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リアクション
第29章 チェラ・プレソンにて2
「なー、スヴェンー」
「何でしょう?」
「こっから大地の店って行けたっけか? 何か、違くないか?」
「気のせいですよ。私が道を間違えるなどあるわけがないでしょう」
待ち合わせ場所で落ち合って暫く。空京の街をチェラ・プレソンとは反対方向に歩きながら、スヴェン・ミュラー(すう゛ぇん・みゅらー)は平然とフリードリヒ・デア・グレーセ(ふりーどりひ・であぐれーせ)の問いかけに答えた。心なしか、得意気な表情だ。
「いや、でもさー」
わざと間違えることはあんじゃね? と、フリードリヒは先程から思っていたことを話そうとする。だが、次に口を開くのはティエリーティア・シュルツ(てぃえりーてぃあ・しゅるつ)の方が早かった。
「で、でも、アクアさんがいなくなっちゃいましたよ〜、スヴェン〜」
もう、今にも泣きそうだ。3人と一緒に歩くファーシーも、どこか不安そうである。
「そうよスヴェンさん、道に迷ったかどうかはともかくとして、アクアさんを探さないと……」
人混みの中を歩いているうちに、彼女達は先を行くアクアとはぐれてしまったのだ。いや、スヴェンが別の道を選んでいっている以上それは必然とも言えるのだが。
そう、彼はわざと道を間違えていた。バレンタインなどという不届きな日にティエリーティアと大地を引き合わせてなるものか、と考えてのことである。
「大丈夫ですよティティ、ファーシーさん。アクアさんに方向音痴の属性はついていないようですし」
順調に行けば、今頃は店に着いているはずだ。
「後からでも向かえば、無事会えますよ。心配なら、電話だけしておけばどうです?」
「う、うん……、じゃあ……」
(あーあ、駄目そーだな、これ)
素直に携帯を出すファーシーを見て、フリードリヒも自分の携帯を取り出して地図をチェックする。このままでは、夜になっても店に着けそうにない。仕方なく、彼は皆を先導することにした。
「ミニライブはこちらですぞ! 開演までもう少しお待ちくだされ!」
その頃、チェラ・プレソンの入口では。
ツンデレーションのマネージャーであるハル・オールストローム(はる・おーるすとろーむ)は訪れたファンを店内に誘導していた。これから、衿栖と未散が店内の一角でライブをする、その人員整理である。彼の隣では、PVに引き続き北海道犬姿のカイが首にプラカードをぶらさげておすわりしている。カードには『入口で立ち止まらないでください』と書いてあり、こちらは女性客に好評だった。
「カイくん、かわいー!」
「しゃべってしゃべって!」
彼女達は、カイが実は渋いおっさんであるということを知らない。否、PVの口調からそれは察せられるがおっさんの獣人であるということを知らない。
2人の活動により、会場には無事に人が納まった。
「お客さん、いっぱい集まりましたねー」
臨時に用意されたカーテンの陰から客入りを覗き、衿栖は楽しそうに言う。
(バレンタインにお仕事ね……、一応ハルにバレンタインチョコ作ってみたけど、渡す機会あるかな……)
そんなことを考えながら、未散も会場の様子を伺ってみる。テーブル席に空きはなく、立ち見客も多い。一番後ろにはハルの姿もあった。元旦から意識してしまって、今日はろくに目を合わせていない。
いやいや、今はハルより仕事である。ライブである。
一度、やれやれと首を振って。
「仕方ないな、音痴も脱出したし歌ってやるか」
そして、2人は元気に出て行く。
「今日はチェラ・プレソンの開店イベントに来てくれてありがとうございます!」
店内に音楽が流れ――ミニライブは始まった。
「あ〜、暇〜」
1曲目も終盤に入り、入口近くに立つ茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)は、それを聞きながら外を眺めていた。ガラス越しに見る風景にも、何だかもう飽きてきた。目に映る建物自体は変わらないし、後はひたすら、通行人が行き来するだけ。
衿栖と未散はアイドルだ。『ボディーガードは必要だ』とレオンに言われて一緒に来たが、どうも本腰が入らない。
(ぶっちゃけ、危ないことは無いよね。何か午前中、女装筋肉とか見えた気がするけど、きっと気のせいよ)
――それは、宝石を受け取りに行く途中の意気揚々としたむきプリ君である。紛れもなくむきプリ君である。だが朱里は、それを見なかったことにしていた。賢明な判断である。
「ん? あれって……」
そこで、朱里は通りの向かい側を歩く少女に目を止めて外に飛び出す。
「アクア!」
