校長室
年の初めの『……』(カギカッコ)
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●正は生に通じ、聖にも通ず 昼下がり。 来客が帰宅し、小山内南は、独り、窓際のベッドから外を見ている。 元々、寝ていなければならない種類の病人ではないのだ。 ただ、外界への接し方がわからなくなっただけである。 ついさっきまでアルツール・ライヘンベルガーたちがいただけに、やけにその静けさが際だつ。 昨日はいくらか雪があったが、今日もどうやら来る予感である。あれだけ晴れていた空が灰色に曇り始めていた。 「南ちゃん……入るよ?」 ノックと、それに続く声。 涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)だった。彼は部屋付きの護衛たちに入口で会釈して、ゆっくりとドアを開ける。 見舞いに訪れたのは涼介独りではなかった。 「南ちゃん、みんなでお見舞いに来たよ」 とクレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)は元気づけるような笑顔を向け、 「みんなで作ったこのラベンダーのポプリ袋を持って参りましたの」 ラベンダーの香りを漂わせながら、エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)も姿を見せた。エイボンの手には、淡いブルーをした半透明の小袋があった。 「いいかな? 少し」 南のベッド脇に腰掛け、涼介は言葉を選びながらそっと告げた。 「次に南ちゃんに何かあったらさ、私が一番最初に駆けつける。そして、この間みたいに優しく抱きとめるから心配しなくてもいいんだよ」 南は頷きながら聞いている。決して力強い首肯ではなかった。 だが涼介は言葉を切らなかった。なぜなら彼は、自身が南に対して責任があると考えているからだ。少なくとも、彼女がこうなった一因はある――そう見なしていた。 「強いて理由を言葉にするなら、それはね君の心の支えになりたいからだよ。君が君らしくいるためのね」 涼介のこの言葉は、南にのみ向けられたものではなく、自分に対し誓ったものでもあった。 (「あのとき私は、南ちゃんの心に触れた……無遠慮なほどに。それがきっかけで彼女の心には大きな負担となってしまったようだ。 しかし私は、あの日の行動を後悔してはいない。必要な措置だったと思うし、あれ以外の手は未だに考えつかないから」) 先輩として、心に触れた一個人として、責務は果たすと涼介は決めていたのだ。 このとき南が、涼介の二の腕に瞳を向けた。 「ずっと気にしていたんです……痛みませんか? 私の、刺したところが」 「完璧に治療したからもう痣も残ってないよ。大丈夫」 この言葉は南を救ったらしい。傍目にもわかるほどはっきりと、彼女が安堵の息をつくのが見えた。 「あのときはすみませんでした」 「気にしなくていいって。お互い様だし」 南が涼介に与えた傷は癒えたが、涼介が南に嫁した心の負担は、まだ消えていないかもしれない。むしろ引け目を感じるのは私のほうだ、と涼介は思う。 (「おにいちゃん……」) クレアは、涼介の想いを断片的ながら理解しており、彼を救う言葉を探したがすぐには出てこなかった。 やはりエイボンも涼介のことを案じている。エレベータの音、つづく数人の足音が聞こえたのを機として、流れを変えるべくかく告げた。 「ところで南様、わたくしたちは、三人きりで来たのではありませんのよ」 エイボンが言うが早いか。 「南ちゃん」 「ちゃん!」 元気な声が、さっと扉を開けてきた。イースティアとウェスタルのシルミット姉妹である。十三歳と十一歳、よく顔の似通った二人だ。南が最後に会ったときより、わずかに背が伸びたかもしれない。 「ご無沙汰しています」 イースティアは誰かの手を引いている。それはメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)、同じくウェスタルに手を引かれたセシリア・ライト(せしりあ・らいと)と共にやってきた。 