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リアクション
母のぬくもり〜広瀬 ファイリア〜
今日の日差しは温かい。
広瀬 ファイリア(ひろせ・ふぁいりあ)は温かい日差しを受けながら、ウトウトとまどろんでいた。
ニアリー・ライプニッツ(にありー・らいぷにっつ)と広瀬 刹那(ひろせ・せつな)の2人は今日は出かけている。
これだけお天気がいいなら、外もきっと気持ちいいんだろうな……。
そう思いながら、温かい日差しに誘われ、ファイリアのまぶたはゆっくりと閉じていった。
とても、とても温かい。
ふわふわと柔らかくて、いい匂いがする。
ファイリアがゆっくりと目を開くと、そこには母の姿があった。
でも、その顔はまったく見えない。
赤ちゃんというのは視力が弱く、視力測定でいうと、0.1以下しかない。
フォーカスがぼやけているような状態であり、赤ちゃんのファイリアには薄ボンヤリとしか母の顔が見えていなかった。
顔よりも何よりもファイリアはその温かさと匂いで母を感じていた。
「よしよし。ファイ、ボクはここにいるから、泣かないでね」
泣くファイリアを母は優しく抱いて、あやしてくれる。
「ファイは抱っこされるのが大好きだね。ボクもファイを抱っこするの、大好きだよ」
楽しそうな母の声。
気付くとファイリアは泣き止んでいた。
母の包むような温かさを感じていたファイリアだったが、さらに他の暖かさも加わった。
部屋のカーテンを母が開けたのだ。
「とってもいいお天気だよ。今日はお布団干して正解だね」
ファイリアを抱きながら、母は明るい声で言った。
そして、ふんわりと柔らかいファイリアのほっぺに自分の頬をくっつけて、柔らかい声で語りかけた。
「ファイの笑顔はおひさまだね〜。ボクが落ち込んでも、ファイが笑うと全部吹き飛んじゃう」
にっこりと母が笑う。
その雰囲気を感じて、ファイリアは笑い返した。
それを見て、母は喜びの声を上げた。
「わー、ファイが笑い返してくれた。ありがとう、ファイ。とってもうれしい」
おくるみに入ったファイリアを母はうれしそうに抱いて、軽やかに動く。
母は温かい匂いがした。
優しい雰囲気がした。
そして……
(ちょうちょが……見える…………)
一瞬だけハッキリしたファイリアの瞳に母の髪飾りが映った。
母の髪にはちょうちょが止まったかのように見える髪飾りがついていた。
それは……紫の蝶。
母の温かい腕に抱かれて、ファイリアは眠る。
その日も……ファイリアは安心して眠っていた。
しかし、ファイリアを抱く母は娘に焦る気持ちを悟られないように、娘が安心して眠れるようにしながら、必死に走っていた。
サングラスに黒スーツの男が追ってくる。
年の頃は30代か40代くらい。
秘密を知っている男だった。
「貴様、こういう女を見たことはないか?」
街に溜まっていた少年たちに男は銀色の髪の女性の写真を見せた。
「さあ、知らねえ」
写真も見ずに答える少年の顔を、男は思いきり殴った。
「おうっ!?」
少年の仲間たちも驚く。
「……もう一度聞く、この女を……」
男が写真を押しつけると、少年は今度は真面目に見た。
それでも、少年は首を振った。
「し、知らねえよ、本当に」
「それでは探すのを協力しろ。……命が惜しければな」
男の迫力に負け、少年たちは三々五々に散っていく。
「ふん」
本当に役に立つか分からないが、彼らの方が地の利がある分、早く見つけ出すかも知れない。
そう思いながら、男は写真の女性を見た。
「……なんとしても手に入れたい方がいるんだよ、貴様を」
その頃、母はまだ走っていた。
腕の中のファイリアが温かい。
この温かさを手放したくはない。
ファイリアが眠るそばでずっと添い寝していたい。
目が覚めた時、自分がそばにいてあげたい。
自分の秘密のせいで、執拗に追われて暮らしてきた。
住処を転々として、いつも息を殺して過ごしてきた。
でも、恋する人が出来て、想いが通じて、ファイリアが生まれて……。
幸せだった。
お腹にファイリアがいると分かった時も。
生まれたファイリアを初めて抱いた時も。
ファイリアがぎゅっと自分の指を握ってくれた時も。