呼びかけが聞こえたのか、少女――アクアは足を止める。彼女が何か言う前に、朱里はとびきり明るく話しかけた。
「久しぶり、アクアも来てたんだね!」
「……朱里、何故ここに……」
「朱里? 朱里はね」
戸惑う様子を見せるアクアに、彼女は振り向いて店を示した。ここからでも、店内で歌う衿栖達の姿が見える。
「2人のボディーガードよ。なんか最近、人気出てきたみたいでさ〜。一応アイドルだし?」
「? ? あ、アイドル……ですか?? そういえば……」
思ってもいなかった新情報に、何だか頭が追いつかない。ただ、心当たりがないわけでもなく。
大廃都にある遺跡に初めて入った日。その、帰り道。今、衿栖の隣で歌っている少女のパートナーが、こんな事を言っていた。
『アイドルとして大躍進ですぞ! やりましたな未散くん! 衿栖くん! ツンデレーションのプロモーションもどんどん進めて行きますぞ!』
と。確かに、衿栖の名前も入っていた。
「ツンデレーションですか……」
「そうだ! アクアも寄ってきなよ! 衿栖もきっと喜ぶよ!」
「え? い、いえ、私は……」
ファーシーを探しに、と続ける前に手を取られた。あれよあれよと店内に誘われる。
「アクアにも衿栖の仕事っぷりを見て欲しいしねっ! いつもと違う衿栖が見れるはずよ」
――ビックリするだろうな。
朱里は、アクアを見た時の衿栖の反応を想像してわくわくしながら、再び店に入っていった。
ライブは華やかに、順調に進行していく。一仕事終えたハルは、ファン達の一番後ろに立ってそれを見守っていた。いや――そのつもりではある。だが実際は、未散から目が離せない。
(最近、未散くんがよそよそしいのが気がかりです……)
今日も、何故かあまり目を合わせてくれない。彼女に何かしただろうか、と、漠然とした不安がある。
「ハルさん! 未散さんのことばっか見てないでこっちを手伝ってくださいよ!」
背後から掛かるのは、伊藤 若冲(いとう・じゃくちゅう)の声。スタイリストである若冲の仕事は、衿栖達が衣装に着替えた時点で終わっている。ということで、彼は現在店の手伝いをしていた。担当しているのは、絵の即売。
テーマは、イナテミスファームの動植物だ。ファームで育てている鶏や子牛、畑の様子がみずみずしく描かれている。
画家である彼の絵は流石と言う他なく、訪れた人々は存分に目を楽しませ、時にはその絵や、絵葉書を買っていく。ついでに言えば、チェラ・プレソンの内装デザインも彼が手がけたものだったりする。
「絵についてはわたくしは良く分かりませんが……」
「会計の手が足りないんですよー! お願いします!」
若冲は何だか嬉しそうだ。ツンデレーションのライブには男性が多いが、こちらの客には女性が多い。可愛い子に目がない彼が喜ぶのも無理はなかった。
「分かりました。それではお手伝いいたします」
ハルはレジの方へ歩いていく。朱里がアクアを連れてきたのは、そんな時。
若冲の反応は早かった。
「!!! 誰ですかこのゴスロリの美しい方はー!?」
「!!!?」
その勢いに押され、吃驚したようにアクアは少々身を引いた。突然の事に反応出来ない彼女の代わりに、朱里が答える。
「アクアよ! 朱里達の友達なの」
「アクアさんって言うんですか……!? 是非オレの絵のモデルになって下さい!」
「……!? な、何を言っているのですか?」
突然の申し出に、アクアは更に身を引いた。状況についていけていない。
「絵のモデルって、貴方……」
悪い気がしないのが不本意だ。そう思ったところでアクアはある可能性に思い至り、警戒する。これはまた、新手のナンパだろうか。
「あわよくば連絡先を……!!」
――ナンパらしい。
「嫌です」
「失礼するぞ」
そこで自動ドアが開き、よく通る声と共に金髪の陽気そうな男性が入ってきた。
「招待感謝する。庭から確認してきたが、満足出来るものに仕上がったようだな」
彼はセルシウス。エリュシオンの建築家であり設計家だ。キャンペーンガールの仕事を正式に受けた後、知り合いである衿栖達が外装や庭の設計を頼んでいたのだ。今日は、協力へのお礼として招待していたらしい。
「うおおぉおお!」
ハルに案内された途端、セルシウスは何かヒートアップして衿栖や未散の名前を呼び始めた。ライブという催しを経験するのは初めてではないらしく、これが『正しいライブの楽しみ方』とか思っているのかもしれない。
「物凄く目立つ方ですね……色々な意味で」
「この辺りならちょっと空いてるし、よく見えるよ!」
アクアがセルシウスにそういった感想を抱いていると、彼女を案内していた朱里が立ち止まる。
「え、ええ……」
(えっ!? なんでアクアがここにー!?)
