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シルバーソーン(第1回/全2回)

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シルバーソーン(第1回/全2回)

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15 セテカとアナト(3)

 それから2時間ほど起きて、アナトとセテカは再び眠りに入った。けれどそれはただの睡眠で、最初のような昏睡の眠りではなかった。
「体温、脈拍、血圧ともに正常値内だ」
 大佐セテカの手を元に戻し、ベッドにくくりつけてあるボードに計測者の自分の名前と数値を記入する。
「安定している」
 やはりあの注射が進行を抑えているのか。そしてその後の回復魔法や薬による治療が効果を持続させている?
「あの毒が手に入れば、どれが効くのか実験することも可能なんだが…」
 そんなことに思いをはせつつ流した視界に、ふとテーブルでほおづえをついて本を読んでいるアルテミシアの姿が入った。
 思えばここに来たときからずっと、彼女はああしているだけのような…。
「おまえも少しは手伝ったらどうだ。こういう測定なら知識がなくてもできるから、アナトさんの分の記録をつけてくれるとありがたいんだがね」
「えー? パス」
 答えるのも面倒くさそうに、アルテミシアは本から目も上げない。
「じゃあなぜここにいる」
「だーって、ロンウェル戻ったらまた書類仕事だもの。せっかくロノウェの名代で東カナン来てるんだしさ、滞在期間はゆっくりのんびり、自分のために使いたいのよねぇ」
 だからとーぜん、あんたのために使う気もなし!
「東カナンとロンウェル外交の一助だから、っていうのは分かるけど、それも私興味ないし。ま、気になるひとが勝手にやったらいいんじゃない?」
 ひらひら手を振って見せるアルテミシアの姿に何か悪態のようなものをつくと、大佐ははーっと重い息を吐き出して、やおらアナトの記録をつけるべくそちらへ歩み寄った。
 言い合いしている間に自分でやった方が早い。
 アルテミシアは本を読むフリをしつつ、アナトの手を取って脈拍を測定し始めた大佐を盗み見た。
(ほーんとめずらしい。自分の悪だくみ以外のことであんなに真面目にやってるなんて。……意外にこういうの、合ってるのかしら?)
 そう思った直後。
 2人はほぼ同時に、こちらへ近づいてくる気配を察知した。



 キィ、ときしみ音を立ててドアがわずかに開く。人1人がすり抜けられる程度の隙間。電灯のついている廊下よりも、間接照明だけの室内の方が暗い。だから当然、影は室内に生まれる。
 長い髪、ひょろりと細長い肢体はまだ種としての未成熟さを感じさせる。
 外見はあきらかに子どもだった。用心深く室内へ視線を走らせるその赤い目は、到底子どもの持ち物ではなかったが。
 部屋のなかにひとの気配がないことを、不思議に思ったのか。その人物は少し考え込むような間をあける。だがチャンスとみることにしたのか、とことことなかへ歩を進めた。
 後ろでゆっくりとドアが閉まる。
 完全に閉まり切ると同時に。
 その後ろから走り出た大佐の心臓打ちが決まった。
「!」
(手ごたえがない…?) 
「……ふふっ」
 己の胸を貫いた腕を見下ろして、その人物――坂上 来栖(さかがみ・くるす)は吐息のような、あるかなきかの笑いを吐き出す。耳のすぐ横で聞いた一瞬、大佐の目に見えたのは三日月のような口元。そして次の瞬間、数十のチョウのはばたきが大佐を翻弄した。
 チョウだと思った。
 赤いラインの入った真っ黒いアゲハチョウ。
 けれどそれはチョウではなかった。もっと闇に近く、もっとまがまがしいモノ。
 数十のコウモリがはばたいて散り、十分距離をとった部屋の中央で再び1人の人間へと結集する。
「不用心ですね。ドア、開いてましたよ。いてもいなくても、鍵はかけておくべきです。ナニが入ってくるか、分からないでしょう?」
「きさまは…」
「閉まっていて、鍵がかけられてるなら話は別ですが、隙間があるなら……つまり『招かれている』なら私は入れる、そういうものです」
 どうぞお見知りおきを、とでも言いたげに、来栖は帽子を取って大仰な礼をとった。
 唇にはいつの間にか、火のついたタバコがくわえられている。
「なんて、ね。この言葉。ひねたとり方をすれば、なんて打算的な言葉。あぁ、たしか日本にも似た言葉がありましたね」
「アルテミシア」
 一体どんなスキルを用いたのか――今まで相対したことのない種類の敵と、警戒する大佐の体に魔鎧が装着される。
「ふふ。そう警戒しなくてもいいでしょう。私とあなたに何の違いがあるというんです? あのとき、私はたしかにカナンに弓引いた者――石を投げた者です。そしてあなたはザナドゥにつき、やはりカナンに石を投げた…。
 だが、そうして時が流れてみれば、どういう神のはからいか、はたまた笑えないジョークか、モートを裏切った私は根なし草となってさすらう身、最後まで付き合ったあなたはこちらの側ときている」
「……それがどうした。泣き言か?」
「いえ。まさか」
 ふうっと白い煙が立ちのぼる。タバコを指ではさみ、来栖は窓の外を見た。もう大分陽が傾いてきている。じき太陽は赤く肥大し、何もかもを赤く染めてしまうだろう。そうして闇に売り渡す。
「そう警戒しないでください。今の私はこのとおり。黄昏をさまよう幽霊みたいなものです。ここにありて、ここになし。一体幽霊に何ができるというのです? できることなど、たかがしれている…。
 そもそも、そこにあるのはこのまま打ち捨てておけば勝手に絶たれる命。ここで私が何かする意味も益もないじゃありませんか」
「…………」
 来栖の言うことは、そのとおりに思えた。だが、相手がそう言ったからといって防御を解き、武器を捨てる理屈はない。
「頑固ですねぇ。
 そもそも、あなたたちはどうしてこの2人を助けるのですか? 可哀想だから? わが身をなげうってひとを助ける行為は賛美されねばならないから?」
「どちらでもない。が、それをおまえに教える必要性もない」
「おや、そうですか。素直じゃないですねぇ」
「なに?」
 来栖は素っ気なく肩をすくめて見せ、タバコを口へ運ぶ。そしてドアまで進み、引き開けた。
「私は、2人を敬愛しているのですよ。自らの命を投げ捨て、他者をかばった。残された者の苦悩や悔いを考えもせず。ああ、なんて愛おしく身勝手なおろか者たち…。願わくば、彼らが救われますよう。祈っておりますよ。
 ではさようなら。鍵は閉めておきなさい、性質の悪いのが来ないとも限りませんから」
 するりと猫のようにすり抜け、来栖は消えた。
 ぱたん、とドアが閉まる。
「追わなくていいの?」
「ああ。何かしでかしたわけでもないしな。
 追いたければおまえが追え」
 アルテミシアも、あえては追おうとはしなかった。