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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

リアクション


●16

 この騒ぎに乗じて睡蓮も、手を伸ばせばパイに触れられる位置まで来ていた。
(「東園寺さんやりますね……さて、わたしは彼女を捕獲します……。イコンの研究を深めれば深めるほど……ふふ。知識と技術の拡充に興味が湧いてきたんですよね」)
 クランジはまさしく、知識と技術の高度な集積だ。手に入れたくもなる。
 睡蓮は九頭切丸を遠ざけ、自分への注目度を限りなくゼロに近づけた状態で、うずくまるパイの手を握った。
「一緒に来ませんか。あんな連中と一緒に行って、教導団のさらし者にされたいのですか? 仲良くなって色々と教えてもらいたいと、私は思っているんです……」
「誰……?」
 腫れぼったい眼でパイは睡蓮を見上げた。
「私は睡蓮……水無月睡蓮、あなたを横取り……いえ、連れ出しにきたのです」
「どういう……こと?」
 よほど泣いたのだろうか、パイの顔はぐしゃぐしゃで、髪も乱れ、一部が額に貼り付いていた。せっかくの美少女が台無し、とは、睡蓮は思わなかった。
(「あらあら、こんなになってしまって……」)憐れに感じる反面、ふとサディスティックな思いに睡蓮は駆られていたのだ。(「……なんだか、虐めてみたくなる娘ですね……ちょっとドキドキしますが、いろいろとその幼い身体に、聞いてみたら楽しいでしょうに」)
「ちょっと待って! そこの人、今、えっちなこと考えたね!?」
 突然大きな声がして、睡蓮は心臓が口から飛び出すくらい驚いた。
「この雪で迷いに迷って、ようやくパイとめぐり逢えたと思ったら、なんだか連れて行かれようとしてるし!」
「えっちなことなど……」否定しようとする睡蓮は、相手の顔をどこかで見たことがあるような気がしていた。
 彼は七刀 切(しちとう・きり)、明るいプラチナの髪、黒水晶のようにつややかな眼、そして、神出鬼没がチャームポイントである。
「幼女! 幼女! 元気百倍! これで勝つる! とかそんな変な事は考えてない。考えてない……コホン。なんの話だったかな。……ともかく! 誘拐はいかんよ、ワイはそう思う」
 切は大太刀『黒鞘・我刃』を抜き、ぶん、と一颯して構えた。
「誘拐と決めつけられては……」(「事実そうですがね……」)二三歩後退した睡蓮は、ここで戦いとなることの無意味さを考えた。人目を惹くようではパイを連れ出すことは不可能だ。いや、切に発見されたときにすでに、結果は失敗と決まっていたのだろう。
「またお会いしましょう」
 捨て台詞を残して、睡蓮はその場を離れたのだった。
「さて、ならパイ、逃げようか。及ばずながらお伴する。おっと、ワイは七刀切な。パイの味方だ」
「あんた、それどういう意味なの……?」
「まぁ物理的に雪崩が近づいてたり怪獣狼が暴れてたりするから、ここにじっとしてたら危ないのは事実だけどな。でも、ワイが言ってるのはそういう意味じゃなくて、教導団に収容されるくらいなら逃げてくれ、っていうこと」
 眩しいほどの笑顔で切は告げた。
「教導団に収容されれば……クランジの事を本当に考えてくれてる人もいるだろうけど、それでも自由は許されないだろう。ワイはクランジみんなに、自由の中で笑顔になってほしいんだ。だから捕獲なんてさせない」
 その言葉には真実の響きがあった。
「へっ、同じ事考えてるやつが、スカ吉の他にもいたぜ」
 切とパイに声をかけたのは、全身から殺気を立ち昇らせる二人組だった。
 一人はブラッドクロス・カリン(ぶらっどくろす・かりん)、「おら、てめぇ。ずっと言いたかったんだがビーフジャーキーばっか食べてんじゃねぇ。栄養バランスが悪いだろうが」と言って箱入りのバランス栄養食を取り出すと、カリンはこれを投げ与えた。無意識のうちにパイはこれをキャッチしていた。
「フフッ……こんなヤンキーと組まされるのはなかなか心外なんだけど、今のうちに逃げなさいな。そこのクランジっ子」もう一人は、アテフェフ・アル・カイユーム(あてふぇふ・あるかいゆーむ)だ。「あなたを逃がすのはあくまでも朔のためよ。あなたを解放したことで、なにか心の重みが軽減するかもしれないからね、朔は」
 二人は鬼崎朔に命じられて馳せ参じたのだ。
 だが、パイは首を振った。
「駄目よ。ローがいないもの……ローも連れて逃げる」
 これに対し、カリンは眼を怒らせた。
「てめぇ! ガキみたいな駄々こねてんじゃねぇぞ! もう時間がねぇんだよ! まずは自分、相棒を助けるのは安全を確保してからにしな! ……チッ……おれにこういう正論言わせんな」
「……」ぎり、と奥歯を噛みしめたものの、無言でパイは駆け出し、雪崩に向かっていった。
「なるほど、ではワイもパイと愛の逃避行……」
 追わんとした切の肩を、アテフェフが掴んでいた。
「独りで行かせてあげなさいな……。デリケートな年頃ですからね、あの子も……」
 そして彼女は切に、ぞっとするような笑みを浮かべたのだ。

 しかしさして行かぬうちに、パイは立ち往生してしまった。
 彼女の目の前の道は塞がれていた。雪崩で運ばれてきた雪が堆積して進めないのだ。
「けど……」
 パイは振り返り唇を噛む。戻ったら、教導団に捕らわれてしまうかもしれない。体がまだまともではない現在のパイでは危険だった。そのとき
「困っているようだな。この雪の壁さえ乗り越えればいいんだろう?」
 ふわりとパイの体が浮かんだ。横抱き、いわゆる『お姫様抱っこ』の状態で。
「あんた……!」
 生きてたの? というパイの問いに先回りして、彼女を抱きあげる快男児、トライブ・ロックスターはフッと笑った。
「知らなかったのか? 俺は、不死身なんだぜ」
 おそらく殴る瞬間、ローが手加減したからだと彼は思っているがそれは言わないでおく。
 堆積した壁を乗り越えると、レビテートで浮かんでいた彼は、パイを下ろして恭しく一礼した。
「便利屋ロックスター商会、今日は無料奉仕させてもらった。幸いこのあたりは雪崩の影響が少ない。さあ、逃げるといい!」
「あんたって人も……よくわからないわ。お人好しなの……? 究極のバカなの?」
「なに、困ってる美少女に手を貸すのが趣味というだけの男だ。おっと、それにつけこんでどうこうする気はないぜ。俺に惚れたのなら遠慮は要らない。今度会ったときに正々堂々、胸に飛び込んでこ……あれ?」
 パイは姿を消していた。
 トライブは肩をすくめた。
(「まるでつむじ風だな……あの娘は」)
 だがそう悪い気はしなかった。