その途端。ほんのコンマ数秒だけ、衿栖の動きが止まった。だが、アクアはその動揺に気付かない。
「これは……」
人形師としての衿栖しか知らなかった彼女は、マイクを持って思いきり歌っている衿栖に、只々驚くばかりだった。
道に迷っていた4人は、ライブが終わりに近付いた頃に店に到着した。
「大地さん〜、来ましたよ〜」
「ティエルさん!」
大地の姿を見つけたティエリーティア・シュルツ(てぃえりーてぃあ・しゅるつ)は、真っ直ぐに彼に駆け寄っていく。ショーケースの向こう側にいた大地は、すぐにホール側に回ってティエリーティアを迎える。
「お店、綺麗で可愛いですね〜……ひゃっ?」
店内を見回していたティエリーティアはしかし、そこでびっくりしたような声を出した。それもその筈、大地に突然抱きしめられたのだ。首を長くして待っていた相手の顔を間近にして、体が自然に動いたらしい。
「久しぶりですね、ティエルさん。俺、ものすごく逢いたかったです……!!」
「だ、大地さん……」
初めは驚いて目をぱちくりさせていたティエリーティアだったが、徐々に落ち着きを取り戻していく。そして、大地の胸の中で目を閉じる。
「……はい、僕も逢いたかったです」
ツァンダとイナテミス。2人の暮らす場所は遠く離れている。恋人であっても毎日逢えるわけではなくて。だからつい、ティエリーティアも嬉しくて甘えてしまった。いつもなら「お、お店の中で恥ずかしいですよ〜……」とか赤くなって慌てるのかもしれないが。
「……………………」
そんな2人だから、ギリギリギリギリ、と、ハンカチを噛み裂く勢いで歯軋りをしているスヴェンにも気が付かない。否、気にしない。だが、客観的に見ると、スヴェンから放たれる暗黒オーラはそれはかなりのものだった。ライブからふとこちらを向き、その容姿に目を輝かせた女性客が一瞬で目を逸らすくらいには。
実際、彼の半径1メートル以内には誰も足を踏み入れない。触らぬものにたたりなしの精神で避けていく。
「おいスヴェン、何かえーぎょーぼーがいしてるぞー?」
その半径1メートル以内に遠慮なくずかずか入ってきたのは、フリードリヒとファーシーだった。ショーケースの前で男女……否、カップルが抱き合い、それに黒い炎を燃やす姑(予定)が居ては売れるものも売れなくなる。まあファーシー達も、傍目から見れば一発でそれと分かる程度には、距離が近い。
「お前らも、あんま人前でくっつくなよー」
「皆さんライブに夢中ですから気が付きませんよ。それに、フリッツさんには言われたくありません」
そう言いつつ、大地はティエリーティアからそっと離れる。その際には、頭をなでて。
「俺様は客だからいーんだよ! お前は店長だろー?」
「店長……というか、プロデューサー兼マネージャーのようなものですが……」
「つまり、店長じゃねーか。ちゃんと接客しろよ、俺達を」
ファーシーと腕を組み、親指で偉そうに自身を指差す。
「ちょ、ちょっと! 勝手にわたしを入れないでよ!」
突然腕を組まれて驚いたことも相まって、ファーシーは慌ててフリードリヒから離れた。彼の方に腕を突っ張り、「こっち来ないでよ」と牽制する。それを見て、大地は嬉しそうに彼女に言った。
「いやー、すっかりオシドリ夫婦ですね。素敵ですよ」
「…………!? な、何言ってるのよ大地さん!」
先程より更に慌てて、ファーシーは顔を赤くした。若干溜まりすぎたエネルギーがプシューッと漏れる。ちなみに、彼女は『オシドリ夫婦』の単語全てにうろたえたのではない。『夫婦』だけだ。オシドリなるものもその言葉の意味も、彼女は知らなかった。
「そうだ、ティエルさん」
しかし、大地はその反応を充分に楽しんだようだった。満足そうな微笑みを魅せると、一度ショーケース裏に行って、戻ってくる。その手には、クッキーの袋があった。
「俺の手作りですよ。バレンタインプレゼントです」