初めて沐浴をした時に、温かいお湯にファイリアがニコッとしてくれた時も。
すべてが大切な思い出で、今でもまるで昨日のことのように思い出す。
ずっとそういう時間が過ごせるのだと思っていた。
永遠にファイリアのそばにいられるのだと思っていた。
「……あ」
気付くと母の目から涙がこぼれていた。
泣き崩れそうになるのを、一生懸命こらえた。
もし、一緒に捕まるようなことになってしまったらファイリアは……。
それだけは絶対に避けたかった。
気付くと、ある一軒家の前に母は立っていた。
『広瀬』という表札が掛けられた家。
ファイリアを見ると、いい夢を見ているのか、口をむにゅむにゅさせながらよく眠っている。
一つの決意をして、『広瀬』の家の前に屈んだ母だったが、ファイリアの可愛い寝顔を見ると、決意が揺らいだ。
ベビーベッドに置くと、すぐ泣いてしまって、いつでも抱っこを求めるファイリアが、目を覚ました時に母がいなかったらどう思うだろう……。
ずっとハイハイして母親を探すのだろうか。
それとも健気にじっと母の帰りを待つのだろうか。
泣くファイリアを想像しても、じっとガマンするファイリアを想像しても、胸が苦しくなった。
一緒にいたい。
そばにいてあげたい。
ずっとファイリアを抱きしめていたい。
でも…………。
その、でも、の部分が重すぎた。
今こうして悩んでいる間にも、ファイリアに危険が迫っているかも知れない。
その危険からファイリアを守ってあげなければいけない。
「ずっと一緒にいられなくてごめんね。どこにいても、ファイの事はずっと愛しているからね。本当にごめんね」
寒くないように包んであげて、地面の上でも痛くないようにカゴを置いて、風が当たる場所を避けて。
どうか、この家の人がすぐに気付いてくれますようにと願いながら、母はその場を少しずつ離れた。
「ごめんね……ファイ」
何度も振り返りながら、母は言った。
「ごめんね、大好きだよ、ファイ。本当に、本当に……愛しているから。ずっとずっと永遠に……」
ファイリアの所に戻ってしまいそうになる足を、母は無理矢理、逆に向けた。
幸いなことに、ファイリアが泣き声を上げたおかげで、広瀬の家の人が出てきてくれそうだ。
カチャカチャッと玄関を開ける音が聞こえてきた。
母が少し目線を向けると、ロングヘアのおっとりとした感じの女性が玄関の扉を開け、庭を歩いて門に向かってくるのが見えた。
ファイリアの泣き声を聞いて、一瞬、戻りそうになった母だが、なんとか食いしばった。
ここに自分が長く留まれば、その分、ファイを危険に晒してしまう。
それだけは避けなきゃいけないと、自分に言い聞かせて、母は走り出した。
あの優しそうな女性が、ファイリアのことを大事にしてくれるように、ファイリアの人生がこれから幸せであるように願いながら。
ファイリアは、温かい母の手から離れたことにようやく気付き、目を開いた。
うすぼんやりとした視界に何かが映った。
それは……飛んで行く…………蝶…………。
「……ちょうちょ」
ファイリアの半分寝言のような声に答える者がいた。
「夢……見てた?」
「あ……」
意識がハッキリしてきたファイリアの視界に入ってきたのはウィノナ・ライプニッツ(うぃのな・らいぷにっつ)の姿だった。
いつの間にかウィナノに膝枕をされていて、その上で眠っていたようだ。
眠る前よりも日差しも少し落ちてきている気がした。
「大丈夫、ファイ? うたた寝してたのに疲れてる感じだけど」
「う、ううん……その……」
心配そうに顔を覗き込むウィノナに、ファイリアはうまく返せなかった。
すると、ウィノナはさらに心配そうに言った。
「夢見が悪かった? あ、何か飲むもの用意するね。気分が変わるかもよ」
ゆっくりと丁寧に膝枕を外して、ウィノナがキッチンに走っていく。
身体を起こしたファイリアの目に、走るウィノナの髪についた蝶の髪飾りが映った。
「……あ」
目を覚ます前に見た、飛んでいく蝶。
その前に感じた母のぬくもり。
「…………そんな偶然はないですよね、きっと」
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