信を送る。
「そんな……どうしてなの?」
エセル・ヘイリー(えせる・へいりー)がぺたんと座り込んだ。
『小野です……シャットダウンします』
その言葉で、意識が遠のく。目が覚めると、博士たちの研究所だ。
「どうして倒れた場所が変わっていたの?」
綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)がヘッドホンを外して聞く。
「わかりません……」
小野も千田川も、それしか言えなかった。
「もう一度入ってみましょう。小野さん、時間をずらしましょう。博士が会場に入ったくらいに」
水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)が指示を送る。小野は頷いて、時間の調整を行った。
「おっと、その前に」
「ひとつ言いたいことがある」
かつみと竜斗が声を上げる。
「わかりました。性別ですね」
小野もわかっていたのか、かたかたとキーボードを操作した。
「ちぇー」
ノーンとユリナが同時に口にした。
そして再び、もしもの世界。
「ちゃんとしてる……」
「男だ……女装もしてない」
竜斗、かつみはこんどこそちゃんとしていた。浴衣も着ていない。ユリナとノーンが「ぶーぶー」と不満の声を上げる。
「かつみ、やったな! 俺たちちゃんとした男だぜ!」
「ああ、竜斗! これでやっとこの世界をエンジョイできる! さあ、お祭りだ! 楽しもう!」
言って、ふたりで肩を組んで並んでスキップして行った。
「いや、もうそういう雰囲気じゃないから……」
「お父さん。そんな時間ありません」
エドゥアルト、麗がそう言って引き止める。今度は竜斗とかつみが「ちぇー」と声を上げた。
そして、今度は最初に倒れた場所と、入り口付近にマークを分散させて待機。博士にも「手を離すな」と念を押したが、それでも人ごみの中で、手は離れてしまう。そして、不思議なことに、はぐれてからの彼女の姿を、誰も見ていない。
彼女は再び、誰も見ていないところで倒れた。今度は花火が見やすいというレジャーシートなどが広げられた場所の、一番奥の場所。完全に、ノーマークだったところだ。
「どういうことだよ!」
元の世界。ヘッドホンを外して夢悠は叫んだ。
「ひとつだけ、可能性を見つけました」
そんな夢悠の言葉に、小野が声を上げる。
「この機械はあくまでも、メイン接続しているメンバーが願った世界という形を取っています。つまり、例えば、その、『会いたくない』というふうに考えていたとしたら……」
「つまりは……」
ベルクが博士を見た。
博士は静かに、息を吐く。
「……会って、なにを言えばいいというのだ」
博士はそう、最初に言った。
「はぐれてすまないと、ひとりにしてすまないと言えばいいのか? ……これは単なる仮想世界だ。過去は……事実はなにも、変わらないのだ」
それは真理だ。だから、誰もなにも言えない。
「この物語はバッドエンドなのだよ……決まっているのだ。変えられないのだ。だったら……バッドエンドのままで、いいじゃないか」
彼のかすれた声が、響く。
すべてをあきらめた、絶望の声。
その声は、なにも変えようとしてはいなかった。なにも変わろうとしていなかった。
過去の自分から、逃げていた。
認めることも、認めないこともしない。
ただ彼は……逃げていたのだ。
「ダメよぉ」
そんな悲痛な声を、ひとりの声が掻き消した。
「そんなのダメよっ!」
声を上げたのはシェスカだ。皆の視線が、シェスカのほうへと向く。
「そうやって、バッドエンドを認めるの? なにも言えず、なにも言わずに終わったバッドエンドを!」
シェスカはヘッドホンを外し、博士へと迫る。
「大切な人が失われる悲しみを、なにも出来なかった悔しさを、あなたは知ってるんでしょう!? その悲しみを、悔しさを、また繰り返してどうするのよ! 仮想世界だろうがそんなの関係ない。せめて、その気持ちを、その思いを、ぶつけたいという気持ちにはならないの!?」
シェスカは博士の襟を掴んで言う。
「言いたい気持ちがあるのに、伝えたい思いがあるのに、それを伝えられないなんて、そんなの……寂しすぎるわよ」
今度はシェスカの声がかすれてゆく。博士の表情が、少しだけ変わった。
「伝えなさいよ。せっかく、あなたはまた、会えたのよ。伝えなさいよ……」
俯きながら言う。
「シェスカの言うとおりだよ、博士!」
ミシェルも立ち上がる。
「さおりさんは、博士が悪いなんて思ってない! バッドエンドだなんて決めつけるのはまだ早いよ!」
「その通りなの。花火を見たかったのは、博士だけじゃないの。きっと、さおりさんも、博士と一緒に、花火を見たかったと思うの!」
エセルも立ち上がって、言った。
「仮想世界でも、現実とは違っていても、せめて……一緒に、花火を見て欲しいの」
「そうですよ、博士」
歌菜も口を開く。
「ひとりでバッドエンドだなんて決め付けないで。博士とさおりさん。ふたりの想いはきっと、同じだったと思う」
言葉がいくつも響いた。博士は少し俯いていたのだが、
「これは、仮想世界の話だ。彼女は、決して救われない」
博士は小さく言葉を紡ぐ。
「それでも……私は、彼女を、」
小さく紡がれる言葉。かすれ、例え聞こえづらくとも、皆がその言葉に、耳を傾けていた。
「さおりを、救いたい」
みんなが、それぞれに思いを持っていた。
その言葉を認めたいもの。その言葉を、否定したいもの。
でも、誰もそれを口にしない。
「私は……俺は、さおりを思っていた。好きだった。大好きだった。だから……救いたい」
泣きそうな声が、響いた。
それは、所詮はただの自己満足だ。現実の世界は、なにも変わらない。
でも、誰もその言葉を、否定しなかった。
今、仮想世界の中で改めて出会った『さおり』を救いたいという思いを、誰も、否定できなかった。
「決まりですね」
小野が口を開く。
「当初のポジションに戻すであります。おそらく、『会いたくない』というフラグは、もうないでありますよ」
千田川がそう言い、かたかたとキーボードを叩いた。
「まんべんなくお祭り会場をマークして、さおりさんを発見するであります。きっと、上手くいくでありますよ」
その言葉に皆が頷いた。ヘッドホンを、皆が付け直す。
「それでは行きますよ。みなさん、今度こそ、お願いします」
皆の意識は、再び夢の中へ。
仮想世界。せめてそこの中では、ハッピーエンドが見られると信じて。