「わー! ありがとうございます〜! 僕も、作ってきたんですよ! おそろいで、クッキーです!」
ティエリーティアも小さな包みを出し、2人はプレゼントを交換し合った。
「私は一切手伝っていませんからね……ティティの手作り100%の品ですよ……!」
何だか恐ろしい台詞がスヴェンから放たれていたが……、大地は、それを聞かなかったことにした。完全封殺だ。
「あら? みなさん、こんにちは〜」
そこで、ライブ風景を撮影していたシーラがやってきた。チェラ・プレソンの制服を着ている。
「あ、こんにちは、シーラさん!」
「うわあ、可愛い制服ですね〜!」
シーラの姿を見て、ティエリーティアは感嘆の声を上げた。白いシャツにチェックのエプロンドレスが、良く似合っている。それを聞いて、大地がじゃあと提案する。
「ティエルさん、良かったら少しその制服着てみませんか? 接客体験、ということで」
ティエリーティアの喜ぶ顔が見たかった。制服姿も勿論……見たかったけれど。
ライブは終わり、帰っていくファン達がお土産に店の品を買っていく。彼等に声を掛けて挨拶し、笑顔で見送るツンデレーション。それが一段落すると客足は落ち着き、衿栖は営業スマイルを引っ込めて勢い込んでアクアに言う。
「な、なんでアクアがここに!?」
「何で……? ……そうですね、複数の要因の積み重ねによって、というところだと思いますが……、来てはいけませんでしたか?」
「えっ!? そ、そうじゃなくてですね……」
怪訝そうな表情。だが、少し怒ったように見えるのは気のせいだろうか。
「いや、その、嬉しいんですけどあの、照れるというかなんというか……、恥ずかしい仕事をしてるわけじゃないんだけど……」
「…………?」
もごもごと、あせった感じで衿栖は話す。確かに、言われてみれば恥ずかしそうだ。
「…………」
アクアは、衿栖を正面から見つめていた。暫くして納得したのか、平淡な口調でこう続ける。
「成程、私で言えばアルバイト先を訪ねられたようなものですね……。確かにそれは、かなり嫌です。……そういうことなら、私は帰ります」
「え、ちょっと、アクア……!?」
くるりと背を向けられ、衿栖は慌てた。そこで聞こえたのは、連続したシャッター音。音のした方を見ると、シーラがデジカメ片手にうっとりとした表情をしている。ティエリーティアを奥に案内したりしていたのが、いつの間にか戻ってきていたのだ。
「ああ、いけませんわいけませんわ〜」
そして、アクアと衿栖は何かの琴線に触れてしまったらしい。流石のアクアも、これには慌てる。
「ま、待ってください、私と衿栖は決してそういう関係では……」
「あ、アクアさん! 良かった会えて!」
シーラに続きファーシーと、ピンク色の制服に身を包んだティエリーティアがスタッフオンリーのドアから戻ってくる。ファーシー自身は、はぐれる前と同じ格好をしていた。しかも。
「そうだ! アクアさんもこの制服着てみない? 可愛いわよ!」
「私が……制服を? ま、待ってください、それは……」
笑顔と共にそんな事を言ってくる。飲食店の制服を着るというのは、さっき言った通り色々な意味で恥ずかしい。アクアは慌てるが、ファーシーは断られるなんて思って居なさそうな期待に満ちた瞳をしている。……帰るのは、もう少し先になりそうだ。
――広い。
それが、チェラ・プレソンを訪れたラスが初めに抱いた感想だ。
幾つかに別れたイートインスペース。そのひとつひとつが、収容可能人数の割にゆったりとしている。ショーケース前もそれなりに広く、他に展示コーナーと、農産物や加工物の販売コーナーもある。外にはオープンカフェもあり、もう少し気候が良くなったら居心地も良さそうだ。
大地の歳は多分、自分とそう変わらない筈だ。その彼が、ここまでの店を立ち上げるとは――少しばかり、悔しい気もする。