「ちょっと人数が多いからさ。談話室でも移動してみんなで話さない?」 というセシリアの言葉を受け、 「病院側、ならびに護衛の皆様の許可は取りました」 フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)はぬかりなく、了承印の押された書類を一同に示した。 「これからの時間帯、談話室にはしばし、冬の陽差しが入ります。そこからなら美しい眺望も楽しめますし、いかがでしょう」 「ええ。それなら……」 ベッドから降りようとする南には、シャーロット・スターリング(しゃーろっと・すたーりんぐ)が手を貸した。 「小山内さん、お久しぶりです」 と言いながらシャーロットは、彼女の手が、とても小さいことに気づいた。傷つき、生命力を減じているためか、握力もひどく心細い。 シャーロットが感じた心細い印象は、メイベルにも確実に伝わっていた。 (「……あんなことがあったばかりでは……仕方がありません」) 自分が南と同じ境遇だったらどうしただろう――メイベルは思う。考えてみても結論の出るものではなかった。また、南の苦しみはすぐに取り去ることのできる性質のものではないことも判っていた。だからせめて、短い時間ではあれ、彼女の心を満たす負の霧を取り去ってあげる努力をしようとメイベルは決めていた。 それはシルミット姉妹も同じだろう。 「なんだかお菓子づくしって感じだけど、今日はお正月……特別の日だし、いいよね?」 テーブルを彩る菓子の数々を見回してセシリアは笑った。 白く殺風景だった方形のテーブルが、いまではまるで花畑だ。 セシリアが焼いたパンプキンパイが、太陽のような色で目を楽しませる一方で、同じく彼女が持参したシュークリームも、赤ん坊の握りこぶしほどあって美味しそうだ。白いチーズケーキ、きつね色のアップルパイ、チョコと苺でカラフルになったショートケーキは、いずれも涼介が腕をふるったものだという。 彼は言う。 「ちょっと早いバースディ祝いということにしようよ」 幸い、食事制限がほとんどないの現在の南であった。小食なのか少しずつ取るに過ぎなかったが、これらが南の心をさらにリラックスさせているように涼介には想えた。 「以前も一度、お菓子をご馳走になったことがあるけれど、セシリアさんはますます腕を上げたよね」 クレアがセシリアを褒めると、セシリアはまたたく間に赤くなってしまった。 「そんなことないよ〜。でも、言葉はありがたく受け取っておくね」 小山内南は皆の中心にあって、穏やかな表情を見せていた。無理して笑っているようには、見えない。 (「生きることは素晴らしいことだと、小山内様が思うようになって下されば嬉しいのですが」) フィリッパはそう願った。もちろん、人生は楽しいことばかりではない。しかし苦しいこと、悲しいことばかりでもないのだ。それを伝えられれば、と祈念する。 「冬景色が綺麗ですね」 窓の外を指してシャーロットが言った。 「あれ、雪だよね?」 「綿毛みたい!」 イースティアとウェスタルが相次いで言う。 遠い山に雪がちらついているのだ。いずれこのあたりも降雪すると思われた。 「冬って、寒くて厳しいものですけれど、その反面、こんな素晴らしい景色も届けてくれるんですもの。悪いことばかりじゃないありませんですわね……」 エイボンが何気なく言った。 「ですよね。エイボンさん」 少し、迷ったがメイベルはエイボンの言にあわせて自分の、自分たちの意思を口にしていた。 「物事には両面があるんです。冬に厳しさ、その裏返しとしての麗しさがあるように、思いにも『負』と『正』があるはず……気持ちが沈みがちになるのは仕方がありません。自分を傷つけない程度なら、『負』にひたるのもまた意味があることでしょう。けれど」 あらためて南に顔を向けると、南はもちろん、セシリアたちもシルミット姉妹も、涼介たちも自分を見ていることにメイベルは気づいた。 だから、いくらか照れながら、それでも、穏やかに言った。 「負の思いばかりではなく、正の思いも持って下さいね。正は生に通じ、聖にも通じます。生まれ変わった気持ちで、これからのことを考えてください」