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リアクション
●●● 人斬り
「やれやれ、せっかくの殺し合いだってのに、近藤さんも左之助さんも甘いもんだ」
諸士調役兼監察、人斬りの大石 鍬次郎(おおいし・くわじろう)である。
鍬次郎は新選組では暗殺などに多く関わり、非常に恐れられていた。
そのやり口が恐れられていたという面もあるが、剣客としても新選組屈指の業前であったという。
今日の鍬次郎は新選組時代の大和守安定と新撰組隊士服を身に付け、本気であることが伺いしれる。
その彼が、自分に向けられた鋭い殺気に気づいたのは不思議ではない。
「どうしたの、鍬次郎?」
パートナーである斎藤 ハツネ(さいとう・はつね)が尋ねる。
見た目は十かそこいらの少女だが、鍬次郎以上の曲者だ。
「殺気を感じた」
「あいつ?」
ハツネは狩生 乱世(かりゅう・らんぜ)に視線を向けた。
乱世はハツネと鍬次郎の凶行を知っていて、その動向に注意を払っていたのだ。
「そんな雑魚と一緒にするな。俺と同じ剣の使い手だ」
「近藤さん!?」
鍬次郎は首を横に振る。
大石鍬次郎は天然理心流と小野派一刀流という二派を修めた達人である。
天然理心流は近藤家に伝わる流派であり、近藤勇はその正統な伝承者である。
鍬次郎に殺気を示したのは、伊東 一刀斎(いとう・いっとうさい)であった。
見たところは好々爺というか、もっといってしまうと……すけべジジイであった。
おそらく、いまの殺気を感じたのは鍬次郎ただ一人である。
「あのジジイ、まさか。
いや間違いねえ。一刀流創始者、一刀斎か!」
一刀流というのは諸派あり、小野派一刀流もその一派である。
そうした諸派の創始者が、伊藤一刀斎であった。
一刀斎は戦国時代から江戸初期の人であり、当然のように実戦も経験している。
鍬次郎の剣の遠い祖として、似ているのも自然のことだった。
「爺さん、俺に何か用か?」
「お主に用などないわい。
わしはそっちのお嬢ちゃんと話がしたくてな」
「黙りな、助平じじいが。本当のことをいいな」
「本当におぬしに用はないのじゃよ。
お嬢ちゃん、実は大切な話があるんじゃ」
「ハツネ、そいつの言うことを聞くんじゃねえ」
「もう少ししたら、お嬢ちゃんの相方をしておる、この阿呆を斬る。
悪く思わんでおくれ」
「抜かせ!」
鍬次郎の剣が閃いた!
幕末を恐怖に陥れた居合術である!
瞬時に繰り出されるこの剣はあまりに早く、間合いを図るのも困難。
避けることはまずかなわない。
するり。
一刀斎は鍬次郎の居合を、ぬるりと避けた。
鶴岡八幡宮での修行の末に到達した剣の悟り、その名も『夢想剣』である。
「ほう! 初めてみたぞ!」
自らの流派の極意を目にして、鍬次郎はそう漏らす。
「鍬次郎……楽しそうなの……ハツネもそんな鍬次郎を見てると楽しいの♪」
一刀斎が無事と見るや、周囲にいたチンピラどもが一斉に一刀斎に飛びかかった。
いずれも鍬次郎の舎弟である。
新選組は一対一の戦いをできるかぎり避け、三人一組で仕掛けることにしていた。
殺し合いにおいて多数が有利なのはいうまでもない。
鍬次郎はこの教えが骨身に染みており、『一対一の正々堂々の勝負』などという綺麗事には、まったくこだわらないのであった。
むろんチンピラはチンピラ、一刀斎の剣の一振りでことごとく斬り倒される。
それでもわずかに隙は生じる。そこに鍬次郎の居合が再び繰り出された。
この剣の達人にチンピラの技が通じるなどとは鍬次郎でも思わない。
はなから捨て駒のつもりである。
鍬次郎の剣が、一刀斎の肉を裂く。
一刀斎の剣が、鍬次郎の骨を砕く。
がほっ、とむせた声を出し、鍬次郎は血を吐いた。
一刀斎もまた血まみれだが、両の足で立っている。
「……大丈夫?」
ハツネが鍬次郎に駆け寄った。
一刀斎はくるりを背を向けて、その場を去った。
「すごいな……あれば一刀流の本来の技なのか……!」
一刀流の達人二人の戦いを目にして、八神 誠一(やがみ・せいいち)はぞっとした。
こうして観客席で起きた刀傷沙汰はひとまず終わった。