まあ、それはいい。それはまだいい。問題なのはそこではない。
何故、アクアが制服を着ているのか。何故、ホールで接客などしているのか。何故、その所作にぎこちなさが欠片も無いのか。
店内にいたファーシーが3人に気付き、やってくる。
「あっ、2人共! ケイラさんもこっちに来たのね」
「うん、そうだよ。毎年バレンタインは自分でお菓子作ったりもするけど、店売りのお菓子も自分が食べる用にいっぱい買うんだよね」
「……太るぞ」
ファーシーとケイラの会話に、ラスはついそう口を出す。ここに来るまでにもケイラは何軒か店をまわって買い物をしている。本気で太ると思っているわけではなかったが、次々にチョコを買うその姿には少々呆れてもいた。
「大丈夫だよー、まとめて食べるわけじゃないし。ここにも、チョコいっぱいあるんだよね?」
「うん。試食用にって、大地さんが色々出してくれたの。こっちにあるわよ!」
「そっかー、じゃあ、ちょっと食べてみようかな。ラスさんとピノさんも行こう!」
「うん、もちろん!!」
ピノはノリノリでケイラとファーシーについていく。ピノには、これから本気で甘味制限をしないとまずいかもしれない。そう思いながらやれやれ、と彼女達の後を追おうとした時――
フロアのアクアと、目が合った。
「…………」
「…………」
「…………何やってんだ?」
三点リーダーによって無為に流れる時間。色々な意味で耐え切れずにツッコミを入れてみると、アクアは微かに眉を顰めた。
「……貴方こそ、何しに来たのです? 帰ったのではないですか?」
「……こっちにも事情ってもんがあんだよ」
大した事情ではないが言う義理も無く、アクアの方もウェイトレス化している理由を話そうとはしない。
「…………」
「…………」
お互いに、それ以上の会話は精神衛生上よろしくないと判断したらしい。ほぼ同時に、それぞれの時間に戻っていく。
「あ、ラスさん〜」
歩き出した時、後ろからシーラに声を掛けられた。彼女は、お菓子の箱らしきものを持っている。
「……!?」
日が日なだけに、ラスはちょっと身構えた。
「チョコレートを作ってみましたわ〜。どうぞ〜」
「あ、ああ……」
差し出されるままに、箱を受け取る。綺麗にラッピングされていた。しかも手作りだという。
(……ま……まさか、な……?)
表面には何も書いていない。包装を解けば、義理とか何とか書いてあるのか? いやいや、どっちにしろわざわざ義理とか書く性格じゃなさそうだし……
「どうしました〜?」
シーラはファーシー達の所へ案内しようと歩き、振り返る。あまりにもいつも通り過ぎて、何を考えているのかは分からなかった。
「志位さん、開店おめでとう!」
「ありがとうございます、ゆっくりしていってくださいね」
お菓子が並べられたテーブル席の前では、ケイラが大地に祝いの言葉を贈っていた店員側としては大地の他に、薄青 諒(うすあお・まこと)も一緒にいた。女子用のチェラ・プレソン制服を着て、恥ずかしそうにしている。色は、ピンク。青もあるけど、ピンク。
「……………………」
何故、女子用。
「諒くん、その格好、どうしたの?」
ピノも不思議に思ったようで、首を傾げて彼に聞く。
「ち、違うんです! こ、これは僕が着たいって言ったんじゃなくて……! し、シーラさんにお願いされて……! そ、それで……!! ち、ちがうんだよ、ピノちゃん!」
何だか必死である。好きでスカートを穿いている、と誤解されたくないようだ。
「僕は、本当は大地さんと同じパティシエ服か、男性用制服が良かったんだけど……!」
「だったら、断りゃいいじゃねーか」
「えっ、そ、それは……!」
諒は「!」とラスを見上げ、それからおろおろとシーラを見た。彼女に『お願い』されると断れない。きっと、動物の生存本能的なものが働くのだ。
「? 何ですか〜? 諒ちゃん」
視線に気付き、シーラがこちらに顔を向ける。ほんわかとした笑顔なのだが、そこから何か感じたようだ。諒は慌てて、ラスを半壁にするように後ろにまわった。彼の袖をつまんでくいくいっ、と引っ張る。諒は、涙目上目遣いで何かを訴えかけてきていた。「助けて」というオーラを感じるのは、多分気のせいではない。
(んなこと言われても……)
困惑して諒を見下ろす。その時になって、シーラはカメラのシャッターを切り始めた。嬉しそうだ。
「ラス×マコですわ〜、いけませんわいけませんわ〜」
目で会話している間に何に引っ掛かったのか。チョコを渡されたことも相成り、ラスは少し混乱した。混乱しつつ、謹んでカメラを強奪する。これに関してだけは、そろそろ「スリ」という特技化してもおかしくない成功率だ。
「簡単にスイッチ入りすぎだろ……!」
「ああ、消さないでください〜、いけませんわ〜」
「……!! 他の写真は消さねーから、ちょっと離れろ……!!」
シーラもまた、この店の制服姿だ。エプロンドレスは胸から下をきゅっ、と締めるタイプのもの。白いシャツに包まれたふくよかな胸がその上に乗っかって、ちょっとばかり強調されている。つまりのこと、貧乳か巨乳かがよく判るデザイン……いや、それは置いておいて。
問題は、その胸が超至近距離で当たったり当たらなかったりしていることだった。
「カメラ、返してください〜」
「待てって……、ん?」
自分達の写真を消した後。ラスは次にあった写真に目を止めた。接客をしている諒の写真。明るく、楽しそうな笑顔を浮かべている。笑顔でお客様に接するように、とシーラに言われて頑張った、努力の笑顔である。後ろからそれを見て、諒は先程に増して慌てふためく。もう涙が決壊しそうだ。
「……あっ! あ、あのっ、だから……っ!! こ、これ、ピノちゃんには……!」
「あたしがどーかしたの?」
「う、うわあっ!?」
「…………」
何だか気の毒になって、ラスはシーラに進言した。
「男の制服、着せてやれよ。あるんだろ?」
「諒ちゃんにはこの制服がとても可愛らしくて、ぴったりですわ〜。ラスさんもそう思いませんか〜?」
「いや、そりゃ似合ってるっちゃ似合ってるけど……。! あ、お前の事じゃないからな!?」
目の前にしていたせいだろうか。妙に意識し、気がつくとそう言っていた。
試食用だから、それぞれのお菓子の個数は少ない。その1個1個を食べてみながら、ケイラは気に入ったお菓子をメモしている。後でまとめて買うらしい。
「どんだけ買うんだか……」
クッキーを1枚取ってカップのお茶を飲みながら、ラスはそのラインナップに呆れていた。全種類とは言わないが、決して少ない量ではなく、だが買うのに躊躇が無い。
「自分だけじゃなくって、家のパートナー達や友達の分もあるからね。ラスさんは買わないの?」
「いや……」
ピノが欲しがるなら買うけど、と内心で呟いた時。
「ねえラスさん、こっちのとこっちの……どっちがいいと思う? 真菜華さんどっちが好きそうかなー」
「そんなの俺が知るわけないだろ……って、……!?」
普通に返答し、それから意味合いを察してお茶を吹きかける。それを何とか未遂に済ませると、ケイラは不思議そうにこちらを見ていた。
「あれ、どうしたの?」
「どうしたのって……なに勝手に勘繰ってんだ! 今の絶対わざとだろ、自然なふりして付け足したろ!」
「何のことかな。それより、ほら、これ……」
「……………………どっちでもいんじゃね?」
「じゃあこっちで」
「待て、今、何を見て決めた? 何を見て決めた?」
「別にー、ラスさんの視線を追って決めただけだよ」
「おにいちゃん、意外とわかりやすいもんねー」
「……………………」
じーっ、とやりとりを見ていたピノがそんなことを言い、もう何だか開いた口が塞がらない気分になった。
「……付き合いが長きゃそんくらいの勘も働くだろ! 変な方向に持っていくなよ!」